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「ここでは帽子を取ってもいいのではないかな?ルシアータ」
軽い調子で言われてしまい、戸惑う。
品評会から数日。
ようやく日常を取り戻したと思っていたのに。
まさかの呼び出し。まさかのこの状況。
「……申し訳ありませんが、このままというのは」
「そういうわけにはいかないんだよ。ルシアータ。いつもなら諦めるところだけど、今日は絶対だ」
あぁ、これは、どうにもならないものだ。
声色で理解していまい、渋々帽子を外すと、満面の笑みを浮かべる主がいた。
普通の庭師には無縁の、主の執務室。
手も触れられないような調度品が並び、庭作業に明け暮れたぼろぼろの娘はとてもじゃないが、場違いだ。
先日のように着飾っていたならともかく、今は化粧どころか汗だくで作業していたところである。
いたたまれない。
そんな気持ちを考えもしない主は、笑顔から真剣な顔に切り替わる。
「さて、ルシアータ。君に言わなければならないことがある」
「はい。何でございましょう」
「……君には、とても残酷な言葉かもしれないが、いいかい?」
「はい。言わなければならないのでしょう?」
「うん、そうなんだけど……傷つく覚悟はあるかい?」
……おや?
とても真剣な顔をして、とても真面目な話をしている。
……ように見せかけて、実際これはどういうことだ。
なんとなく、ただ言いたいだけのような。
「……ユギエレムスト様、楽しんでいらっしゃいませんか?」
「ちょっとね。でも、重大で残酷なのは本当だよ」
「大丈夫です。お話ください」
ふ、と顔が緩む。やはり遊んでいただけか。
時折この主は子供っぽいことをする、と改めて思う。
ついていくのは、少し大変だ。
「うん。では言うけど、君と君の祖父との間に直接の血縁関係はない。君は、他の家から預けられたんだ。
という説明をしようと思う」
「……はい?」
なんて、唐突な話だ。
そんなさらりと言われたら、飲み込むのに時間がかかる。
ちょっと待って。
そう言いたいのに、主は気付いてくれない。
仕方がないので、ひとまず言葉だけを聞くことにする。
意味を飲み込むことは、早々に諦めてしまおうと思う。
「まぁ、髪とかでわかるかもしれないけど、君は特別だ。
西方にエブレスという小国があったんだけど、そこの王族は少々特殊でね。蒼黒の髪に金の緑目を持つ、植物に愛された一族だった。
……わかるね?」
「はい」
ここまで言われてしまうと、生まれを否定は出来ないだろう。
植物に愛されているのかは少々疑問だが、髪や目は他に見ない色をしている。
祖父はそのあたりを危惧して隠すように言っていたのだろう。
「さて、理解してくれたのはよかったんだけど、ここで問題が起こる」
「問題、ですか?」
「うん。君は多分、その小国の、しかも王族の生き残りであることは、ほぼ間違いない」
「自覚はありませんが」
「だろうね。そこは仕方ないと思っている。
だけどね、厄介なことに、小国の復興を望む組織というのが確認されていて、君が目をつけられる可能性がある。そして、侵略した国のほうも君を厄介に思うことだろう。君を旗印として、国の復興のためと反乱を起こされたくはないからね」
「……私はそんなものに興味はありませんが」
「それでも、君を利用したいという思惑は消えないし、君を邪魔だという考えも、消えない。下手をすれば命の危機だってあってもおかしくはない」
「……はい」
「ルシアータ、僕は君の危機感のなさが心配だよ」
うんざりした顔をされてしまった。
だって、唐突過ぎて理解しきれないのだ。
生返事にだってなるというもの。
仕方がないので、頭を下げる。
「申し訳ありません。実感がないのです」
「うん、そうだろうね。実際、可能性の話だから。
ではもう少し、実感がある話をしよう。外から大勢、君に求婚の手紙が来ている」
「……きゅうこん。植物の?」
「君がそういう冗談を言うとは思っていなかったよ。結婚だ。結婚の申し込み」
「あぁ……何故ですか?」
「品評会の一件で、君の素性は周囲も理解できただろう。王族の生き残りという肩書きだけでも十分だ。
それに君はとても美しい。見た目も申し分ない。何より、君の庭師としての能力は、素晴らしい。
君を手に入れることは、庭園に力を入れるこの国にとってどれほど重要なことか、理解できるかい?」
「……自分をそんな素晴らしい人間とは思っておりませんが、言いたいことはある程度理解いたしました。
ユギエレムスト様は私に何をお望みですか?」
「話が早いね。簡単だ。正式に、僕のものにならないか?」
非常にきらきらとした、素晴らしい笑顔だった。多分、女性が好きそうな。
とはいえ、内容に関して、思わず首を傾げてしまう。
「私は、既にユギエレムスト様の庭師でございますが」
「……違うよ。ルシアータ。考えていることが、違う」
「はぁ……?」
「……本当に君は鈍いね。これは求婚だ。植物ではないほうの」
「つまり……私を娶りたい、と」
「そういうことだ」
なるほど。娶りたい。
……うん?
「何故そういう結論に行き着くのですか?」
「だってとても合理的じゃないか。
僕は君という優秀な庭師を失わなくていいし、君は堂々とここの庭師をしていられるよ?他の貴族からの求婚に悩まされることもなく、他の国の戦争の道具になることもない。むしろ、アーゼナルの家で堂々と、君を守ることが出来る」
「そう、ですね」
なるほど。それは魅力的だ。
先ほどまでの問題を全て一気に解決するような、都合の良すぎる考えだ。
「それに、僕は君がとても好きだからね。ここに来たときから、ずっと」
「……そうだったのですか?いろいろと浮名を流していらっしゃったので気付きませんでした」
「だって気軽に話しかけるにはそのくらいしないといけないだろう?体裁というものがある。
君にばかり話しかけて庭師に入れ込む名家の子息と呼ばれるわけにはいかない」
「はい」
それは、確かに。
貴族の人付き合いがとても大切なのはよく知っている。
下に見られないための努力というところだろうか。
案外と努力家である主らしいとも言える。
「どうしても、この身分を維持できるだけの力は必要だ。そうでないと、君を守れないからね。
それに、いずれ君はこうして優秀な庭師として認められるのはわかっていたし、それまでの辛抱だと思っていた」
「……はぁ」
「君が他に認められ、こうして他に請われるほどの存在となれば、僕も堂々と話せるからね。だからこそ、こうして結婚の申し入れも出来る。
というわけで、少し考えてもらえると嬉しい」
「……わかりました」
頷き、話は終わったと、部屋を出る。深く帽子を被り、今回の話を振り返った。
……えぇと。
祖父は、育ての親であって血は繋がっていないらしい。
その事実は、案外とあっさり飲み込んだ。
元々似ていなかったし、それに、別に血のつながりなどなくても、祖父は祖父だ。庭師として育ててくれた祖父は、とても偉大であり、尊敬していることに変わりはない。ずっと共にいたのだから。
そう考えると別に血は繋がっていなくても、特に残念だという感情は、沸いてこない。
最後に言ってくれてもよかったのに、とは思うが。
あぁでも、王族と言われても理解は出来ないから仕方ないのかもしれない。ただの庭師にはあまりに重責すぎる。しかも命を狙われるかもしれないだなんて。
多分、可能性の話を言っただけなのだろう。実際には起こらないことだ。
あと言われたこと、は……求婚だ。植物ではなく。何やらたくさん来たらしいが、大半は興味と立場が目当てだと思われる。
もちろん、アーゼナル家の庭師を辞めるつもりはないし、言えばきっと主も断りを入れてくれるだろう。そんなことをさせるのは少々心苦しいが、庭師が貴族に断りの手紙など出せるはずもない。
結局、主にお願いをするしかないということだろう。
あぁ、けれど、何か対処を言っていた。
それはとても合理的で、魅力的な……提案。
それが、求婚。
あれはつまり、ユギエレムスト様に求婚された、と。
つまり、受け入れた場合、主と結婚することになる。
「……え。えぇ……?」
思わず声が零れた。
だって、ありえないことではないか。アーゼナル家の当主が、ただの庭師に。
身分差なんて話ではすまない。
それは、あってはならないことだ。誰も考えもしないようなことだ。
これは一度戻って真意を確かめたほうが。
いや、もう一度、こんな話をするなんて無理だ。
下手すればもっと恥ずかしいことを言われかねない。
そういえば先ほど好きとか言われたような気がする。
それに、先日の品評会の帰り道を忘れたか。忘れられるわけがない。
あれは思い返すも恥ずかしいことをしてしまった。
あんな主に甘えるようなこと、あってはいけないのに。
……やっぱり、戻るわけには行かない。
とはいえ、どうすればいいのか。
混乱の渦中では答えなど思い浮かばず、ただただ困惑しかできそうになかった。