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「……あの、今日は休み、ですよね?」
不安げな声が聞こえた。
普段着としていた身軽な服装とは違い、細かな刺繍の施された外出用の服を渡されたからだろう。
きっと、帽子とレースで隠されたその顔には困惑が浮かんでいる。
そうなってしまうのも仕方がない状況だ。
「今日は、特別だからね」
もちろん、納得などしていないだろう。けれど、理由などすぐにわかること。
手を差し出せば、不安そうにしながらも重ねてきたのでしっかりと握り返す。
「どこに向かうのですか?」
「春の庭だよ」
聞きなれた場所に少し安心したのか、強張っていた指から力が抜ける。
そのまま、言ったとおりに庭へと向かう足取りはそう重くはなさそうだ。
昨日一日中書庫にいたことも影響するだろう。
「誰も、いない?」
ぽつりと呟いた声はとてもよく響いた。
確かに、いつもであれば廊下など、少しぐらい人の気配はあるのだが。
必要最低限しか配置されていない今の屋敷は、驚くほどに静かだ。
こみ上げる笑いを押し隠し、その場しのぎのごまかしを口にする。
「昨日の片付けもあったから、休憩中だよ」
「そうなのですか」
案外嘘ではない。
今回のことは、使用人たちへの休息を兼ねていることは、否定できないので。
日々の感謝でもあるのだ。一応。
そうして静かな屋敷内を歩き、春の庭へ続く廊下を進む先に、一人の侍女がいた。
こちらに気付いてお辞儀をしてくる姿に近づく。
「準備はいいのかい?」
「はい。整っております」
「……ユギル様?」
不思議そうな声色のルシアータに大丈夫だと囁き、頼む、と一言侍女に伝えた。
心得たとばかりに外への合図がされ、庭への扉が開かれる。
差し込む光はとても眩しく、春めいた暖かさを伴っていた。
握った手を少し引き、外へと誘う。
「え……?」
呆然とした声がした。
当然だろう。
見慣れた春の庭は屋敷から運び出されたテーブルが並べられ、花を模した料理の数々が飾られている。樹木には風で音を鳴らす仕掛けがしてあるらしく、しゃらりと軽やかな音が響いていた。
そして、何よりたくさんの人だ。
式での来客も多かったのだが、こちらもそれに近い人数がいるかもしれない。
ここにいる中で、アーゼナル家に勤めてくれている使用人は半分ほどだろうけれど。
残りは今回の式のために他の家から手伝いに来てくれた人や、臨時で雇った人たちだ。
さすがに、それだけの人数がこうして集まると、壮観としか言いようがない。
事情を知っていてもこれだけ驚いてしまうのだから、傍らの存在にとってはさらに、というところだろう。
すっかり固まってしまっていた。
「ユギエレムスト様、ルシアータ」
入り口に立ち尽くしたままでいると、よく馴染んだフェムルが近づいてくる。
そして、優雅に礼をする。
「ご結婚、おめでとうございます」
「……フェムル様」
「立派になったな。ルシアータ」
「ありがとう、ございます」
それは、本当に嬉しそうな声だった。
それだけでフェムルは幸せそうな顔をしているので、これまでの準備の苦労が報われたのだろう。
この機会を与えてよかったと、実感する。
ふいに、背後からケイスが近づいてきた。空いていた手に押し付けられた感触にこそりと目を向ける。
もちろん、フェムルに注意を向けているルシアータは気付いてはいないことだろう。
想像していたよりも大きなものに、つい苦笑しながら受け取る。
「さぁルシアータ」
「……はい?」
よく見えるように、少し下のほうに。
ばさりと音を立てて持ち出したそれは、とても鮮やかな黄色をしていた。
「え、あ……アカシア、ですか?」
「そう。みんなからの気持ちだそうだよ」
いわゆる、ミモザだ。
こんもりと黄色い花をつけ芳香を漂わせる、今が盛りの花。
繋いでいた手を離すと、恐る恐る手が伸びてきて、ふわりと抱きしめる。
腕一杯の花束の向こうに浮かぶのは、どのような表情だろう。
「とても……きれいです」
「そうだね。さぁ、奥へ行こう」
軽く背中に触れると、そのまま従い、歩き出す。
少し奥には明らかに他とは違うテーブルがあり、山のように花が飾られていた。
よくこれだけの量を育てたものだと、感心する。どう見ても、主賓であるルシアータのためのものだ。
ゆっくりと進み、その場所に辿りついてから振り返る。
歩くたびに降ってくるような祝いの言葉が止み、一気に静まり返った春の庭を、見渡す。
多くの使用人の期待の篭った目に、つい頬が緩んでしまった。
「みんな、式の準備や片付けに忙しい中、わざわざこうして祝いの席を用意してくれてありがとう。
まだまだ若輩者の頼りない当主で申し訳ないけれど、これからも頼むよ。
この場は、君たちへの労いも兼ねているから、自由にしてくれて構わない。
では、パーティをはじめよう」
長い挨拶をするつもりはないので、さっさと切り上げると、再びざわざわと声が聞こえてくる。
仲のいい人たちで会話を始める姿や、料理に手を伸ばす姿。もちろん、警備や給仕をしている姿もあるが、彼らはまた後ほど仕事を交代することだろう。
ちょこんと傍らに立つルシアータに目を向ける。
表情こそわからないが、大切に花束を抱きかかえるあたり、とても気に入ったのだろう。
「ユギエレムスト」
ルシアータに話しかけようとしたら、先に横から声がかかってしまった。
すぐ側のテーブルにいた姿に、あぁ、と思わず声が出た。
少し拗ねた顔だ。
「母上……」
「もう、こんな楽しそうなことを考えていたのなら、先に教えてくれてもよかったでしょう?」
「いえ、今回はフェムルたちが主導でしたので、僕は何もしてないのです。ですからそのようなことを言われても……」
「そう。でもルシアータに対するお祝いなのだから、わたくしも準備に参加したかったわ」
「母上には式の準備もあったではないですか」
「それとこれでは全然違うのよ。そう思わない?ルシアータ」
「えっ……?」
唐突に話しかけられたルシアータがびくりと体を震わせる。
そしてしばらく言葉を選ぶように悩んだ後、小さく頷いた。
「私には、どのような形であれ、祝っていただけることはとても嬉しく思います。
それに、この席は……きっと使用人からユギル様やレメネシア様への感謝もあると思うので、誰も教えなかったのではないかと」
「ルシアータは本当にいい子ね」
なでなで。
拗ねた様子もどこへやら。
あっという間に機嫌を直し、微笑んでいる。
「あなたのような子が娘になってくれて、本当に嬉しいわ」
「ありがとうございます。私も……レメネシア様が、お……お義母さまになってくださって、とても、嬉しいです」
段々と、手にした花束に埋もれていく。
そんなに恥ずかしいのかと、微笑ましく眺めていると、母上のほうが泣きそうになっていた。
「聞いた、ユギエレムスト、おかあさまよ、おかあさま!」
ぺしぺしと腕が叩かれる。
……こんな興奮している姿は、初めて見た。
感極まって泣きそうになる様子を驚きでもって受け止めるしかない。
何故か置いていかれている気分だ。寂しい。
「……これからはお母様とお呼びしたほうがいいですか?」
「娘だからこそ意味があるのよ。ユギエレムスト」
「そうですか」
ではこれまでどおり母上と呼ばせていただこう。
……まぁそもそも呼ぶつもりもなかったのだが。
それに、娘が出来て嬉しいというのなら、それもいいことだ。
結婚式の準備に奔走したのも、アーゼナル家のためという理由以外に、ルシアータのためという理由が見え隠れしているし。
ドレスを選ぶ際に相当悩んだと聞いているし。
一体どれだけ嬉しいのだろう。
この様子ではもうしばらくこんな感じだろうか。
そんなことを思いながら周囲を見る。
と、こちらを見る目線に気付いた。
ぺこりと頭を下げられたので、笑ってそちらに向かう。
「やぁ。来てくれて嬉しいよ」
「こちらこそ……ありがとうございます」
とても緊張した様子なのは、仕方がないか。
こうして、来てくれただけでも有難い。
少しだけでもルシアータと話でも、と思って目を向ける。
……相変わらず、母上に構われている最中だ。
隣に並ぶヴェンドも同じように目を向けていた。
「すまないね……母があの調子で……」
「いえ、大切にされているようで、よかったです」
「……そう言ってもらえると助かるよ」
つい苦笑してしまった。
けれど、見守るヴェンドの様子は、本当にあたたかだ。
「ルシアータは、母さんを知らないので、母さんの代わりとなる人が出来て、本当によかった」
……あぁ、そうか。
彼は、ルシアータの境遇を知っている。
だからこそ、あのような光景に安堵するのだろう。
「君のお母様と少しは似た部分があるかな?」
「はい。母さんは、とても構いたがりなので」
「そうか。ならよかった」
母上に似ているのなら、きっと彼も苦労することもあるのだろう。
少し親近感を覚えながらルシアータの元へと招く。
その途中、こちらに気付いた母上が少し驚いた顔をした。
問うような目線に、笑って頷く。
それだけで、彼が何者なのかを理解したのだろう。
まったく、これだけで気付くのだから女性は恐ろしい。
「ルシアータ、私はそろそろ行かなければならないから、また後でね」
「はい」
明るいルシアータの声色に、母上から無茶を言われてはいなかったのだろうと理解する。
そうして去っていく母上を見送り、ルシアータに近づく。
最初から気付いていたかはわからないが、じっとこちらのほうを向いて待っていてくれた。
「ユギル様」
「席を外してすまなかったね」
「いいえ。そちらの方はどなたでしょう」
「あぁ、彼はヴェンドと言って、僕の友人だ。式には出られなかったから、今日来てもらったんだ」
もちろん、嘘なのだけど。
それでもすんなりと信じたルシアータは深々と頭を下げる。
目上の人に対する礼になってしまうのは、仕方ないだろうけれど、ヴェンドのほうが戸惑っていて面白い。
友人、と言えばどうしたって貴族だと思われてしまうだろう。
けれどこれが一番簡単な言い訳なので、少しくらいは我慢してほしい。
「初めまして。ヴェンド様。ルシアータと申します」
「あ、こ、こちらこそ……はじめまして」
緊張しすぎて言葉が固い。少し間に立ったほうがいいだろうか。
そう思ったところで、ヴェンドが真剣な目をしていることに気付く。
……これは、放っておいても大丈夫そうだ。
黙って見守ることにした。
「あの、ご結婚、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「その……ひとつ、お聞きしてもいいですか?」
「はい」
「……あなたは、あなた方は、今、幸せですか?」
本当はルシアータに聞きたいだろうに。
わざわざ言いなおすなんて、律儀なところはルシアータと似ているのかもしれない。
言い訳などこちらでどうにでもするから、好きに話してもよかったというのに。
少し笑ってしまいそうなのを堪えながら、ルシアータの返答を待つ。
「……はい。ユギル様とこうして一緒にいることが出来て、私は、とても幸せです」
「そう、ですか。それはよかった」
本当に。
続いた言葉はとても小さく、多分ルシアータには届かなかっただろう。
けれど、兄としての思いが詰まった声だった。
やがて、ちらりとヴェンドがこちらを見る。
どうやら返答を期待しているらしい。
問いかけた手前、ということだろうか。
本当に律儀だ。
「僕も、幸せだよ。ルシアータといられることを、感謝している」
「……答えてくれて、ありがとうございました。これからも、幸せであってください」
「ありがとうございます」
その言葉は、主にルシアータに向けられているのだが。
ちゃんと受け止めているのかは、少し気になる。
やはり事実を告げたほうがよかったのだろうかという気持ちはあるのだが……。
少なくとも、現状では出来ない。
ここは外部の人間も多いから尚更だ。
「では、僕はこれで……」
「うん。ヴェンド、わざわざ来てくれてありがとう。何かあったら、また連絡をしてほしい」
「はい。何から何まで、ありがとうございました」
緊張から解放された、朗らかな笑顔だった。
多分、これが本来の姿なのだろう。
深く頭を下げて引いていく姿を見送る。
ケイスがちゃんとついているので、大丈夫だろう。
「ユギル様」
「うん?」
隣からの声に目を向ける。
こちらを見上げて、小首を傾げている様子がとても愛らしい。
「……今の方の声、とても優しい感じがいたしました」
「そうか……」
どうやら、ルシアータなりに何かを感じ取ってくれたらしい。
ヴェンドも報われることだろう。
一番伝えたかったことは、多分きちんと伝わっている。
「それは、よかった……」
思わず口をついていた。
きっとルシアータは訝しげな顔をしていることだろう。
そんな予感はあった。
それでもいいのだ。思いだけでも伝わったのなら、呼んだ意味がある。
「ルシアータ」
「はい」
「少し、座ろうか?せっかくエルトが腕によりをかけてくれたんだから、休憩にしよう」
「はい」
手にしていたままの花束を受け取り、席へとエスコートする。
わざわざ二人がけの椅子を運び込んでくれたことに感謝しつつ、隣に座って、手を繋いだ。
側にいた侍女は抜け目なくお茶の準備をしているあたりはとても優秀だが、私服なので、仕事中ではないかもしれない。
そのままぐるりと会場を見渡す。
青空の広がる心地よい春の庭は活気とあたたかさと幸福感に満ちていて。
「……ユギル様」
「うん?」
「このような場を用意してくださり、ありがとうございます」
「それは、僕じゃなくてフェムルに言うといい」
「いいえ。ユギル様が許可をしなければ、何も起こらなかったはずです」
それは……まぁ、そうなのだが。
でも逆に言えばそれくらいしか、していないのだ。
ルシアータのためにしてやれたのは、本当に少ない。
「先ほども言いましたが、私は、とても幸せです。
こうして、ユギル様の隣にいることを祝っていただけることが、嬉しいのです」
「そうか。なら、また来年も、再来年も、これからずっと、結婚記念日はこうして祝おう。
みんなが笑っているこの場所で、僕たちも笑っていよう」
「……はい」
ぎゅ、と繋いだ手が強く握られた。
それだけで、心が満たされる気がする。
あぁ、本当に。
今日もなんて、素晴らしい日なのだろう。
アーゼナルの庭師、これにておしまいとなります。読んでくださりありがとうございました。




