それは沼
俺が金剛さんを屋上から追い出した日の放課後。
もう、彼女からの接触はないだろうと思っていたのだが……。
「天津くん、途中まで一緒に帰ろ」
金剛さんは、なんの躊躇いもなく俺に話しかけてきたのである。
それも、仲良くすべきクラス連中がいる前で、だ。
「あー……待て。それはおかしい」
「おかしい……? なにが?」
こめかみを押さえながら呟いた一言に目の前の彼女は首を傾げた。顔は見てないが、視界にあった彼女の髪がそんな感じで揺れ動いたから間違いない。
「あれ、たしかさっきクラスの人たちと仲良くするって言ってませんでしたっけ?」
そうして顔をあげると、やはりそこには予想通りの表情。
「うん。それが何?」
「いや、だからさ……」
それを説明しようとしてハッとする。まだ教室に残っていた者たちの数人がこちらを凝視していることに気づいて。
「……とりあえず出るか」
そんな視線から逃げるように教室をでた。いつもは誰からも気に止められない行動なのに、なんとなく監視されているようで心地が悪い。
「ちょっと待ってよ」
歩くスピードが早かったのか、後ろからそんな訴えが聞こえた。
知らん。一緒に帰りたいなら君があわせたまえよ。そんな意志を込めて速度は弛めずにおくと、かけ足が並走したあとにムッとした金剛さんの顔が斜め前から覗く。
それにすら気づかぬフリしてなおも歩みを進めていると、突然わき腹に痛みが走ってしゃがみ込んでしまった。
「ッッおま……急になに、を」
「天津くんが無視するからでしょ?」
わき腹を押さえて見上げれば、そこには犯行に使用したと思わしき拳を握る仁王立ちの金剛さん。
「……声をかけても反応がないときは、肩を叩いて確かめるのが順当なやり方って保険の授業で習わなかったのか」
「それって心肺蘇生法のこと? 天津くんピンピンしてるじゃん」
「社会的に見れば虫の息だろうが……俺はボッチだぞ」
「ボッチって、声かけたら喜んで飛びついてくるのが普通でしょ?」
「あぁ……その後にだいたい裏切られて絶望するやつな? ほんと、飛んで火にいる夏の虫。って、やかましいわ!」
「うわぁ……このひと、一人でボケてツッコんでるよ」
「あの、やめてくんない? その反応。傷つくからさ」
まるでイタイ人でも見るような態度でこちらを見下げてくる金剛さん。こちらは、少しでも無傷であることを証明するため空元気を装ってるだけなのに。
それはあなたが罪悪感に苛まれないためなんですよー? わかってますかー? 金剛さーん??
ここで俺がのたうち回れば、彼女は殴ったことを後悔するだろう。
それをさせないために強がっているというのにまったく……。ボッチは自分の痛みよりも相手の感情を先読みしてしまう癖があるから困ったものだ。
ほんと、ボッチって報われないね! だが、そこがカッコいい。
「なに考えてるのか知らないけどさ、その一人で納得して笑ってる感じキモいよ」
「……お前あれだな? 少しは相手の感情を先読みしたほうがいいぞ? じゃないと友達なくすから」
「友達いない人に言われたくないんだけど」
「ド正論パンチやめてくれ。人を殴っていいのは、殴られる余地を残せる奴だけだ」
じゃないと一方的な蹂躙になっちゃうからね! 今の俺みたいにね! ……ヤバいな。自分が有能すぎて怖い。そろそろ左目に何かしらの能力が宿りそう。たぶん、それは相手の目を見ることによって発現する能力なんだろうけど、一定時間相手と目を合わせていられないから無用の長物で終わりそう。
そんな思考にかまけていると、ようやく痛みがひいてくる。
立ち上がるとまだズキズキとしたが、我慢できないほどじゃない。
というか、まぁ、もとはといえば俺が悪いのだから文句も言えない。
目の前で怒りを滲ませる金剛さんにため息を吐いてから告げた。
「なんで俺に構うんだ」
***
クラスの人たちと仲良くする。それはつまり、俺とは仲良くしないことを意味する。
なぜなら、俺がクラスの輪に入っていないからだ。……ちなみにだが、入れていないのではなく入っていないだけ。ここ超重要。テストにはでないけど。
そしてそんな俺は、たとえ教室にいるクラスメイトであったとしても輪の外にいる以上クラスメイトとは呼びがたい。
では何と呼ぶのか? 仲が良くない人だ。
仲が良くない人には普通話しかけない。一緒に帰ったりもしない。
だからこそ、金剛さんが俺に話しかけてくることもないと踏んでいたのだが、どうやら彼女の解釈は違ったらしい。
「――それで天津くんに話しかけなくなったらさ、私すっごい嫌な奴じゃない?」
「嫌な奴でいいだろ。取捨選択は大事なことだ。友達は選べとも言うしな?」
「なんで天津くんが私の選択を勝手にしてるわけ? 友達を選ぶ権利は私のものでしょ?」
今もなお怒っている金剛さんに、俺は「分かってないな」と再びため息。
「たしかに選ぶ権利はある。だが、その権利は他の奴らにもあるだろ。つまり、俺たちは選ばれる側でもあるわけだ。だから、そのための努力を惜しんではならない」
「努力って、媚びろってこと?」
「それも手段の一つではある。だが、金剛さん媚びるの嫌いだろ」
「うん」
「じゃあ、他の手段を取るべきだ」
「他の手段って?」
「相手と同じ側にたつ。それさえしていれば、おそらく向こうから勝手に近づいてくるだろ」
友達をつくる例として代表的なものに高校デビューなるものがある。だが、この作戦の実態を分かっていないがために失敗する者も少なくない。
この作戦には必要不可欠なことが一つ。
それは魅力的であること。魅力的であれば何でもいいのだ。面白くてもいいし、可愛くてもいい。ただし、これにはもう一つ必要不可欠な条件というものがある。
それが、同じ側にいるということ。
「そもそも、金剛さんが他の奴らからハブられたのは他の奴らと同じ側にいなかったからだ。決して霧島だけのせいじゃない」
霧島がやったのは、金剛さんと敵対しただけのこと。その敵対と同時に皆が普段から思っている共感を取り上げただけに過ぎない。
……いや、まぁ、それができるのは霧島くらいだろうし、アイツのせいではあるんだが。うん、やっぱ全部霧島が悪いな!
「たまに授業中に騒いで妨害する奴いるだろ? あれも二つに分けられる。『ウザい奴』と『憎めない奴』だ」
「あぁ、なんか中学の時にいたいた。あれでしょ? 自分面白いって勘違いしてる人でしょ?」
それ前者ですね……。というか言いかたが怖いです。たぶんその人ハブられたんでしょうね。聞かなくてもわかる。なんなら聞きたくない。
「中には上手くやってる奴もいる。そういう奴らは教師を選んでいるんだ」
「教師を?」
「あぁ。授業をしているのはあくまでも教師。その教師によっては最高に面白いギャグを披露しても、一瞬にして凍てつく大地に変えることができる。逆に言えば、クソつまらないギャグを笑いに変えることができるのも教師だな? 上手い奴ってのはそこを弁えてる」
「まぁ、言いたいことは分かるけどそれが何なの?」
「授業中で笑いを取る。それに必要なのはクラスメイトの側にいることじゃなく、教師の側にいるということなんだ」
だから、そういうのが上手い奴は頭が固い教師の前では絶対にギャグをしたりなんかしない。逆に、面白い教師の前でギャグを披露したとしても、最終的に美味しいところは教師にゆずっている。
「目の前の人を笑わせたり楽しませるっていうのは案外簡単なんだよ。相手を知っていれば、なにで笑うのかなんて嫌でもわかってくる。だから奴らは人を選んでいるわけだ。選ばなくても誰かを笑わせることができるのなら、お笑い芸人なんて皆売れてるしな?」
「たしかに。じゃあさ、今この場で私を笑わせてみてよ」
ふむふむと頷いてみせた金剛さんは、そんなことを俺に言ってきた。
「お前……それ一番言ったらダメなやつだぞ」
「なんで?」
「ハードルが上がるからな? 面白い話をしてと言われたあとに面白い話ができるのは本当にお笑い芸人くらいだ」
「でもさ、それじゃあさっきの話とちがくない? 目の前の私くらい笑わせられるんでしょ?」
そう言ってから鼻で笑う金剛さん。それ、笑ってるにカウントしませんか?
とはいえ、たしかにここで彼女を笑わせられなければ説立証とはならないだろう。それができなければ、俺の力説にも説得力はないわけだ。
仕方ないな……。
「笑わせることは難しいが、金剛さんを喜ばせることはできる」
「へぇ……どうやって?」
目をほそめ、腕組みをして勝ち気な笑みをたたえる彼女。だからさぁ、それもうカウントしてもよくね?
そうやって、身構えた金剛さんに俺はとてもベタな事を言ってみせたのだ。
「金剛さん可愛い」
「それが、なにか?」
もはや使い古された手ではあるもののやはり効果はあったらしいな。
気丈に振る舞う彼女だったが、その口元はすこし弛んでいた。
まぁ、これは金剛さんを喜ばせるというよりは女子を喜ばせる方法に過ぎない。なんか可愛いって言っておけば喜びそう。というか男がそうだからな? カッコいいって言っておけば大抵の男は落ちる。
ただ、これも相手を選ばなければならない。それを皮肉と受け取る女子もいるし、言った人によっては気持ち悪がられることもある。
だが、俺の観察眼ではこの言葉は間違いなく金剛さんに刺さる。
なぜなら、金剛さんが可愛いのは紛れもない事実であり、残念なことに本人がそのことを自覚しているからだ。……本当に残念。だからこんなにチョロいんだろうな……。
「金剛さん可愛い」
「そ・れ・で・?」
わざとらしく耳に手を添えて「平気ですけど感」を醸し出す彼女。そうやって俺のほうに向けている耳は真っ赤に染まっていた。下手くそか。
俺はその結果に満足してから彼女の横を通り過ぎる。見ていられない。言ってるこっちが恥ずかしくなってくる。
「ちょっと! まだ私を喜ばせてないんだけど!」
「その弛みきった顔でよく言えるな……」
「え? うそっ!?」
振り返って言うと、彼女は立ち止まって自分の表情筋に両手をあてている。いや、もうそれやった時点で弛んでるの認めちゃってるからね?
あまりにもチョロすぎた彼女に呆れる。ここまで説得しやすい奴もなかなかにいない。
「……話を戻すが、俺はどの女子にも可愛いなんて言うわけじゃない。金剛さんだから可愛いと言ったんだ」
「……は?」
「つまり、人を選んだってことだな。誰にでも言うわけじゃない」
「そ、それってつまり……さ」
「だから、金剛さんも人をみて立ち振舞ったほうがいい。俺に話しかけるのは、クラス連中にとって面白くないことだぞ」
相手を納得させたうえで理論を唱える。もはや彼女に反論する余地すら与えない完璧な理論だ。
「じゃあな」
話はこれまでとばかりに歩みをすすめる。
だが……。
「ねぇ! さっきの本当?」
なぜか、彼女はもう一度俺に追いついてきたのである。
「なにが?」
「だから、その……私にしか可愛いって言わないの」
もう強がる気もないのか、めちゃめちゃ嬉しそうにしている金剛さん。
この人、何を言っているのだろうか? 聞いてました? 俺の話。
「いや、さっきそう言っただろ」
「そっか。そっか……そっかぁ!! えへへ」
え、なに? 急に。怖っ。
完全に情緒が壊れた彼女にひいてしまう。どうやら効果があり過ぎると人はおかしくなるらしい。
というか、もはや心配になるレベル。この人、可愛いと言われただけで知らない男の人に付いていきそう……。
「お前、ナンパとか気をつけろよ……?」
「心配してくれてるんだ? 私が可愛いからッッ!」
「ん? まぁ、可愛いというかチョロ過ぎるというか……」
「そっかそっかぁ!! 天津くんは私のことが心配なんだぁ!! じゃあ、私を家まで送ってあげないとね!」
「……は?」
「ほら、帰ろッ!」
「あ? おい、ちょっ、待て!!」
その瞬間、金剛さんは俺の腕をぐいぐいと引っ張った。それは決して強くなかったものの、不意をつかれた俺の体は引っ張られてしまう。
「そっかぁ、そっかぁ!」
壊れたレコードと化した彼女には恐怖すら感じた。
こういう場合、無理に止めるのは悪手である。
昂ぶった気持ちを抑えつければ、その分の衝動が跳ね返ってくることを俺はよく知っている。
喜びが怒りに変わるのも、悲しみが幸福に変わるのも一瞬だ。
だから、人は恐ろしい。
「くふふふっ」
俺は、気持ち悪い笑いをしている彼女を止めようとはせず、自然にそれがおさまるまで待つことにした。
でもこれ大丈夫なのかねぇ。
通り過ぎる奴ら……めっちゃこっち見てくるんだけどさぁ……。
なんというか、俺のしている努力はやればやるほど空回り、どんどんと深みにハマっている気がしてならなかった。