パスタ
「なぁ? 服って一式買うのか?」
ファミリーレストランでの昼食。俺は注文したパスタを箸で啜り目の前の日向舞へと問いかける。彼女は、顔を覆って首を振った。
「パスタの食べ方も知らないの……?」
なんだその反応は。さすがにそれは俺の沽券に関わる発言であった為、見逃すことが出来ない。
「知ってるぞ。フォーク使って啜るなって言いたいんだろ?」
「知っていて何故……」
「俺はこっちのほうが食べやすいからな。啜ると当然スープが飛んでしまうが、この通りナプキンをしている」
堂々と胸の前のナプキンを見せつけてやるが、それでも日向舞の反応は変わらなかった。
「それ止めた方が良いと思う。見た人が馬鹿にするよ? 常識ないって」
「常識なんて国によって異なるだろ。俺はそういうの嫌いだな。例えばだが、日本人にとって誰かを助けることは常識として認識されてる。だが、それが常識化するあまり、都会では逆に困ってる人がいても助けようとはしない。何故か? 「助けるのが当たり前だから誰かがそれをやるだろう」と、みんな思ってしまっているからだ」
「天津くん……」
完璧な返しをしたつもりだったのに、日向舞は何故か残念そうな瞳で俺を見ている。
「……そもそもだ。馬鹿にされたとして俺だけだ。俺は馬鹿にされたって痛くも痒くもないな。何故なら俺が俺を馬鹿だとは思ってないからな?」
「馬鹿にされるのはあなただけじゃない。一緒にいる人までそう思われてしまうの」
「……何故?」
「何故って……それを指摘して注意しないのは、一緒にいる人も常識を知らないからだと思われるから」
「いや、指摘したじゃん。さっき」
「……天津くん」
やっ、やめろ! そんな目で俺を見るんじゃあないっ!
「おっ……俺は、たとえ常識を知らない奴がいたとしても、その表面だけを掬い取って馬鹿にすることはない。そいつの周りに誰がいても馬鹿にすることはない。なぜなら、そいつが馬鹿かどうかなんて接してみないと分からないし、話さないと確かめようがない。そんな表面だけを掬って馬鹿にする奴等の方が馬鹿なんだ。だから、そのうち奴等は、そんな馬鹿に足下を掬われることになる」
日向舞は日替わりランチを食べていたが、一度ナプキンで口を拭った。
「みんながみんな、天津くんのような考え方をしていないわ。誰だって人を見た目で判断してしまうの。だから外見とは、とても大切なのよ」
「違うな。本当に大切なのは中身だ。俺がこうしてナプキンをつけているのは、パスタとは本来フォークで食するものであり、啜れば絡んでいるスープが飛んでしまうことを知っているからだ。良識ある人間なら一目見ただけで分かる。俺が常識を知りながら、敢えて箸を使っていることを、だ」
「だから、みんながみんなそうじゃないって――」
「みんなみんなって……そのみんなに良く見られたからってなんなんだ?」
日向舞は、言葉を詰まらせた。
「俺はお前だけが知っててくれればいいよ。たとえ、どんな奴が俺のことを馬鹿にしたって、お前が俺のことを分かっててくれればそれだけで十分だ」
「はっ……はぁっ!??」
「逆もまた然りだな? 俺はお前のことをある程度知っているし、お前が馬鹿じゃないことも理解してる。だから、お前の表面だけを掬って判断する奴がいたとしても、俺だけは馬鹿にしない」
「な……ななな何を、いきなり」
どうやら俺の論理が効いているらしい。……あとひと押しというところか。
「さっきの文化に際してもう一つ上げるなら、『歳上は敬わなければならない』ってのも嫌いだ。そもそも何故、歳上を敬わなければならないのか? それは歳上の方が自分よりも長く生きているからだ。自分よりも長く生きてる人というのは、その分知識を有しているし、経験を持っている。それらが人間性というものに厚みを持たせているからこそ、敬わなければならないんだ。だが、自分よりも長く生きてるにも関わらず、薄っぺらい人間というのはいるもんだ。そんな奴等が、本来あるべき意味すらも考えず「敬語を使え」や「先輩には従え」というのは、そういった文化にあぐらをかいてるのと同じなんだよ。だから俺は敬わなければならない人しか敬わない。その者が敬うべき人物であるなら、俺は幼稚園児にだって敬意をはらう」
さて……チェックメイトだ日向舞。
「――俺は、日向も敬うべき人間だと認識している。だから、お前だけが俺のことを理解してくれていたら、あとはどうだっていいんだ」
その後、俺はさらに追い討ちをかけることにする。ほんと容赦ない。素敵。
「郷に入っては郷に従えとよく言うがな? ……俺は従ってないからこそボッチなんだぜっ☆」
きっ、決まった。決めてしまった。何事にも揺るがぬ真実で論破してしまった……。ボッチって何にでも使えて便利すぎる。マジで最強のパワーワード過ぎだろこれぇ。
日向舞はうつ向いてプルプルと小刻みに震えている。もはや言葉すら出ない模様。そんな彼女は、少し息を吐いた。
「私の事……敬ってるならさ、私だけの言うことは聞けるって、ことだよね」
「……そうだな?」
「なら……フォーク使って……」
「……おっ、おぉ」
普通に返された。というか、俺の論理を逆手に取られた。
俺は言われるがまま、フォークへと持ち変える。彼女へとトドメを刺したつもりだったのだが、その刃を奪われて突き返された気分。俺は俺の刃がどれだけ威力あるものかを知っている為に、それには従うしかない。従わなければ、俺は俺の論理を否定することになりかねないからだ。
「こうやって巻き取るの嫌いなんだよなぁ。ほら……なんか強い者に巻かれてる奴等を思い出すじゃん? なーんてねっ……ははっ」
なんて最後の悪あがきをしてみるが、日向舞は黙々と食事をしている。……怒らせたのか? いや、まぁ、別にいいんだけどさ……なーんてねっ……ははっ……。
俺たちは無言で昼食を終わらせた。最後、店を出たときに日向舞に服の裾を掴まれる。
「あのさ……さっきの話だけど」
そして咳払いをし、俺には目線を合わさず彼女は言う。
「天津くんの……その……言い分は分かった、けど、やっぱり他の人が見ても、あなたをある程度理解してくれる方法を取って……ほしい。たぶん、その方が、かっ……彼女とか、出来たときに彼女さんも安心できると……思う」
それから、日向舞は「それだけっ」と終わらせて先を歩いた。……なんなんだ一体。しかも彼女って。
だがな日向舞。無理なんだよなぁ、話したこともない奴等にある程度の理解を求めるなんて。
なぜ人は誰かに理解を求めるのだろうか。そんなもの自分にしか分からないはずなのに。……プレゼンテーションなら分かる。自分の意見を相手に理解して貰わなければ通る案だって通らない。だがその意見というのは、自分ではない大衆の意見だ。いわば多数派。そこには自分の意見なんてない。
ただ。
安心……ねぇ。確かにそれはあるのかもしれないと思った。人は安定や安心を求める。だからこそ、彼らは人目を気にして表面を取り繕うのだ。自分はみんなと一緒なのだと安心するために。それがたとえ、自分に嘘をつき欺いた上でのものだったとしても、やはり人はそれに甘んじてしまうのだろう。
理解でもなく納得でもなく、それを安心というものに置き換えるのなら、俺がパスタをフォークで食べなければならない理由にもなるというわけだ。ふむ。これは一本取られたな。
「……というか、服を一式買うのかどうかだったんだが! 俺はそんなに金持ってないぞ!」
反省の為に思い返して思い出した。言いながら追い付くと、彼女は何とも言えない表情で俺を見ている。
「べっ、別に一式買わせるわけじゃない! 天津くんの体格とかにあった物を選ぶし、安易に選ぶわけじゃない!」
なんで怒鳴られたの……俺。
そんな日向舞は、少しだけ口を尖らせてみせた。
「私も……その、天津くんのことはある程度理解してるつもりだから、安心はして欲しい」
「いや、安心はしてるが金の方が不安なだけなんだが」
「……っつ! 分かったわよ! 出せばいいんでしょ!? 出せば!」
「いやいや、そういう意味じゃなくてだな?」
もはや何を言っても今の彼女には無駄なようだった。
だから俺は諦めて付いていくだけにした。服を買うだけなら、既に終わっているはずの今日。まだまだ先が長そうなことに、もはや諦めるしかなかったのだ。




