今回の獲物はコイツです
月曜の朝の教室がそわそわしていた。
なんとなく、皆が俺をチラチラと見ているのだ。その視線から、何を考えているのかハッキングしてみるものの、その試みは失敗に終わる。
「これさぁ、バレたらヤバイんじゃね?」
北上明奈が楽しそうに宣っている。その視線はやはり俺に向けられており、彼女からは嘲りのようなモノを読み取ることができた。普段人との関わりをシャットアウトしている俺に読み取られてしまうあたり、北上のスペックもたかが知れているな? いや……もしかしたら、わざとやっているのかもしれないが。
彼女はクラスの部活動生徒を取りまとめているリーダー的存在だ。いわば、部活動生ネットワークのマザー。そんな奴がそう簡単にハッキングされるとも思えない。……マザー北上。なんかメチャメチャ優しそう。そして、お笑いと手品を交えたタレントっぽい。そろそろ北上の耳、でっかくなっちゃうのかな?
その視線は絶えることなかった。だが、俺はいつも通りの俺を貫くだけなので淡々と過ごそうとする。
「――ちょっといい?」
そんな俺に話しかけてきた奴がいた。
金剛さんだった。
彼女が教室で話しかけてくるのは珍しい。というか、初めてではなかろうか。
「……なんだよ」
もしかして人狼やりたいとか言い出すのではないかと危惧する。昨日の帰りも、最後の最後まで「もう一戦だけ!」とか言ってたから。ハマり過ぎだろ。というか、二人じゃ出来ませんからね流石に。
「ちょっと来て」
金剛さんはそれだけ言って教室を出る。なんだ? そう思いつつもそれに従う。少しだけ教室がざわついた気がしたが無視した。君たちもよく俺を無視するからお互い様だねっ!
彼女は、そのままツカツカと先立って廊下を歩く。なんとなく怒っているような気がした。いや、ホントなんとなくなんだけど。
「――いったい何なんだ」
金剛さんは、校舎の裏まで来るとようやく立ち止まって振り返った。そんな彼女に問いかけると、彼女はふぅと息を吐く。
「それはこっちのセリフ」
そして、彼女はポケットからスマホを取り出すと画面を弄り始める。やがて、その画面を俺に見せてくる。
それはTwitter。そして、見せられた名も知らぬ誰かの呟きには、一つの動画が貼り付けられている。呟きは「町中を叫びながら走り回っている馬鹿」と書かれてあった。そして、まだ再生されていない動画は見覚えがある気がした。
「……これは」
その投稿日は一昨日。その動画が金剛さんのタップによって再生された。
それは呟きの通り、町中を叫びながら走り回っている男が映っている。その彼の叫びもしっかりと録音されていた。
『――ひなたぁぁぁぁぁ!』
あ……あぁ。
「まだあるわよ。ほら」
『――ひなたぁぁぁぁぁ!』
ああああ、ああああ。
「どれだけあるのよ……ほら」
『――ひなたぁぁぁぁぁ!』
あああ、ああああああ、あああああああああああああああああ。
「極めつけが……これね」
そして見せられた画面。
『グロ注意。警察官の前で信号無視した男の末路』
そして貼り付けられている一分ほどの動画。それが再生されると、町中で信号無視をした男が、警察官に話しかけられ、説教を受けている映像が流れた。
間違いなく俺だった。
「この呟きがバズってるわけ。たぶん、グロ注意なんて書かれてあるからだと思うけど……」
ばっ、バズ……? なに? 無限の彼方にでも行くの? この呟き、そんな凄いの?
もはや言い逃れなんて出来ないほどの証拠映像と意味不明な単語に困惑しかない。というか、なんで勝手に撮られてるの? 許可した覚えないんだけど……。
だが、考えるべきはおそらくそこではない。
「説明してくれるよね?」
威圧的な金剛さん。俺は観念するしかなかった。
それから、俺は土曜日にあったことを彼女に話す。日向舞が日曜日の為に服を選んでくれようとしたこと、それに俺が疑ってかかって失礼な言葉を吐いてしまったこと、それで日向舞が俺の前から走り去ったこと、そして……彼女を探すために町中を走り回り、信号無視をして警察官に捕まったこと。あと、このエピソードの中にはもう一人重要な者がいた気がしたが、思い出せないので省いた。
「……そういうことか」
聞き終えた金剛さんは、なんとも言えない表情をしている。
「天津くんは、いっつも誰かの為に、皆から勘違いされるようなことしてるんだね……」
そして、少し悲しそうに言った。
「まぁ……そのうち収まるだろ」
「なんで、そんなに冷静なの? わかってる? 状況?」
「分かってるよ。だが、どうすることも出来ないだろ。それに、これくらいじゃ俺は動じない」
自信満々に言って見せたが、金剛さんは不安の色を浮かべたまま。……いや、あなたが不安がることはないでしょうに。
「私が動じてるよ……」
「なんでだよ」
「だってさ、私がこうしてられるのは天津くんのお陰だよ? 私は――」
「金剛さんの為にやったわけじゃない。俺は俺の為にやっただけだ」
彼女の言葉を遮って言ってやる。そこは勘違いして欲しくない。それでも、金剛さんは納得のいかない顔でぽつり。
「もし先生にバレても……そう言うんでしょ?」
心臓を掴まれた気がした。
「舞ちゃんの名前なんて出さず、結局自分が悪いことのように言うんでしょ?」
「俺は、別に……」
「知ってるよ。私は天津くんのことさ。……少なくともこの学校にいる誰よりも知ってる自信がある。だから、他の人たちに誤解される天津くんは見たくない。もう誤解されてしまっているけどさ……きっとそれは天津くんが望んだことなんだ。だから、何も言わないし……何も……言えない」
悲しそうな表情は、悲痛なモノへと変わる。目尻に光るものが見えた。……なんでお前が泣くんだよ。
それにハッとした金剛さんは、制服の袖でそれを拭った。
「とっ、とにかく! 私はあなたの味方だってことを言いたかったっ! だから今度は、私が天津くんを助けたい!」
「いや、別にそんなこと俺は望んでなんか――」
「私が私の為にやるの! 自分の為だとかカッコつけてるあなたなんかに言われたくないっ!!」
そして今度は怒ってしまったのである。えぇぇ……。もうどうすりゃ良いんだよ。
「助けるって……俺は窮地に陥っているわけじゃない。それに、俺は俺自身を助けられる」
俺は俺だけを信じている。それは誰にも侵されることのない絶対的なもの。俺には自負があるのだ。俺の考えや行動は全て、俺の為であるという自負が。
だから、それで起きてしまったことがあるのなら、それはやはり俺の責任なのだ。俺が自分で解決すべきことなのだ。
なのに。
「……もういい。私は私で勝手にやるから」
金剛さんは最後までそう主張して、俺の前から立ち去った。
「気持ちは嬉しいんだけどなぁ……」
俺も戻ろうとしたが、今見させられた動画を皆が知っていることに絶望して足が止まる。それでも、チャイムが鳴ったから嫌々ながらも戻らなけらばならなかった。
その後の教室では、時折どこからか『――ひなたぁぁぁぁぁ!』と聞こえてくる。その後にクスクスとした囁き笑い。はいはい、面白い面白い。
しかし、その直後にドンッ! という音が聞こえて静かになる教室。金剛さんが机を拳で叩きつけた音だった。そんな彼女は何言うわけでもない。ただ、無言で威圧するだけだ。
「――今の……金剛さん?」
「――だよ、ね? なんで怒ってるの?」
「――知らないよぉ……というか恐い」
それが金剛さんなりのやり方なのかもしれない。そのドンッという音が聞こえる度に、俺はどうして良いのか分からなくなった。
視線は教室以外でも向けられた。彼らが何かを言ってくることはないが、それらの視線からは少なくとも善意みたいなものは感じない。なんとなくトイレへ行く回数が増えた。別にトイレで落ち込んだり泣いたりしてるわけじゃない。面倒くさ過ぎて、退避してるだけだ。そして毎回思う。こんなことぐらいで逃げだすとは、まだまだ修行が足りないな……と。
これは試練なのやもしれぬ。俺が、新たなボッチレベルを上げるための試練。
そんなトイレ三回目。
「ずいぶんと人気者になったみたいだね?」
俺の後ろから続いて入ってきたのは霧島だった。後つけてやがったな……こいつ。
「お前……馬鹿にしにきたのか?」
「まぁ、そうかな? あと、落ち込んでるだろうから励ましに」
「馬鹿にしにきたことを肯定してる時点で、励ましにきてないだろ。馬鹿なの?」
「ふむ。あまり落ち込んではないみたいだね?」
「落ち込むかよ。もうこれ以上俺が落ちるところねーよ」
「あっははっ。全然平気そうで安心したよ」
「嘘つけ。ホントは残念だった、の間違いだろ」
だが、霧島は笑顔で首を振った。
「違うね。俺は本当に安心してるよ。こんなことで君は負けたりしないだろ? 君を負かすのは俺だからね?」
……あぁ、そういうこと。なんだよ、じゃあ本当に安心したのかぁ。なんだぁ、やっぱり俺のこと恨んでるんじゃーん。自分の手で負かしたいとか、どんだけ執着されてんの俺。ほんと、どんだけぇー!
「まぁ、出回ってるTwitterも、君なりの理由があるんだろうね。君が理由もなくあんなことするとは思えないから」
「……なんだよ。俺のこと理解してるつもりか? ハッ! とんだ勘違い野郎だな。驕りが過ぎるぞ?」
「なんとでも言えばいいさ。まぁ、お手並み拝見ってところかな?」
楽しそうに笑う霧島。ほんと、こいつは……。
「だが残念だったな霧島。別に今回の件に関して俺はなんもしないぞ? 俺にとっては別段取るに足らないことだからな?」
そう。俺は普段と変わらない日常を過ごすだけだ。
「……へぇ」
そんな俺に霧島は目を細め、意地悪な笑みを浮かべた。
「天津くんがどうってことなくてもさ、麻里香は違うんじゃないかな?」
それに俺は知らずのうちに唇を噛みしめる。霧島の笑みが深くなった。
「教室で天津くんを庇ってるよね、あれ。放っておいて良いのかい?」
「お前……ほんと良い性格してるのな」
「君に言われたくないな。あぁ、先に言っておくけど俺は助けないから」
「……助けなんかいらねぇよ。それと、助けないんじゃなく、助けられないんだろ? 日本語は正しく使ってくれ。うっかり、お前なら何とか出来るとか期待しちゃいそうになる」
「まぁ……そうだね。本当は、君に貸しでもつくっておこうかと思ったんだ。でも、今回は流石の俺でも手の施しようがないね。訂正するよ」
自分で自分のこと流石とか言ってるんじゃあないよ。流石ってのは相手を褒める時に使えよ。ほんと、俺の指摘が鋭すぎる。流石は俺。
「そろそろ授業だし戻るよ。じゃあ、頑張ってね」
霧島はそう言って出ていってしまう。本当に馬鹿にしにきただけなんですね……。
俺もため息を吐いてからトイレを出る。
その後も、周りからの視線は時間が経過するごとに増えていった。沈静化する様子はない。むしろ絶賛拡散中のようだった。
本当にマズイのかもしれない。その少しの焦りが、不安を煽る。そしてその度に金剛さんの言葉が脳裏を過った。
――先生にバレても……そう言うんでしょ?
動画の俺は学校の制服を着ているわけじゃない。だから、俺を知らない人が見ても、学校が特定されるわけじゃない。それでもSNSの影響力は強く、テレビでもTwitterが原因で処分を受けた学生のニュースをよく伝えていた。
もし、学校側にバレたら……いや、起きてもないことを心配するのは止めよう。もしそうなったとしても、やはり俺が悪い。
俺が出来るのは、ただ耐えることしかない。耐えるのは得意だ。だから、俺は俺の日常を貫く。
だが、そんな俺を嘲笑うかのように事態は最悪の方向へと転がっていく。
翌日の火曜日。俺が登校すると、校門で担任の男性教師が俺を待ち構えていたのだ。
「天津……ちょっとこい」
それに黙って従う。職員室へ向かう途中、校内放送が流れた。
『――本日は臨時の全校集会を行います。生徒の皆さんは、至急体育館へ集まってください。生徒の皆さんは、至急……』
その全校集会に俺は参加しないのだろう。前を歩く担任は何も言わずに職員室へと向かうからだ。
俺は頭の中で必死にどう説明するかを考えていた。
だが、何も思い浮かばない。……いや、一つだけ思い浮かぶのだが、それが最悪の説明であることが分かっているだけ。
自虐的笑いが込み上げてくる。
――それでも。
俺は、俺を貫き通したいと思ってしまうのだ。




