再度屋上で
あの日以来、金剛さんは少し変わったように見える。
周りを気にして小さくなっていた時とは違い、何言うこともなく学校生活を送っていた。……順応した、と言うべきなのだろうか。もはや前までの金剛さんはそこにいなかった。何事も一心不乱に取り組んでいる。それはまるで、なにかを考えまいとしているかにも見えた。
彼女に話しかける者はいない。もちろん、彼女から話しかけることもない。だから会話による笑いなどもなく、金剛さんの笑顔もしばらく見ていない。ただ、今までの彼女の笑いかたはとてもわざとらしく、悪い言い方をするならだらしなかったようにも思えた。だから、目の前のことだけに取り組むその端正な表情は、これまでの彼女よりも素敵に思えたのだ。
ただ、まぁ……そういうのを良く思わない者もいる。
「――金剛さーん。今日私ら部活休みだから遊ぶ予定あるんだけどぉ、いっしょ来る?」
椅子に足を組んで斜めに座り、背もたれを肘掛け代わり。持ち込み禁止のスマホを堂々と弄りながら嘲笑にも似た笑み。
クラスで金剛グループが陥落を余儀なくされたことにより、新たに頭角を顕してきたグループ。『北上部活動連合群』。このクラスにいる部活動女子を一手に取りまとめるグループである。そのトップに君臨する女、北上明奈。彼女は女子バスケットボール部であり、男子生徒ともノリの良い会話をこなす、いわゆる典型的な体育会系女子だ。
彼女たちのよくやる手法は、陥落した金剛さんを組織内だけのイベントに誘い「可哀想な彼女を放っておかない私たちアピール」だった。当然、それを金剛さんが受けるはずがない。行けばどうなるかなんて想像するまでもないからだ。
いつものように金剛さんは「行かない」とだけ答え、それに北上は「そっかぁー。残念だなぁ」なんてわざとらしく呟いた。それに、周りを囲む部活動女子たちがクスクスとおかしそうに笑う。もう見ているだけで怖い。
彼女たちのそうした態度は前々からあった。ぶりっ子の金剛さんを疎ましく思い、関わらないようにしていた。だが、あの日の事件をきっかけにし、その態度はあからさまなモノへと豹変する。それはまるで「ほらね? 私の目に狂いはなかったでしょ? 金剛麻里香は堕ちて当然なの」とでも言いたげ。だから、彼女たちは自分達は正しかったのだという正義をあからさまに掲げ、尚も正義者のように金剛麻里香に手を差しのべようとする。だが、その手には彼女を制裁してやろうという悪意が滲み出ていた。
男子というのはとても簡単だ。ボッチである俺なんか気にもしないし、わざわざ関わりを持とうとしてこない。だが、彼女たちは違う。敢えて関わりを持とうとし、溢れた者すら支配しようとした。その絶対君主制度は、北上をこのクラス内の序列一位にまで押し上げる。
新たな女王の誕生。ただ、前女王と違うのは、男子に人気があるかどうかという点だけ。彼女は部活動系女子のトップであり、男子とも気軽に会話をこなす強者である。故に、表面的な友好関係は霧島にも劣らない。だが、彼女には金剛さんのような可愛いさステータスがなかった。それでも、やはりその地位に君臨するのは、北上がそれを補うだけのステータスを有しているからなのだろう。
そんな分析を終えた。
情勢の把握はボッチに必須だ。でなければ、何か面倒ごとに巻き込まれた際、対処が出来なくなるからである。だからボッチは用心深く周囲の情報を集める。情報収集能力は誰にも負けない。ボッチとは同じ枠組みに入れられているだけで、彼らとは決して交わらないからだ。そろそろスパイ活動とかも出来そう。
昼休みの屋上では、金剛さんと食べるのが通例と化しつつあった。こう表現すると、とても恋人っぽいが、俺と彼女の距離は物理的に十メートルほど空いているため、実際は全然そうじゃない。もちろん会話などあるわけがない。まるで離婚寸前の夫婦みたい……ははっ、やめよう。結婚とか現実味無さすぎて悲しくなるだけだ。
だが、その日だけは少し様子が違った。
俺が弁当を食べていると、金剛さんは俺の目の前に立ちこちらを見下げていた。
「なっ……なに?」
なんか雰囲気が怖い。怒らせるようなことしたかな、俺。なんて恐る恐る見上げると、彼女はため息を吐き出す。
「なんで……そんな平然としてられるわけ?」
「……はい?」
質問の意味がよく分からなかった。
「誰からも相手にされてないし、誰とも話もしない……それでよく毎日学校に来れるね?」
あぁ、そういうことか。俺はようやくその質問の意味を理解する。
「出席日数の問題だ。あれだ。ゲームのログインボーナスを獲得するのと同じ。貰えるものは貰っておく。苦労せずに貰えるなら尚更だ」
「またゲームの話……この前もそんなこと言ってたね」
「人生なんてゲームだろ?」
なんかそう言うと、人生の攻略方法を知ってるみたいでカッコいい。なのに、彼女は引いた目で俺を見ていた。それからもう一度大きなため息を吐く。なに、その「聞いた私が馬鹿だった」みたいな反応。答えた俺が馬鹿みたいじゃん。
「……というか、私が聞いたのは『辛くないの?』ってことなんだけど」
なるほどな。どうやら金剛さんはボッチの辛さを真に理解したらしい。だから、平然としている俺に聞いたのだ。純粋な気持ちで。……だがな金剛さん、そんなことよりも辛いことってあるんだぜ? それをあなたは知っているはずだ。
「じゃあ、逆に問うが、金剛さんはまた同じ思いをしたいのか?」
「……どういうこと?」
分からないかぁ。仕方ない、説明してやろう。
「また、誰かに裏切られて惨めな思いをしたいのか? ってことだ。そんな思いをするなら、最初から誰とも関係なんて持たない方がずっと楽だよ」
金剛さんは驚いたように俺を見ていた。それから「ふぅん」どだけ呟く。
「そういうこと。……なんだ、てっきり天津くん人見知りなのかと思ってた」
「さすがに人見知りし過ぎだろ。俺は敢えて友達をつくってないだけだ」
「そっか」
そう言うと、金剛さんは屋上を囲む針金で出来た網にカシャンと寄りかかる。
「……ははっ、私もう無理かも」
そして唐突にそう告げたのだ。
「……ちょっとさ、頑張ってみようかと思ったけど無理。耐えらんない」
吐き出した言葉につられて、次々とネガティブを口にする。それは止めどなく溢れてきた。
「学校で無理してるのに、なんで家でも元気な私を演じなきゃいけないの? なんで辛いって分かってるのに、学校に来なきゃいけないの? なんでみんなと授業受けなきゃいけないわけ? なんで、こんな奴とご飯食べなきゃいけないの」
最後のは聞き捨てなりませんね。あなたは知らないかもしれませんが、雨の日は大抵あなたと一緒にご飯食べてましたからね? 同じ教室で。
「……私には無理」
彼女はそうやって終わらせようとした。
「……だったらそんなの止めればいいだろ」
気もなく俺は言ってやる。なぜ、彼女はボッチで居続けようとしているのか。頑張ってもボッチはこなせはしない。こなすには、それなりの覚悟と決意が必要だ。それ故に、ボッチとは孤高の神なのだ。
彼女には自覚、決意、覚悟、意識……そしてなにより資格が足りていない!!
ボッチ試験合格者数の定員は一人だけだ。つまり、試験に合格し、資格を得られるのも一人だけ。その資格は俺が先に有してしまった。そして、その資格は放棄しなければ誰かが得ることはない。もはやそれは悪魔の実の能力に似てる。世界で唯一その能力を得られるのは一人だけ。そして、その能力を宿したものは泳げなくなってしまう。だから、俺は人間関係という海において浮かぶことなく暗い海底で蠢くしかない。深海は海面の何倍もの圧力がかかっている。そんな圧力に耐えながら生きることは並大抵じゃないのだ。
そんな圧力に、海面辺りを漂っていた人間が耐えられるわけがない。
「止めるって……どうやって」
その質問にはこの前も答えたんだけどな……。俺は仕方なくもう一度言ってやることにした。今度は、ちゃんと聞いてもらえるような気がして。
「言っただろ。他のステータスを手にいれるんだ」
「……あぁ」
思い出したのか、金剛さんは虚ろに答えた。ただ、反応は芳しくない。
「なんかそんなこと言ってたね。でも、私が頭良くなったからって何? そんなんで変わるわけないじゃん」
それでも、出てきた言葉は後ろ向き。
だが、俺には確信があった。これまでクラスの分析を続けてきた俺には、それをやる価値が見えていた。それでもきっと、彼女は簡単に信じないのだろう。疑ってしまうのだろう。ボッチは簡単に人を信用しない。恐れているのだ。また、傷ついてしまうことを。
だったら教えてやればいい。自分にも誰かを傷つける刃はあるのだと。人は何かを守るために武器を手にする。武器を手にすると安心する。だから、ナイフを持ち歩く危ない奴がいるのだ。だが、本当に持つべき武器は物理的な刃じゃない。内側にある刃だ。
「――金剛さんは可愛い」
唐突に放ったその言葉に、彼女はピクリと反応した。
「俺はクラス全員の女子を鑑定したが、一番金剛さんが可愛い」
「はっ……はぁっ!?」
「照れるな。紛うことなき真実だ。受け入れろ」
「なっ、急になに!??」
ガシャガシャと針金の網が音を立てた。
「北上を見てれば分かる。なぜ、今も金剛さんに意地悪をしているのか。それは、金剛さんが彼女にとって危険因子になりうるからだ。彼女は恐れてるんだよ。金剛さんがまた死の縁から這い上がってくるのを。だから、徹底的に潰そうとする」
本当はそう思ってないのかもしれない。だが、少なからず外れてはいないだろう。既に金剛さんは地に落ちた。にも関わらず、北上は死体蹴りにも近いことをしている。そうやって確認しているのだろう。本当に息絶えたのかを。そうやってないと不安なのだろう。その不安が、ああした行動に出ているのだ。
「その可愛いさステータスを持つ金剛さんが、頭良くなったらどうなる? 人は無意識にでも劣等感を感じるもんだ。そして、自分よりも上のステータスを持つ人間には、どうしてもひれ伏してしまう」
成績が良いというのは、馬鹿にされにくいという効力がある。それは文字通り馬鹿ではなくなるからだ。人は、自分よりも弱い部分を見つけては安心しようとする。だから、自分よりも上の者には恐れを抱き、媚びへつらうのだ。
「人よりも何か一つだけでいいんだ。それさえあればいつか見返せる日がくる。金剛さんが持ってる可愛いさは、努力じゃ手に入らないものだからな? あとは努力でどうにか出来る部分を補えばいい。簡単なことだ」
そう。簡単なことなのだ。資本主義国家日本は、こんなにも人に分かりやすい優劣を付けているのに、彼らはそれは悪だとでも言わんばかりに見て見ぬふりをしている。にも関わらず、彼らはそんな優劣に踊らされ周囲の人間関係を構築させていた。
世界は平等ではない。なにせ、人には長所と短所があり、今生きているこの一瞬ですら、考えていることはあまりに違いすぎる。だから人は平等にはならない。それでも、与えられた最低限の権利は皆平等なのだろう。
そこを皆履き違えているのだ。だから、自分が持っていない物を持つ者に嫉妬する。憎み、怒り、嫌悪する。だが実はそうじゃない。現に、北上は運動能力において他を圧倒する数値を持っているはずだ。だから、それだけを伸ばせばいいのに、履き違えた醜悪な勘違いがそれをさせない。
「……別に、努力なしで可愛くなれるわけじゃないけどね」
不満気味に彼女は呟いた。
「私が可愛いのは小学生の頃から知ってたし、それを維持するための努力だってしてきたよ。何にも考えずにここまでこれたわけじゃない。勝手に決めつけないでよ」
なんで褒めたのに怒られてるの俺……。あれか。普段蔑まれすぎて、急に褒められるとどうして良いのかわからなくなるタイプか。なんだぁー! 俺と一緒じゃーん! 俺も課外活動なんかでよく教師から「お前は無駄話一つせずに作業してて偉いな!」なんて褒められるからどうしていいか分からなくなる。そういうのって素直に受け止めていいのか分からないんだよねぇ。ほら、自分からしてみれば当たり前のことだし? そもそも普段から話すらしてないし? その後にだいたいその教師が言うんだよね。「お前らも天津を見習えよ!」って。そして向けられる冷ややかな視線、そして囁かれる俺への…俺への……うっ! 頭がっ!!
「なんで頭抱えてるのよ……叩いたりしないって」
金剛さんの呆れたような言葉にハッとした。どうやら、少しだけ精神と時の部屋にこもってしまってたらしいな。これ以上パワーアップすると誰かに狙われそうで怖い。
「……ほんと、わけわかんない奴。こんなところ誰かにでも見られたら、変な勘違いされそう」
そうして金剛さんはため息を吐いた。変な勘違い、ね。それはないだろう。なにせ、俺と金剛さんだ。たとえ同じ底辺にいたとしても、彼女と俺には覆すことの出来ない線引きがある。彼女はボッチだが、それはただ標的にされているだけ。つまり他者によって作り上げられたボッチだ。だが俺は違う。俺がボッチなのは、俺がつくりあげたからだ。俺が望んだからだ。それは似ているようで、まったく違う。ネタにでもされない限り、そんな憶測は飛び交わないだろう。
まぁ、金剛さんにとっては、ネタでもそんなことを言われるのは不本意だろう。だから、俺は早々に退散することにし立ち上がる。
「努力かどうかはともかく、金剛さんは自信を持った方が良い。目に見えてる結果だけで言えば、間違いなく可愛いから」
そう。目に見えている結果だけで言えば……。だからこそ、彼女はもっと目に見えるステータスを持つべきだと思う。人は目に見えてしまうものを決して無視など出来ないのだから。だからなのだろう。金剛さんに可愛いと言うのは全然恥ずかしくなかった。そこにあるものを、ただ唱えただけだからだ。ということはつまり、恥ずかしそうに男が女に「可愛い」と言っているのは、可愛くないからなのかもしれない。うわぁ……じゃあ、恥ずかしそうに「カッコいい」とか言われたら「カッコ悪い」ということか。また、知らなくても良い世界の真理を解き明かしちゃったよ。俺カッけぇー。
「――天津くん!」
意味もない真理について解き明かしていると、金剛さんから呼び止められた。つと、足を止めて振り返る。
「……ありがとう、なんか」
「別に……なにもしてない」
俺はそれだけ答えた。
礼など言われる筋合いはない。俺は目に見えることは何もしていないからだ。ただ、俺が見て考えたことを彼女に話しただけ。それだけなのだ。……だが、そんなことを話した俺もどうかしてるとは思う。いつもの俺なら、こんなこと話すことさえなかった。
それをしてしまったのは、やはり見てしまったからだろう。
ここで泣いていた金剛さんを。彼女が流した涙を。
だから、無視など出来なかったのだ。ほんと、女の子の涙ってズルい。
俺はそう結論付けて屋上の扉に手をかける。すると、扉は力をいれることもなく勝手に開いた。どうやら、金剛さんはしっかりと扉を閉めなかったらしい。
その時、下の階段からパタパタと足音が遠ざかっていくのに気づく。
なんとなく嫌な予感がした。




