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すみでえがきし  作者: 霧生大王
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美しくはかないさくら文字

鬱蒼と下草生い茂る林中。紺の袴をたくしあげた五人の女生徒達は背中合わせで肩を寄せあい、外向きに環状に構えた。

 ザザザザッと草を軽やかに踏み散らす音が周囲に反響する。


「みなさん。狼の字です」


誰かの声が上がると同時に、絶え間なく密集して先の見通せない木々の間から、次々と狼が飛びかかってきた。

 白装束の少女達は身の丈ほどもある大きな筆を両手で構え、空中に穂先を滑らせた。

 めいめいが素早く滑らかに舞うと、黒くみずみずしい筆先から、墨が空中へと飛散して固着する。

 そして瞬く間に四字の「煙」の文字が浮かびあがった。


 狼たちは飛びかかった勢いそのままに空中の文字にぶつかると、ぎゅるっと体をよじらせて、黒紫の「狼」という文字になった。

狼の字と煙の字が混ざり、それらは立ち上る煙ととなって消える。

 

 魔法文字。特殊な墨汁に魔力を込めて文字を書くことでその文字が表すものを具現化する技術だ。この狼たちはまさにその魔法文字で書かれたものであった。

 魔法文字はしばらく時間がたてば自然と消えるが、もっと早く消す方法もある。一つはそれよりも強力な魔法文字をぶつけて破壊すること。そしてもう一つは、別の魔法文字を合わせ、「合わせ文字」を作り別の魔力に変換することだ。


 合わせ文字というのは要は熟語を作るということで、少女たちが行ったのはこの後者の方法である。狼に煙で「狼煙(のろし)」、つまり戦場で仲間への連絡のために空に立ち上らせる伝令用の煙アイテムへと変換したわけだ。


 少女たちのいる空間がにわかに歪む。地面の草木はゴツゴツした岩肌になり、周りの木々はそそり立つ崖となった。


「みなさん。上を」


先程と同じ声。彼女の合図で皆が上を向く。

その視線の先から、両手では数えきれないほどの巨大な岩が降ってくる。


「今度は岩の字ですわね」


 少女たちは訓練によって魔法文字を解読する感覚を身に付けている。意識して凝視すれば、崖の上から降ってくる岩も魔法文字であることがすぐに見抜けるのだった。


 少女たちは次々と空に筆を滑らせ、間も無く四つの「燕」の文字が空中に固着した。

 同じ字ではあるが、きれいな楷書体で書かれたものもあれば、象形文字のように崩れた書体の字もある。


「さくらさん! 遅いわよ!」


 五人の少女の中に、この一連の動作に全くついていけない者がいた。

 東藤さくらである。


「そんなにもたついてたら岩の下敷きよ!」


「はっ、はいっ!」


 それでもさくらはゆっくりと空中に筆を走らせていた。

 彼女は筆が遅い。崖上から落下する岩。素早く対処が必要な状況に対応できていない。というより、対応しようとすらしていなそうだった。ゆっくりと、自分のペースで文字を書いていく。先ほどの狼への合わせ文字も結局完成せず、他の女子が全て対処してしまったのだ。

 それに――


「さくらさん! ちゃんと合わせ文字を作りなさい! 絵画の時間じゃなくてよ!」


 さくらの筆が描くものは、およそ文字とは呼べないような、絵のような、図のようなものだった。

 一人だけのんびりと自分の落書きをしているような、そんなマイペースさが周囲の苛立ちをかっていた。

 この訓練は授業の成績に関わるのだ。さくらが足を引っ張って失敗したらたまったものではない。


 空中に描かれた燕の文字に落下した岩が接触すると、岩は文字に形を変えて、燕の字と一体となって、小さなツバメに転化した。

 雪崩のような岩々は次々と、華麗なイワツバメとなって飛翔する。


 狼には煙、岩には燕――。

 いずれも授業で繰り返し習った基本の「合わせ」だ。


「基本に素早く対処するかどうか、って訓練なのに、合わせる文字をそもそも覚えていないんじゃあ、あの子落第確定ね……。」


 一人の少女がため息をつく。

 さくらは実技訓練もさることなら、筆記試験の成績も悩ましいものだった。

 事実、今の訓練中の様子を見れば、基本的な合わせ文字をまるで覚えていないだろうことがよく分かった。

 四人の少女がめいめいに空中に描いた大きな燕の文字が、彼女たちの頭上高くを覆っているため、岩の雨はしのげている。

 これで一安心と何人かが気を抜いた時、魔法文字たちの間を岩がすり抜けて落ちてきた。


「さくらさん! 上を!」


 その岩はさくらの頭上に落ちてきた。

 彼女が自分の頭上に描いているのはわけのわからない文様。さくらはそれを描くのに夢中になっているのが、降ってくる岩にも、呼びかける声にもまるで気づいていないようだった。

 

 岩がさくらを押しつぶそうかというその瞬間――

 びびっ、と黒紫の液体が岩の側面に固着し、岩はイワツバメへと転化した。


「さくらさん、大丈夫ですか?」


 鉈を振るい終えたような姿勢で筆を構えている金髪の少女。

 彼女の呼びかけで、やっとさくらは他の少女たちに顔を向けた。


「あっ……。爽火さん。ありがとうございます。」


 市王寺爽火しおうじさやか。一年生で抜群の人気を持つ学生筆士である。

 人気の理由はその美しい容姿と、筆さばきの美しい所作、そして実力である。

 爽火が今用いたのは、空中に遠くから墨汁を飛ばしてその先で文字を書く高等技術。

 学年での成績はトップクラスである。


「基本的な合わせ文字は覚えておいたほうがいいわよ。いつも誰かが助けてくれるとは限らないから。」


 爽火はにこりと微笑むと、筆を緩やかに収めた。

 と同時に、周囲の景色がまた歪み、そこには広く何もない白い部屋が現れた。


「訓練終了。今日の一年生の訓練はすべて終了です。みなさん、速やかに教室に戻ってください。」

 

 室内アナウンスが流れると、爽火はそのまま部屋を出ていった。

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