やはりサイコパス霧島きゅん
金剛さんを怒らせてしまった日の放課後。トイレに寄り道していると、俺が一番関わりたくない奴が入ってきた。
「やぁ」
霧島海人だった。彼はどんな時も、どんな場合でも、イケメンをその身に纏う青春の魔術師である。彼から流れ出る風は、こんな梅雨時においても清々しく、雰囲気は華やいでいた。足跡からなんか草木とか生えてきそう。もはや、ほぼ青春の主。彼の行く先々では、こだまのような有象無象の人間たちが、カラカラとついてまわるのだ。まぁ、今回はさすがにトイレにまでは付いてこなかったようだが。
「最近、麻里香と仲良さそうだね?」
霧島はいきなりそんな事を言ってきた。わざととしか思えないタイミングだ……。
「別に仲良くないがな」
「そう? まぁ、君はそうなのかもね」
言い方がいちいち勘に触る。なんか俯瞰的な意見が、神を気取っているようでいけすかない。というか、なんで金剛さんの話が……? こいつもしかして、どこからか見てたのか? もしや神視点!? なんだぁ神様もトイレするんですね。だよなぁ、アイドルだってトイレするものね!
そんな霧島は俺の様子を楽しむように言葉を吐く。
「あんまり仲良くしてると、舞ちゃんに疑われるよ?」
「いや、なんでそこで日向が出てくるんだよ……」
「ん? 舞ちゃんと付き合ってるんじゃないの?」
俺は思わず、霧島を見つめてしまった。なんでそうなった?
それから、あぁ、と理解に達する。どうやら霧島は、俺がグラウンドで言ったことを信じてしまったらしい。
「そんなわけないだろ……」
「……違うのか」
霧島は、顎に手を当てて考え込むようなポーズを取る。なんでこいつトイレで格好つけてるの? すごい格好悪いんだけど。
「まぁ、君もいろいろ大変そうだね? なんかあったら相談に乗るよ」
それから彼は、ポンと俺の肩に手を置いてそんなことを言ってきた。軽々しく触れてきて「大変そうだね?」とすり寄ってくるあたり、こいつ俺に気があるんじゃないかと疑ってしまう。もちろんその気とは、好意の方じゃない。悪意の方だ。
「俺を恨んでるんじゃないのかよ」
グラウンドで俺が言ったことによって、霧島は少なからず「女を取られた」というレッテルを皆から貼られてしまった。その後に彼は自分でそれを引き剥がしたが、俺に対しては心良く思ってないはずなのだ。
手を洗ってハンカチを取り出している霧島にそう問いかけると、彼は流し目で俺を見やった。
「君こそ、俺を恨んでないのかい?」
いや、質問に質問で返すなよ……。あれだろ? 本当は恨んでるけど、それを認めたくなくてそう返したんだろ?
こういう質問返しってほぼほぼ教師が悪いと思う。授業とかで「なにか質問ありますかー?」という質問に、質問で返すよう生徒を誘導しちゃってるから。そこは「質問ある人がいたら、まずは手をあげてくださいね」だろ! いろいろすっ飛ばすから質問返しが容認されている世の中になっているんだよなぁ、まったく。それで「はい!」なんて女子生徒が手を上げて「先生って交際してる人いないんですかぁ?」なんてのがお決まりのパターン。はいはい面白い面白い。最終的にはその教師が結婚の報告をして、質問した女子生徒がショックを受ける結末がベター。不倫とかまでいくともはや月9。高視聴率確実だな。だいたい分かる。何故なら、火曜日の教室がなんかスゲェ煩いもの。そんでもって女優とか俳優の話とかしてる奴らね! お前ら、物語の話しろよ……原作の本まで買って読破した俺から言わせれば、まるでなってない。……ほんと、俺に話題フラれたら結末まで話しちゃいそうで怖い。だから話しかけなくていいよ! というか、話しかけられないけど……。
「恨んでねぇよ」
返した言葉に、霧島は尚も笑いを浮かべていた。
「たぶん、俺も君と同じ理由で恨んでない。むしろ君にたいしては好感すらあるよ。前にも言ったけど――俺を怒らせた人間はあまり居ないんだ」
ゾッとするような表情で彼は言った。ほらぁ、やっぱ恨んでんじゃーん。めっちゃ怒ってんじゃーん。霧島は俺の様子を楽しむように見つめ。
「――あぁ、それとこの前、りんちゃんに告白されたよ」
ハンカチをしまいながら霧島はそう報告してきたのだ。それに驚いたのは言うまでもない。
「……告白って。というか、なんでそれを俺に言った」
「言わない方が良かった? まぁ、君にはいずれ知れることだろうけど」
霧島は表情を崩さない。むしろ、俺が動揺してしまっている。
「でも安心してよ。誠意ある対応はしたつもりだから」
霧島は平然と宣う。まるで、そんなことなど当たり前の日常だと言わんばかりに。そんな挑発的な態度にイラついたのは仕方のないことだ。彼は、俺を怒らせようとしてるのだから。
やはり霧島と俺のやり方は似ているのだ。相手を煽り、感情的にさせ、ボロを出させるやり方は最低で最も効果的だ。それを分かっているからこそ、そのやり方を俺たちは選びとる。
感情的になったら敗け。衝動的な行動は何も生まない。たとえ感情的になったとしても、一度落ち着いて思考しなければならないのだ。何故なら、正しい答えとは、思考によってでしか導き出されないから。
だから、俺は冷静を装う。装うことによって、本当に冷静になれる。
「つもり、ね。まぁ、お前がそう言うのなら、そうなんだろう」
「それは保証するよ。君は敵に回したくないし」
言ってることと態度が一致してないんだよなぁ。
霧島はそれだけ言ってトイレを出ようとした。なんとなく、それが勝ち逃げみたく思えてしまい、俺は咄嗟に言葉を吐く。
「……俺も一つ言っとくぞ。……手を洗う前に触ってんじゃねーよ」
それに霧島は、普段通りの笑いを浮かべてみせた。
「わざと、だよ」
そして、彼は出ていったのだ。やっぱ恨んでんじゃねーか。なんだよわざとって。「汚れたこの手でお前を汚したい」ってか? 歪んだ愛情止めてください。ほんと重いんで。深夜枠でもギリギリのやつなんで、それ。課題が終わらず、夜遅くまで起きてる時に何気なく見ちゃうやつね。見終わった後に絶望しか感じない。時計と終わらない課題の量を見比べて、現実でも絶望しかない。
俺は緊迫した空気を取り払うように力を抜いた。ほんと、トイレでなにやってるんだろ……。鏡に映る俺は、どこか陰を残していて、なんか一匹狼みたいで格好良かった。霧島とは違う。トイレの陰湿な空気が似合う男が、そこにはいたのだ。
ほんと、トイレが似合うとか残念過ぎるだろ……。
それにしても、りんちゃんが告白したというのは驚きだった。それを霧島の口から聞いたこともだ。
りんちゃんは、もっと時間をかけて霧島に告白すると思っていた。霧島と彼女が出会ってからまだ一ヶ月くらいだろう。行動へと移すには、少し早計だった気もする。……いや、長引かせたからといってその恋が成就するかは分からないが、少なくとももっと時間をかける猶予くらいはあったと思う。
本当にりんちゃんは霧島に告白したのだろうか?
そして、それが事実なら日向舞は何をしていたのだろうか。俺は彼女たちと学校が違う。だから、会うことなんてないし話すこともない。同じ時間を過ごしていないから、お互いのことは分からない。
ただ。
巻き込んだのなら最後まで巻き込めよ、とだけ思ってしまった。ハブられるのは慣れている。むしろ、ハブられることこそ俺がボッチだと実感できる瞬間だ。
それでも。
――しょうりんを助けて欲しい。
そう言った日向舞。彼女がそう願ったのなら、俺にそれを懇願したのなら、結末くらい教えてくれても良かったと思ってしまったのだ。
そして、そんな考えが俺の我が儘であることも承知している。俺は積極的に結末を知ろうとはしなかった。関わろうとしなかった。だから、俺が勝手にそう思っただけだ。
なんとなく、モヤモヤした気持ちのままトイレを出た。濡れていた地面も校舎も既に乾いていたのに、不快感だけは拭えない。
それもこれも全部梅雨のせいだ。
そうやって、行き場のない怒りや責任を梅雨前線に押し付けておけば、いずれ彼らは雨を降らし、水に流してくれると思った。
ほんと、ボッチって怒りのぶつけ方まで誰も傷つけない。まぁ、ぶつける相手がいない、というのが正しい言い方なんだが……。




