変化
「別にあんたなんかに教えて欲しくない! 今まで話もしなかったくせに、こんな風になってから話しかけてくんな!」
結局、金剛さんは俺の提案を蹴った。刺々しい悪口もちゃんと添えて。それは間違ってはおらず、言い返すことすら出来なかった。そうなのだ。金剛さんの言う通りなのだ。
俺は金剛さんと話すらしたことないし、教室が一緒だから顔を合わせていたくらいだ。取り敢えずお互いの事を知っている、それだけに過ぎない。だから、こんな状況になって話しかけてきた俺は彼女にとってハイエナみたく映ったのだろう。
ハイエナは狩りよりも食べ残しを漁ることで有名だ。だから、霧島に敗れ、クラスの最底辺に落ちてきた彼女に接触したこと自体が、金剛さんにとって違和感でしかない。傷心につけ込んで近づいてきたと思われても仕方なかった。
俺のした行為は、金剛さんをもっと深く傷つけただけだったのだ。
もの凄い勢いで散らかった弁当箱を片付け、屋上から去っていく金剛さんを見ているしか出来ない俺。弁明も弁解も言い訳も反論すら与えてはくれなかった。だが、それを言ったところで理解などされるはずもない。彼女の猜疑心が強くなるだけだ。
だから、何も言えなかった。
「まぁ……いいんだけどね。別に」
屋上で呟いた言葉は下をコロコロと転がり、誰も見えない隅っこで息絶えたような気がした。
そうして俺は屋上をあとにする。何もなかったのだ。いつもの屋上だった。そう言い聞かせ、またいつもの日常へと回帰した。
その直後の授業。科目は数学。
教師が、先週やった復習だと言って黒板にいくつかの計算式を書き、何名かの生徒を指名した。それは先週の授業で出来なかった問題。そして、指名された生徒は前に出てそれを解かなければならない。だからその教師は、そうやって出来なかった問題を、「解いておくように」と言って去るのが定番だった。ちなみにだが、俺は指名されたことがない。おそらく出来る子は指名しない主義なのだろう。だっておかしいもの! 最初の頃とかは出席番号順で指名してたのに、いきなり俺飛ばされたもの! もはや、名簿に俺の名前があるのかを疑ったレベル。それか俺の認識阻害能力が発動してたか。どちらにせよ、このクラスで唯一俺だけがその教師から指名されたことがない。唯一、というとなんか選ばれた存在みたいでカッコいい。選ばれない存在に選ばれた存在。きっといつか、俺は世界を救うんだと思う。
そんな悦に浸っていると、指名された者たちの数人は、頭の良い奴とノートを交換していた。彼らのノートに書かれてある正答を黒板に書き移すためだ。もちろん俺は交換相手に選ばれたこともない。あれだ……簡単にノートを貸しちゃうと、そのノートの所有権が相手に移っちゃう可能性があるからね。だから、貸さないように身を潜めてるだけ。この世界の平和は俺が守ってる。新世界の神など許しはしない。……なんだよ、俺はもう既に世界を救っちゃてたんだな。
その指名された生徒の中には、金剛さんがいた。彼女は少し辺りを見回してから、最後に俺を見つける。……まさか、交換するのか……? なんて考えがよぎったが、あまりに金剛さんとは離れている為さすがにそれは不可能。そうして、彼女は立ち上がり他の生徒たちと共に黒板に向かう。
まだ気怠さの残る五限目。彼らは各々のペースで黒板に解答を写し始める。
そんな中で一人だけ、チョークを黒板に押し付けたまま動かない生徒がいた。
「――金剛どうした? 分からないなら分からないでいいぞ」
既に最後の一人になっても動かない彼女に、教師はそう声をかける。
「わかりません……」
「戻っていいぞ」
そうして、ようやく動き出す金剛さん。
「分からないなら、他の奴等に聞くなりして解いておくようにな。こういうのが授業の遅れに繋がるんだぞ」
自席へと戻る彼女に向けられた言葉。他意はないのだろうが、それは今の金剛さんにとって、とても鋭く悪意ある言葉に思えた。
教師たちは、そうやって協力しあう事を、当たり前みたく強制する。授業はあくまでも授業でしかない。ついてこられなかった生徒を救済する時間にはあてられていない。だから、限られた時間内で、授業を進捗させることだけに多くの教師たちは重点を置いた。そして、その心根が無意識のうちに言葉として当たり前みたく出てくる。それが、どれだけの凶器になるのかも知らぬままに。
授業は何事もなく進む。もちろんそれは表面上のことだ。その裏では、口にすることすら恐ろしい何かが静かに侵攻している。きっとそれは、そのうち目に見える何かへと姿を変えて金剛さんに襲いかかるのだろう。今のままの彼女では、おそらくそれに太刀打ちすることすら叶わない。
それまでの彼女ならそうではなかったはずだ。可愛いを振り撒いて、許してもらっていたはずだ。だが、もうそれは出来ない。
授業の最中にチラリと見たが、金剛さんは固くペンシルを握りしめたまま、ただ座っているだけだった。何を思っているのか、何を考えているのかなどわかるはずもない。
そしてその事を誰も指摘しない。俺が出席番号を飛ばされても、誰も何も言わなかったように。
ただ一つ分かるのは、彼女もボッチとしての頭角を顕してきたということだけだ。認識阻害能力は、使う度に効果が半減していく。故に、教室に二人も使い手が現れたことで、この能力は使い物にならなくなっていくのだ。
悪い芽は早めに摘み取っておくに限る。彼女は、ボッチとしての潜在能力を有している。
本当の強者は油断などしない。どんな相手に対しても、自分にとって脅威に成りうる事を常に考えている。だから、あらゆる手段を用いてそれを防ぐのだ。
手段は選ばなければならない。手段を一歩間違えば目的にすら到達することは出来ない。だが、選ばれることのない俺が手段など選べるはずもない。
では、どうするのか?
選ばせればいいのだ。
放課後、俺はさっさと教室を出ていく金剛さんを追った。そして、人気のなくなったところで勇気を振り絞り声をかける。
「今度からノート、授業前に見せてやろうか?」
彼女は立ち止まってゆっくりと振り向いた。怪訝そうな表情が俺に向けられる。
「そうすれば、授業で恥をかくこともない。たぶん、もうみんなは見せてはくれないぞ」
その表情が分かりやすい怒りに変わっていく。なんかもう、謝って逃げたくなってくる。
彼女はしばらく俺を睨み付けていたが、やがて口を開いた。
「お断りよ。誰が……あんたなんかに」
そう言い、背を向け歩きだす。
「なら、自分でやれるのか!?」
最後、問いかけた言葉に彼女は一瞬止まったあと、もう一度振り返って俺を見る。その顔には何かしらの覚悟が宿っているように思えた。
「当たり前でしょ!!」
叫んだ言葉のあとに、金剛さんは俺にあっかんべーをして走り去る。今時あっかんべーなんてする奴いたんだな……。にしても、さすがは可愛いさステータスを持つ金剛さん。あっかんべーの仕草、角度、立ち姿。どれを取っても完璧なあっかんべーだった。そして、さすがは選ばれない存在に選ばれた俺。やはり、彼女は俺を選びはしなかった。
やはり、俺はいつか世界を救うのかもしれないな。




