土曜日
たっぷり遅れること約一時間。時刻は既に十時半ちかく。
駅地下にあるカフェに行くと、そこにはちゃんと日向舞がいた。彼女は珍しくスカートではなくパンツ……パンツで合ってるんだよな? なんかパンツというと普通のパンツのことみたいで恥ずかしい。この違い、どうやらみんなアクセントで分けているらしい。
俺が危惧してるのは『'パンツ』。みんなが使ってるのは『パ'ンツ』。これを『パン'ツ』にすると、この後には『まる・見え☆』と続いてしまいそう。ほんと、アクセントって大事。下手したらアクシデントを起こしかねない。
彼女の上はストライプのシャツを着ていて、めっちゃ仕事出来そうだ。うっかりどこぞのOLと間違えそうである。たぶん眼鏡をかけているせいもあるのだろう。そんな彼女は小説を読んでいて、その手元には紅茶が湯気をたてていた。もはやほぼOL。
「すまん。ちょっと心の準備に手間取った」
謝りながら入る。まずは誠意を持って謝ることが一番だろう。
「なに、そのナイーブな言い訳……私と会うのがそんなに嫌なの?」
睨まれてしまった。誠意を持って謝ったのに……。
「というか、なんで俺の服なんか買うんだ。それがよく分からない」
「うーん。なんというか、ダサいから」
日向舞は俺を指差して言った。ダサいから……だと?
「お前それ、埼玉県民が勘違いする奴だぞ。遠くから聞いてて「ん? ダ埼玉!? ……あぁ、“ダサいから”ね」みたいになる奴だぞ。あんまり言わない方がいい」
「いや、そんなつもりで言ってないんだけど」
「それにほら、敢えてダサいファッションってあるじゃん? あれだ」
「それ通用するのって外国の人だけだと思うんだけど……」
「今ので日本人全員を敵に回したな……お前」
「正確には、ダサいファッションを敢えてしてる日本人を……でしょ? つまり天津くんね」
「なに? 俺に恨みでもあるの?」
いや、遅れてきたのは俺だから責められても仕方ないんだけどさ。
「とにかく、まずは髪切りたいわね。天津くん、いつもどこで髪切ってるの?」
「近所の床屋」
「うわぁ……まぁ、だと思ったけど」
うわぁ……今のは失礼すぎる。あの床屋、仲の良い夫婦で経営してるから、髪以外にも見習わなきゃいけないことがたくさんあるんだぞ? いつも見てて思う。こんな未来、俺にはないと。
「とりあえず美容室から行きましょうか」
そういうと、日向舞は本をしまって立ち上がる。びっ、美容室……?
「いやいや、美容室って女子が行くところだろ? 俺男だぞ? 行ったら「え……あのお店間違われてませんか?」って言われるぞ」
「なに言ってるの……アホなの? 別に男の人が美容室行ったって良いじゃない。お金払うんだから、向こうからしたらみんなお客様よ?」
「いやいや、でもさぁ……」
「もうっ、早く行くわよ。向こうには予約した時間をズラしてもらってるんだから」
予約してるのかよぉぉ! どおじでだよぉぉぉぉ……どおじで俺にそんな酷いことするんだよぉぉぉ!
しかし、そんな俺の心の叫びなどむなしく、日向舞はさっさとカフェを出ていってしまう。俺は諦めて彼女についていくしかなかった。服だけじゃないのかよ……。
「――いらっしゃいませ~」
なんかいい匂いのする店内。穏やかな光に包まれた空間には、オシャレな観葉植物が置かれていた。そして、女性のスタッフがお出迎えしてくれる。
「電話で予約した日向です」
「お待ちしてました。どうぞこちらへ」
とても印象の良い笑顔。それに日向は、俺に行くよう視線で言ってきた。彼女の笑顔がひきつらないことを願い前に出るが、俺の予想とは反して彼女は笑顔のまま俺を誘導した。さすがプロ。心のなかでは驚いてるんだろうなぁ……。
見渡すとスタッフは女性しかいない。男はどこだよ……。もう、ここに男は俺しかいないのかよ……。絶望したまま誘導される。
座ればスタッフの人が雑誌を三冊、目の前の台に置いてくれた。助かったぁ。これ読んどけば、なんか会話とかせずにすむ。俺はその雑誌を見やる。『オシャレ男子必見! この夏はシャツが制す!』という雑誌と『この夏に行きたいスポット百選。これでデートプランも網羅!』という雑誌。俺は迷いなく三冊目を手に取った。『超超便利な日用品』。髪切ってる時間も、有効な情報を取り入れそうだ。
「今日はカットだけにされますか?」
突然後ろから話しかけられてビクッとしてしまった。え……なに? この店ってカットだけじゃないの? もしかしてペーストなんかも出来るの? 何を貼りつけんだよ……いや、気持ち的には既に磔にされてるんだけどさ……。
イエス・キリストも磔にされて処刑された。やはり神はそうやって処刑されてしまうものなのだろう。孤高の神である俺にも、同じような刑が下ってしまったということか。
「……カットだけで」
「シャンプーはなし、で良いですね?」
シャンプー? あぁ、シャンプーね! なんだよ、なら「シャンプーはしますか?」って言ってよぉ。何のことか分からないじゃーん。俺は「カットだけ」と言った手前、変更することが出来ずに「はい」と答えた。
問題はその後である。
「今日はどうしますか?」
きたよ……どうするのかなんて知らねぇよ……。どうしたいのか分からないもの。だが、俺はこの手の質問を切り抜ける最終手段を知っていた。
「……お任せ、で」
「わかりました。じゃあ、髪の量が多くて膨らんでるんで、減らしちゃいますね?」
「あっ、はい……なんかそんな感じで」
髪の量を減らす……? なに、それ。というか膨らんでんの? 髪って膨らむの??? 減らすと膨らまなくなるの???
もうワケわからん。
「前髪はどうします?」
えぇぇぇえぇえ!? お任せするって言ったじゃん! 聞いてた? ねぇ!?
「残します? それとも切ります?」
前髪って残すか残さないかしかないの……? え、だったら残すだろ。全部いかれたらなんか怖い。
「……残します」
「わかりました。あまりスタイルが変わらない程度に、すいちゃいますね?」
すいちゃう……吸いちゃう? えっ、髪の量減らすって、吸い取るってこと!? んなもんで髪抜いちゃうの!?
足が震えてきやがったぜ。美しくなるって大変なんだな。俺は意を決して散髪へと望む。だが、掃除機みたいな物が登場するかと思いきや、スタッフの人は普通に髪を切り始めた。
「一緒に来てるの彼女さんですか?」
「違います」
「お綺麗な人ですね」
「あぁ、まぁ」
「これからどこかへ?」
「まぁ、はい」
「……」
「……」
結局、そのスタッフの人は話しかけてこなくなった。俺と会話するのが無駄だと悟ったのだろう。既に最後のページまで読んだ雑誌を、俺はもう一度始めから読みなおす。たぶん、スタッフさんにとっても会話に集中を削がれなくていいから、こっちの方がやりやすいはずだ。
そして、緊張の時間はおわった……と思っていた。
なんかよくわからん説明で、散髪が終わると今度はシャンプー台へと連れていかれる。へっ? いや、シャンプーなしって言わなかったっけ? だが、そんな反論を言えるわけもなく、誘導されるがまま椅子に座ると、ウィーンという音で仰向けにされてしまった。なんか今から手術されるみたい。
その後、顔に白い紙をかけられた。なんか俺、ご臨終したみたい。
シャーッというシャワーの音が聞こえ、頭を濡らされていく。シャンプーされるのかと思ったが、それはただの流しだけだった。あっぶねぇ……「シャンプーなしって言いましたよね?」とか言っちゃうところだったわー。あれだ。いつも行ってる床屋では、屈まされて目の前の台でこれをやる。だから、ちょっと勘違いしてたわー。っぶねー。
その後にドライヤーされて「ワックス使います?」なんて聞かれた。あのさぁ……カットだけって言いましたよね? ワックス? 使ったことねー。
「あっ、大丈夫です」
「わかりました。少しドライヤーで整えておきますね」
こいつぅぅぅ。意地でも整える気だぁぁ。
なんかもういろいろとツッコミしたかったが、その全てを飲み込んでいく。この人たち、クレーマーとかにあたったらどうするつもりなんだろ。
ただ、そのスタッフの人が髪を撫で付けてくれるのは少し心地よかった……なるほどなぁ。これじゃ文句は出ないわけだ。
そんなこんなで全てが終わる。なんかもう、いろいろと疲れた。
待ってた日向舞の元へ戻って会計を済ませる。彼女の感想は「あまり変えなかったんだ? まぁ、前よりは見れる、かな」というもの。なにそれ。劇的ビフォーアフターでも期待してたの? 髪くらいで人が変わるわけないだろ。
外に出ると、なんとなく達成感で満たされた。なんか困難を乗り越えた後みたいな。
「早いけどランチにしとく?」
そして日向舞からの提案である。食事とか昼食ではなく、ランチというところがもう違う。なんかまたオシャレな店に連れていかれそうで怖い。
「その辺で軽く済ませれば良いんじゃないか?」
だから、予防線をはっておいた。これなら、たぶんその辺の軽食で済ませられる。
「そうね」
日向舞はまんまと俺の罠にかかってくれた。ナイス俺。
しっかし、まぁ……。こいつは一体何を考えているのだろう。
軽快に歩き出す日向舞。俺は彼女の真意を図りかねていた。こんなことに何の意味があるのか、俺にはまだ、まったく分からなかった。




