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 品評会の結果は、あっさりとしたものだった。


「さすがルシアータだ。君は自慢の庭師だよ」


 至極ご機嫌な主は会場を歩くごとに祝辞を受けている。

 それに付き合いながら会場に並べられた花を見るのだが、やはり遠くから見るものと、近くで見るものは違う。

 大きなものは迫力があっていい。やはりブーケ狙いよりもこういった大きなものにしてもよかったかもしれない。

 どっしりとした植木鉢を見ながらそう思う。

 式場の入り口に大きく飾られることが決定しているだけあって、とても素晴らしい。


「ユギエレムスト」


 主を呼ぶ声は、とてもよく通り、思わず目を向ける。

 こちらへと一人で歩いてくる姿があったので、多分その方なのだろう。

 ひとまず、頭を下げておいた。


「やぁ、ディート」


 ……王子殿下でいらっしゃった。

 見えないのでわかっていなかったが、予想以上に上の方。

 頭を上げるべきなのか、どうなのだろう。


「あぁ、貴方が庭師ですね。かしこまらなくてもいいですよ。

 ブーケ、素晴らしいものになりそうで、楽しみです」

「ありがとうございます」


 ゆっくりと頭を上げる。

 主よりは少し低い、だろうか。

 それでも背は高いので、見上げることになってしまう。


「そうそう、内装もお願いしましたが、出来ればドレスに飾るものもお願いしたいのです」

「……ドレス用、ですか」

「えぇ。せっかくなので、ブーケとあわせたいのです」

「あの……それは……」


 そっと、主のほうを窺う。

 主の意向に背くような真似はしたくない。

 それに気付いたのか、頷いたのが、見えた。


「君が望むようにして良いよ。ルシアータ」

「わかりました。では、ご用意させていただきます」


 まさか、こんなことになるなんて。

 それだけ気に入っていただけたなら、よかった。


「うん。お願いしますね。

 あの花は、本当に素晴らしかった。凛と立つ美しさはメルリリエそっくりだ」


 ……どうやら、主の言葉はそこまで間違っていなかったらしい。

 漠然としたイメージだったが、あながち外れてはいなかったと。

 一体、ご結婚のお相手はどんな方なんだろう。

 謎が増した気がするが、無縁だろうから、聞くようなことはしない。


「あのバラに、名前は?」

「……特に、決まっておりません。

 ですが、よろしければメルリリエ様のお名前をいただいても、よろしいですか?」

「それで、いいのですか?」

「はい。王子殿下とメルリリエ様さえよろしければ」

「ありがとう。メルリリエもきっと喜ぶ」


 喜んでいる声だ。

 よかった、と胸を撫で下ろす。名前を決めるのはとても難しい。

 けれどメルリリエ様のために作ったのだから、彼女の名前が一番だろう。

 許可をいただけて、よかった。


「では、これで失礼します。ユギエレムスト、また今度」

「うん。メルリリエ嬢によろしく」


 気安い友人同士の会話をして去っていく姿を、深く一礼をして見送る。

 とても、いい方だった。

 この国は安泰だ。そう思わせる穏やかさもあった。

 とはいえ、とても緊張した。王族相手なので仕方がない。

 深呼吸をして、主のほうを見る。


「では、次を見に行こうか。ルシアータ」

「はい」


 差し出された手を取り歩こうとする。

 けれど、逆に、後ろに引っ張られた。


「いた……っ!」


 髪が思いっきり引っ張られるような痛みに目を閉じる。

 ぷち、と何かの音がした。

 痛みは一瞬。少しじくじくとしたが、すぐに消える。


「ルシアータ!」


 主の声に、ゆるゆると目を開く。

 眩しい。

 ここは明るすぎる広間だから、仕方ない。

 と、思ったけれど、先ほどよりもずっと明るい気がする。

 そして、見上げた主の顔が、はっきり見えた。心配そうに顔を顰めているが、きらきらと眩しすぎる。

 思わず目を眇め、違和感に気付いた。


「……っ!?」


 何故顔が見えている?

 視界が、おかしい。

 慌てて頭部に手をやるが、ベールがない。さっきの痛みはピンが外れたものか。

 周りを見渡し、ようやく、背後に落ちていたそれを見つける。

 どうしよう。見られた。

 焦りで頭が働かず、震える手でベールを取る。


「いけないよ。ルシアータ」


 身につけようとした腕が、掴まれる。

 その先では、主が優しく笑っている。


「落ちたものを、また身につけるのはよくない」

「ですが……!」


 ちらりと周囲を見渡す。

 怖い。視線が集中している。

 視界が歪んできたが、これは、違う。ベールが齎すぼやけた世界ではない。

 安心できる闇は、ない。


「落ち着いて、ルシアータ」


 ばさり、と影が差した。薄暗さと花とは違う香りに、包まれる。

 浅い呼吸に、うるさい心臓。

 やたらと耳につくが、少しずつ、落ち着いてきた。

 ぎゅ、と手にしたままのベールを胸に抱える。


「大丈夫だ。ルシアータ」

「はい」


 頭を撫でられた。厚い布越しに。

 俯いていた顔を上げると、光が差す。

 けれど、それを遮る主が、そこに。

 きらきらと眩しいひとだ。薄茶の髪は光を帯びて金にも見える。薄い空色の瞳はとても優しい。

 ……あぁ、安心する。

 何故かそう感じた。


「ユギエレムスト!」


 少し慌てた様子で舞い戻ってきたのは、王子殿下。

 こちらは主よりも少し男らしさのある顔立ちをした方だった。

 ちらりと窺うようにこちらを見て、赤い目を見開く。


「……なるほど。これは、また」


 少し搾り出すような声と、じっと見られることに耐えかね、俯く。

 やはり、顔を出してはいけなかったのだ。


『顔を見せては、いけないよ』


 祖父の言葉がよみがえる。

 あぁ、本当に、その通りだ。見せてしまったばかりに、こんなことになってしまうなんて。

 気を抜くと泣いてしまいそうになってぐっと飲み込む。


「ディート、悪いが、僕たちはここで失礼させてもらうよ」

「わかっています。あとはこちらで処理しておきますので。ユギエレムスト、ちゃんと落ち着いてくださいね」


 先ほどまでの王子殿下らしからぬ笑みと言葉。

 どこが、とはっきり言葉には出来ないが、先ほどとは違う印象だ。

 何故なのか、と疑問が掠めたが、それは体が浮いて、あっという間に頭から離れてしまった。


「少し、我慢するんだよ。ルシアータ」

「……え?」


 ふわふわと、おぼつかない。

 抱き上げられていることに気付いた頃にはすでに廊下を歩いていて、今更になって頭にかけられていたものが主の上着だと気付く。


「あの、ユギエレムスト様」

「馬車まで待って」


 そう言われてしまっては、何も言えない。黙り込み、上着のあわせを握り締める。

 あぁ、どうしよう。

 主にご迷惑をかけてしまった。せっかく、お世話になったご恩返しが出来たのに。庭師として、お役に立てたというのに。

 品評会を途中で抜け出すようなことをさせてしまって、申し訳ない。

 じわりと、再び視界が滲む。

 零すまいとこらえるが、時間の問題かもしれない。

 ただ無言で馬車に乗り込み、膝の上に座らせられる。

 後悔だけが押し寄せてきて苦しい。

 やはり、怒っているのだろうか。

 怒らせて当たり前だ。それだけのことをしたのだ。

 騒動を起こすなんて。

 ばさりとかけられていた上着が取り除かれ、肩をすくめる。


「……ルシアータ」

「はい」


 声は、震えていないだろうか。

 情けないものになっていないだろうか。


「顔を、上げてくれるかい?」


 ふるふると、横に振る。

 主の命に逆らいたくはないのだが、合わせられるような顔を今はしていない。

 もう泣く寸前で、みっともない顔だ。

 先ほど、皆一様に驚いた顔をしていた。

 そんな姿を見られたくはない。


「ルシアータ」

「もうしわけ、ございません、が……」

「いいから」


 ぐ、と無理矢理上を向かされた。ぱちりと、目が合う。

 目の前に浮かんでいるのはとろけそうな笑顔だ。

 やわらかく、あたたかな、春の花のようなうるわしさ。


「やっと、こうして顔が見られた。

 やっぱり君は、美人だね。ルシアータ」

「……あ」


 ぽろりと、涙がこぼれる。

 何度も言われて、見えないのにと、答えてきた言葉。お世辞でもなんでもなく、本心からなのだろう。

 そう思わせる響き。


「そんな、こと……ありません。みんな、だって、驚いていた、から……」

「それはそうだろうね。君は、誰より美しい」

「違います。そんなこと、ありません」

「違わない。整った顔に、美しい蒼黒の髪。何よりその金の緑目は誰もを魅了する。

 君にしかない色だ」

「……ですが」


 直視できず、目線をずらす。

 顎が固定されているので、それだけが唯一できる抵抗だ。

 眩しい。

 夕暮れの日差しの中でも、この人は眩しすぎる。


「ルシアータ。君には今度ゆっくりと話をする必要がありそうだ」


 はぁ、とわざとらしい溜息。

 落ち着かない。落ち着けるはずがない。

 それに、ゆっくりと話だなんて、出来るはずもない。


「君の容姿についてはまたその時に話そう。

 今は、品評会についてだ」


 びくりと、肩が震えてしまったのは、隠せなかっただろう。

 怒られる。

 それは、仕方のないことだ。こんな、とんでもない失態を起こして、品評会を途中で出てきてしまうなんて。

 怒られてしかるべきことだ。

 恐る恐る、目を向ける。

 ……あたたかだ。


「見事だったよ。ルシアータ。これで僕もアーゼナル家も鼻が高い」

「で、ですが……こんな失態を、途中で出てくるなんて、こと……」

「あぁ、それはいいよ。あの後はパーティーになる。君は、そういうものは好きではなさそうだからね」


 それは、確かに。

 でも必要なら、主の命であれば従うに決まっているのに。


「パーティに、出たかった?僕と一曲、誘ってもよかった?」

「……いえ。踊れないので」


 思わず言ってしまい、くすくすと笑い声が降ってくる。


「ならよかった。僕としては、君を見せびらかすという目的は果たした。

 予想以上の成果だったから、君は何も気にする必要はないよ」


 それは、どう受け取ればいいのだろう。

 褒められているのか、暗にけなされているのか。

 にこやかな笑顔と声からは、何も読み取れない。

 こんなにも近すぎるほどの距離なのに。というか、本当に、近い。ほとんど目の前。

 一度気づいてしまえば、意識しないなんてことは、不可能。


「……では、あの、そろそろ……下ろしてください」

「何故?」

「なぜって……庭師が主の膝の上になど……」

「大丈夫だよ。ルシアータ。ここは、女性のための場所だ」


 いえそんなさらりと口説き文句のようなことを言われても。

 思わず口にしそうになって、飲み込んだ。

 途方に暮れて、ようやく、いつもの調子が戻ってきたような気がする。


「僕の側は、嫌?」

「嫌、では……ありませんが、私は」

「なら、ここにいて何も問題はないね」


 遮られた。

 人の話は最後まで聞いてほしい。困った人だ。

 あぁ、でも……いつでもこんな人だった。

 困らせてくるけれど、いつだって優しい人だ。

 あたたかく慰めてくれたのは、確かなのだから。

 つい口元が緩む。


「君は、そうやって笑うのが一番似合うよ。ルシアータ」


 ようやく、顎に添えられていた手が離れた。

 ……もしかして、笑うのを待っていたのだろうか。

 だとしたら、本当にこの人は、どうしようもない。


「そろそろ到着するね。これを、使うといい」


 そう言って渡されたのは先ほどの上着。

 ドレスと同じような深い色合い。そして、ずっと隠していたはずの髪と同じ色をしている。

 きっと、知っていたのだ。髪も、瞳も、何もかも。


「ユギエレムスト様、ありがとうございます」


 頭を下げ、上着をかぶる。

 落ち着く暗さと香り。これは、主のにおいか。

 少々恥ずかしいが、救われたのは確かだ。

 あぁもうやっぱり、この主はどうしようもない。

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