7
「さぁ、お手をどうぞ。ルシアータ」
柔らかな声に有無を言わせない迫力を乗せて差し出された手をとる。
慣れない靴で馬車を降りると、とても大きな入り口だ。
ここが、品評会の会場……。
怖気づいてしまいそうな心を押さえ込み、エスコートされるがまま、中に入る。
ふわりと、花の香りがした。当たり前だ。ここにはとても多くの花が集められている。香りが強いものもあるだろう。
長い廊下は眩暈がしそうなほどに広く、通された広間はさらに広い。
眩しい。
昼の外に先ほどまでいたはずなのに。それよりもずっと、眩しく感じる。何枚も重ねたベールでも押さえ込めないほどの光だ。
人影もずいぶんとはっきり見える。
とはいえ、やはり影だけではあるのだが。
「やぁ、君も来たのか」
「どうも。そちらも参加なさるのですね」
「もちろん。王子殿下の晴れ舞台を飾る栄誉を得るのは誰か、見たいではありませんか」
……主が誰かと話を始めてしまわれた。
どうすればいいのかわからず、立ちすくむ。
向かいの影は背が高く、体格の良さそうな方だ。そしてその隣にはもう少し低い、中肉中背の方。多分、こちらは庭師なのだろう。
同じようにただ立っているあたり、こういう場には向いていない。
本当に、そんな方が多く来ているのだ。
少しだけ、安心した。
「そちらのお嬢さんは庭師ですか?」
「えぇ。先代の忘れ形見なんですよ」
「おぉ、あの!王の挙式でのブーケは彼の花を用いたんでしたな」
「そうです」
「なるほど」
それは、もしかしなくても祖父のことだろうか。まさか祖父がそんなにすごかったなんて。
知らなかった。
今度フェムル様に聞いてみよう。さすがにこの場で主に聞けるほどのずうずうしさはない。
せっかくなので目線だけで周囲を眺めるが、とにかく人が多い。
こんなにも参加している人がいるのか。
もちろん、主と庭師の二人で来ていることも理由なのだろう。
それでも、結構な数だ。
気付かれないように見渡し、ふいに、主のほうへ目線だけを向けると、話している相手が違っていた。
今度は女性だ。ずいぶんと親しげに語り合っている。
もしかしなくても、これは品評会が始まるまでこのままなのだろうか。
……さすがに、それは、困るのだが。
とはいえ隅で休ませてと言えるわけでもなく。
待つより他はない。
と、重ねていた手が少し強く握られる。
意識を主に向けたところで、話していた女性がこちらを向いた。
「ねぇ、あなた」
「はい」
あぁ、なるほど。
主からの合図だったのか。助けられた。
おかげで失礼な真似をしなくてしなくてすんだ。
「あなた、顔は出さないの?」
「……申し訳ございません」
頭を下げる。
やはり、こうして見せないようにしていると、気になるものだろう。
わかってはいるのだが。
「ルシアータは、庭師はあくまで裏方と教え込まれているのですよ。それを律儀に守っているため、この姿をしているのです」
「そうなの。謙虚なものね」
ふふ、と柔らかな笑い声。まさかそれで信じてもらえるとは思わなかった。
とはいえ、多分この主なので、相手によって効果的な言い訳を使い分けているのではないだろうか。
違う相手であれば、違うことを言うのではないだろうか。
なんとなく、そんな気がしてしまった。
もちろん、とても助かったのだけれど。
「あら、そろそろ始まるわね」
「そうですね」
「では、お母様によろしくね」
「えぇ。では、失礼いたします」
隣の主が優雅に一礼したので、慌ててそれに続く。
なるほど。レメネシア様のお知り合いか。
貴族の付き合いというのは、本当に大変だ。
そんなことを思いながら、歩き出した主の側をついていく。
「さて、ルシアータ、そろそろ始まるけれど……あの壇上は見えるかい?」
触れてないほうの手が、最奥にある壇上を示した。
人一人分ほどの高さの台の上、ということだろう。
「……はい。人がいらっしゃいますね」
「うん。今からそこに順番に花が出てくる。君にはいい勉強になるだろうから、きちんと見ておくといい」
「はい」
頷いたところで、会場の明かりが落ちた。薄暗さの中、壇上だけが明るい。
周囲が明るいときよりもよく見える気がする。
「ベールを何枚か、上げようか?」
言われて、悩む。
あまり変わらないだろうが、少しでも見えるようになるのであれば、いいかもしれない。
けれど、それは、いいのだろうか。
「……ルシアータ?」
「顔を、見せることにはなりませんか?」
「これだけ暗いんだ。そう簡単には見えないよ。もちろん、全部上げるわけでもない」
「そう、ですか。でしたら……上げたほうがいいかもしれませんね」
そっと手を離そうとすると、繋いだままの握りこまれた。
驚いて顔を向ける。
やんわりと、空いているほうの手が伸びてきて、重ねられたベールをさらりと上げられる。
世界が、少しだけ明るくなった気がした。
「君の顔は、まだ見れそうにないね」
笑い声がして、伸ばされていた手が下ろされる。
……少し、落ち着かなくなる。
けれどそれをどうにかするよりも前に、開催を告げる声が響き、会場が静まり返った。
目線を壇上に向ける。遠くに、数人。
挨拶をするのは王子殿下。
あの方が、主のご友人……。
少し低めの声の、落ち着いた人、という印象だ。
そんなことを考えているうちに、品評会は始まり、順番に花が登場する。
誰のものかを伏せられたままなのは、公平を保つためだろう。
色も種類も様々な花たち。バラにコスモス、水仙、鈴蘭。見知らぬ花も多い。植木鉢に植えられたものや花瓶など、表現も多岐に渡るので、見飽きるようなこともない。新たな花が登場するたびに上がる歓声を聞きながら、じっと、花を見る。
どれも美しく飾られ、何が選ばれても不思議ではない、と思う。
後で部屋中に飾られるため、じっくり見るのはそれからでいい、と主には先に聞いているが。
それでもやはり、気になってしまう。
「君が気に入ったものはあるかい?」
「どれも素晴らしいと思います」
ざわめきの中でも主の声はしっかりと届く。
決して大きな声ではないのに、不思議だ。
「君は、勉強熱心だね。そうして君の感覚が磨かれていくのなら、歓迎だ」
本当に、いい勉強になる。
主には感謝しかない。
そう思ったところで、ふいにざわめきが大きくなった。
「……あれは」
思わず口に出しそうになって、飲み込む。
ぐ、と握られた手に力が入れられた。
「……あれは、君の作ったバラだね?」
「はい」
どうやら主も気付いたらしい。
見事な花瓶に入れられた花たちの中央には三本のバラ。黄色にピンクが入るバラは、確かにそこにあった。
「三本、か。思ったより少ないな」
「そうですね。挿し木の残りでは茎が短かったのでしょうか。もしくは、運ぶ際に傷がついたか」
「どうだろうね」
こうも数が少ないと、少し残念ではある。
せっかく美しく咲いたのに。
せめて、挿し木として使われる枝がうまく根付いてくれればいいのだが。
個人的には、新たな環境でも美しく咲くのであれば、それでいいと思っている。
主の手前、そんなことは口に出せるはずもないが。
とはいえ、一年後の式に使われる花だ。数はどこまで増やせるのだろう。
そもそも一年目ではまだ若すぎる。多分、今回認められたとしても後々問題が発生することだろう。
主はそこまで考えてはいないだろうけれど。
「やはり、あれは美しい花だね」
「そうですね。秋の庭で一番美しいバラでしょう」
「ずいぶんと余裕だけど、本当に大丈夫?」
「はい。あれは秋の庭で一番美しいものではありますが、秋の庭の中にあってこそ一番美しいのです。
多くの花々や緑に囲まれていてこそ輝くもの。あのような飾り方では魅力も落ちてしまいます。
さらに、盗まれてから数日が過ぎていますから、花は開きすぎ、美しさを損ねています。散り際のはかなさというには少々汚れが目立ってしまいますので」
他の緑や花で取り繕っているが、やはり秋の庭で咲いてときのような瑞々しさはない。
とても悲しいが、もう終わりにすべき花だ。
「……あれでも十分綺麗だと思うけどね」
名残惜しそうな主の声。つい、口元が緩んだ。
盗まれたバラは次の準備のために片付けられていく。
舞台の端に、見覚えのある姿がちらつく。
「ご安心ください。主人に恥をかかせるようなことはいたしません。
あれは、秋の庭で一番であり、あの屋敷で一番というわけではありません。相応しい場所に相応しい花を用意することも、庭師の役目」
ざわりと、先ほどよりも大きなざわめきに自然と口角が上がる。
ぐ、と繋いだままの手に力が入る。
勇気を、もらっている気分だ。
「神聖な結婚式の場に相応しいものは……やはり、白いバラでしょう」
細身の白い花瓶。
真っ白で零れ落ちそうなふんわりとした花弁を持ちながらも凛と立つバラ。
そして、それを彩る緑。
思い通りとなった姿が、確かに壇上にあった。
「……あぁ、やはり君の才は素晴らしいな」
やはり、どんなざわめきの中にあっても、主の声はよく届く。
満足そうな声に胸を撫で下ろし、壇上へと目を凝らす。
「あれはもう、ブーケだな」
「花嫁のブーケが一番の栄誉だとおっしゃってましたので」
てっきりその催促なのかと思っていたのだが。どうやら、違っていたらしい。
それなら、もう少し花を足すなりすればよかったか。
けれど、花の大きさからのバランスを考えても、今壇上にある形が一番だろう。
足しても引いても、美しさが損なわれる。
「君に任せて正解だった」
その言葉を聞いたあたりで、片付けられ、また次の花が。
けれど、それ以降、大きなざわめきは、起こらなかった。