その場しのぎ
返事はあまりに早く来た。
――いいよ。
――どこ?
おっ……おぉ……。なんか感動だ。俺は日向舞の返信に驚きながらも、今いる場所を伝える。彼女からの返信は短文でいくつにも小分けされていたが、確かに俺へと送られてきた。一時間以内には来れるらしい。機動力が半端じゃない。
「喜んでくれ金剛さん。助っ人が来てくれる」
「助っ人……?」
「あぁ、姫沢の奴が勉強教えにきてくれる」
その瞬間、彼女の訝しげな表情がさらに曇った。
「姫……沢?」
あっ……。
「姫沢の人と知り合いなの? 天津くん」
「あ、あぁ。ちょっとな」
「ふぅん……」
疑わしげな瞳が俺を捉える。マズかったかもしれん。日向舞を呼んだ後で気づいた。純粋に金剛さんの成績を上げることのみ考えていたが、よくよく思い出してみればそういったことになってしまった原因の中には霧島がいて、その霧島と会っていたのは姫沢高校の女子。日向舞が関わってる確率はかなり高い。
俺はなんとか平常心を保ちながらも、必死で逡巡する。なにやら不穏な未来を感知したからだ。
だが、ここで気づけて良かった。気づけたなら、たぶん大丈夫。俺は日向舞へと、『霧島のことは触れないように』と連絡しようとする。そういった文面を作り上げたあと……少し考えてそれを全て消した。
いや、なにやってんだよ……俺は。
たとえ日向舞と霧島の関係性が金剛さんにバレてしまったとしても、何がどうなるわけでもない。それは隠したって変えようのない真実だ。そんなことになぜ俺が労を尽くさねばならぬのか。大事なことは金剛さんの成績を上げることのみだ。その為に彼女を呼んだのだから。
「じゃあ、その人が来るまで休憩でいいよね」
金剛さんはしばらく疑わしげな瞳で俺を見ていたが、やがて疲れたように姿勢を崩し、卓に覆い被さってダラけ始める。
「ねぇ……連絡先教えてよ」
そうして、見上げた瞳で一言。かなりナチュラルな上目遣いだった。それに動揺してしまったのは言うまでもない。
「そのさ……連絡先知ってれば、学校とかでわざわざ話さなくていいじゃん……?」
あっ、あぁ、そういうことですか! 確かにそうですねぇ!! 危うく変な勘違いを起こしてしまいそうだった自分を咄嗟に戒める。ただ、それくらいその言葉と仕草は、俺にとって効果抜群だったのだ。
「おぉ……そうだな」
慌てたようにスマホを握りなおした。金剛さんも姿勢を正してから、スマホを見つめ直す。
「LINEやってる?」
「はい」
「フルフルでいい?」
「はい」
為すがまま、言われるがままにスマホを操作して、連絡先交換へと進む。まさか学校で最初に連絡先を交換するのが金剛さんだとは思いもしなかった。俺たちは向い合わせでスマホを振る。しかし、俺のスマホは何故か金剛さんを見つけられなかった。
「……出てこないね」
「……同じく」
何故、こんなにも近くにいるのに目の前のスマホを見つけられないのか。もしかしてこのスマホはポンコツか? いや、それか俺のボッチ能力が妨害電波でも出してるか。俺たちはその後も振り続けたが、何故かお互いを見つけられない。
「もうっ! バーコード出して」
痺れを切らした金剛さんが怒ったように言った。なんか俺が怒られてるみたいで、また動揺してしまう。違うんですよぉ。俺のボッチ能力が勝手にやってるんですよぉ。悪気はないんですぅ。
急いでフルフル画面を戻し、バーコードを出す。すると金剛さんは、ぬっと俺のスマホに顔を近づけてきた。不意打ちで彼女の頭が目の前にくる。ふわっとシャンプーの香り鼻腔を撫でた。ふぉぉぉぉぉ! なんぞコレェェェェ!
顔が勝手にのけ反った。しかし、「動かさないで!」と金剛さんに怒られて、なんとか腕だけは固定。頭がクラクラしてきてなんか、もう、どこかに昇れそう。その快楽にも似た数秒の後、金剛さんはようやく離れて笑顔で一言。
「天津くん、ゲットだぜぇぇ。へへへ」
どうやら野生のボッチは金剛麻里香に捕まってしまったらしい。これは捕まるしかない。逃げ切れるはずかない。与えられたダメージも餌も完璧過ぎでしたもの。抵抗の余地すらなかったもの。ホント、大切にしてくださいよ? それ遭遇率の低い伝説のモンスターですからね? しかも色違い。他のボッチとは毛色が違う最強のボッチですからね?
金剛さんとそんなこんなしていると、喫茶店の入り口から、待ち人現る。彼女は俺を見つけるとツカツカと歩いてきて、店内にその存在感を示した。
「――変な長文だったから、詐欺紛いのLINEかと思ったじゃない」
日向舞は、開口一番そう言ってのけた。挨拶よりも文句から入るとは、さすがは日向舞と言うしかない。
「おぉ、早かった……な」
彼女は、俺を見てから向かいに座っている金剛さんに視線を向ける。
「……勉強教えてやって欲しいっていうのはその子?」
「あぁ。同じクラスの金剛麻里香さん」
紹介がてら金剛さんに目を向けると、彼女は少し目を細めて日向舞を見ていた。……ん? 挨拶……してくれないかな? 金剛さん?
しかし、日向舞の問いかけの方が先手を取る。
「友達……いないんじゃなかったっけ?」
向けられた攻め入るような視線。
「いや、嘘ついたわけじゃない。ホントに友達いないから」
「じゃあ、その子との関係は何?」
「言っただろ。同じクラスだって」
「同じクラスの子の勉強を天津くんが見てあげてるの? 友達でしょ? それ」
「友達……でいいのか、な?」
なんか必要以上に責めてくる言葉に、危うく俺の信念すらねじ曲げてしまいそうになる。
だが。
「友達ではないかな」
金剛さんが助け船を出してくれた。おぉ……助けてくれた? それとも素直な気持ち? いや、まぁ、どっちでもいいんだけどさ。
なんとなく気まずい空気が漂い始める。その原因が俺には分からず、少し戸惑う。
すると、日向舞が突然俺の腕を掴んだ。
「ちょっと来て」
「あっ……」
為す術もなく立たされて連行される俺。日向舞はそのまま店を出ると、腕を放した。そしてため息一つ。
「――彼女さんってこと?」
「違うって。ただのクラスメイトだって」
「ただのクラスメイトの勉強を私が手伝う理由は?」
「いや、俺じゃちょっと力不足だったんだ」
「ふぅん……じゃあ、なぜあなたが協力してるの? そんな奴には見えなかったけど」
「……まぁ、な」
日向舞の質問に、言い淀んでしまった。
「私は出来る範囲なら協力したいと思ってる。天津くんには……その、いろいろと助けられたし、協力してもらったから……。でも、それは天津くんに協力してあげたいのであって他は別。私は助けたい人しか助けないよ。だから……あの子があなたにとってただのクラスメイトでしかないなら、助けたくない」
日向舞は言い切った。その理由には、残念ながらひどく納得してしまう。だが、金剛さんとの関係を話すには、少なからず霧島のことも話さなければならない。そして、彼女が今どういった立場であるのかも話さなければならない。それはさすがにどうなのだろうか。
俺は少し整理してみる。だが、考えてみても妙案が思い浮かぶわけでもない。というか、そうやって策を労するのはさっき止めたのだ。
「……わかった、説明しよう。ただ、中に戻ろうぜ? 俺はハブられるのは得意だが、ハブるのは苦手なんだ」
意を決して日向舞に言った。彼女は少し怒っていたようにも見えたが、ふっと息を吐いて承諾してくれた。
「わかったわ」
店内に戻ると、今度は金剛さんから睨み付けられる。なんだよ……なんで修羅場みたくなってんだよ。
もはや、狂い笑ってしまいそうなほどの空気の中に乗り込んでいく。日向舞を取り敢えず隣に座らせてから俺も元の椅子に座った。
コホンとひとまず咳払い。
「取り敢えず、もう一度紹介しておく。こっちは姫沢高校の日向舞さん。おそらく頭は良い。俺が苦肉の策として呼んだ助っ人だ」
「苦肉の策ってなによ」
「いや、すまん。言い方が悪かったな。助っ人を呼ぼうとしたんだが、残念ながら俺が知ってる連絡先には彼女しかいなかったんだ」
「あぁ……そういうこと」
日向舞は少し呆れたが納得してくれた。ふぅむ、この説明で納得なのかぁ……なんだろうなぁ、この腑に落ちない感じ。
「それでこっちは金剛麻里香さん。頭は悪い……」
その瞬間、金剛さんの視線が鋭くなった。当たり前だ。こうも目の前で日向舞との優劣を言葉にしてしまったのだから。
だが、案ずるな金剛さん。
「――と、みんなからは思われている」
俺はたっぷり貯めてから、そう言ってやった。鋭い視線に弛みが生じた。その瞬間を見逃さない。
「何故か? それは金剛さんの成績が良くないからだ」
そうして、人差し指を立ててみせた。
「ペーパー上の成績では、その人が本当に賢いかどうかなんて分からない。だが、それは一つの指標にはなっている。そして、多くの者たちが……社会までもが、その指標をあてにした」
俺は嘘とかで取り繕うのを止めた。そして、真実のみを話すことにする。ただ……その真実は、今の状況に都合の言い部分だけを掬いとって。
これは霧島もやっていた手法だ。だが、奴とは違う。奴は自分にとって良い部分だけを掬っていた。だから、俺は今の二人にとって良い部分だけを掬うのだ。
「成績が三十点の奴がいたとする。だが、そいつは成績がそうであるだけで、本当に馬鹿なのかは分からない。事実、小学校を中退している歴史上の偉人だっているんだ。全てがそうとは限らない。ただ、もう一人成績が百点の奴がいたとしよう。そいつが百点を取ったからといって、頭が良いのかと問われればそれも分からない。だが、馬鹿ではないはずだ」
「ねぇ……何が言いたいの?」
日向舞が問いかけてくる。しかし、俺は最後まで自分の主張を終わらせることだけに集中した。
「社会ってのは、なにも有能な者だけを必要としているわけじゃない。そんな者なんて数限られているし、高望みばかりしていたら有能でない者たちで世界は溢れ返ってしまう。だから……取り敢えず馬鹿ではない者たちを必要としているんだ。その観点からみれば、やはりペーパー上の成績はかなり重要になってくる。何故なら、テストというのはあくまでも『学習したことが身に付いているかの確認に過ぎないから』な?」
二人から怒りの雰囲気は消えていた。俺が何を言いたいのかを図り知ろうとする疑問に変わりつつある。
ボッチは空気を読むことに長けている。だから、それを敏感に感じ取って、誘導することも出来るはずだ。嘘をつくのではなく、事実のみを材料としての誘導。
これぞ必殺論点ずらし! なんだよ。妙案浮かんでんじゃん俺。やはり無意識か。さすがはボッチ。
だが、これは本題から話をズラすのではなく、元あるべきポイントに話を戻すのだ。
「金剛さんはそれが出来てない。だから、クラスメイトから馬鹿にされがちだ。だが、その立場はボッチである俺にこそ相応しく、金剛さんには相応しくない」
自信満々に言い切った瞬間、二人の疑問の瞳から、光がすぅと消えていくのが分かった。
「だから金剛さんの成績を上げたい。これは金剛さんの為、しいてはクラスの為、そしてこの俺の為だ」
「……」
「……」
もはや言い返す気力もあるまい? さらに俺は追い討ちをかけた。
「だが、残念なことに俺は誰かに勉強を教えたことなんてないし、教わったこともない。ボッチだからな? だから俺は――」
「ストップストップ!!」
最後の仕上げを、日向舞に止められた。……なんだよ、ここからが良いところだったのに。
「なに、恥ずかしいこと堂々と言ってるの? 今そこを通った店員さんの顔見た? ドン引きしてたわよ?」
日向舞は少し顔を赤くして囁いてくる。
「……わかったわよ。だから、もうそれ以上私たちを辱しめないで」
そうして彼女はため息を吐いた。
「なんで、こんな奴の連絡にホイホイ来ちゃったかなぁ……私」
呟かれた言葉。途端に申し訳なくなる俺。
「なんか、ごめん」
「いや、もういいんだけど。……じゃあ、結局あなたの為ってことでいいのね?」
「それで合ってます……はい」
「わかったわ」
金剛さんを見れば、彼女も頭を抱えていた。え……そんなにドン引きしてたの? うっわぁ……見たかったわぁ、それ。怖いもの見たさってやつだ。そして、見て後悔するやつ。
「だから金剛さんの勉強をみてやってほしい。俺の鑑定結果だが、彼女は馬鹿ではないと思うぞ。ただ、少しやり方がテストに追い付いてないだけだ」
金剛さんは全てを理解しようとする。だから、時間をかければ全てを理解してしまうのかもしれない。だが、それをテストは待ってはくれないのだ。
「鑑定って……まぁ、力になれるか分からないけど、教えられる範囲なら」
日向舞が金剛さんに語りかける。金剛さんは、すこし俺を見てから、力を抜いたように息を吐いた。
「そっか……まぁ、なんとなく分かった」
そして、日向舞に向き直った。
「こちらこそ。天津くんじゃ全然勉強進まなかったから、すこし頼りにしてみる」
そういうのは、俺が居ないところで言おうね金剛さん! 彼女を呼んだのは俺だからね!
そうして、二人は各々の役割に転じた。教える側の日向舞と、教えられる側の金剛さん。一度目的が出来てしまえば、あとはそれに専念するだけだ。だから、二人は黙々と勉強会を始めてしまった。
残された俺は役立たずとなり、やはりボッチとなってしまう。やっぱハブられるの得意過ぎるんだよなぁ……俺。
だから、俺も黙々と勉強することにした。勉強なんて一人でも出来るのだ。問題を解いて、ひたすら答え合わせ。間違えば教科書を見て、正しいやり方を頭に覚え込ませる。理解なんていらない。それは完成された正しいやり方なのだから。
だが、ふと思ってしまう。
人生において、青春において、この状況において……俺がやったことが果たして正しいやり方だったのかを。疑問に……思ってしまうのだ。
結局、日向舞が知りたがったことを、金剛さんが気になったことを、俺はうやむやにしただけだ。
――それでも。
俺は一瞬止まったシャーペンを、もう一度動かし始めた。
――取り敢えずは、これで良かったのだろう。
そう納得させて、黙々と勉強にのめり込んだ。




