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 ふぅ、とまだ熱を持つお茶に息を吹きかける。

 冷えた指を暖めるにはちょうどいいが、飲むにはまだ熱い。


「さすがに、そろそろここはお休みかな」


 そう笑う主の声は、相変わらず楽しげだ。

 主が言うところの秘密基地には厚手の布が敷かれ、ひざ掛けや毛布までもが準備されていたが。

 さすがに冬はここに来るつもりはないらしい。それは助かる。


「次は奥の庭かな」

「……ユギル様、せめてもう少し他の方にもわかりやすい場所にしたほうがよろしいかと思います」


 用事があって探す方が困るから。主にケイス様が。

 秋の庭は呼び声が聞こえるからまだ許容しているが、さすがに奥の庭は難しいだろう。


「そうか……確かに奥の庭はルシアータの秘密基地だからね」


 いえ、そんなつもりはありませんが。

 何故そんなに秘密基地にこだわるのか。


「仕方ない。冬は大人しく屋敷の中にいるとしよう。

 君と過ごすには広すぎるところばかりだけど」

「……広さは重要なのですか?」

「とても大切だよ、ルシアータ」

「そうですか」


 そんな力説されるとは。

 理由も気になるが、なんとなく後悔しそうな予感がするので、やめておく。

 ほどよく冷めてきたお茶はほんのり甘い。

 何かの果物の風味だろうか。

 用意したのが主なので、詳細がよくわからない。

 エルテーク様もこの夜のお茶会に関してはすっかり慣れたようでいろいろ準備してくれるのだとか。

 お茶だけではなく、お菓子も、そして、夕食までも配慮されているらしい。

 ただし前日までに言っておくこと。

 ……ということらしいが、ならせめてこちらにも前日までに知らせて欲しいと思う。夕食後に、唐突に連れ出される身にもなってもらいたい。

 とはいえ、不愉快にはなるわけでもない。

 最近に至ってはどこか心待ちにしているのではと自覚してしまい、少々悔しいくらいだ。

 そんなことを気付いているはずもない主は、隣で幸せそうにマドレーヌを頬張っている。


「どうかしたのかい?」


 目線に気付いたらしく、じっと、見られる。

 観察されているような気分になって目を逸らしたところで、ふと、思う。

 次からは屋敷の中になるのだろう。そうなると、どう足掻いても人の目がある場所になる。

 ……聞くならきっと、今しかないのだ。

 ずっと、聞きたかった。けれど怖くて聞けなかったことだ。

 多分それは、今が一番いいときなのだろう。


「あの、ユギル様……教えてほしいことがあるのですが」

「うん」

「…………エブレスの、現状とは……どういうものなのですか?」


 気になっていたのだ。

 向こうに行くことは望んでいない。

 それでも、あの時語られた惨状は事実なのか。

 それだけは少し、気になったままなのだ。

 自分とは無関係だ。それはわかっている。今後も無縁の地であることは確かだ。

 何故気になるのかは、自分でもわからないほど。

 だから、こうして尋ねるのは少し抵抗があるのだが。


「エブレスか。そうだね……元々は緑が多くて実りが豊かな土地だったらしい。

 今もそのあたりは変わらないけど、小国をまかなうには十分だった食料も、大国をまかなう一部にしかならない。木々は伐採され農地となり、他国の文化も入って、生活も変わっていっただろう。

 そんな流れの中にあるエブレスは、不自由ではないが、豊かではない、という感じだね」

「……そう、なのですか」


 あの時語られたほどの悲壮感はない、のだろうか。

 生活は前よりも困窮しているようにも聞こえるが。


「とはいえ、国ではなくなって五十年程が過ぎ、国だった頃のことを知る人もずいぶん減っただろうね」

「そんなに前なのですか」

「だからこそ、彼らは焦った。国として立ち上がる最後の機会だっただろうし。

 そんな頃に、ちょうど君が表舞台に出てきた、ということだね」

「……それなら私を品評会に参加させなければよかっただけなのでは?」


 そうすれば、彼らが立ち上がることなく、もしかしたらそのままエブレスという国は終わっていたかもしれないのに。

 余計な混乱を起こしただけではなかろうか。


「君を参加させなければ、僕はこうして君と一緒にいられなかっただろう?

 それに、本当に彼らが動くとは思っていなかった。戦う準備をしているようには見えなかったし、多分、今回のことも反抗勢力の一部が独断で動いただけだと思うよ」

「彼らのこと、調べていたのですか?」

「君に関わる可能性はあったからね。ディートにも手伝ってもらって、調査はずっと、していたよ」

「王子殿下まで……」


 まさかそんなにお世話になっていただなんて。

 申し訳ないどころではすまないのだけど。


「気にする必要はないよ。ルシアータ。

 彼らについて探ることは、周囲の国を探ることにも繋がるからね。とても都合がよかったんだ」

「そうなのですか」


 その場しのぎのでまかせ、ではないだろう。

 茶化すことやはぐらかすことはあっても、こういうときに嘘はつかない方だ。

 多分、エブレスについては、本当についでに調べてくれたのだろう。

 もちろん、それだけで十分に有難いことだ。


「ルシアータ、あともう一つ、君について調べがついていることがある」

「……何ですか?」

「君の家族についてだ」


 家族。

 その言葉を飲み込むには、少し時間がかかった。

 ここで言う家族とは、生みの親ということだろう。

 考えたことがないわけでもない。

 それでも、実感の伴わない空想の存在のようなものだった。


「君の家族は、生きて、今も健やかに暮らしている。エブレスからは離れているけれどね」

「そう、ですか」

「ルシアータ、君は、家族に会いたいと思うかい?」

「……よく、わかりません」


 考える間もなく、口をついたのはそんな言葉だった。

 考える必要がないとも言えた。

 これは、答えの出ない事柄なのだと、理解しているからだ。


「たとえ血のつながりがあっても、会ったことがなければ他人と同然なのかもしれません。

 会おうと会うまいと、どちらでも構わないと、思ってしまうのです。見ず知らずの国が故郷だと思えなかったことも同様です。

 ……私は、薄情なのでしょう」


 少しだけ、眉が顰められた。

 困っている、のだろうか。

 変なことを言ってしまっただろうか。


「薄情ではないよ。それは、確かだ。

 多分、君にとっての家族というのは、先代になるんだろうね。知らなければ、思い入れなど出来ない」

「……そう、かもしれません」


 あぁ、そうか。家族という言葉に実感が伴わないのは、祖父が親だと思っているからなのか。

 祖父が家族というのは、よくわかる。


「それに、君の家族は君のような色を持っているわけでもないから、会っても実感はないかもしれないね」

「違うのですか?」

「うん。君の色は、君しか持っていないんだよ。ルシアータ。不思議な力を扱えるのも、君だけだ」

「あれから使えたためしはありませんが」


 どういうきっかけで植物は成長したのだろう。

 未だに、よくわからないのだ。

 再現しようと血を与えても、声をかけても、何も変わらない。

 無理に使う必要も無いので、今はもう、すっかり諦めているが。


「窮地に陥って運よく発現したのかもしれないね。

 もしくは、植物のほうから君を助けたいと思ったのか……」


 なるほど。そういうことも、あるのかもしれない。


「どちらにせよ、君は確かに、植物に愛されている。それは信じていいことだろう」

「はい」


 とても、嬉しいことだ。

 大切に育てているつもりだったが、こうして返事がもらえるなんて。

 美しく花が咲いてくれるだけで、十分に幸せだったというのに。


「それで、話を戻すけれど、君は、特に家族に会いたいというわけではない、と」

「どちらでも構わないと思っています」

「うん、そうか。だったら、会う約束を取り付ける必要はないかな」

「はい。多分、会わないほうが互いのためです」


 下手に顔を合わせて情が湧こうものなら大変だ。

 ぎこちない会話ならそれはそれでいいのだが、手放したことをひたすら謝られるのは遠慮したい。

 先日メルリリエ様に連れられ見た演劇がそのような話だった影響が、どうしても。

 最終的に一緒に暮らそうと和解する物語であったが……。ここから離れるつもりはないので、実現はして欲しくない。

 それに、多分、会ってみたいと言えば、主は喜んで会わせてくれる。

 けれど、寂しさを感じることだろう。絶対にそんな顔を見せないけれど。

 それでもわかってしまうことを、この主は多分、気付いていない。


「……では、このままの距離を保っておこう。

 けれど、一つだけ、彼らに報告したいことがあるんだ」

「報告、ですか?」

「うん。これは、とても大切なことだよ」

「はぁ……」


 生返事気味になってしまった。

 とはいえ、主の目は真っ直ぐに見据え、真剣そのもの。

 いつものような遊び半分でもなさそうで、少し、居心地が悪い。


「結婚することを、伝えておきたい」


 思わず、息を呑んだ。

 そう、か。確かに、そういう報告はとても大切だ。

 頬が熱を持つ。


「個人的には早く式を挙げてしまって事後報告にしたかったんだけど、さすがにそれは難しそうだ」

「そ、そんなに急がなくてもよろしいのでは」

「急ぐよ。だって、未だに君に縁談の申し込みが来ているからね……。

 断ることにも飽きた。何より、僕が一番送りたいくらいだ」

「婚約したと報告はなさったのでは……?」

「どうやら君を手放さないための口約束だと思われている節がある」


 どうしたものかな、とぼやいて溜息をつく姿を見ながら、それは困ったと、考えてしまう。

 一応、予定では王子殿下の挙式のあとにしようという話になっている。

 もちろん、レメネシア様と主の話し合いの中で。

 当人だというのに、そのあたりは部外者なのだ。任せていいのだろうかと思わないでもないが、口出しできるだけの能力は持っていない。

 貴族のしきたりというものを重んじるのであれば、口出しすべきことではない。


「まぁ、何があってもルシアータはここから出て行くことはないわけだけどね」

「……はい」


 そう改めて言われると、とても恥ずかしいのだが。

 けれど、確かな話だ。


「ルシアータ」


 はい、と答えようとして、喉に引っかかった。

 顔を向けた拍子に、こつんと額が重なる。

 近い。

 目の前の空色の瞳が、やわらかく、細められる。


「本当に、出て行ったりしないよね?」

「……すでにおわかりいただいていると思います」


 あぁ、どうしよう。

 頭が働かない。

 小さく笑った吐息が頬を掠め、思考を奪う。


「なら、ずっと、ここにいておくれ」

「……はい」


 熱に浮かされたように答えると、それはもう幸せそうに、笑う。

 その顔を見るのは、本当に珍しいことであって、とても嬉しい。

 情けなくも頬が緩み、心を満たす感情に身を任せていると、本当に、心地がいいのだ。


「君は、本当にいい顔で笑うようになった」


 額が離れ、ふわりと今度は腕の中。

 どうしたものかわからず硬直していると、背に回された腕に、力が入る。

 途端に安心感が増してしまうのだから、どうにも不思議だ。

 身を預けるように弛緩して、頭を摺り寄せる。


「そのまま、僕の庭で美しく咲いていておくれ。ルシアータ」


 笑いを伴い、芝居がかった口調での言葉に、つい、笑う。

 あぁ、本当に、この人が好きなのだ。

 改めて認識して、しがみつくように腕を回す。

 そして、今の自分が言える中で一番相応しいと思えた言葉を搾り出した。


「もちろんです。ユギル様。

 だって私は、貴方の庭師なのですから」

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