高すぎたプライド
日向舞が終わらせようとした霧島からの好意。それを彼女が終わらせようとしたのは、霧島のことが好きなりんちゃんの為だ。
そして霧島は、そんな日向舞の心につけこんだ。そうやって、まだ終わらせないようにしたのだ。
だが、霧島はそんなことをして日向舞と結ばれる日がくるなどと本気で思っているのだろうか? 続けていれば、いつかその気持ちが成就すると本気で思っているのだろうか?
答えは限りなくNOに近い。大切な者を人質に取るようなやり方をした霧島は、日向舞にとってもはや害悪でしかない。
にも関わらず彼はそのやり方を取った。
ここには、日向舞に振り向いてもらいたいという霧島の気持ちが見えてこない。
だから、俺は思ってしまうのだ。霧島は、本当に日向舞のことが好きなのか……? と。
好きなら、大切に想うなら、普通はそんなやり方などしない。
なら、なぜそんなことを霧島は日向舞に言ったのか。
ここに重要なポイントがあると思う。そして、それを利用できれば、日向舞が終わらせられなかったことを、終わらせられると思った。
そして、ここにこそ霧島という男の本質がある気がした。
脳内で慎重に選びとっていく。霧島に向ける言葉を、霧島に向ける態度を、霧島に向ける刃を。
それらを何度もシミュレーションして、成功への糸口を紡いでいく。それはなんだか、告白する前の心境と似ていた。そう思うと、なんだかドキドキしてくる。振られたらどうしよう。というか、掘られたらどうしよう。それはそれで一つの終わらせ方なのかもしれない……いや、それだと全てが終わる気がした。そして新しい世界が始まる気がした! ……いやだ。そんな新世界なんて俺は見たくない。
学校へ着くと、真っ直ぐにグラウンドへと向かった。学校内には、部活動生たちの掛け声なんかが聞こえていて、まだ練習していることが分かる。
サッカー部はすぐに見つけられた。そして、どうやら練習は終盤なのか、皆辛そうに走り込みをしている。その中で見つけた霧島海人。彼だけは、真剣な表情でそれらを行っている。
「――どうしよー。真面目な話、私サッカー部のマネやろうかなぁ」
「――やめときなって。あんたサッカーのこと殆ど知らないじゃん」
ふと見れば、女子生徒がサッカー部の練習を見学していた。それは一組や二組だけじゃない。よくよく見ると、かなりの人数がサッカー部の練習を見ている。おそらく彼女たちは一年生なのだろう。まだ、何の部活にも属していない。だから、こうやって見学しているのだ。それでも、女子の比率が高いような気がする。
「――やばい。霧島先輩尊すぎる」
「――霧島先輩にタオル渡したい。というか、奪い取ってほしい……なにもかも」
「――それ願望出すぎぃ」
キャッキャッと盛り上がる見学の女子生徒たち。どうやら彼女たちが見に来たのはサッカー部の練習ではないらしいな……。
俺は改めて霧島人気というものを目の当たりにし、苦笑いするしかなかった。
そんなことをしていると、練習が終わったのかグラウンドの一ヶ所に部員全員が集まっていた。顧問教師がなにやら激を飛ばしており、時折「はいっ!」という部員全員の声が聞こえてくる。やがて、それも終わると顧問教師がグラウンドから去っていき、部員たちは楽しそうに会話しながら部室へと戻り始めた。中には上半身を脱ぎ、ゴールバーで懸垂をしている輩もいる。意味がわからん……なぜ脱いだ。
そんなグラウンドへと俺は足を踏み入れる。
霧島は、数人のグループと居て身長が高いせいもあってかなり目立っている。そんなグループの前に、俺は立ちはだかった。
「やぁ、天津くんじゃないか」
そんな俺に、霧島は笑顔を向けてきた。爽やかで完璧な微笑み。やはり霧島はイケメンだ。他にいる部員たちと比べても、男の俺から見ても、それはハッキリと分かる。
「どうしたんだい? 何か用?」
爽やかそのままで聞いてきた霧島。その圧倒的なまでの上位者に、俺は怯むことがないよう浅く深呼吸をしてから言葉を吐いた。
「今日、姫沢高校の日向さんと会った」
「……へぇ」
瞬間、霧島の視線が鋭くなる。それに気圧されそうになったが、寸でで堪えた。
霧島の雰囲気が豹変したことに、周りの奴等も感づいたのだろう。楽しげだった空気が鈍くなる。周囲から「姫沢?」という囁き声が飛び交ったのを聞いた。そして、興味深そうに止まる部員たちの足。
ギャラリーは多い方がいい。だから俺は、さらに声を大きくして言葉を重ねる。
「日向さん、泣いてたぞ? 単刀直入に言うが霧島……日向さんとはもう会わないでくれ」
周囲の部員たちが顔を見合わせ始める。俺が何を言っているのかを、言葉から想像したのだろう。そこには驚きが貼り付けられていた。我関せずにいるのは、未だ上半身裸で懸垂をしている奴だけだった。
「そんなことを、わざわざここまで言いに来たのかい?」
返された言葉にはトゲがあり、刺すような視線には少しの怒りが混じった。だが、それに俺は笑って返す。
「あぁ、そうだ。お前に日向さんは相応しくない。それを教えにきてやったんだ。わざわざ、な?」
霧島の鋭さに冷気が伝っていく。それに周囲の者たちは、恐れの色を瞳に宿した。空気が一気に張りつめるのを感じた。張りつめてないのは、上半身裸で懸垂している奴だけだ。
「随分と性格が悪いね?」
それにはさすがの俺でも笑うしかない。
「性格が悪い? 冗談だろ? 性格が悪いのはお前の方だよ――霧島」
霧島の微笑みが消えていく。俺の分かりやすい敵意に、彼もまた、背筋が凍るような表情でこちらを見やる。
ここからだぞ、天津風渡。俺は自分にそう言い聞かせた。
「霧島。俺はお前だから黙ってたんだ。お前なら上手くやってくれると思ったから、口を挟まなかったんだ。だが、お前は日向さんを傷つけた。女の子を泣かすなんて最低な野郎だよお前は」
その言葉を霧島は無表情で聞いている。だが、表情から笑みが消えたことで、俺は確信していた。霧島に確実なダメージが入っていることを。
霧島海人は賢い人間だ。だから、彼が手に入れたステータスは幅広く、どれを見ても高レベルだ。それは並の努力では手に入れることなど出来ない。そして努力をするのは、彼が賢いからだ。
やがて彼は、学校内でも頂点と呼ぶに相応しい地位まで上り詰めた。その高さはきっと俺が見上げたって見ることなど出来ない程の高さにある。そこに霧島は君臨していた。
そしてその高さが、彼にとある勘違いを引き起こさせたに違いない。
「霧島。お前は凄いよ。イケメンだし成績も優秀で、おまけにサッカーまで上手いとか、超人すぎるだろ。それでも――」
俺は出来うる限り悪い笑みを浮かべて見せた。今から言うことで、何が起こるかを想像したら小便ちびりそうだった。
それでも。
言わなければならない。霧島に確実な致命傷を負わせなければならない。そうしなければ終わりはしない。
日向舞が終わらせられないなら……霧島が終わらせようとしないなら……この俺が終わらせてやる。
俺という存在全てを賭けて。
「――彼女は、お前を選ばなかった」
周囲の者たちが驚きに目を見開いた。それに俺は、ありもしない優越感を感じる。
俺は嘘はつきたくない。真実こそが強いと知っているからだ。だが、真実とは言い方一つで、間違った形へと変えることが出来る。
俺は真実をありのままに述べただけだ。だが、今の言葉を聞いていた者たちには、もう一つの事実を想像してしまったはずだ。
それは『日向という姫沢高校の女の子が、霧島海人ではなく天津風渡を選んだ』という事実。
つまりは略奪愛。しかも、数日前まで『霧島が姫沢の女子といた』という噂が流れていた。彼らの勘違いを助長させるには、その噂はこれ以上ないほどの材料。
そして。
霧島が好意を寄せている女を取られた、という事実は、霧島にとって最も傷つけられたくないモノを傷つける。
それはおそらくプライドだ。
霧島が日向舞に酷いことを言ったのは、たぶんそのプライドを守るため。
霧島は振られたくなかったのではない。振られたという事実を認めたくなかったのだ。
だから、彼は『振られないやり方』をあまりにあっさりと行使した。
終わらせたくなかったのではない。終わりかたが気に食わなかったんだろう? 自分が傷つきたくないから、日向を傷つけたのだ。
日向舞は終わらせることができなかった。だが、霧島本人でさえも、それを終わらせられなかったのだ。
なら霧島。俺が終わらせてやるよ。
お前が認められるやり方で。
「まぁ、正直言うと笑えたよ。学年で最も人気のあるお前が、一人の女子に選ばれなかったんだからなぁ? だから、日向のことは俺に任せて、お前は別の奴を見つけてくれ。まぁ、大丈夫だろ? お前なら、他の女なんてなーんにもしなくたって寄ってくるんだからなぁ? 俺はそれが羨まし――っ!?」
瞬間、霧島に胸ぐらを掴まれた。固まっていた部員たちが気づいて止めようと動き始めるが遅い。遅すぎる。
「大会!! ……近いんだったな?」
だから仕方なく俺が止めてやる。胸ぐらを掴まれてなお、俺は下卑た笑いだけを顔に張り付けて。
遠くで見学していた女子の群れがザワついた。近くを通りかかった他の部活動生までもが、足を止めてこちらを見ている。
「……いいのか? ここで俺を殴ったら、出場停止もあり得るぞ?」
「……っつ!」
初めてみる悔しげな霧島の表情。ようやく他の部員たちによって、霧島は止められた。
俺は自由になったあと、襟を直してから霧島を見る。
「……まぁ、言いたいことは伝えたからな」
そうして、俺は彼に背を向けた。喋る者など一人としていない。周囲をそうっと見渡せば、唯一我関せずにいるのは、未だ上半身裸で懸垂をしている奴だけだった。それ以外の奴等は、呆然としたまま、ただ成り行きを見守っていた。
これで終わったわけじゃない。霧島が日向舞を諦め、彼がりんちゃんを酷いやり方で振ってしまう未来がなくなったわけじゃない。
だが、かなりの確率でそれは回避されたはずだ。
なにせ、霧島がが日向舞に振られたとしても、そこで傷つくはずのプライドを、俺が既に傷つけたのだから。
霧島の弱点は高すぎるプライドだ。だが、そんなプライドが無ければ、彼は頂点に君臨することなど出来なかっただろう。仕方のないことだ。そして、今回のことについても仕方ない。
相手が悪すぎたのだ。
彼のプライドがいくら傷ついたとしても、対する俺のプライドは全く傷つかない。なにせ俺にはプライドなどない。ないからこそ、底辺の玉座に座ることを許されているのだ。
残念だったな霧島。そして、残念な俺に乾杯。しかしそれは勝利への祝杯ではないのだろう。
「――ねぇ、今何があったの?」
「――なんで霧島くんが怒ってたの?」
グラウンドを去る時に、遠くから見ていた女子たちがサッカー部員に詰め寄っていた。
きっとそれは、俺が完敗を覚悟するための水杯。戦時中、日本を守るために散っていた特攻隊が出陣前に行った儀式だ。
彼らは日本を、家族を守るために出陣した。だがそれは、最終的に自分の為だったのだ。
こうして平和に俺たちが暮らせるのは、勇気と誇りを持って戦った英雄たちのお陰だ。
だから。
俺もそれに倣い、静かに信念だけを胸に秘めた。




