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彼には遠く。それは、彼女にさえ。

 温和なスポットライトに当てられた時計台が午後七時五十分を指していた。園内に敷き詰められた屋台のどれにも列が出来ていて、中央のテントは賑わいを見せていて、そして、俺だけが何もない場所で立ち尽くしていた。


 りんちゃんは公園から出て駅の方に行ってくれている。俺は彼女と別行動で日向舞を探していた。見つかるはずなどないのに、それでも探さなければならない。


 俺は前に一度日向舞を探した経験があるが、その時は見つけることが出来なかった。たぶん、今回もそうなのではないだろうかと、心のどこかで思っていた。


 日向舞が行きそうな場所。そんなの思い付くわけがない。


 ただ、何となくだが……予感(・・)はあるのだ。


 前に日向舞を探したときは闇雲だった。手掛かりなどなかったから、ガムシャラに探すことしか出来なかった。


 今回も、ハッキリとした手掛かりがあるわけじゃない。どこに行けば見つけられるのか確証があるわけでもない。


 それでも……やはりそれは曖昧だからこそ、予感と呼ぶべきなのだろう。


 俺には、僅かばかりではあったが日向舞と過ごした時間がある。とても普通とは思えない悩みを、共に悩んでみた時間がある。


 その時間だけ、俺は日向舞とナニカを通わせた。


 そのナニカが、まるで吸い寄せるように俺を動かそうとする。


 推理なんかじゃない。理論なんかでもない。理屈でも、憶測ですらない、それはきっと感覚にも似た形のないもの。


 この場所は、あまりに光が溢れ過ぎている。もうとっぷり日も暮れて暗いはずなのに、容赦なく照らし出される強い光の数々。まるで、自分の全てがさらけ出されようとしているかのような心もとない気持ち。


 向かうのなら闇だ。俺が……彼女が許せる光は、きっとあの日の夜に降り注いだ、もっと生暖かで優しい月光。


 ここに居続けるのは辛い。だから、たぶん……日向舞はここにはいない。


 公園内を探して! と、りんちゃんに言われたが、俺は公園を離れた。公園はかなり広かったが、そのどこにも彼女はいないような気がして。


 そうして公園を出る。だが、今度は街の光が顔を出す。そこから逃れるように闇へ、闇へと足を運んだ。


 大通りから少し離れると、狭い路地道がいくつもあったが、花火大会のせいなのか、それでも人通りは多くあった。全然掃除がされてないレンタルビデオ店の看板ですら、チカチカと光を発している。もはや光がない場所なんてあるはずもない。近代都市日本は、宇宙から見て輝くほどに光が溢れている。


 それでも、ふらふらと足は闇へと向かう。公園からはかなり離れていて、こんなところまで範囲を広げることよりも、公園内から、そしてその近くから少しずつ探していく方がとても賢いことのように思えた。そして、前の俺ならそうしていたはずだ。


 ただ、たとえそれが日向舞にたどり着かずとも、そうやって闇を追い続けることは、間違っていないように思えるのだ。


 光のない場所へ。それが無理なら、もっと許せる光のある場所へ。


 そうやって暗がりへと進んでいく。進めば進むほどに、この世界に真っ暗な闇はないのだと痛感する。


 それでも……今の自分が隠れられる……隠してしまえる暗がりへ。



 そしたら、奇跡が起こった。



 俺は奇跡なんて信じたくないから、きっとそれは必然なのだと瞬時に思い込ませた。それでも、薄明かりしかなく車も殆ど通らないような道の角に、見覚えのある浴衣が丸くうずくまっていた。


 笑ってしまいそうになった。なんで、こんなにも呆気なく見つけられたのかと。


 その浴衣に近づいて、ハッと我に返る。どう声をかけてやれば良いのか考えてなかったから。


 だから、近づいた足を戻して静かに立ち尽くした。


 それでも、諦めて俺は近づいていく。


 何を言えば良いのか分からない。分からないが、それでも吸い寄せられるように。


 それはやはり、あの夜の海辺の感覚に似ていた。


 日向舞は、声を圧し殺して泣いていた。


 誰にも見つからぬように、必死に自分を覆い隠そうとしていた。


 そんな彼女が俺に気付いて、ビクリと顔を上げる。暗がりのお陰で、顔はハッキリとは分からない。


「なんで……ここが……」


 今にも脆く崩れてしまいそうな声。


「さぁな……俺にもよく分からん」


 なんで彼女を見つけられたのか、俺にさえ分からない。


 そして、言うことなど考えもつかないから、俺は静かにそこに座る。


 汚いアスファルト。黒カビが覆う壁。ポイ捨てされたタバコの吸殻が潰れていて、生臭い風が時折運ばれてくる。


 そんな中で、俺は日向舞と共にいた。


 そして、思い出したようにスマホを取り出し、りんちゃんにLINEをする。


――見つけた。時計台で待っててくれ。


 それを送り終えてから、俺はそこに腰を据える。


「……ごめんなさい」


 彼女が言った。


「……ごめんなさい」


 もう一度。


「なんで謝る? 謝らなきゃならないのは、きっと俺なのに」

「こんなつもりじゃなかったから……。私はみんなの事を考えて……良かれと思って……」

「それで良いだろ。結果が思い通りにならなかった。ただそれだけの話だ」

「でもっ、私は、本当にそんなつもりじゃなかった。別に……あなたの気を引くつもりもなかった。むしろ、引かないようにしてた。気付かれないように……してた」

「全然気づかなかったが?」

「それで終わらせるつもりだったの。これで最後にするつもりだった」


 そうして俺は、引っ掛かっていたことを聞いてみる。


「LINEでも言ってたよな? 最後にするって。だが、俺が知るお前は、金剛さんも含めて最後にするような奴だと思ってた。だから今日……彼女も呼んでるんだと思った」

「それだと……なにも変わらないじゃない。今日終わらせようとしたのは、あなたとしょうりん。金剛さんは……学校でいつでも会えるでしょ」

「あぁ……なるほど」


 だから、日向舞が最後にすると言ったのは、俺とりんちゃんの事だったのか。考えてみれば、俺と金剛さんは二学期も三学期も……まだその先でも、また終わらせられるから。


 だが、彼女が願ったせめてもの結末は、失敗に終わる。


 俺も、きっと彼女ですら予想もしてなかった顛末で。


「答え……口にした方が良いか?」


 なんの答えなのか、日向舞は理解したはずだ。ピクリと体が動いたから。


「待って。それを言うのなら、ちゃんと私から言わせて」


 もう答えなんて言わずとも分かってるだろう。だから、敢えて口にする必要もない。だが、それが分かっていても、取り敢えず形だけはつくる。やはり、日向舞はそうやって在るべき形を望み続ける奴なのだ。


 ごしごしと浴衣で顔を拭う。そんなことしなくても、顔なんてよく見えやしないのに。それでも、やはり彼女は整えようとするのだ。


 だが、拭った顔ですら不満だったのか、日向舞は顔をこちらには見せない。その代わりに、俺の服の端しっこを、ちょっとだけつまんでみせる。


 深呼吸の音だけが聞こえた。


「……ずっと、惹かれてた。たぶん、私が思ってた以上に。天津くん、私が出来ないことを簡単にやってのけちゃうし、私が望んでること何だって叶えてくれたから」


 大袈裟だなぁ、とは思う。そんなことした覚えはない。


「前に言ったこと覚えてる? あなたが私を普通の女の子に戻してくれた……話」

「……あぁ」

「後悔したの。なんか、もうあれって告白みたいに思えて。だから、それを誤魔化すために執拗に取り繕おうとしたの。あなたの善き友達みたく……振る舞おうとしたの」

「告白とは思わなかったがな。お前が告白するのなら、もっと分かりやすく言うはずだ」

「うん。……杞憂だったんだよね。でも、私はそう思ってなくて、余計に変な立ち回りをしちゃった」


 そうして彼女は「ははっ」と掠れた声で笑う。


「全部裏目に出ちゃった。私はこの気持ちを告げるつもりもなかったのに。ずっと、隠して秘めたまま終わるつもりだったのに。だって、天津くんが私を選ぶはずないし、選ばれちゃったら、きっと私はしょうりんとも……金剛さんとも……」


 そこで言葉は途絶える。


「でもっ、もうそれすらも……」


 肩が震えていた。それを抑えようとしてか、つまむ指に力が入っている。


 何かを望んだ日向舞は、何かを守るために望みを捨てた。そうやって望みを捨てて立ち回ったことが、彼女をよりその望みから遠ざけてしまった。


 悪循環。負の連鎖。


 もはや取り返しの効かない現状に、彼女は逃げ出すしかなかった。


 最後に日向舞が望んだささやかな結末さえも、彼女の思い通りにはいかず。


 そこには、何もかもを失ったようにうずくまる少女がいた。


 彼女の名前は日向舞。その名前の通り、陽気な日溜まりでたち振る舞う者。だが、彼女は完璧であるように思えて、実はそうでもない。剥がれ落ちたメッキの中身は、あまりにも融通の効かない人間がいた。


 そうしなければ、ならなかったのだろう。


 そう在らねばならなかったのだ。その気持ちは痛いほどに分かる。俺も、外壁をあまりにも固い鋼鉄で覆ってしまっていたから。

 だから、それが剥がされた時に否応もなく逃げ出したくなった。それでも、自分で囲ってしまった外壁に阻まれて、逃げ出すことすら出来なかった。もはや、外でなんて普通に呼吸は出来なくて、それでも世界はそれを許しはしなくて、ただ呆然とうち震えるしかなくて。


 それでも、なんとか這い出て自分の居場所を探してさ迷う。


 そして、そんな場所なんてどこにも無いのだと気付いて、もう既に遅くて。


 

 その時、ピューーーーッと、甲高い音が響いた。その直後、パァン! と花火が夜空に張り巡った。


 その光は強く、こんな暗がりまで逃げてきた日向舞を、それを追ってきた俺を、仄かに照らす。


 そうなのだ。


 この世界には、どんなに逃げ出そうと絶対に隠れられる場所などないのだ。


 パチパチパチパチと、弾けるような音と共に花火は散るが、後を追おうように立て続けて花火が打ち上げられた。その度に、闇夜に紛れようとする俺と日向舞を、奴等は照らして見つけ出そうとする。


 まるで嫌がらせのように、花火共は俺たちを照らすのだ。


 そうやって照らされ気づいたが、日向舞の浴衣は汚れていた。転んだのだろうか、下駄の上に乗っかる白い足には、筋のような細い血筋がいくつもあった。ボロボロになりながら、ここまで来たに違いない。しかし、それを優しく慰める世界はどこにもない。


 そんな彼女を振ってしまえば、どうなってしまうのだろうか。


 だが、受け入れてみたところで彼女はやはり幸せになんてなれやしない。


 俺たちは……どうしたらそんなものを手に入れられるのだろうか。


 人々が普通に願い望むものは、あまりにも遠い場所にある。


 それでも、そこに向かわなければならないのなら、やはり世界は残酷だ。そして、それを諦めてしまうことすら、許しはしないのだろう。


 だから足掻くしかない。足掻けば足掻くほどに苦しむと分かっていても、それをすることでしか俺たちは生きられない。


「俺はもう……誰かと共にあることを諦めてしまった」


 か細い声だった。花火の音に掻き消されてしまいそうなほどに。


「前にも言っただろ。怖かったんだ。傷つけるのが、傷つけられるのが。だから、捨てたんだ」


 伝わっているのか分からないが、彼女はじっとしている。


「だが、最近になってそれが、どれほど大切な物だったのか思い知らされた。それはきっと……捨ててはならないものだったんだ」


 だが、どんなに頑張ってみたところで、何かが変わるわけじゃなかった。取り戻せるはずもなかった。


「だから、代償として俺は新たな俺を手に入れた。それ無くても生きていける自分。俺は……それで満足だった。だが、きっとそれでも無理なんだと思う」


 俺は独りでも平気になった。慣れすぎて、在るべき自分すら忘れてしまった。そうやって手に入れたボッチだったが、きっと遠くない未来で、俺はまた思い知ることになるのかもしれない。


 人は独りじゃ生きていけないのだ、と。


 それでも。


「それでも……もう戻れはしないんだろうな。そうやって生きていくしかないんだろうな」


 死ぬまで、ずっと。


「だが……まだ、詰んだわけじゃないんだ。今後、今の俺ではダメなんだと気づかされようが、俺は今の俺でやっていくしかない。むしろ、今はまだ……今の俺でやっていけている」


 何度も立ち止まるのだろう。その度に、苦しむのだろう。あと何回……何十回……何百回……想像することすら嫌になってしまう。


「お前だって『まだ』のはずだ。完全に詰んだわけじゃない。なら、諦めるのもまだなんだ」


 日向舞に言っているはずなのに、それはまるで俺自身に言い聞かせているようでもあった。


「お前がもし、本当に何もかも詰んでしまって、他にやりようがなくて、どうしようもなくなったら……そしたら、その時は――」



 その時は?



 俺は、自分が何を言おうとしているのかに気付いて驚いた。



 それを言うことを止めてしまおうかと思ったが、今さら止めるのも変な話。


 だから。


「――その時は、俺が傍にいてやらんでも、ない」


 花火がうち上がる。俺たちは照らし出される。逃げることが出来ないのなら、やはり立ち向かうしか方法はない。


 そして、独りで出来る全てさえもが太刀打ち出来なくなってしまったら、きっと誰かと共に立ち向かうしかない。


 それはまだ未来の話。そんなこと、あるかも分からない先の話。


 まだ俺はやれている。やれている限りは、変化など望まない。それが正しいのだと信じて貫くしかない。


 そうして手に入れた鋭い刃は、やはり、誰かを傷つける為にこしらえたわけではなかった。


 守るために、それを磨いていたのだった。


 向ける先は人に在らず、それを悪とした世界にだったはずだ。


「まだ……?」


 日向舞から溢れた言葉。それを俺は拾って見せつけてやる。


「そうだ。まだだ。まだ、やり尽くしたわけじゃない。方法なんて手段なんて、きっといくらだってある。結末を求めるには、俺たちは早すぎる」

「それが……答え?」

「今の答えだな」

「すごく……濁してない? それ」

「濁してるんじゃない。濁ってんだよ。……分からないんだ。俺はそういう気持ちを思い出そうにも、思い出せない。ただ、恋愛感情はなくて、それでも、お前となら前に進める気はしてる」

「友達……として?」

「さぁな。(ある)いは――」


 それは、好きとか嫌いとかそういう物じゃない。ただ、足りないから必要かもしれないと思える物。


 俺は目の前でうずくまる少女から、様々なことを思い知らされ教えられた。俺には無いものを彼女は確実に持ち得ている。そして、彼女に足りないものは、もしかしたら……俺が持っているのかもしれない。


 ただ、それだけの話。


 だから、恋愛感情じゃないのだ。


 その足りないものが何なのかすら、まだハッキリとはしていない。きっと、まだまだやれることがあるからなのだろう。


 予感に過ぎない。形のない、曖昧な予感。


「……期待をさせるんだね。とても残酷なほど」

「するだけ無駄だから止めとけ。俺はそう自分に言い聞かせてる」

「そう……私はどうしたらいいんだろ」

「自分で考えろ。聞かれても困る」

「どんな顔して……しょうりんと会えばいいのかな」

「それに関しては提案できるな? いつも通りでいればいい」

「出来るかな……私、嘘つくの下手くそだから」

「俺もだ。だが、嘘をつくのが下手なわけじゃない。独りで嘘を貫くのが難しいんだ。独りでつく嘘は、簡単にバレる。だから……俺が協力してやる。お前はただいつも通りの態度で居ればいい。それさえ出来るのなら、あとは俺がなんとかしてやる」

「屁理屈とか……天津くんの得意分野だものね」

「あぁ。そうやってずっと自分を騙せてきたんだ。完成度については保証してやる」

「それっ、保証になってない」

「なら、諦めろ。それでも……お前とつく嘘なら世界だって騙せる気はする。お前はいつだって高慢で、自信満々で、さも当然のようにそれを行動に移すから、他人はすぐに信じてしまうんだろ」

「天津くんだって同じでしょ。よくよく考えたら絶対に間違ってることなのに、変な理屈を持ち込んで、さも当然のように言い放つじゃない」

「だからだよ。だから……俺とお前がいつも通りで居さえすれば、世界すらも、いつも通りでいるしかない」


 花火は絶え間なく打ち上げられる。そうやって、俺たちを見つけ出す光を絶やそうとはしない。


 だから、ようやく俺たちは立ち上がった。


 向き合うわけではなく、背中合わせでもなく、ただ、前に進む為の共として。


 光に向かって。それはきっと、残酷な道だと理解して。


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