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アーゼナルの庭師  作者: さいなせつ
番外編
20/22

 小さなうめくような声と腕の中でもぞりと動く気配に目を覚ます。

 ……朝か。

 基本的に目が覚めるとそのまますんなり動けるのだが、さすがにまだ体が重い。

 やんわりと目を開けると、まだ眠そうにぼんやりとしているルシアータがいた。

 夢かもしれない。

 そう一瞬思って、慌てて取り消す。


「ルシアータ」

「……はい」

「まだ早いから、もう少し眠るといい」

「でも、庭……が……」


 うとうとと眠りの中に身を置きながらも庭師の矜持が許さない。

 そんなところだろう。

 相変わらず律儀で真面目だ。

 つい笑って、額に口付ける。


「今日は休みだろう?昨日は忙しかったんだから、もう少し眠るといい」

「……はい」


 うわごとのような返事と、そのまま閉じられる瞳。

 あっという間に眠りの中に落ちていく様子の可愛らしさに頬が緩む。

 そうだった。昨日が挙式だった。

 ようやく、名実共にルシアータを手に入れたというのに、夢にする訳にはいかない。

 さらさらとすべる髪を撫でつけ、今日の予定を考える。

 午前中は昨日の後片付けに奔走し、午後は明日のパーティの準備に奔走する使用人。

 もう一日ずらそうかと提案したというのに、各所から反対が飛んできたのが遠い昔に思える。

 昨日の挙式の疲れのことなど考えもしないのかと思っていたのだが。それでも問題なく準備をするのだろうと、考える。

 もちろん、今日の準備などルシアータには教えられるはずもない。

 とりあえず、今のところは適当な時間まで眠ってルシアータを足止めしつつ、会場となる春の庭に近づけないこと。それだけを徹底しておこう。

 よし、と確認を終えて目を閉じる。

 布越しとはいえ、腕の中のぬくもりは心地よく、引きずり込まれるように眠りへと落ちてしまった。






 ぺちぺちと、頬を叩かれて目を覚ます。

 ……眩しい。

 すっかり朝の日差しではない。


「おはようございます」

「……うん。おはよう。ルシアータ」


 体を起こし、こちらを見下ろしてくる姿に笑いかけた。

 帽子をしてないので、ほんのりと赤らんだ頬がよく見える。


「ゆっくり眠れたかい?」

「……はい」


 いつものルシアータなら考えられない時間だろう。

 さすがに昼には相当早いが、朝と言うにはもう遅い。

 きっと、こんな時間に目覚めたことなんてほとんどないだろう。

 とはいえ、明け方に目を覚ましてはいたのだが。覚えているのだろうか。

 可愛らしい様子を思い出し、聞いてみようかとも思ったが、秘密にしておくことにした。

 律儀なルシアータはそのような姿を見られることに抵抗があるかもしれない。

 警戒されるようなことになっては大変だ。


「昨日は大変だったから、今日はしっかり休むんだよ」

「もう十分眠りました」

「そうか。ならいいんだ」


 体を起こしてベッドから抜け出す。

 けれど、固まったようにルシアータは動かない。

 少しばかり、困り顔だ。


「ひとまず、着替えておいで」

「……はい」


 続き部屋になっているルシアータの部屋へ促す。

 ゆっくりと動き始めたのを見て、廊下へと顔を出してみた。

 普段であれば誰かしら待機しているが、今日は誰もいない。

 扉の横に置いてあるベルを鳴らすことなんて、本当に久しぶりだ。

 ちりん、と高く澄んだ音を響かせると、侍女が飛んできた。


「おはようございます。ユギエレムスト様」

「うん。忙しいところ悪いけど、朝食を持ってきてくれるかい?」

「はい。ただいまご用意いたします」


 ぺこりと一礼して、少しばかり早足で去っていくのを見送る。

 どうやら、とても忙しいようだ。片付けに追われているのだろう。

 そちらを優先するように言ってあるので、こうなるのは予想済みではある。

 というわけで、部屋に戻り、身支度を整える。


「ユギル様はお一人で準備なさるのですね」

「……うん?」


 静かな声に振り返ると、準備が終わり戻ってきたルシアータがいる。

 ふわりとした白がよく似合っていて、つい頬が緩む。

 帽子は手にしたまま、髪はしっかりと結ってある。

 そうしてしばらく見惚れていると、不思議そうに小首を傾げられた。


「あぁ、すまないね。

 準備は、ほら、一人でしたほうが早いから……」

「そうなのですか?」

「うん。人前に出るならまだしも、ずっと篭って仕事するのならほどほどに身奇麗にしておけばいいからね。

 準備の時間より仕事の時間に使いたい」


 正直、相当忙しいのだ。慣れない頃は帰ることすら困難になるほどに。

 今は余裕も出来たし、何よりルシアータがいるので仕事を持って帰ってでも夕食に間に合わせているが。

 ただ、ここ数日は休みをもぎ取るためにそれすらも出来ていなかったが、それは例外だ。


「あの……ユギル様、お仕事も大切ですが、お体も大切になさってください」


 いつもは無表情ともいえる真面目な顔が、困ったように顰められた。

 休みだろうとずっと庭にいる君に言われたくはないけれど。

 結局同じ穴の狢だと気付いているのか、いないのか。

 もちろん、庭にいることが心底楽しそうなので、それはそれでいいのだが。

 そうこうしている間に扉がノックされ、食事が運ばれる。

 簡単なものになるかと思ったら、いつもと大差ない朝食だった。

 続き部屋になった応接室はいつの間にか食事が出来るように整えられ、料理が並べられる。

 木の実を混ぜ込んだパンに、野菜を入れたふわふわのオムレツ。丁寧に裏ごしされたポタージュと果物をたくさん詰めたゼリー。

 十分に手が込んでいるが、忙しいのではないのか。

 いや、どんなに忙しかろうと表には出さない。

 そういうことだろう。

 ひとまず席について食事にする。正面に座るルシアータは、もうすっかり食事のマナーにも慣れた様子だ。

 母に連れ出された頃は危なっかしかったのを、ふと思い出す。

 緊張しすぎて味が分からないのではないかと考えたりもしたのだが。

 今となっては、微笑ましい話だ。


「あぁ、そうだ、ルシアータ」

「はい」


 ふいに思い出して声をかけると、ぴたりと食事をする手が止まった。

 律儀なものだ。


「今日なんだけど、書庫に行かないかい?」

「書庫、ですか?」

「うん。今日は使用人たちも片づけで忙しい。あそこにいるのが、一番気を使わせないからね。

 あと、人払いが簡単だ」

「……そう、なのですか」

「もちろん、君さえよければ、だよ。ルシアータ。無理強いをするつもりはない」

「いえ。ユギル様のご意思に従います。

 フェムル様にも庭のことは忘れて休むように言われておりますので……」


 どうやら近づかないように言い含めてあったようだ。

 確かに、フェムルから言っておいたほうが納得はしてくれそうな気がする。

 悔しいが、適材適所とも言うので、妥協した。


「なら、昼からでも行こうか。せっかくの休みだ。のんびりするといい」

「はい。ユギル様も。お疲れでしょう?」

「そうだね。昨日は、大変だったから……。ルシアータ、疲れは残っていないかい?」

「問題ありません」

「ならよかった」


 表立ってはそうそう動じないルシアータが人の多さに困惑していたから……。

 ずっと気を張っていたし、疲れただろうに。

 思い返すだけで、とても慌しかった。

 さすがにアーゼナル家の婚礼だ。

 誓いの儀式は王城にて、陛下に直接宣誓しなければならないし、来賓も厳選された方々。

 そして、終了後には屋敷のホールに多くの人を呼んでのお披露目。

 その途中の移動はパレードの様相になる直前だった。陛下の代理として王子殿下夫妻が通るのだから無理もない。

 ……ルシアータの負担はとんでもなかったことだろう。

 それに、事前準備も大変だったことだろう。

 ルシアータは、努力家だ。

 奥の庭にある品評会に関する書類の膨大さを見たからこそ、わかる。

 メルリリエの人となりがわからない中、数多く作られたブーケの案。

 それだけでも十分な価値をもたらすものだ。

 そして、必要な花を作り出す技術は高く、王家の庭師長を任命されても不思議ではないだろう。

 血筋もあるだろうけれど、植物に関する知識なども群を抜いているのは、それだけの努力を重ねた証だ。

 多分、本人は気付いていないが、完璧主義者に近いのだろう。

 そんなルシアータが、式の準備で手を抜くことはありえない。

 一体、昨日のためにどれだけの苦労をかけてしまったか。

 容易く想像など出来るはずもなく、だからこそ、せめて今くらいは労ってやりたい。

 表には出さずとも、疲れはあるだろうから。

 あぁ、それにしても。

 ついつい、昨日の式を思い出す。

 あのルシアータは、とても美しかった。

 今、目の前で食事をしている姿もとても美しいのだが、やはり昨日の姿は別格だ。

 国王陛下への直々の宣誓ということもあり、式の途中に少しだけ顔を見せたのだが、そのときの周囲の反応もよかった。

 目を見張る、というのはこういうことかと思えるほどの呆気に取られた表情を多く見られた。

 それだけで、十分満足と言えるだろう。


「……どうかなさいましたか?」

「何がだい?」

「いえ、とても嬉しそうですので……」


 顔に出してしまっただろうか。

 いや嬉しそうというのなら、別に問題はないか。

 それは事実なのだし。


「こうしてルシアータといられることが、嬉しくないはずはないだろう?」

「……そう、ですか」


 俯いて食事を再開する姿に笑いがこみ上げる。

 白い頬にも耳にも赤みが差している愛らしい姿が見えるのだから、仕方ないはずだ。


「あの、ユギル様」

「うん?」


 ちらりと、伺うような目線に笑いかけると、逸らされた。

 別に不快にならないのは、ルシアータの性格をある程度理解しているからだろう。

 少し悩んだように時間を置き、口が開かれる。


「わ、私も、こうしてユギル様と一緒にいられることが、嬉しい、と思います」


 珍しいこともあるものだ。

 そう思ってしまうのは、無理もないだろう。ルシアータはあまりこういうことを言わないのだから。

 浮かれてしまいそうなほどに、心が沸き立ち、顔が緩む。


「そうか。それはよかった」


 そう言ったときに浮かんでいたルシアータの表情は、先ほど思い浮かんだルシアータを初めて見た来客に似ていて、少し面白かった。


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