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「あなたのそれはもう、執着ですよ」
鷹揚に、言われた。
次期国王らしい姿ではある。執務室で一人偉そうに座っているので、とても似合っていると言えるだろう。
まぁ、言われていることはどうかと思うが。
「そこまでではないと思うよ?」
「いや、無理でしょう。もう何年です?片思いをこじらせるにも程があると思いますが」
ディートに言われ、少し悩む。
何年、と聞かれれば、やはり初めて顔を見たあの夜、なのだろう。
最初に会った時は多分恋ではなかっただろうし。
「十年ほどじゃないか。君こそ人のことは言えないだろう」
どこぞのご令嬢に入れあげて自分の下へ来るように仕向けたくせに。
言外に匂わせると、目元を細めて笑う。これが、周囲の言う悪い顔というやつだろう。
ここまでの表情はしていないと思う、と思わず自分を振り返ってしまった。
「僕はいいんですよ。最初から候補の中にいたので。でもあなたは……」
「……ただの庭師に?彼女は特別だよ?」
「それは知ってます。けれど、言わずに匿うのもまた彼女のためになったのではないですか?」
それは、知っている。
誘いをかけなければ、静かに、平穏に暮らす。そんな道もあっただろう。
言葉にしなくても、そう言われていることを理解している。
目の前にいるディートは、前々からルシアータのことを知っている。さすがに、王族相手だ。言わないわけにはいかない。
根回しにも必要な存在だ。
これでもし、ルシアータに惚れようものなら考えねばならなかったが。
幸いにも、彼は早々に相手を選んだ。溺愛した。
策を労し、相手を手元に転がしてきたのはこの王子のほうが先だ。
……残念なことに、根っこは似ているのだろう。
気が合うのが、つくづく不思議だ。
少なくとも、自分の味方でいる間は、と前置きがあるけれど、向こうも同じ事を思っていることだろう。
そんな同類でもあるような彼に、ルシアータのことをとやかくは言われたくない。
「一応、弁解させてもらうけど、隣に立ってほしいのは事実だ。
けれど、ルシアータの能力を周囲に認めさせたい気持ちもあるんだよ」
「見せびらかしたいだけじゃないですか?」
「言い方が悪いね。君は」
事実だが。
そして、この男がこんな態度を取るのはこの時だけだというのは、よくわかっている。
表立っては品行方正。国を思うそれはそれは有能な王子だ。
ただし、この場においては悪友としか言いようがない。
「ともあれ、挙式を楽しみにしていますよ。
準備のほうは順調なんでしょう?」
「母上が取り仕切ってるからね」
「そうでした。問題はなさそうだ」
くすくすと、楽しげに。
母の有能さをとてもよく知っているからこそ、漏れる笑いなのだろう。
「メルリリエもとても楽しみにしていますし、期待を裏切らないでくださいね?」
メルリリエをがっかりさせたらどうなるか考えてくださいね、の間違いではないのだろうか。
そんなことを思うが、どうせ言ったところで肯定しか返ってこないので黙っておく。
それに、喜ばせる算段ならついているのだ。
対抗するように、笑う。
「もちろん。ルシアータがとてもたくさんの野菜や果物を準備しているからね」
「それは楽しみです」
気付けばルシアータの作る作物を出されることは名誉なこととなっていた。
単純に収穫などの事情があるだけだというのに。
もちろん、本人はそんなことを知らずに作っているし、提供する母上や料理するエルトも知らなかったことだ。
購入や入荷を希望する声は聞いていたのだが、こんなことになっているとは、誰も思ってはいなかったのだ。
そんな経緯もあり、今回の式で使うというのは大きな意味があるだろう。
「ところで、その果物などは、まだ市場には出回っていないのですか?」
「探せばあると思うよ。料理長が個人的に購入しているくらいだ。
ただ、ルシアータが育てると明らかに質が上がっているから同等かどうかは、わからない。
最近では料理長もルシアータが育てることを見越して購入してるだろうね」
「これも彼女の能力なのでしょうか」
「そうかもしれないね」
「ちゃんと、守ってあげるのですよ」
「言われなくても、そのつもりだよ」
笑顔を返し、部屋を出る。
仕事の話のはずだったのに、気付けば違う話になっていた。
こうして時間は奪われるんだろう、と思いつつ、仕事場へ戻る。
「お帰りなさいませ。ユギエレムスト様」
「何か変わったことは?」
「特には」
「ならいい」
簡潔に告げて席に戻る。
時間もないのでさっさと書類の処理に入ることにした。
結婚式の後に休みを確保する。
それは、なかなかに大変なことであり、とても忙しくなるのは仕方ないことだ。
こうなることは予想もしていた。
アーゼナル家は領地の代わりに王家の第一の臣下という栄誉を賜った特殊な家だ。自然と、政治的な役割が強い。
そうなると、どうしても仕事量は増えるし、重要な案件が多くなる。
おかげで、王城内の、それも王の執務室のすぐ近くにこうして執務室をいただいているわけだが。
山のような案件に目を通し、頭を抱える。
現在のわが国は安定期。今はあの王子が結婚したことにより景気は上向きだが、それに頼りきってはいけない。
……と、各地で思っているらしく、妙な提案が多い。
一応有効なものもあるが、大半は却下するようなものばかりだ。
もう少し前の段階で切り捨てられるようなものもいくつか入り込んでいるので、もう少し厳選してほしい。
そして、次に多いのは結婚式の取り止めを求める手紙。もはや書類ですらないし、仕事でもない。
自分のまいた種と言えなくもないが、それでも、さすがにこれは多すぎるだろう。アーゼナルに取り入りたい家やご令嬢からの恋文に類するものまで、種類も豊富だ。
時折、ルシアータ宛に引き抜きの打診まで紛れ込んでいる。
これはもう、全部見なかったことにしても許されるのではないだろうか。
そう悩みつつ、定型文の断りを入れることにして、より分ける。
わざと浮名を流すようなことはしたが、誰一人手は出していない。全員に対等に接していたのだ。
というわけで、返事も対等に、同じものを書いて問題はないだろう。
そう思いながら振り分けていると、ふいに、違うものが目に入ってきた。
レグゼンドを筆頭とするエブレス解放部隊についての報告書だ。
彼らに関しては既に引渡しは終わっているし、これは事後報告でしかない。
引き渡すことによってこの国とルシアータへの手出しはしないという約束も取り付けた。
密約とも言えるので、ルシアータには言っていない。これを知ったら、心を痛めるのだろうか。
前にも気にしている様子はあった。
何を言われたのはは知らないが、多分、誇張はされていたことだろう。
『リーシャ様は、あの美しい庭で微笑んでいるあの時間が一番幸せそうだったのだ!』
牢獄で交わした言葉が、ふとよみがえった。
檻の向こうに座り込み、過去を懐かしむ瞳には、強い憧れが透けて見える。多分、その美しい人に幼い少年は心を奪われたのだろう。
その気持ちはわからないわけでもない。
ルシアータも庭にいるときは幸せそうにしている。
きっと、似たようなものを見ていたのだろう。
だからといって、見ていたその人が同じ感情だとは限らない。
『……それは、貴方が思う、貴方の幸せだよ。
リーネシュアネル・エブレスは亡命の後、良き伴侶に出会い、子供に恵まれ微笑んでその生を終えたと聞いている。
彼女には、彼女の幸せが存在する』
『そんなことはない!あの方は、戻りたかったはずなのだ!
あの日々に!幸福だったあの場所に!』
どうやら、彼はその過去の栄光を神格化してしまったらしい。
過去の思い出があまりにも美しく幸せであったために、現状との落差についていけなくなったのだ。
思い込みが激しいと言ってしまえばそれまでだが。
『けれど、彼女の家族は誰一人、エブレスに戻ることを望んではいないよ。彼らは素朴だけれど暖かな今の生活を望んでいる。
そして、その静かで平穏な暮らしはリーネシュアネル・エブレスが望んだことだと言っていた』
『……家族』
『子供に、孫達だね。あぁ、安心するといい。あの色をしているのは、ルシアータだけだ』
だからこそ、ルシアータの家族は彼女を持て余したのだ。
愛情はあるが、変わった髪と瞳をしてしまったために。
彼らのような存在に目をつけられては、守りきれないと悟ったのだろう。
『ルシアータの家族は、貴方達にルシアータを道具のように扱われることを恐れた。だからこそ、アーゼナルに助けを求めたんだよ』
育ての親である先代の庭師長の義弟。彼こそが、リーネシュアネルの伴侶だった。
ルシアータが生まれた頃にはすでに彼の姉である先代庭師長の奥方は亡くなっていたので、相当困っていたのだろう。
ほとんど切れた繋がりを頼ってきたのだから。
『リーネシュアネル・エブレスはすでに亡くなり、彼女の家族は誰一人エブレスを望まない。
貴方達がしていることは、彼女のためではなく、自分のためでしかないんだよ?』
『ならば……ならば、私だけでも、あの方の意志を継ぐ。あの方のための国を、復興させるのだ』
『もうすでにいない人間を王に据えるつもりかい?それとも、貴方が王になるとでも?
それは……本当に貴方の求める国なのかな?』
もういないのだ。
リーネシュアネルは。
彼女を中心にした彼の王国は、終わるしかない。
一応、王のいない国を作ることも可能ではあるが、多分それを彼は望んでいない。
彼の望む国はもう、行き止まりでしかないのだ。
本人は気付いていないかもしれないが、彼の望む道は破綻する以外存在しない。
『まぁ、貴方がどうしたいかを僕がどうこう言うつもりはないよ。
でも、先に言っておくけど、ルシアータに手を出した時点で、貴方達の望みが叶えられることは絶対に、ない』
そう言い捨ててその場を去る。
それが、レグゼンドに最後に会ったときのことだ。
引き渡すまでにもいろいろと言っていたらしいが、そのあたりはどうでもいい。
ルシアータに手を出した報いは受けてもらう。
その言葉だけ伝えられたので、もう満足なのだ。
それは、アーゼナルの当主としての立場としても、ユギエレムスト個人としても、変わらない。公私混同ではないが、ディートにいろいろと言われても無理はない。
それに、後悔などはしていない。
彼らの命こそあれど、しかるべき罰は受けた。
その事実に満足して、報告書を処分し、また次の書類に目を向ける。
と、慌しく扉が開かれ、ケイスが飛び込んできた。
「ユギエレムスト様、緊急の要件だそうです」
声こそ上げなかったものの、多分表情には出してしまったことだろう。
はぁ、と深く息をつく。
……また今日も、夕食までに帰ることは、無理そうだ。