下手な鉄砲数打ちゃ当たる。当たってからではもう……遅い
彼女たちはすぐに見つかった。金剛さんと北上、そこに詰め寄る日向舞。その構図は、表情を見なくてもどんな雰囲気の会話をしているのか分かる。
「――違う。私はそういうつもりで天津くんを連れ出したわけじゃなくて」
「じゃあさ、どういうつもりなわけ! 私の力になるとか虫の良いこと言っておいて、結局はそういうことなんでしょう!?」
「違うの……私はただ、金剛さんの為としょうりんの為を思って……ただ、天津くんの事も考えて」
「口ではなんとでも言えるよね? もういい……最初から裏切るつもりで私に近づいたんでしょ? そうやって傍観して、心の中では笑ってたんじゃないの?」
「そんなこと……」
「そう思われても仕方ないんじゃん! だって、りんちゃんと天津くんが一緒にいるって……そういうことしか考えらんないし」
「聞いて……」
「聞きたくない」
うむ。完全に修羅場だった。
周りの人達が好奇心に視線をチラチラするくらい、声も大きい。これは入っていきにくいやつ。というか、入ったらもっとゴチャゴチャしそうなやつ。
やはり仲裁する人ってのは無関係な第三者が一番適役だ。原因の根底である俺が仲裁なんかしたら、むしろもっと炎上しそう。それこそ火に油を注ぐ行為となんら変わりない。
こうなる前に追い付きたかったんだが……やはり、無理だったか。
無関係な第三者が仲裁に適役である理由は、感情移入が少ないため、どちらの意見も冷静に捉えられるからだ。冷静、その点を挙げれば俺はわりと冷静であると思う。むしろ冷静と情熱のあいだ。やばい、フィレンツェに行きたくなってきた……。
ともあれ、そんな冷静さを持っていても、俺の見解は彼女たちの耳には届くまい。だから、何も言わずにおくのが一番のはずだった。
だが、目の前で繰り広げられている光景を見てしまったからには、さすがに何もしないわけにもいかない。
正味、俺はどちらの意見も分かってるつもりだ。
それは、どちらの意見にも感情移入出来ない立場と同じくらいの効力を持ち得てしまうほどに。どちらとも無関係であるのが第三者というのなら、どちらも理解し得る俺は第四者。つまり神。
……こういう所が俺の悪いところだとは思う。ただ、誰かが熱くなればなるほどに思考は冷めていき、誰かが冷めれば冷めるほどに熱くなければならないと感じてしまうのだ。調律を重んじる人間というのは、時にそうやってバランスを図る。そして誰の味方でも無くなってしまうため、孤立することが多くなってしまうのも調律人間の本質だ。
「もういい。何を言われたって全然信じらんない」
吐き捨てるように金剛さんは言う。彼女だって、日向舞を責めたいわけじゃないはずだ。だってそうだろ? ここで責められるべきは、おそらく俺。のこのこ彼女の誘いに出てきてしまった俺を責めるべきなのだから。
「私は……しょうりんと天津くんをくっ付ける為に二人を連れ出したわけじゃなくて、ちゃんと、二人には……もちろん金剛さんにも、ちゃんとした終わりを」
必死に弁明する日向舞の言葉は、体を成さなくなっていた。それでも、それが意味する先を分かっている俺には伝わる。だが、金剛さんにはそうじゃない。
「終わり? ……なにそれ。意味わかんない」
日向舞は、ただ綺麗な結末を望んでいるだけなのだ。だから、仕切り直そうとしただけ。だが、終わってしまった者には、そんなこと余計なお節介でしかない。だから、りんちゃんも心の奥底でそれを感じたに違いない。
既に終わってしまったことを、もう一度綺麗な形で終わらすなんて、到底無理なのだ。
だが、それでも日向舞はそれを願った。俺との関係を『最後にする』という言葉を用いてまで、それを成そうとした。
お節介であり、偽善であり、不親切であり、無神経ですらある。
それでも……日向舞はそういう人間なのだ。
だから、調律人間として俺がやるべきことは、二人の意見を吊り合わせて擦り合わせることではない。そんなことをしても、きっと二人は冷静にはなれない。
日向舞が攻撃されるしかないのなら……それを作り出した原因が俺にあるのなら……たとえ、彼女たちの意見を理解していたとしても、やはり日向舞の味方をしてやらなければならない。つまり、二人を仲裁するのではなく、弱い方について均衡を保たなければならない。
だから、その為に近づこうとした時だった。
「――わかった。……舞ちゃんもさ、実は天津くんのこと好きなんじゃないの?」
金剛さんの言葉に、足が……止まった。
「だから……私やりんちゃんに協力するフリをして、最後は彼を自分のものにするつもりなんでしょ?」
そんな金剛さんの言葉に、日向舞が毅然と「違う」と否定していたなら……俺は躊躇いもなく止まった足を動かせたはずだ。
彼女が……嘘でも良いから「そんなことない」と言ってくれていたなら、それに乗じて割り込めたはずだ。
なのに。
「あっ……いや……その」
日向舞は分かりやすく狼狽えた。
それが、金剛さんの煽りに火種となる電気を放った。止まった俺の足に枷を付けた。日向舞が動揺したことによって、金剛さんの言葉が真実味を帯び、俺の見解が覆されてしまうからだ。
「……泥棒猫」
ぽつりと、投げられた悪意。
「そういうこと……。あぁ……そうなんだね」
塗られる黒。塗りつぶされる白。その勢いはあっという間に形勢を飲み込んでいく。
「ちっ、違うの!」
遅い。否定するのなら、もっと早くなければならない。それでも否定するのなら、むきになどならず笑って否定する他ない。なのに、それを日向舞はしない。それが出来ないというのなら……やはり図星だからに他ならない。
「本当に……私は……ただ、そうじゃなくて……」
その時だった。
金剛さんの後ろに陣取っていた北上がふと……こちらを見たのだ。
目が合う。時が止まる。その視線に、俺は願いを飛ばす。
――やめろ、と。
その想いが伝わったのか、北上の口元が歪んだ。それに安堵という暖かな感情はない。むしろ、その逆。
一瞬、北上が何を言ったのか全然分からなかった。
「だってさ……天津くん?」
その言葉に、金剛さんも俺に気づいた。そして、彼女の目の前にいる日向舞ですら、気づいたはずだ。顔だけはこちらに向けていない。それでも……気付いてしまったはずだ。
動き出した時はとてつもなくゆっくりだった。あまりにも遅すぎて、耳に音が入ってこない。
そして、振り向いた日向舞。その瞳は大きく見開かれていて……耳が頬が……分かりやすく熱を帯びていた。
「あっ……」
洩れでた声の尾ひれは震えていた。それと同じくらい、瞳も揺れていた。
聞こえてないフリが出来れば良かった。霧島のように、笑って肩でも竦められれば良かった。
だが、俺ですら動揺してしまって、出てくる言葉が見当たらなくて、ただ呆然と立ち尽くす時間だけが流れた。
それが、聞こえていたのだと確定付けてしまう。もはや、言い訳など効かぬ状況を作り上げてしまう。
「今の聞いてた……?」
金剛さんが疑問で追い討ってくる。
「聞いてたでしょ。ほら、答えてやったら?」
北上が無情な圧をかけてくる。
それらは俺に向けられた言葉のはずなのに、矛先は間違いなく日向舞へと向けられている。
日向舞が俺のことを? そんなこと、考えもしなかった。
彼女が俺たちに関わろうとするのは、彼女の人が善すぎるからだ。それは、彼女の性格であり変えられない本質だからだ。
そこには彼女の個人的思惑など存在しない。もしも全てが企みだったというのなら、彼女にしては下手くそで……あまりにお粗末だ。
否定する材料はいくらでもあったはずなのに、彼女自身が動揺なんかしてしまったせいで……それらは何の効力も持たなくなる。
だから、何を言えばいいのか分からなくなった。
ここで日向舞の味方をすることは、それを受け入れてしまうような気がした。
それは……出来ない。
「ち……違う。私、天津くんのことなんかどうとも思ってないよ? だって、だって、それを言っちゃったら天津くん、きっともっと苦しむでしょ?」
日向舞がまくし立てようとする。とても、オカシナ言葉で。
「本当よ? 私は、あなたの事なんてどうとも思ってない。だから、そう在り続けたでしょ?」
にへら、と彼女は表情を弛める。そうして弛んだ頬に、涙が伝った。
「ほら、よく考えてみてよ。……私が天津くんを好きならさ、金剛さんとしょうりんを応援なんてするわけないでしょ? それってさ、天津くんを好きな私にとっては、凄く辛いことになるはずだよね?」
問われ続ける言葉。そのどれにも答えてないのに、彼女は尚も問い続けるのだ。
まるで、俺に強要でもするみたく。
「そんなこと、いくら何でもしないよ。……だって、そんなことしたらさぁ、修復なんて無理じゃない? ね? だよね?」
日向舞は、理解しているのだろうか。
自分が何を言っているのかを。
それを金剛さんが指摘した。
「ほら、やっぱり。舞ちゃんも好きだったんだね……天津くんのことさ」
そして、日向舞は我に返ってしまう。自分が言ってしまった言葉の脈絡にようやく追い付いて、ハッとしたのだ。
「いや……違うの。私、そういうつもりじゃなくて」
後退る日向舞。そうして、自分の頬を伝う涙を無意識に拭い、その手に気付いて言葉を失い……両手で顔を隠そうとした。
だが、今さら隠せるはずもなく、それが分かっているから彼女は顔を背け、それでも不十分だったから――。
「……ごめんなさい」
誰に言ったのか告げぬまま、彼女は逃げ出したのだ。
それが、いつの日かの日向舞と重なる。あの時俺はたしか……。
やるべきことは分かっているのに、果たしてそれをしても良いのか分からなくなった。道行く人達にぶつかりながらも、彼女はそれでも遠くへ行こうとしている。
その姿が……あまりに痛々しくて、それでも、それをするべきは本当に俺なのか。自問自答しないわけにはいかなかった。
迷ってる暇などないはずなのに、その答えに辿り着くには……あまりに……遠かった。
だからだろうか?
何故か、金剛さんが日向舞の後を追おうとした。一歩、二歩と彼女の足が動く。その顔には先程までの悔しげで憎しみに満ちた表情はない。どこか、罪悪感を思わせる青白さがあって、俺は愚かにも金剛さんが追ってくれるのを願ってしまって……だが。
「放っておきなよ」
北上が、それを止めさせた。
「でも……」
「無理だよ。あんたが追っかけたって、もう無理」
いやに言葉が冷めていた。
「どっちにしたって今日私らは、彼女たちと来たわけじゃないし。こちらが追いかけるのはお門違いでしょ」
「だけど……」
「止めなって。別にあんたは間違ったことを言ったわけじゃない。むしろ、正しかったから逃げたんでしょ?」
無慈悲な正論。だからこそ、効力は絶大だ。北上も何も考えずこれまでを過ごしてきたわけではなさそうだ。知ってしまったのだ。一時の感情は、もはや現状を変えるには相応しくないことを。
そして、俺はそれを理解しているからこそ動けずにいた。
金剛さんが俺を見る。その表情には、どこか期待のようなものが浮かんでいるような気がした。そうして口が開きかけるが、ゆっくりと閉じて……辛そうに目を背けてしまう。
なぁ、今……何を言おうとしたんだ?
それ、頼むから言ってくれないか?
一言でいい。それさえあれば『理由になる』。
だが、言葉は一音として発せられることはなく、北上に連れられるまま、金剛さんは去っていく。
辺りを……辺りを見回した。誰でもいい、誰でもいいから……それを言ってくれないか。
人々の好奇心は薄らいでいた。きっと、もうすぐ上がる花火のせいだ。
そちらに好奇心が奪われて、雑踏が大きくなっていく。
「ねぇ……いつまでやってるの? もうすぐ花火始まるよ?」
その時、後ろからくいっと服を掴まれた。振り向くと、そこにはりんちゃんがいた。
痺れを切らして、追いかけてきてくれたらしい。
「舞ちん……は?」
「日向は……」
何と説明すれば良いのか分からなかった。それを彼女に告げて良いのかも分からないのだ。
なんとなく不穏な雰囲気を察したのか、りんちゃんの顔が怪訝に満ちてくる。
やがて、驚きの言葉を発したのだ。
「間に合わなかったんでしょ、天津くん。もしかしてさ……舞ちん……逃げちゃったの?」
「そ、そうなんだ、だから探さないと……」
りんちゃんが。
俺ではなく、友達としての立場のりんちゃんが。
そして、彼女はさらに驚くべき言葉を……言いにくそうに発したのだ。
「もしかして……舞ちんが天津くんのこと好きなの……バレたの?」
「え?」
「そか。やっぱり、バレたんだね」
「なんで……それを」
「なんでって……なんとなくそんな気がしただけ」
「いや、そうじゃなくて……りんちゃん、知ってた、のか?」
それに彼女は気まずそうにし、やがてため息を吐いて、ゆっくりと頷いた。
「分かるよそんなの。でもさ、舞ちんがそれを望んでなかったんだもん。言うわけない。それにそれを言っちゃったらさ……私、すごい悪い奴になるじゃん。だって、友達の気持ちを知ってて……それを相談したことになる」
訳が分からなかった。
だが、それでもやらなきゃならないことは目の前にあって、それをすべきは俺ではないことも分かってた。
「とりあえず……あいつを探さないと」
「ん。そうだね……探さないと。たぶん、今説明してる場合じゃないよね」
りんちゃんはスマホを取り出し、即座に日向舞へとLINE電話をかけた。
だが、繋がることはない。
「天津くんもかけて」
「いや、りんちゃんで繋がらないんだから……俺がかけてたって」
「いいから!」
急かされて、仕方なくかけてみる。心のなかでは"繋がるな"と、念じていた。
繋がりは……しなかった。
「探そう。早く見つけてあげないと」
「あ、あぁ」
「どっちに行ったの?」
「……向こう」
指差した先は、もはや人混みしかない。
「私たちさ、やっぱりいろいろと間違えたんだよね」
不意にりんちゃんが言った。
「私も、麻里香ちゃんも、天津くんも……舞ちんも」
「……だろうな」
「でもさ、それが間違ってるって分かってても……そうするしかなかったよね」
「……だろう、な」
「結末って、変えられなかったよね」
「……それは分からない」
「……そう言うと思った。そこは『だろうな』って返してくれないと。じゃないと……もうこのまま帰りたくなる」
「正直言うと……俺もだ」
「でも、帰れないよね。もう、戻れないよね。自業自得……だよね」
「だろうな」
少し間を開けて、りんちゃんは言うのだ。
「今でもどうすれば良かったのか分からないや。それでもさ、今やらなきゃならないことは分かるよね」
その間の中には、息を噛み殺す音が小さく混ざったのを聞き逃さない。
「……分かってる」
「なら、それだけでいいや。それ以上は……もう言わないよ」
「……分かった」
りんちゃんが、指差した方向に駆け出した。それに引っ張られるように、俺も駆け出す。
その小さな背中が、とてもありがたく思えた。頼もしく……思えた。
本当に強くなった。彼女が、日向舞の友達で本当に良かった。
俺には出来なかった。資格すらなかった。
それをこうして、在るべき人間はちゃんとやってのける。
だが、俺は……。
どうしても想像してしまう。もし、次に日向舞に会ったらなんと言えば良いのかを。それを言えば、彼女はどうなってしまうのかを……想像せずにはいられない。
恋愛感情は持っていない。無論、日向舞に対しても。
だから、こうやって彼女を探すことは残酷非道にも思えるのだ。
それでも……言わないわけにはいかないだろう。
それでも……進まないわけにはいかないだろう。
本当の結末が見えた気がした。
そこに突き立てる刃物が、手の内に現れた気がした。
俺が磨きあげてきたその刃を、最後に誰に突き立てるのか。
現実は、いつも残酷なのだろう。誰にとっても、もちろん……この俺にでさえも。