放課後バトル!レディーゴーッ!
悪い予感は当たってしまった。
放課後。即座に帰ろうとした金剛さん、その背中に一人の女子生徒が悪意のある言葉を放ったからだ。
「――金剛さーん。天津くんと帰らなくていいのぉ?」
呼び止める為だけに大きくしたその声は、別の意図を含んでいるように思えた。見れば、北上がニヤニヤと笑いながら金剛さんを見ていた。
やはり……。
どうやら見られていたらしい。俺と金剛さんが屋上で話しているところを。
「……なんで、かな?」
教室を出ようとしていた金剛さんは、なるべく表情を変えることなく振り向いた。
まだ放課後になって直後。部活動生も教室に残っており、全員が、始まったそれに意識を向ける。そして、その意識は俺にもチラチラと向けられた。それらの顔には「なんであいつの名前が……?」という疑問符が浮かんでいた。
「えぇー? 隠さなくたっていいじゃーん。付き合ってるんでしょ? 天津くん、と」
その瞬間、教室内に何か生ぬるい風のようなものが吹き抜けた気がした。少しずつ俺に向けられていた視線が、やがて数を増やしていく。疑問符が驚きへと変化していた。
その中で、北上グループの連中はクスクスと笑っていた。彼女たちは既に知っているのだろう。そして、今まさに始まったことすら知っていたに違いない。だから、その先を思い浮かべて笑っているのだ。
「……はぁ? なんで……私が」
金剛さんは、精一杯とぼけて見せた。だが、動揺は隠しきれず、声は尻すぼみ。ひきつった表情はどこか演技臭い。
「聞いたよー? 昼休み、屋上で二人仲良く話してたんだってぇー?」
北上は軽い口調で返した。その眼差しは妖艶で、金剛さんの出方を窺っているようでもあった。そんな視線が俺にも向けられ、勝利を確信したような笑みが深くなる。
「いやぁ、まさか、そこにいる奴なんかとねぇ……びっくりしちゃった」
わざとらしい口調、勘に触る声音。それは悪意に満ち満ちていて、誰かを傷つける為だけにつくられたからなのだろう。金剛さんは、その言葉に何かを返そうとしたが、返そうとするだけで声も言葉すら出てこない。瞳だけは大きく見開かれていた。
そんな彼女に、北上はトドメを刺しにかかる。
教室の空気は完全に北上の支配下にあり、彼女が指を動かすだけで、この教室内の風たちは一斉に動き出すような気さえした。それはまるで風の女王。
「まぁ……金剛さんにはお似合いかな?」
そんな風の女王は笑って言い放った。
それが言いたかったのだろうと、すぐに理解した。
これまで金剛さんは、霧島とお似合いだとネタにされていた。それはこのクラス内でのお決まりフレーズになっていて、やはり、お決まりの笑いが起こっていた。そんな中で彼女たちは耐えていたのだ。調子よく放たれるそのネタに、ぶりぶりでまんざらでもなく否定する金剛さんに、そして、そんなネタをなだめるように繕う霧島に。我慢していたのだ。
だからこそ、その言葉には彼女たちの復讐心が混じっていた。
金剛さんは、突然始まった彼女たちの復習劇に怯んでいる。足を一歩退いた彼女。その姿は、あの日の彼女と重なる。……金剛さんにとっての悪夢が始まったあの日に。
あの時、誰もが彼女を見放した。取り巻きの連中でさえ動けずにいた。気の利く言葉でなくても良かったはずだ。なにか声をかけてやれば、何かが変わっていたのかもしれない。
だが、それはなく、事態は流れるままに暴走した。そんな流れに彼女は意図も容易く飲み込まれ、あっという間に輝きを失ったのだ。
その再現だった。
見渡せば、北上はお仲間たちと見下したような笑いを浮かべている。教室の奴等は、ただただ傍観している。霧島を見れば、彼もまた面白そうに成り行きを眺めていた。
それに腹がたったのは言うまでもない。この事態を引き起こした一端には、彼も加わっているのだから。少なくとも、俺はそう考えていたからだ。
……そして、思ったのだ。
俺が霧島に怒りを覚える理由について。
もしかしたら、俺と霧島は似ているのかもしれない。彼は自分が望むままに現在の地位を手に入れた。そして、俺も自分が望むままに現在の地位を手に入れた。その地位には天と地ほどの差があるにせよ、通った過程はとても似ている。
同族嫌悪。
霧島に腹がたつのは、そういった意味合いが強いのかもしれない。
……だが、それでも。
俺は、霧島とは違うのだとはっきり言える。
彼のやり方は、一貫して自分のためだけのものだ。そこには、自分以外の誰かが含まれていない。だから……彼は簡単に他者を傷つける。そして、それをさも世界の真理だと言わんばかりに正しく言葉にしてみせるのだ。「自分の為に生きて何が悪いのか」と。
それは、俺のよく使う言い回しでもあった。
――人は結局、自分が一番可愛い。だから、他者を簡単に切り捨てる。誰かの為に生きようとすることは愚かだ。それよりは自分の為に生きる方がずっといい。
俺と霧島は似ているのだ。だからこそ、この教室で極端な立場を俺たちは手にいれてしまった。
だが、似ているだけで一緒じゃない。
俺は自分の願望の中に他者を含めたのだ。含め、考え、精査して、俺は結論を出したのだ。それは唯一無二のものだったからこそ、俺は唯一無二の存在になった。
つまりはボッチ。
そして、ボッチになった俺は、決意したその日からボッチというステータスを磨いていくことになる。それは日々の積み重ねから、確かなる刃となりて俺の武器へと化していく。
……見せてやるよ霧島。俺とお前の違いを。
……見せてやるよ金剛さん。本当の刃の振るい方を。
俺の提案が信じられないなら手本を見せてやる。理解できないのなら、その脳裏に刻んでやる。このステータスというのが、どれ程の武器になるのかを。
俺は完全に制圧されたその教室で、ゆっくりと独り立ち上がる。
向けられた視線はクラスメイト全員。こんなに注目を浴びる日が来ようとは、思いもしなかった。
口元が無意識につり上がる。俺の中で微かに残っていた自己顕示欲が、歓喜の雄叫びを上げていた。
北上。お前の敗因の一つは、俺に感づかれたことだ。
昼休み。階段から去っていく足音が、俺の危機回避能力に引っ掛かった。それが俺に考える時間を与えてしまった。それが一つ目の敗因。
二つ目は、お前が簡単に分析され過ぎたこと。
昼休み以降、俺はお前らが密かに話し合っているのを目撃している。その視線はチラチラと金剛さんに向けられており、何か良からぬことを企んでいることは嫌でもわかった。そして、これまでのお前のやり方から、次にどうするのかを簡単に推測されてしまったこと。
三つ目は、俺を警戒しなさすぎたこと。
これに至っては、お前のせいじゃない。俺が強すぎたんだ。悪いな北上? お前は俺を怒らせた。それが、最後にして最大の敗因だ。
俺はたっぷりと教室を見渡す。ふと、霧島と目があった。
やはり似てるんだろうな……。お前のやり方と俺のやり方は非常に酷似している。
そして、その視線を北上へと向ける。彼女は勝ち誇った笑みを浮かべていた。そして待っているのだ。敗者が何を言うのかを。
「……北上。俺は金剛さんと自分がお似合いだなんて思ったことは一度もないぞ? ただの勘違いだし、下手な言いがかりはやめておけ」
「……は?」
勝ち誇る笑みに陰りが差した。理解できないのなら教えてやるよ。何故それが勘違いであり、下手な言いがかりなのかを、な?
「俺が金剛さんと釣り合うわけないだろ。よく見てみろ。俺と金剛さんが恋人同士なんて想像できるのか?」
風が止まった。いや、俺が止めたのだ。
「そもそも、昼休みに話をしてたぐらいで恋人になれるとか、どこのラブコメ漫画だよ。二人で下校したぐらいで次の日に冷やかす小学生か」
抜いた刃で、北上を確実に斬り裂いた。
「はぁっ!?」
思ってもみなかった言葉に、北上は怒り、抵抗の意を示す。だが、感情を露にしたくらいではどうにも出来ない。そんなものは、何の役にも立たない。目に見えないものは影響力が弱い。本当に強いものは、目に見える結果であり真実だ。
「北上、よく考えてみろ。金剛さんはこのクラスで一番可愛い女子だ。そんな金剛さんと俺が釣り合うはずがないだろ? もし仮に俺が釣り合う女子がこの教室内にいるのだとしたら……」
そうして俺は教室内を見渡してみせた。
俺の視界に入った女子は表情を強ばらせ、恐怖を浮かべる。いや……そんなに怖がらなくても……。ちょっぴり傷ついた。
ふと金剛さんと目が合うと、彼女は呆然として俺を見ていた。なんだよそのマヌケ面……。
そんな彼女を通りすぎ、見渡した視線は北上へと帰ってくる。
「ひっ……」
彼女が小さく悲鳴を上げる。……俺は化物か。
だが、俺はそんな彼女にゆっくりと人差し指を向ける。そして、狙いを定め、照れ笑いを演出した後に、渾身の笑みで告げたのだ。
「――君に決めたっ☆」
俺が召喚した化物は、圧倒的な強さで猛威を奮った。北上は為す術もなく、その化物によって食い殺される。
先程までクスクスと笑っていた者たちは、それを見ていることしか出来なかった。
真実とは時に残酷だ。たとえそれが、どんなに軽く吐かれた言葉であっても、容赦なく相手を傷つける。そして、反抗の余地を与えない。何故なら、真実とは誤魔化しきれないほどに絶対的だからだ。
「……まぁ、俺の勝手な意見だから、気にしないでくれ」
俺は咳払いをしてからそう付け足した。だが残念。気にしないわけがない。何故なら、このクラスで最底辺にいる俺の意見だからだ。その意見は誰が見ても真実に映るはずだからだ。
金剛さんは可愛いのだ。それは北上なんかよりもずっと。その真実が、俺の意見を消してはくれない。
これは金剛さんが可愛いさステータスを持ってたから出来たこと。そして、俺のボッチが強すぎるから出来たこと。いわば、初めての共同作業というわけだ。そこで切ったのは、ウェディングケーキなんかじゃない。もっと苦くておぞましい何か。
教室の空気は完全にカオスと化していた。もう、笑って良いのかどうかも分からない表情たちが、居心地悪そうにしているだけ。
そして俺は、そんな空気など意にも返さず、いつも通りの行動を取った。
つまりは即帰である。
教室を出る時に、ちらりと北上を見れば、ひきつった笑いを浮かべていた。アフターケアは他の連合群の連中に任せ、俺はそのまま教室を出る。
これでまた、俺のボッチステータスが上がってしまうな……やれやれだ。
勝利したはずなのに何故か、心はひどく冷めていた。
きっとそれは罪悪感。誰に対しての?
もちろん、霧島と同じやり方をとってしまった俺自身への、だ。




