日向舞のやり方
その日の朝は、いつもより早く家を出た。やる気に満ちていたからではない。教師から七時には職員室にいるよう命令されていたからである。どうやら、他の生徒とは会わせない魂胆らしい。……そんなことしなくても会わないのにね。無駄すぎる気遣いだな、ははっ。
最近は何かと早く起きる事が多くなった気がする。それまで何もなかった俺の日常に、事あるごとに予定なるものが入ってくるからだ。まぁ、入っているというより、入れられてる感じ。主に日向舞によって。
彼女と出会ってから、俺の日常は少し変わった。
俺自身は変わらないのに……変わらないからこその日常だったのに、日向舞はそんな俺を放ってはおかない。捨てられてた猫を拾う気分なのかもしれない。あいつにとって俺は、さぞお可哀想に見えてしまうのかもしれない。だから世話をやく。何かと関わってくる。それはいつも強引で、いつも俺の為では決してなかった。
そんな日向舞が、俺の為に動いてしまう。
それが上手くいくのかどうかは知らないが、なんとなく敗北にも似たなにかを感じてしまうのだ。
それは“彼女だから”ではない。俺は常に俺だけのことを思ってきた。俺の為だけに動いてきた。だから、他人になにかをしてもらうことがなかっただけだ。
それは嬉しいという感情よりも、怖いという感情の方が勝る。
誰かに自分を預けてしまうのは怖い。自分の把握してないところで何かが起こっているのは怖い。信用してしまうことは危険なことだ。
だから。
もしも日向舞が乗り込んできたら俺は……日向舞を傷つけてでも、彼女を排除しなければならない……。
それが悪手であることは学んでいる。それをしてはならないことも承知の上だ。
それでも。
やはり、俺にはそういったやり方しか思い浮かばない。
そして、それこそが俺の武器であることを痛いほど知っているのだ。文字通り、それは痛みを伴って磨きあげてきたもの。……だからこそ、俺はそれを信じられた。
甘い日々では、楽しく何も考えもない日々では、絶対に手に入らない……何かと引き換えでなくては意味がない、そんな武器を俺は持っているのだ。辛かったからこそ、痛みを伴ったからこそ、それだけは絶対に信じられる。
そして、望んで手に入れたからこそ、俺の中でそれは確実性を増した。
俺はそれを知っている……知りすぎている。
今さら手段など変えられない。変えるには……あまりに多くのものを失いすぎた。
だから、俺は……ボッチで在り続けなければならない。
そう決意をした時に、胸がチクリと痛む。
日向舞を本気で傷つけて切り捨てるなら、金剛さんも切り捨てなければならない。あれほど俺の為に一生懸命になってくれた人に俺は刃を刺しこまなければならない。
その胸の痛みはどちらなのだろうか。
誰かを切り捨てることへの痛みなのか。或いは、また孤独へ戻ることへの痛みなのか。
いや。
たぶん、俺が最も悪としたものを俺自身がやろうとしている痛みだ。
他人を切り捨てることを悪とし、だからこそ孤独を選んだ俺が、自らその悪に染まろうとしていることへの痛み。
もしもそうなれば、俺のことを好きになりそうと言ったりんちゃんも考え直すだろう。彼女は捨てられない女の子だ。だから、そんな彼女が大切にした日向舞を切り捨てることで、それもなくなるだろう……。
一晩考えて結論は出た。
俺は、今日をもって全てを捨てることにしたのだ。
望んでなんかなかったのに、いつのまにか持ち得てしまっていた。……いや、本心では望んでいたのかもしれないが、やはり俺が持ち得てはならないものだった。
俺が持つには……それらはあまりに綺麗過ぎた。
だから捨てなければならない。
まぁ、大丈夫だろう。彼女たちは思っていたほど弱くなんかないし、馬鹿でもない。
だから、もっと相応しい繋がりが彼女たちにはあるはずだ。
傷はいつか癒える。それを止めようとしたって、時間は勝手に癒してくれる。だから、俺が彼女たちを傷つけたって、いつかそれは癒えてしまう。そして、忘れてしまう。
それが一番良いことだ。
そう、納得した。
――午前八時三十分。
職員室の個室で待機する俺は、時計を見ながら落ち着かないでいる。そこに担任教師が入ってきて、俺を連れ出した。
「会議が終わるまで、空教室で待ってろ」
そう言われて、教室の面積半分にもみたない埃っぽい空教室へと押し込まれてしまった。まるで牢獄だな。自虐的笑いが出てくる。唯一牢獄と違うのは、窓があることだけだ。外は晴れていて、穏やかな光が射し込んでくる。
無造作に置かれた椅子に座って、時を待つ。
良かったと思った。ここなら、日向舞が校門に来ればすぐに分かる。ここなら……行動を起こすべき瞬間が分かりやすい。
時刻は八時五十分を回った。
まるで何事もなく過ぎていく時計の針。もしかしたら、このまま終わってしまうのかもしれないな、などと考え始めた頃。
――それは、ゆっくりと起こり始めていた。
「……来てしまったか」
校門の外に、ちらりと姫沢高校の制服が見えた。
門は当然閉まっている。それが日向舞かどうかはよく見えなかったが、こんな時間にいるのだから、ほぼ確実に彼女だろう。なにせ、この時間なら姫沢高校も授業が始まっている時間だから。
……授業サボってまで来るなよ。
そう思い立ち上がる。
その制服を来た姫沢の生徒は、大胆にも颯爽と門を乗り越えた。うわっ、それ不法侵入だろ……。
俺は行動を起こすために空教室から出ようとする……が、妙な光景に固まってしまった。
あれ? 一人……じゃない?
一人の姫沢の生徒が、門を乗り越えた直後。その後に続いて、もう一人……また一人と門を乗り越えてきたのである。
不法侵入してきたのは三人。
そしてよく見れば、その中に日向舞の姿はなかった。
……誰? いや……それよりも。
次の瞬間、俺は驚いた。校門からだけではない。どこから入ったのか、グラウンドの中心に姫沢の女子生徒たちが集まり始めたのだ。
気がつけば、その数は既に二十人を越えている。
そして――その数はまだまだ増えていく。
「おいおい……どうなってる……」
この学校の生徒たちも異変に気付いたのだろう。校内がザワザワとするのが聞こえてくる。
姫沢の女子生徒たちは、グラウンドに増えていく。
五十……八十……とうとうそれは百を超える。
グラウンドに集まる姫沢の女子たち。それはもはや、女子たちというよりは、群れのように感じられる。
その群れは、ただ集まっているだけに思えたが、やがて意志を持ったように整列を始めた。ただの整列ではない。
整列というよりは隊列。こちらに向かってそれは、明らかな敵意を持ち並んでいた。
そんな隊列の中心で腰に手を添えて堂々と立つ者を見つけた。
彼女だけ、何故か男が被るような制帽をしていた。その群れが隊列を組み軍隊と模するならば、彼女こそがそれを指揮する頂点。
そう……その者こそが日向舞だったのだ。
「……嘘だろ」
俺はてっきり、彼女一人で乗り込んでくるのかと思っていた。
いや、もしかしたら親と来るのかと思っていた。もしかしたら、その親が偉い人なのかもしれないとさえ淡い予想をしていたのだ。
だが、その予想はどれも外れる。
校内のざわめきが大きくなる。どこかで教師の大声が聞こえてくる。
彼女は……日向舞は……。
「そんなのアリかよ……」
そこに集いし姫沢の女子生徒たちは百を越えている。おそらくそれは、一クラスでも追い付かない人数。
日向舞は引き連れてきたのだ。
とんでもない人数を、たった一人で。
まるで、本当に戦いを始めるかのように……本当に戦争でもおっ始めるかのように。
そんな指揮官日向舞がゆっくりと手を挙げ、こちらに向かって振り下ろすと、その隊列はゆっくりとこちら側に歩いてくる。別に足並みを揃えてはいなかったが、そこには圧倒的な威圧感があった。
そして、それは再び日向舞の動作によって止まる。もはや顔がよく見える位置まできた。男性教師の一人が、彼女たちの元へと向かったが、隊列の中から数人の女子生徒が飛び出して、その教師を囲む。囲まれた教師はたじろいで足を止めるしかない。なにこれ……ギャングなの……?
その女子軍団は、どれも皆面白そうに不敵に笑っていた。学校サボり他の学校に侵入していることへの罪悪感などそこからは微塵も感じられない。
皆、姫沢の制服を身に纏っている。姫沢は有名なお嬢様学校だ。
なのに……。
彼女たちからは、お嬢様というような弱々しさなど一切なかった。
そこから発せられている雰囲気は剛胆で、高慢なものさえ思わせる。
そして、その中心に立つ日向舞は腕を組んで余裕綽々な笑みを浮かべていたのだ。
書いてて思います……なんぞこれ。




