バドミントン二戦目
「さすがにチーム替えしないとバランス悪すぎよね」
日向舞は、俺の買ってきたジュースを飲み終えてからそう呟いた。どうやらワンゲームでは満足出来なかったらしい。もちろんそれは、ワンサイドゲームにしてしまった俺の責任でもあるため文句は言えない。強すぎたのだ。主に俺の能力が。
「じゃあ、今度は私とする? 舞ちん」
初めて日向舞とりんちゃんの会話を聞いた気がする。そうか。舞ちんと呼んでいるのか。なぜ女子とはこうも名前の下にちんとか付けたがるのだろう。なんだか今日はいけそうな気がして勘違いしてしまうから止めてほしい。というか、そのお誘いのセリフは俺に欲しかった。
「俺は今度、舞ちゃんとやりたいけどな?」
あー、卑猥な思考に浸かっていたせいで、霧島の言葉ですら変に聞こえてきた。というか、だんだん露骨になってきたな、こいつ。
見ればりんちゃんは、分かりやすくその言葉に動揺していた。真の気持ちを隠す気もない霧島は、そんなことには目もくれず日向舞だけを見続けている。
日向舞はすこし訝しげに霧島を見てから、俺の方を見てきた。なんとなく罪悪感にさいなまれて視線を逸らしてしまう。それを取り繕うように言葉を吐き出した。
「あー……、まぁ、俺はりんちゃんとも……組んでみたいな」
「うわっ」
日向舞……うわってなんだよ、うわって。こうすれば偏ったように見える好意を分散させられるだろうが。まぁ、偏ってしまっているのは、圧倒的に好意を寄せられてない人間がいるからなのだが……。だが、選ばれないという事実は少なからず心にくるものだ。こうして俺がりんちゃんを選んでおけば、霧島の露骨な好意も薄められるというわけである。
「さすがに霧島くんと天津くんが組んだら勝てないものね……」
大丈夫だ日向舞。その時は俺が遠慮なく足を引っ張らせてもらう。普通に戦ってさっきの結果だったんだ。本気を出せば負けることぐらい造作もない。
「じゃあ……男女ペアのままチーム入れ替えて、もう一戦だけやろっか」
「オーケー」
「……うん!」
元気よく頷いてはいたが、りんちゃんからはどうしたって拭いきれない感情が滲み出ていた。もしかしたら、彼女は薄々感づき始めているのかもしれない。ここまで懸命に霧島と話をしていた彼女だ。それくらい気づいてもおかしくない。
「じゃあ、舞ちゃんは前で俺が君の後ろを守るよ」
さりげない霧島の打ち合わせ。だが、それは先ほどのりんちゃん霧島ペア間ではなかった気がする。開いていく差。そしてそれを一番に感じているのは、彼女自身だろう。
「おっ、俺が邪魔にならないようにするから、りんちゃんは好きなようにやっていいぞ」
「え……いや、それはさすがに」
こちらも負けじと打ち合わせをしてやる。だが、何故かりんちゃんに引かれてしまった。何故だろうか。好きなようにやっていいというのは、誰にも縛られない自由だというのに。もしかしたら邪魔にならないよう頑張ろうとする俺を心配してくれたのかもしれない。優しい子だ。
「なら、指示をくれた時だけ俺が取る」
「あー……わかった。じゃあ、名前を呼んだら取って」
「おぉ」
かくして、バドミントン対決の二戦目が幕を上げた。先ほどの俺は霧島を打ち負かす為だけに戦っていたが、今回はりんちゃんの邪魔にならないことだけに専念する。目的が変われば戦い方も変わってくる。彼女が右にいけば俺は左に動き、彼女が前にいけば後ろに下がった。
そして。
「天津くん!」
「あいっよっ!」
名前を呼ばれたら取り敢えず打ち返した。先ほどみたく、狙い打とうとはしていないものの、運良くシャトルは日向舞のラケットを潜り抜けて相手コート内に落ちる。
「はっ!? なんでさっきと動きが違うの!? おかしくない??」
おかしくないおかしくない。おかしいのは今の空振ったお前だろ。
「どうやら、天津くんとりんちゃんの相性は良いみたいだね?」
黙れ霧島。そうやって印象操作をしようとするな。ボッチは誰とも相入れないんだ。
「今から負けたときの言い訳か? だが、残念だったな霧島。俺に負けたという事実は、どうやったって拭いきれない汚点だぞ?」
「うわぁ……ごめんね、しょうりん! そんな奴と組ませて!」
「大丈夫だよ舞ちん。私、勝負事なら結果しか見てないから」
そうやって腰を落とすりんちゃん。こうして見ていて思うが……いや、一戦目からでも分かってはいたが、彼女は抜群に運動神経がいい。素早いからコートの端から端まで縦横無尽に駆けているし、どうやるのかは知らんが、かなり高いジャンピングスマッシュを軽々と繰り出している。
己の身体を百パーセント支配できているのだろう。だから、自分が追い付けない攻撃には動くことすらしない。
代わりに。
「天津くん!」
俺の名前を呼ぶだけだ。俺はそれに応じて動けばいい。点は取れずとも、負けないように繋げることだけはできる。
一回、日向舞が打つ前に彼女は俺の名前を呼んだ。その瞬間、日向舞の動きが鈍り、ピッチャーフライみたく上がったシャトルを、りんちゃんは容赦なく相手コートに叩きつけた。
「ごめん舞ちん。天津くんを狙ってるのバレバレだったから、カマかけちゃった」
「うそ……」
この俺を出汁に使うとは……なんて恐ろしい子っ! りんちゃんはコートの中で楽しげに笑う。どうやら、こういったゲームや勝負事は大好きらしい。先ほどまでの不安そうな表情は消え、そこには紛れもないコートの女王が君臨していた。
「……ちょっと本気出すよ」
これには、さすがの霧島の闘争心にも火をつけてしまったらしく、試合は激化していく。それはダブルスだったはずなのに、霧島とりんちゃんのシングル戦みたくなっていた。
俺も日向舞も、互いのエースの足を引っ張らぬよう必死にシャトルを拾うだけだった。
そんな時である。
「――きゃっ!?」
俺が高くあげてしまったシャトルを、霧島と日向舞が追いかけて互いにぶつかってしまった。霧島はさすがというべきか、ラケットを捨てて日向舞を受け止め、二人はもつれあったままコートに転がった。それを見ていたりんちゃんは、すぐにそこから視線を逸らす。
「怪我はない?」
「あっ……ありがとう……霧島くん」
「いや、俺の方こそ周りが見えてなかったよ。ごめん」
「いや、私が気をつけていれば――」
……はぁ。
「よっ!」
俺は新しくシャトルを取ってポーンと相手コートに落とす。それから「はい一点な」と点数番を一枚めくった。元の位置まで戻ると、三人とも呆然とこちらを見ていた。
「ちょっ、ちょっと! 今の卑怯すぎない?」
「え? 卑怯……? どこがだ?」
「今、私たち倒れてたじゃない! どうやったって、今のを取るのは不可能だわ!」
日向舞の反論に、俺は鼻で笑ってやる。
「不可能? おいおい、今お前らが倒れてから何秒経ってたよ? すぐに立ち上がれば十分に追い付ける距離だったと思うが?」
「君には……スポーツマンシップというものがないのか」
霧島の言葉にも俺は肩を竦めるしかない。
「スポーツマンじゃないんでな? あと、それを言うならコート内でいちゃつくのもスポーツマンとしてはどうかと思うぞ? 羨ましかったし、俺には到底叶いそうにないから、せめてもの不幸を味あわせる為に隙をついたまで、だ」
「理由が最低だし、ただの妬みじゃない……」
「俺は自分がいかに最低かを理解しているからな。いくら貶されようと全く気にならない。むしろ、俺を貶せば貶すほど、負けたときに悔しくなるのはそっちだぞ」
「……あまりにクズ過ぎて驚きを隠せないわ」
「なら、さっさと立ち向かってくることだな。寝ている暇なんてないぞ」
「無得点のくせに、偉そうなのが腹立つ」
「いやいや、今取ったから一点」
「その一点のせいで多くを失うなんて……可哀想な人」
「残念だったな? 俺には失うものなんてもう何もないんだ」
可哀想というのはただの私観だ。それを勝手に当てはめようとするのは傲慢だ。人によって価値観は違うし、考え方は異なる。だから、俺が可哀想で残念だというのはあくまでも日向舞の論説であり、真実じゃない。
失うものがなにも無い者は、何かを守る必要もない。それは、なにかを守る為に自分が傷つくことは決してないことを意味する。故に最強、俺最強。
「さぁ、続きをやろうぜ」
俺はそしらぬ顔でラケットを構える。日向舞も霧島も、諦めたように位置につく。ただ、りんちゃんだけ穴が開くほどに俺を見つめていた。卑劣な手で点を取ったことに怒っているのかもしれない。だから、怖くてその表情まで読み取ろうとすることはしなかった。
なにはともあれ試合は再開される。本気になった霧島は強く、それに対抗するりんちゃんも凄すぎた。なんかもう……次元が違いすぎて凄すぎた。
接戦が続き、体力だけでなく精神もガリガリ削られていく。ワンゲーム目は霧島、日向舞ペアが。二ゲーム目は俺とりんちゃんペアが。そのどちらもほぼフルで点を取り合っていた為に、三ゲーム目は序盤からへろへろである。
結局、その試合も点の取り合いで続いていく。
りんちゃんは宣言していた。「負けたらもう一回する!」と。勘弁してくれ……それか俺抜きでやってくれ。負けず嫌いは結構なことだが、俺を巻き込まないでほしい。
にも関わらず、俺とりんちゃんの連携は経験を積むごとに良くなっていく。それが楽しそうであっただけに、俺だけ抜けるのはなんか憚られる気がした。だから、ここで終わらせるために足を動かす。ラケットを振り、一つでもシャトルを拾った。
そして、こちらのマッチポイントで迎えた最終局面。見れば日向舞は今にも倒れそうで、反して霧島にはまだ余裕が見えた。それは俺とりんちゃんにも言えること。ほんと……この子、この小柄な体のどこにそんなパワーを隠し持っているのか。
ラリーの踏襲が続き、りんちゃんが打ったジャンピングスマッシュ。それは霧島の守備範囲内へと向かい、しかし、彼の技術ならばまた返ってくるだろうと予測する。
だが。
「しまった!」
霧島はそれを空振りしてしまう。ここに来てのイージーミス。シャトルは地に落ち決着する。
勝ったことよりも、終わったことに安堵した。日向舞も膝から崩れて息を吐いている。霧島はすこし悔しそうな表情で、「完敗だ」と爽やかに笑っていた。それをりんちゃんはすこし、何故か残念そうに見つめていた……。
そのあと女性二人は汗を拭うためか、一緒に更衣室へと行き、男二人だけが取り残された。
「良い試合だったね」
霧島が話しかけてきて、いまだ座り込んでいた俺へと手を差し出してきた。その手を俺は払い、自分で立ち上がる。
「――最後わざと落としただろ。下手くそ」
それに霧島は、顔色を変えることなく頭をかいた。
「バレてたのか」
「たぶん、りんちゃんにもバレてたぞ」
「そっか。でも舞ちゃん限界そうだったし、あれが最善だと思ったよ」
それを優しさとして終わらせるなら、最後まで貫き通すべきだ。そもそも、それはバレないようにするべきだ。優しくするのは相手の為じゃなく、相手を想う自分の為なのだから。
だから俺は言ったのだ。下手くそ、と。
俺を見倣え。やり過ぎて拒絶されてしまえ。
それが出来ないなら、最初からそんなことをするな。
まぁ、でも。結果論から言えばの話だが。
「……助かった。俺ももう限界だったんだ」
それを言わなければならない事が悔しくてならない。それでも一応言っておいた。