偽物と本物
第一章後より分岐
本物と偽物、どちらに価値があるのか?
そんな疑問を投げかけられたとき、十人中十人がこう言うだろう。
本物だ、と。当たり前だ。本物のほうが価値があるに決まっている。そもそも偽物というは「本物に価値があるからこそ」あらわれるもの。
つまり、偽物があらわれた時点で本物に価値があるのは当然のことであり、偽物があらわれたからこそ、それを証明してしまっているようなものだ。
だから、そんな問いは愚問でしかない。
本物こそが正義。
そして、ボッチというものに本物と偽物が存在するとしたら、やはりそれもまた「本物こそが正義だ」と言えるだろう。
故に――。
「……金剛さん、そろそろここから出ていってくれ」
昼休みの屋上。そこで俺は、偽物ボッチである金剛麻里香にそう言ってみせたのだ。
「……なんで? まだ昼休み始まったばかりだけど?」
そんな言葉にたいし疑問符を浮かべる金剛さん。お弁当の白米をパクリと食べてなお、純粋無垢な表情でモグつかせている。そのあどけなさを表現するのならば「かわいい」の一言だろう。
かわいい、それもまた一つの正義ではある。かわいければ何でも許されるところがある。しかし、だからといってその正義で他の正義を侵害することは悪だろう。
そのことを彼女には知ってもらわなければならない。
「そういう事じゃない。ここは俺みたいな真のボッチがくるべきところだ。金剛さんのような偽物ボッチのくるべきところじゃない」
「私がどこにいようと私の勝手じゃない? ……ていうか偽物ボッチってなに?」
「言葉のとおり偽物のボッチのことだ。ボッチを騙る忌むべき存在、それこそが偽物ボッチ。お前のことだ金剛麻里香!」
俺は、まるで犯人を突き止めた探偵かのように、彼女に向かって指をさした。
そんな彼女はなおも首を傾げていたが、やがて俺の指を優しく握りしめ、
「ふーん、キモっ」
ポキリ、そんな音が指の関節から鳴った。
「ばっっッッ……お前、今ので指折れたらどうすんだ! お前、俺の介護してくれんの!?」
「別にいいけど。天津くん右利きだっけ?」
「残念ながら多数派の右利きだ」
「なんで残念がってるの……。それならお箸を握るのも右ってことよね」
「別に右利き左利き関係なく、お箸を握るのは右だがな」
左利きであっても、親からそういう教育を受ける人がいる。というか、そういう人が大半だ。左でお箸を持つ人がいるとすれば、それは親も左利きであるか、個性を重要視する教育方針かのどちらかだけ。
「なら、完全にその指折って私が天津くんにお弁当食べさせてあげる。ね? それなら良くない?」
「優しさを盾に俺の指を完全に折ろうと企むな。危うく騙されそうになるだろ」
「ほら、あーん」
「やめろ」
いたずらっぽく笑い、自分の箸で弁当の白米を俺へと寄せてくる金剛さん。それどういうことか分かってるのか? 間接キスってことですよ! 間・接・キッッス!!
彼女の偽物の優しさを払いのけた俺はため息を吐きだす。
金剛麻里香。彼女が屋上に入り浸るようになってから二週間ほど。
それは、とある事件から教室に彼女の居場所がなくなったことによるものだったが、もはやその事件性は薄れ、いまや彼女の地位は戻りつつある。
にも関わらず、ここに通い続けている金剛さんに俺は疑問を感じずにはいられない。
「お前を馬鹿にする奴はもうほとんどいないんだ。普通に生活していたら、またクラスの輪に戻れるだろ」
しかし、彼女は眉をひそめてからプイッと俺から視線を外す。
「別に戻りたくはないかな。また仲良くできたとしても、たぶん……それを私は素直に受け取れないし」
その横顔には悲しげな色が混じった。
まぁ、気持ちは分からんでもない。
彼女は一度裏切られている。人間の醜い本性をその目で、耳で、隠しようのない真実として経験してしまっている。
それをまるで無かったかのようにして振る舞うことは難しい。
裏切った者たちと、もう一度仲良くしようというのはとても……難しい。
気持ちは分かるのだ。痛いほどわかる。
それでも。
「お前はここにいるべきじゃない」
確信を持って、俺はそう言えた。
「なんでそういうこと言うかなぁ……」
「決まってるだろ。そのほうがお前の為だからだ。たとえ、それがどんなに嫌なことであったとしても、クラスの輪に入っておくメリットは大きい。会社の飲み会と一緒だ。どんなに行きたくなくても、行っておいたほうが人間関係を良好にできる」
「……ここは会社じゃないけど?」
「社会という観点から見れば大差ないだろ。みんな一緒だ。一緒じゃないのは、社会をあまり経験せず学生の延長線上で成り上がった教師の奴らだけ。奴らの唱える人間関係には耳を傾けないほうがいい。奴らは「生徒の味方」であろうとするが、「誰かの味方」にはなってくれないからな」
「意味わかんない」
「つまり、いくら性格の悪い奴でも「正しく学校生活をおくって、好成績を収めている者」の味方しかしないってことだ。なぜなら、それこそが奴らのいう「生徒」だから」
「不登校でも……成績が悪くても生徒は生徒じゃん」
「まぁ、そうだな? だからそういった者たちにも便宜上は手を差し伸べる。だが、味方になるかどうかは別の話。教師も人だ。エコヒイキぐらいする」
「あんまり聞きたくなかった……そういうの」
「教師に限った話じゃないさ。誰かが自分を助けてくれるなんて思わないことだ。たとえ、それが家族であったとしても。そういう考えさえ持っていれば、みんな自分で立ち上がれる。というか、そうするしかない。金剛は知るべきだ。誰もが誰かを助けようとするわけじゃない。それを助けるのは、助けたいと思わせる理由があるからだ」
「理由……ね」
「あぁ。ちゃんと学校にきていて、ちゃんと成績をおさめている奴を教師は放っておかない。それが助ける理由になっているからな? その上で、クラスの輪に入っているならなおさら。お前はそういう理由を集めたほうがいい」
「なんか、天津くんの世界って生きづらそう」
「生きづらいに決まってるだろ。ボッチだぞ? 俺は」
「そういうんじゃなくてッッ! なんか……かわいそう」
その「かわいそう」に俺は少しイラついた。哀れに思われる筋合いはない。同情される筋合いもない。
それは俺が好んで選んだ生き方だからだ。
「俺は……お前の方こそ勿体ないと思うがな。クラスの輪に戻れるくせに、戻ろうとしないお前を」
彼女に対して『かわいそう』という言葉は使わなかった。それを使えば傷つくのが分かっているから。意趣返しとして、わざとそういうことをする者もいるが俺はしない。傷つくのは、痛みに慣れている者だけで十分だ。
「他の人と仲良くしても……もう心から仲良くはできないかな。それでも戻るべき?」
上目遣いで窺うような彼女の視線に、俺は戸惑わないうちに頷いてやる。
「それでもだ」
「そっか。……でもさ、それって天津くんのいう偽物じゃないの?」
だが、彼女の返しに戸惑いが生じてしまう。思わず見返した金剛の瞳はまっすぐに俺へと向けられていた。
驚いたな……。それが素直な感想。
「ならさ、本物を求めてここに居るほうが、ずっと良くない?」
それに俺はどう答えるべきか分からなくなる。
それは、俺の掲げる正義そのものだったから。
そうしてようやく気づいた。
金剛が屋上にきている理由を。
彼女は、偽物ボッチとして屋上にきているわけじゃない。教室で皆とわいわいすることこそを偽物として、ここにきているのだと。
彼女が求めた本物を求めて……ここに来ていたのだと。
「天津くんはさ、こんな私を助けてくれたじゃん? それに私は感謝してる。そして……うまくは言えないんだけど、とても良いと思ってる。それじゃダメなの?」
追い打ちをかけるような言葉。もちろん、返せる言い分はない。
それでも、俺は金剛がここに居続けるべきてはないと思える。
それは確かなこと。
だからだろう。
俺は……嘘をついた。
「まぁ、本物と偽物の議論をするのなら、実は偽物のほうが価値があることもある。お前が心地良いと思う関係より、演技して偽る関係のほうが良いこともある」
「それってキツくない?」
「キツイに決まってるだろ。だが、そのほうが絶対に良い。俺はそう、思う」
それはきっと嘘だからだろう。明確な持論を唱えられず、曖昧に『良い』という言葉で濁すしかない。その濁りを隠すためだけに『絶対』なんて胡散臭い言葉で言い切るしかない。
そうやってつくづく思うのだ。俺は嘘が下手くそだ、と。
「そっか……そっか」
幸いなことに、その辺を金剛さんは突いてこなかった。そのことに少しだけ安堵する。
「わかった。もう一度クラスの人たちと仲良くしてみるね」
そして、その嘘で丸め込んだことに罪悪感を感じてしまうのだ。
「あぁ。お前なら大丈夫だろ」
なにせ、彼女は偽物ボッチなのだから。
だが、それは言わずにおく。その『本物と偽物』論を取りあげれば、俺の嘘は立場を弱くしてしまうから。
「ちなみにさ……さっきの話で言えば、天津くんが私を助けてくれたのって、助ける理由があったからでしょ?」
不意の質問。それに俺は「ん? あぁ」なんて適当な返事をしてしまった。
「それってなに?」
「それって……」
俺が金剛を助けた理由。それはたぶん『自分のため』。
自分がそれを許せなかったから……だから、俺は彼女を助けた。
だが、それをそのまま言うべきではないと思った。
俺は真実こそが強いと信じているが、その強さと価値が比例するわけじゃない。
本物より偽物のほうが価値があることもある。
自分で述べたその嘘を強くするためだけに、俺はもう一度嘘をついたのだ。
「可愛いからだな」
「……へ?」
「金剛さんが可愛かったから。ブスなら助けてなかった」
最低な理由。それを理解しておきながら、俺は笑顔でそれを言う。
「は、はぁ? いきなり……な、なにを」
「だから、俺でなくても誰かが金剛さんを助けていたはずだ」
俺でなくても、そこを強調した。
その瞬間、うろたえていた彼女の表情が少しだけかたくなった。
「俺に金剛さんを助けた理由なんてない。助けた理由は、金剛さん自身にある。可愛いかったから、ただそれたけだ」
彼女のかたくなった表情に一縷の嫌悪が浮かんだ。それを確認して、俺はさらに笑みを深くする。
「可愛いは正義だな。俺はその正義に準じただけのこと」
「最低」
「最底辺の間違いだろ? 評価は正しくつけてくれ」
「はぁ。もういい」
彼女は食べかけの弁当を片付けると忙しなく立ち上がる。
それを俺はぼんやりと眺めていた。
そうして彼女は屋上から出ていく。出ていく間際、金剛さんの口から「嘘つき」という言葉が聞こえた気がしたが、まぁ、たぶん気のせいだろう。
もう、彼女がここにくることはない。
それは良いことだ。
たとえ、偽物であったとしても。
俺は強く自分にそう言い聞かせた。