始まりの日曜日
朝の六時である。
早起きは三文の徳ということわざがあるが、もはや現代人にこれは当てはまるまい。もしかしてなんか良いことあるかも! かもかもぉ! なんて思いつつ起きだしてはみたものの、未だ徳になるようなことは何も起きてない。これからも起きなければ「早起きは三文の徳嘘説」を説立証として掲げてもいい。
……いや、古き良きことわざに対して文句を言うべきではないな。ここは日向舞に文句を言うべきかもしれない。
それは、昨日のLINEでのことだった。
――ごめん! 伝え忘れてた! 明日は六時半に駅の改札ね!
……そう。今見てるのは、まだ日も昇らぬ町並み。夜に支配されていた冷気が霧散していて、人通りは少なく、通りを悠々と抜ける車のエンジン音だけが静寂なる雰囲気を踏み駆けていく。
――早くね? どこ行くの?
空には雲ひとつなく、どこからか聞こえてくる鳥のさえずりは、まるで水に小石を投げた時のようにかわいらしい。きっとその姿もかわいらしいに違いない。
――うーん。水族館と迷ったんだけど、実は水族館、しょうりんと霧島くんが上手くいったときのデートスポットとして計画してたんだよね。だからそっちはなし。
そうやって朝の空気に浸かっていると、ラジオ体操を思い出した。スタンプを集めるのに夢中だったあの頃。それなのにラジオ体操が始まるまでの間、誰とも話せずにいたあの夏。毎日見る知らない奴を勝手にライバルにしてて、何故かそいつよりも早く来ることを目標にしてたなぁ。そして、ボッチの時間を自分で作り上げてた……。
――そんな計画するなよ……りんちゃん可哀想だろ。
あれから時は巡り、俺も大きくなった。カブトムシを捕まえて喜んだくせに、飼育方法がいまいち分からず狭い虫かごの中で死なせちゃったのは内緒だ。穴を掘って墓をつくって、毎日手を合わせますと約束したくせに、もはやその墓をどこにつくったのかさえ思い出せない。
――明日行くのは動物園ね。パンダ抱きにいくよ!!!
まさか、この歳で早起きして動物園に行こうとは思いもしなかった。あまりテンションは上がらない。ほんと、人数調整で誘われた俺っていい鴨。かもかもぉ!
時計を見れば六時二十分。駅の改札にいるのは未だ俺一人。少し不安になってきて、日向舞からのLINEを何度も確認してしまう。「おはよー」なんて声に吊られて顔を上げるが、それは別の待ち合わせの人だった。ちっ、罠かよ! そんな罠に引っ掛かったことを悟られたくなくて、なんとなく、顔を上げたのは駅の時計を確認するためです! 風な装いをしてしまう。そして、彼らはそんなこと気にもしていない。ただの俺の一人相撲。この一人相撲の戦歴から言えば、俺はそろそろ横綱にもなれそうな気がした。
そんなボッチの、ボッチによる、ボッチの為だけのプチ春場所を勝手に開催していると、ようやく見知った顔が現れた。
「――今日は早かったわね?」
日向舞だった。
「おはよぅ……あと久しぶりぃ……」
そんな日向舞は、久しぶりに見たりんちゃんと手を繋いでいた。いや、そう言うとなんか、二人はズッ友! みたいで気持ち悪いから訂正しておこう。眠そうにしているりんちゃんの手を、日向舞がしっかりと掴んでいた。ぽわぽわとしたりんちゃんは油断でもしてしまえば、簡単に寝てしまいそうなほどに危なっかしい。
「しょうりん朝弱いから、家まで迎えに行ってたの。案の定起こすところから始まって大変だったわ」
ため息混じりの日向舞。どんだけ世話好きなんだか。だとしたらコイツは一体何時に起きたのだろう。俺が五時半に起きて支度をする頃には、もう家を出ていたのかもしれない。早すぎるだろぉ……というか面倒見良すぎぃ。
そんな日向舞は、灰色のパーカーにデニムのジャケットを重ね着している。下はタイトなパンツでスニーカーを履いていた。全体的に格好良く決まっている。対して、りんちゃんは膝ほどまである薄いロングコートであり、中はチェックのシャツ。彼女もタイトなパンツを履いていて靴は革のブーツだった。
やばい。一瞬で服装を解析できてしまう。昨日の事を気にして少し調べた甲斐があった。今の俺の検索履歴には、「ファッション 動物園」「ファッション メンズ」「ハズす 意味」「差し色 意味」「ファッション用語 一覧」「知恵袋 ファッション 悩み」「服装 気にしない 方法」……などなど、最強の布陣が揃っていた。そんな俺の格好はいつもと変わりない。最終的に「男は外見よりも中身だお! 気にしたら負けだお!」という掲示板の書き込みを見つけたからだ。危ない危ない。危うく負けるところだったお!
「金剛さんは?」
と日向舞に聞かれたが、首を振るしかない。もうそろそろ待ち合わせ時刻。ここで現れないのなら遅刻ということになる。
「まぁ、大丈夫かな? さっき少し遅れるってLINEあったし」
連絡あったんですね……。もちろん俺には来てない。ということは、俺なら遅れても大丈夫だろうと思われているのかもしれない。まったく……心が広い男は大変だ。広すぎて何故だか、ポツンとした孤独感を感じてしまう。
ちなみにだが、金剛さんからも昨日LINEがあった。一言だけ「明日はよろしくね。おやすみ!」との一方的な連絡。来た時間は夜の十一時過ぎ。もはや俺は寝ていた為に、それを見たのは起きてからだ。
そんな金剛さんが来たのは、たっぷり遅れて七時前だった。まぁ、昨日の俺に比べたら全然マシだから許すしかない。
金剛さんに聞きたいことは山ほどあったが、一番気になるのは、やはり肩に掛けてるジャケットだろう。それずり落ちてこないんですか? と聞きたい。だが、上着を肩に羽織るのは俺にも経験がある。なんか肩で風を切ってるみたいで格好いいし、強そう。中学二年生の時によくやってた。今では恥ずかしい思い出だ。だからそれは敢えて聞かず「寝坊ですか?」と別の質問をしてやる。優しいなぁ、俺。
「ちっ、違う! ちょっと準備に手間取ったの!」
なんて怒鳴られてしまった。なんで怒鳴られたんだよ……。
「おっはよー! 今日は私の為にありがとねっ! 麻里香ちゃん!」
りんちゃんは、金剛さんを待っている間に完全覚醒しており、テンションが高くなっていた。下の名前呼びしてるところをみると、まぁまぁ仲良くなっているらしい。
「それじゃ行こっか」
そして仕切る日向舞。今日行く動物園は町から離れた場所にあるため、少し遠出になる。そのため特急券を買ってから駅の改札をくぐった。
特急電車はクロスシートになっているので、向かい合わせで座ることが出来る。俺は、三人が座ってから空いた場所に座ろうと思っていたのだが、日向舞が「天津くんそこね」と強引に押し込まれてしまった。その後に「金剛さんはそこ」と、俺の隣は金剛さんに決められてしまう。……めっちゃ仕切るじゃん日向舞。
だが、お前には優しさが足りてないな。
「窓側譲ろうか?」
俺は隣に座ろうとする金剛さんに言ってやる。目的の駅に着くまで長時間座ることになるため、少しでも景色の良い窓側を譲ってやろうという考えだ。マジで紳士過ぎる俺。
なのに。
「通路側でいいよ」
それを断る金剛さん。
「いや、そっちじゃ景色見えないだろ。遠慮しなくていいって」
「遠慮じゃなくて、私は通路側がいいの!」
「またまたぁ。通路側が良いわけないだろ?」
「もうっ! なんでこの男は気が使えないの!?」
えぇぇぇ……。使ったじゃん今。なんでこの女、それが分からないの?
逆ギレされてしまった。その意味が分からず呆然とするしかない。
そんな俺に、向かいのりんちゃんが手を差し伸べてくれた。グッと俺に顔を寄せてきて、そっと囁いてくる。
「あのね天津くん。通路側はトイレ行きやすいからそっちを好む人が多いんだよ?」
あぁ……なるほど。そういうことでしたか。見れば、金剛さんは少し顔を赤らめていて、日向舞は呆れてこちらを見ていた。なるほどぉ……なるほどなぁ……でもさぁ、トイレだったら俺に言えば良いだけだよねぇ……悪くないよねぇ……俺。
もはや何も言うことが出来ず、黙って従うことにした。椅子には仕切りがない為に、金剛さんとの距離を近くに感じる。やばぃぃぃ! これで長時間過ごすとかやばぃぃぃ! 俺はいまさらになってこの事態に気づいた。向かいも隣も女子。それを実感して体が少し硬直してくる。
だからなんとか寝たフリでもして過ごそうと思い、自然にあくびをして見せた。この後は、目を細めながらコックリコックリを装えば完璧なシナリオである。
「駅に着くまで退屈だし、これで遊びましょう」
しかし、日向舞が取り出した物を見て、俺は寝たフリを止めることにした。
……ほぅ。日向舞、分かってるじゃないか。
彼女が取り出した物はテーブルゲーム。『ワンナイト人狼』だった。




