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「ああ、ルシアータ、一つ頼まれてくれるかい?」

「……どうなさいましたか。エルテーク様」

「いやこの苗を育てることはできないかね?」


 厨房の隅に置かれた三つの植木鉢には見たことのない木の苗が植えられていた。

 高さは丁度目線ほど。細めの幹に濃い緑の葉が茂っている。


「これは……実がなるものですか?」

「あぁ。東のほうのものなんだがね……名前は……なんだったかな。今度調べておくよ。前にもらった実がたいそう甘くてとても美味しかったんだ」

「そうなのですか」


 それで、とうとう苗ごと取り寄せた、と。

 過去にも何度かあったことだ。

 研究熱心な料理長は他の地方の変わった食材を取り寄せては試している。

 今回もその一環なのだろう。

 気に入ることは数回に一度。苗を取り寄せるなんてことは、さらに珍しいことだ。これは、よっぽどなのだろう。


「どのような環境で育つ植物なのですか?」

「湿気が多いらしくて、気温の変化は激しいと聞いたが。確か実がなるのは秋くらいだったかな」

「そうですか」


 寒暖差が必要なのか。では一番奥の温室に入れることにしよう。

 湿気は難しいが、水を多く与えてどうにかなることを期待するとして。

 ひとまず、定着させることが先決だ。


「大丈夫そうか?」

「……確実ではありませんが、善処します」

「ルシアータなら大丈夫さ。この前のも見事だった。なんなら最初に食べたときより美味しかったからな!」

「ありがとうございます」


 そこまで言わなくても。

 とはいえ、見知らぬ野菜を使ったシチューは、確かに美味しかった。独特の触感とスープを吸い込む性質は料理長が好む理由がよくわかる。そんなものだった。

 おかげで、今も畑の一角を占拠し、時期が来れば来客を楽しませている。評判も上々で、時折仕入れの打診が来るのだが、生産が間に合わないのでお断りさせていただいている。

 そのような野菜や香草などが、結構多くあるのだが。どうやら、また一つ増やされてしまったようだ。


「では、持って行きますね」

「頼むよ。お菓子の準備をしておくからね」

「はい」


 顔は見えないが、おそらくにこやかに笑っていることだろう。

 そういう人だ。

 案外と重い植木鉢を落とさないように、木箱に車輪や持ち手をつけただけの簡素な台車に乗せる。

 ……倒れないだろうか、これ。

 しっかりとした根は植木鉢の中。上部は生い茂る葉。

 台車はとても揺れるので、不安になるが、仕方ない。

 一礼をして、不安定な台車を押しながら、担当している秋の庭とは反対方面へ。

 使用人たちが住む寮を迂回し、裏側に回り、最奥。

 塀の前に立ち、ようやく到着したかと、息をつく。

 屋敷内の木や石の床も相当うるさく響いたが、土の上は柔らかな凹凸や下草にひっかかって大変だ。

 そんなことを思いながら、ポケットから鍵を出す。悪路の影響でまだ手に振動が残っている。実際は、震えてなどいないのに。

 塀と一体化したような扉に鍵を差込み、軽くひねる。かちりと小気味よい音を鳴らして開いた鍵。誰も居ないことを確認し、中に入る。

 アーゼナル家には表向きには四つの庭がある。

 一番華やかで、貴族界隈での評判の高い春の庭を筆頭にした、春夏秋冬の庭だ。

 一方、そのどこにも属さない、あくまで庭師が個人で使うための五つ目の庭も存在する。最奥にある名前のない庭が、ここだ。

 正式な名前がないため、基本的には奥の庭などと呼ばれているが。

 四季の庭に植えるか悩むような植物の育成や、弱った植物の回復のために作られた庭。

 とはいえ、今はもうそのような目的のために使われることはない。

 そもそも、ここに入るための鍵も四本のみだ。主が持つ鍵、屋敷内の一切を取り仕切る執事長が持つ鍵、代々庭師長が持つ鍵、そして、今手元にある鍵。わざわざ複製された一番新しい四本目だ。

 先代の庭師長であった祖父がわざわざ作ってくれた特別なものだ。

 今はもう、この鍵しか使われていないわけだが。

 他の庭師は自分の仕事で手一杯だろうし、人のことは言えないのだけれど。それでも、植物が好きだ。緑の中が好きだ。それだけのために、ここに来ていると思う。

 仕事の始まる前や、終了後。休憩時間に、来客で庭の手入れがお休みの時。そんな合間を見つけては、ここに来ている。

 四季の庭のような華やかさもないどころか、広すぎて半分ほど手入れもされずただ雑草が生い茂る。そんなこの庭が、とても落ち着く。

 がたごとうるさい台車を押しながら奥の温室に向かい、中を見る。

 ガラス張りの温室は合計四棟。小さくはない。昼の盛りのこの時間はきっと熱帯だろう。

 覚悟を決めて、扉を開く。

 ぶわりと広がる湿気や熱気に気おされながら中に入ると、甘い香り。前に頼まれた果実たちはそろそろ収穫時期が近い。

 もう少し熟したらエルテーク様に渡さないと。

 ……それにしても、暑い。

 素肌を出さない服装に、帽子。当たり前ではあるが、暑い。吐き出す息にも熱がありそうだ。

 仕方ない、ひとまずこれは、置いていこう。

 植える予定の花壇の横に植木鉢を置き、深く息を吐き出す。

 そそくさと台車を運び出し外に出ると、涼しい風が吹いた。

 いや、特に涼しいわけではないのかもしれないが。

 温室の中に比べれば、過ごしやすいのは確かだ。

 のんびりと入り口近くにある小さな小屋に入り、慣れ親しんだ椅子に座る。

 年季の入った渋い色をした木製の椅子は祖父が好んでいたもの。

 セットになった机の上、置きっぱなしにしていたいくつかの紙の束から一つの束を引っ張り出す。一番奥の温室について書いてある束だ。

 ひとまず今持ってきた苗について書き込み、ペンを置く。

 名前などもわからないし、とりあえず書いておくのは特徴と本来の生育環境くらいだ。

 あとは随時観察して書いていくとして。


「……暑い」


 思わず、声が出た。

 分厚い皮の手袋を外し、帽子も取り払う。

 束ねた髪は崩れていない。

 日焼けをしていない白い手を握って、開いて。

 少し、楽になった。

 ここに他人は入らない。見られる心配はない。安堵して、息をつく。

 多分、祖父が鍵をくれたのはそのあたりを考慮したというのもあるだろう。

 祖父から譲り受けた皮手袋を、そっと撫でる。

 手にしている時とは違う質感。丁寧に手入れされ、特有の光沢をしたとてもよいものだ。

 ……あぁ、そういえば、そろそろ命日だ。

 もうすぐ十年になってしまう。

 毎年ここの花を持っていっているが、今年はどれにしよう。きっと、どんな花でも喜んでくれるだろうけれど。出来れば、好きな花を用意してあげたい。

 ゆっくり出来る時にでも手頃な花がないか確認しよう。

 ほわりと胸に宿る暖かさに頬を緩め、手袋をつける。すっかり手に馴染んだ感覚を改めて感じながら、帽子をかぶり、外に出る。

 料理長のところへ行かないと。お菓子もあるというし。

 あぁ、でも、その前に。

 立ち寄るのは、側の花壇。その一角にはずらりと並ぶバラがある。品評会のためにいろいろと育てたバラたちだ。赤に白。黄色、淡いピンクのグラデーション。次期王妃となられるお方にはどれがお似合いだろうか。

 どの花も香りよく、色もいい。張りのある花びらにフリルのような柔らかさ。状態はどれも上々だ。

 周囲に咲く花々も、生命力に満ちた様子で咲き誇っていて申し分ない。

 よし、と順調な生育状況に一つ頷き、その場を後にする。

 そうして戻った厨房で料理長に軽く報告すると、とてもにこやかにお礼だと、お菓子をくれた。

 まだ植えていないというのに。

 とはいえ、料理長の作るものは美味しい。幼い頃から食べて育っているので、それは確かだ。

 小さなバスケットに入っているのは、カップケーキだという。氷菓子にしようかと思ったが時間がなくてね、と申し訳なさそうに笑っていたが。カップケーキも好きなので問題はない。

 やはりここはいつもの場所に行くべきだろう。

 そう思いながら向かう先は、秋の庭だ。


「やぁルシアータ。ご機嫌だね」


 とても覚えのある声だ。

 立ち止まり、礼をする。


「ユギエレムスト様、何故こちらに?」

「君に会いに来たよ」

「……ご用件は」

「うん、式の日取りが正式に決定した。同時に、品評会も。最初から言われていた通りの日程だったよ。

 ……準備は、できているね?」


 とうとう、決まったのか。

 あらかじめ予測されていた通り、建国祭の翌日に挙式らしい。

 ということは、とても忙しい最中での品評会になりそうだ。

 祭りの余韻が抜けない、三日に及ぶ建国祭の終了翌日。

 頭の中で日程と、花の状態を予測する。


「無事、仕上がっております」

「そうか。よかった。で、どんな花にするんだい?」

「申し訳ありませんが、まだお教えできません。ところで、奥方様となられる方は、どのような方なのですか?」

「うん?あぁ……そうだな、柔らかな空気を纏いながらも凛とした、芯の強い可憐な女性に見受けられたが」

「そうですか」


 なんて、難しい。もう少し、具体的ならよかったというのに。

 そもそも、この主は女性であれば過剰に褒め称えそうなところもある。

 果たしてどこまで信用すればいいのだろうか……。

 いや、主なのだし全面的に信用しなければ。言われたとおりの印象でいい、はずだ。とても漠然としているけれど。


「これだけでいいのかい?実際に会わせてあげることもできるかもしれないが……」

「いえ。十分です。ありがとうございました」


 今の申し出は、その場限りの言葉ではないだろう。ここでお世辞だと受け取っておいた場合、本当に会うことになりそうだ。

 それは遠慮したいので、きっぱり断っておく。


「そうか。では、後のことは頼んだよ、ルシアータ」

「はい」


 深く一礼をする。

 表情は見えないが、特に不快は感じていない声だと思われる。

 ……よかった。

 胸を撫で下ろし、主が去っていく足元をじっと見る。

 相変わらず突然現れ、去っていく方だ。とても忙しいというのに、こちらにまで気を配っていいのかとさえ思うのだが。

 品評会はとても大切な、それこそ家の威信をかけて行われるものだ。

 気が抜けないのだろう。

 若くしてアーゼナル家の当主となられたユギエレムスト様。

 ……もう少しくらい、気が休まるお時間があっても、いいのではなかろうか。

 もちろん、一介の庭師が考えたところで、どうにかなるものでもないのだが。

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