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番外編はユギエレムスト視点となります。
それは、挙式を一ヵ月後に控えた騒動の最中の申し出だった。
わざわざ話があると連絡をしてきたので、屋敷内の執務室で顔を付き合わせる。
こんなこと、滅多にない相手だ。退職とか言われたらどう引き止めるか。
そんなことを考えながら身構えていると、あまりにも予想外な申し出が飛び出してきた。
「お祝い?」
「はい。ルシアータは、私たちの同僚。祝ってやりたいのです」
珍しく真剣な顔をした庭師長ことフェムルは深々と頭を下げる。
彼にとってルシアータは先代の忘れ形見、もしくは妹、娘でもいい。それくらいには大切にしている。特別に祝ってやりたい気持ちはわからないではない。
むしろ、その申し出はわくわくと面白そうな響きを伴っていると言ってもいい。
楽しそう。
正直に言えば、そう考えていた。
心配が杞憂に終わったことや、今日の仕事を終えて疲れていたことも影響しているのだろう。
もちろん、断る理由はない。
「いいよ。僕も全面的に支援する。
ただし、このことはルシアータには秘密だよ」
「……秘密、ですか」
「うん。どうせなら驚かせてあげたい」
「ユギエレムスト様、悪い顔になっておられます」
おっといけない。
気をつけてはいるのだが、時折表に出してしまうらしい。
長年培って身につけた笑顔を貼り付け話を戻す。
「では、エルテークにも話を通そう。
日程は挙式の後でいいかい?」
「はい。今からでは、お忙しいでしょう?」
「まぁ……そうだね」
挙式に関しては母がとても楽しそうに取り仕切っているし、問題はない。
ただ、こちらは数日休みをもぎ取るために仕事をこなしているし、ルシアータは庭師の仕事がある。その間に挙式についてのあれこれが捻じ込まれている状態を忙しくないとは、言えない。
特にルシアータの忙しさはなかなかのものだろう。
想定以上に大規模になりつつある挙式なのだ。
さらにディートたちも来るのだから、品位を保つ必要もある。仕方がないとは言え、ルシアータに求められる要求も増える一方だ。
……全部終わったらやはり休ませよう。
申し訳なさから本気でそう思った。
「出来るなら、ルシアータが休みの間がいいのですが……」
「それは僕も同感だ。ついでだから、使用人みんなが休めるのが一番いいと思うんだが……」
「いえ、そこまでしていただくわけには」
「何を言っているんだい?挙式の準備で君たちも忙しくしているじゃないか。
全部終わったら少しくらい羽目を外すくらいいいだろう」
「主が言うことではありませんよ」
「いいんだよ。これくらいの褒美があるほうが、後々便利だ」
じっと、見咎めるような目線に、またしても表情が崩れたことを悟る。
最近、どうも崩れやすくていけない。
やはり、疲れているのだろうか。
「まぁ、詳細はそっちで決めるといい。調整はこっちでするから、気にしなくていいよ。
ひとまず、先に決めて欲しいのは場所だね」
「それでしたら、庭を使わせてください」
「庭?……あぁ、なるほど。それが一番かもしれないね」
広さもあるし、目の前にいるのは庭師長。何もかもを知り尽くしている。
それに、ルシアータも喜ぶし、使用人たちも集まりやすい。
とてもいい案ではある。
「……でも、挙式の後のパーティもあるし、大変じゃないかい?」
一応、式は別のところで行うが、来賓を招いてのパーティは屋敷に戻ってから執り行う予定だ。
だからこそ、現在屋敷の使用人は総出で働いているわけだし。
立て続けになると大変ではなかろうか。
「いざとなれば庭師一同で全部準備いたします。それに関しては、もう全員で決めてありますので。
エルテークもルシアータのためなら参加するでしょうから、何とかなりますよ」
これはもう、引くつもりはないのだろう。
フェムル一人で考えたわけでもないらしいので、すでにある程度の算段はついていると思われる。
だったら、何も言うまい。
やりたいことをさせるのも、主の役割だろう。今回ばかりは彼らのために裏方をするのも悪くはない。
それはそれで、とても楽しい。
「……そうか。だったら、そのあたりも全部任せるよ。他の使用人たちにも話を通しておこう」
「はい。よろしくお願いします」
安堵が浮かんだ様子で退室した庭師長を見送り、こちらも安堵の息をついて、椅子の背に身を預ける。
気を抜いたら眠ってしまいそうだ。
いやいや、眠るわけにはいかない。
体を起こし、欠伸を噛み殺しながら部屋を出る。
ぼんやりと明かりの灯る廊下を歩いていると、窓の外には満月が見えた。そして、その下にはぼんやり輝く冬の庭。
冬に咲くものや開花時期が長いものが多いその庭は、今が一番、美しい。
懐かしい場所に、つい頬を緩めつい出向いてしまう。
ふわりと香るのはスイートバイオレットだろう。オキザリスは今は閉じている時間というのが少し残念だ。
それにしても、日中は春らしさを感じるものの、夜はまだ冷える。
寒さに首をすくめ、下草を踏みながら歩くと、どうにも懐かしさがこみ上げてきた。
少し歩くと、昔特訓をしていた少しばかり開けた場所。
幼い頃より病で弱り行く父を見て、少しでも立派になろうとしていた日々が掠める。
そういえば、初めてルシアータの瞳を見たのは、ここが最初だった。
初めて会ったのはさらに前。
先代庭師長の腕の中、ぐっすりと眠っていた。立派な体躯をした彼が抱えていると、その子供はひどく華奢にも見えた。
青みを帯びた黒髪の美しさと、整った顔立ち。
その時父に言われた守るべき子供だという言葉も相まって、そのときに芽生えたものは庇護欲だったのは言うまでもない。
感情が変化をしたのは、数年が過ぎ、こっそりと夜に特訓を行うようになってからだ。剣の才はないとわかっていても、足掻いていた頃は、多分、焦りもあったのだろう。いつものように特訓を終え、疲れきった体を休めている時だった。
星の美しさに空を見上げ、吹き抜ける風の心地よさを感じていると、かすかな足音が聞こえたのだ。
もちろん、隠れて特訓していたので、低い樹木の影に身を潜めて様子を窺う。
ひょっこりと現れたのは小さな体には不釣合いな大きな帽子に、身の丈に合わない大きな服。
薄布もあって、顔が見えないが、その姿はどうしたって、わかってしまう。
ルシアータだ。
幼い彼女はきょろきょろと周りを見渡し、小首を傾げる。
今にして思えば、多分、特訓している姿を探しに来たのだろうとわかるのだが、当時はそんなこと、考えもしない。
何をしているのかと疑問に思うが、見られるわけにはいかないという意地が勝ったのだ。
そうしてしばらく隠れていると、ふいにルシアータが上を向いた。
その瞬間に、ふわりと風が帽子のつばを、薄布を持ち上げ、隠していた顔を曝す。
白い頬と小さく開いた可愛らしい唇。そして、まっすぐに夜空を見上げる緑の瞳は、星を取り込んだようにきらりと金に煌めく。
思わず息をのんだ。
可憐、というより美しい。
あれは隠されるべきものだった。そっと奥で秘されるべきものだ。
子供ながらに本能で悟っていた。
蒼黒の髪に金の緑目。聞いてはいたが、想像よりもずっと、美しいもの。
見えたのはほんの一瞬。それなのに、脳裏に染み付いて、離れない。
きっと、もう見られることはない。
その事実は、打ちのめされるのに十分で。
再度周りを見渡し、寂しげに肩を落とした様子を見て、去っていく小さな背中。
……あぁ、どんな苦労をしたっていい。
もう一度、あの瞳を見られるのなら。彼女を、幸せに出来るのなら。
そう思えるほどに、衝撃だったのだ。
あのうつくしい子を、守りたい。
そう、夜空を流れた流れ星にではなく、自分の心に誓ったのはもう、十年以上も前のことだ。
我ながらしつこいというか、しぶといというか。
よく粘ったとも言える。
とはいえ、危険なこともあったし、大変な思いもさせているのでこれでよかったのかは、わからないが。
「ユギル様」
背後にかかる声に、振り返る。
自然と、笑みが溢れた。
考えていた人が本当に現れると、こんなにも嬉しいものか。
「やぁ、ルシアータ。こんなところに、どうしたんだい?」
「お姿が見えたので。ユギル様こそ、どうなさったのですか?」
ちょこんと小首を傾げる姿にどこか昔の姿が重なる。きっと、当時のことを思い出していたからだろう。
あの頃と同じように帽子で顔は隠しているけれど、すっかり背も伸び、美しい姿になったというのに。
ルシアータはルシアータのままということだろう。
「……ユギル様?」
「あぁ、ごめんね。ここへは、休憩を兼ねた散歩に来たんだ」
「そうでしたか。お忙しくされていますが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。君こそ、大変そうだけど、ちゃんと休憩しているかい?」
「はい。大丈夫です」
「準備は、順調?」
「はい。レメネシア様にもよくなったと、お言葉を頂きました」
「それはよかった」
ルシアータが覚えるべきことは、多い。ひとまず、式での礼儀作法を今はひたすら教えられているはずだ。
あの厳しい母親が認めたのなら、問題はないだろう。
それに、声色からすると、ずいぶんと嬉しそうだ。
ルシアータのほうも母のことを気に入っているのだろう。いいことだ。
少しばかり、悔しい気がしないでもないが。
もちろん、表には出したりしない。
「挙式が終わってしまえばあとはいつも通りだ。それまで、頼むよ。ルシアータ」
「はい。ユギル様も、ご無理はなさらないでください」
ルシアータらしい真面目な言葉に笑いが零れる。
君のためなら苦にはならないよ。
そう言ってやれればいいのだが、無理をしていると言っているようなものなので、口には出来ない。
散々口説き文句めいたものを言ってはいるのだが、言っていいものと悪いものがあるのはよく理解している。
他のお嬢さんのようにはいかないのだ。もちろん、もうルシアータ以外に言うつもりもないが。
話す理由がほしかったのだ。
一人の使用人に肩入れしていると周囲に思わせるのは得ではない。子供ながらにそう考えた結果、周囲のつながりを作ることも兼ねての行動だった。
今となればもう少しやりようがあったと思うのだが。
残念ながら、気付く頃にはもう後戻りは出来なかったのだ。
悪手ではないが、最善ではなかったことだろう。
それでも、理由を話すとルシアータは怒ることなく受け入れてくれた。
とても有難いことだと思っている。
「……ユギル様?」
どうやら、じっと見すぎたらしい。
不思議そうな様子に、笑う。
「なんでもないよ。元気そうなルシアータを見ていると、僕も元気をもらえるからね」
「……顔は、見えていないかと思われます」
「見えているよ。ずっとね」
それこそ、子供のときのあの日から。
隠された君の顔を、ずっと見ていたのだから。