日々は少しずつ移り変わり
ニュースで梅雨明けが報じられた。
それまでジメジメとした陰鬱な空気ともようやくおさらば出来ると同時に、季節は夏へと移り変わり始め、学生たちは夏への期待とその前にある期末テストへの不安に浮き足立っている。
部活動生たちは、それぞれの大会に熱を持ち始め、教室で話す彼らは、他校の選手などを話題にしていた。
ふと、教室の窓から外を見れば、晴れた青が広がっていて、そこに漂う雲からは雨を降らせようなどという悪意は感じず、ただあるがままに浮かんでいるように見える。
俺の日々にもなんとなく平穏と呼べるボッチが戻り始め、しかし、それは俺が望んだボッチと望まぬボッチとがない交ぜになったボッチを確立していた。ふむ。どちらにしてもボッチ。もはやこれこそ使命。やはり、俺はボッチを宿命付けられているらしい。
それまで、意識的にボッチをしていた俺だったが、もはや頑張らずとも容易にボッチになることが出来る。みんなが俺を避け、俺はその現状を受け入れるだけ。自動化されてしまったこの現状にはさすがに笑うしかない。
そんな俺に話しかけてくるのは金剛さんと霧島くらい。二人は男女に別れるが、それぞれの人気を大いに獲得しているいわば上位者。彼らだけには、俺のボッチが効いていないようだった。
そして、そんな金剛さんは最近バイトを始めたらしい。金が欲しいのだそうだ。学業は大丈夫か? と思ったが、彼女はこれまで以上に授業を熱心に聞いている。休み時間とか教師に質問してるし、授業で当てられてもなんなく答えていた。放課後はすぐに帰り、朝はしばらく眠そうにしている。頑張りすぎだと思う。そのうち体でも崩すのではないかと思えてくる。
なのに。
彼女はとても楽しそうな日々を送っていた。それは、屋上での昼食時でよく分かる。新しい経験や、今まで思ってもみなかった発見などをずっと喋っているからだ。
その一生懸命はとても純粋で、わき目も振らずに走り去る風のよう。
そんな姿を見て変わったなぁとしみじみ思った。
女の子は変化する生き物なのだと改めて実感する。ちなみに男は変化しない。というよりも、変化できない。だから、男は地道にレベル上げを行うしかない。だから、強いのは男の方なのだろう。変わらずに、ただ在るものだけを磨くというのは、強さを比例させる。だが、生物学的に言えば、最後まで生き残るのはやはり変化できる女性なのかもしれない。環境に合わせて自在に存在を変えられる女の子は、男とは別の強さを持っていた。
それを目の前で見せられているみたいで、本当に驚かされる。
もはや少し前の金剛さんとは思えない。いや、もしかしたらそれは、本来の彼女に戻っただけなのかもしれないが。
ただ、そんな彼女の人気は上がり始めていた。それは、人気というより評価に近い。結果を伴ったそれは、やがて周りの目を少しずつ変えさせる。
教室でこんな一幕があった。
「――金剛さん、あの……ここ分からないんだけど」
それは、クラスメイトの女子二人組が金剛さんに話しかけた光景。それに彼女は呆然とし、その二人を見つめていた。俺はてっきり拒絶するかと思った。金剛さんがボッチに落ちた事件は、まだ記憶に新しく、彼女にとってもそれは苦い経験として残っているはずだ。
「いいよ。どこ?」
だが、そうはならなかった。彼女はあっさりと二人を受け入れてしまったのだ。
「――嫌じゃなかったのか」
屋上でそう聞いたとき、彼女は少し驚いたように俺を見つめて。
「見てたんだ」
などとニヤニヤしていた。
「いや、ちょっと驚いたからな」
「そうなんだ。……まぁ、最初はなんで? って思ったけどさ、そうなのどうでも良くなっちゃった。私はもうそんなことに囚われてないし、今は目指したいことがあるから考えてる暇がないのかも」
「すげぇな。俺なら絶対に教えてやらん。「俺もそこ分からないからぁ」って、かわすと思う。それでテストで俺だけ出来る。最後に奴等の悔しがる顔を見て、それをおかずに一人飯を堪能するな?」
「最低だ……」
「最高だろ。あれと一緒だ。「全然勉強してないからぁ」って周りを安心させておいて、本当は猛勉強してるやつ。みんなやってることだろ? 騙される方が悪い」
「騙す方が悪いと思うんだけど」
「分かってないな? この世は正直者ではいられないんだよ。どこかで誰かを出し抜かなきゃならない。出し抜かれる奴等が悪い」
そう。この世において、正直者であることは馬鹿だとされた。
ただ、それは少しだけ真理とは異なることも俺は知っている。
この世界で強いのは真実だ。嘘は絶対に真実に勝つことは出来ない。なのに、何故正直者が馬鹿を見る世の中になっているのか?
それはやはり、正直者が馬鹿だからだ。
正直者であることと、嘘をつかないことは同義じゃない。大切なのは何に対して正直であるかだ。俺は自分に正直であるから、他人には平気で嘘をつけてしまう。しかし、そんな自分は嫌だから、実際には嘘なんてつけない。
強いのは真実であり、正直者が強いわけじゃない。嘘をつくことは悪いことだが、それが果たして悪であるかといえばそうじゃない。騙す方が悪いのか? 騙される方が悪いのか? しばしばそんな議論が生まれてしまうのはその為だ。そして、悪いのは馬鹿な方。勝利するのはいつも賢い者だ。
だから、この議論における答えは馬鹿が悪い、となる。
正直者が馬鹿をみるのではなく、馬鹿正直が馬鹿を見るのだ。うわぁ、もはや議論などいらない当たり前な理論になったねっ。だから、賢い正直者はそうならない。
そして賢くあるための方法は、正しい結論を出すことにあった。
何が起こるか分からない世の中において、より正しい結論を出すには二つの方法しかない。
経験によって答えを導き出す帰納法と、知識から答えを導き出す演繹法の二つだけ。だから、より多くの経験を積んだ者たちと、より多くの知識を蓄える者たちは賢いのだ。彼らは容易に騙されたりしない。
そして、経験の浅い俺たちがより賢くあるためには、やはり勉強するしか道はないのだ。
「私も出し抜けるかなぁ……」
ポツリと金剛さんが呟いた。
「相手にもよるだろ。出し抜きたい奴が賢い奴なら、それは難しいと思うが」
「うわぁ、それだとちょっと難しそう」
そう言った後に彼女は自分を奮い立たせる。
「でも、やるしかない」
決意に満ちる金剛さん。何をやるのかは知らないが、今の金剛さんなら割りと誰でも出し抜けそうな気がした。
――そんな日の放課後、バス停には珍しい来客がいて、俺は少し固まってしまう。
「待たせたぜ!」
りんちゃんである。……いや、待ってないし、むしろ待たせたの俺の方じゃないのかな? なんて心配になった……主に彼女の頭の中が。
「それじゃ行こうか」
なんて、りんちゃんは勝手に俺を誘う。いやいや、なにその最初から予定されてました感。なんにも知らされてないんだけど。
「行くってどこに?」
「まぁまぁ、行けば分かるさ」
目的をはぐらかされてしまった。俺を騙そうというのだろう。だが、彼女が悪意を持って人を騙すような者でないことを俺は知っている。だから、騙されてやっても良いとは思える。こういう判断が出来る俺は賢い。……いや、もしかしたらそれも込みで、そんなことを言っているりんちゃんの方が賢いのかもしれないが。
りんちゃんは次に来たバスに乗った。
「取り敢えず次くるバスの終点まで行くから」
彼女は言い、俺は黙って従う。その表情からは、行き先など皆目検討もつかない。ただ、何故かそこには寂しげで悲しげな色があるように思えた。そんな俺の視線に気づいて「なに?」と見上げてくるりんちゃん。そこにはもうそんな表情はなくて、そのことに俺は少し動揺してしまう。
「あっ、もしかして私に見とれてた? 変態さんだなぁ、天津くんは」
「やめてくれ……りんちゃんレベルで変態とか言うと、本当に捕まりかねない」
「その時は私が説明して助けてあげるね。だから、安心して捕まっていいよ。変態さん」
「なんだよそのマッチポンプ。本当に感謝しそうになるからやめてください」
「あはは」
翔鶴りん。この女の子も最初の印象とはだいぶ変わった気がする。もっと純粋な子だと思ってました。ほんと、騙されてた。もっと、日向舞という人間から推測するべきでしたよ。あいつと仲良く出来るのは、やはり普通の子とは違った感覚の持ち主なんだろうなって。
「座ろっか」
バス車内は珍しく空いていた。そんな空いた席に二人で座る。りんちゃんとこうして座るのは、霧島たちと遊んだ日以来。あの時、彼女は霧島だけを見ていて、俺たちは喋ることもなかった。帰りはりんちゃん寝ていて、やはり喋ることはなかった。
だが、今は違う。りんちゃんは、勝手に喋りだして俺はそれを聞いてるだけ。
正直、こんな子が俺のことを好きかもしれないと言ったことが不思議でならない。
「――もぉ、聞いてる?」
その時のことを思い出していると、不意に彼女の怒った顔が近づいていた。
「あっ、いや、悪い」
聞いてなかった……。それを露骨に出してしまい、りんちゃんはプンプンと文句を言ってくる。そしてその後に。
「まぁ、いいや。許す!」
と、コテッと頭を俺に寄りかけてきた。なにその変わり身の早さ。そして可愛さ。もはや怒ってた事すらこの為の伏線に思えてくるから怖い。
「これは私が天津くんを好きになったときの予行演習ね!」
りんちゃんは言った。初めて聞く予行演習だ。じゃあ、本番があるということですね? なにその俺得予行演習。
「嫌いになったときの予行演習もしとくか?」
聞くと、彼女はそのまま頭を振る。
「大丈夫。嫌いになったら予行演習しなくてもそれ出来るから。私は本番に強いのだ」
「じゃあ、この予行演習も要らないだろ……」
呆れて返すと、ふにっと彼女は顔を上げた。
「じゃあさ……本番やっとく?」
やめなさい。発言に卑猥な意図を感じちゃうから。そして、それすら彼女の思惑通りなのかもしれない。とぼけた顔の口元が、うっすら笑いかけていた。もはや悪意しか感じない。
そんなりんちゃんは、再び同じ体勢になり流れていく窓の景色を見ながら呟くのだ。
「ほんと……ズルいなぁ、私」
と。
それは俺に掛けられた言葉じゃなかったから、返すことはない。
ただ、何故彼女が自分をズルいと言ったのか、考える他なかった。
しかし、そういったことに関する経験も知識もない俺には、正しい結論を導き出すことが出来ない。
バスは停車してはまた動き出す。そうやって終点を目指した。




