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 さすがに、この時期、昼の温室は暑い。

 帽子を取りたい気持ちを押さえ込み、果物を数種類、篭に入れる。畑の野菜も含め、出来ているものを片っ端から。

 種類も数も多くはないが、それなりの量は確保できていることを確認し、足早に向かう先は調理場だ。

 先ほど立ち寄った時とほぼ変わらず、調理場は現在、騒動の最中にある。

 普段はのんびり夕食の仕込をしているような穏やかな昼下がり。

 今は、飛び交う指示と慌てる料理人で溢れ、食事間際のような状態だ。


「あの……エルテーク様」


 庭師のままでは一生お目にかからないであろう騒動を目の前に、若干逃げ腰で声をかける。

 鬼気迫る、とはこの状態だろうか。

 そんなことを思いながら返答を待つが、誰も気付いてはいないらしい。


「あ、あの!」


 もう少しだけ、大きな声を出してみる。けれど、人の行きかう様子は変わらない。

 どうしたものか。やはり、もう少し声を大きくするべきか。大声を出すようなことはないのでとても抵抗があるのだが。

 つい悩んでしまう。

 けれど、こうしているわけにもいかない。

 深く息を吸い込む。


「すまない、ルシアータ。持ってきてくれたか」


 ……ふは、とみっともなく息が漏れた。

 どうやら、無事に気付いてもらえたらしい。もしくは気付いた誰かが教えてくれたのかもしれないが。

 どちらにせよ、気付いてもらえてよかった。


「今収穫できるものはこれで全部です。残りはまだ成熟していないのでお勧めできません」

「うん、これだけあれば王子殿下にお出しできるから大丈夫だ。助かったよ」

「いえ」

「あとさっきフェムルがお前を探しに来ていたから、次はそっちだな。忙しいところを呼んですまなかった」

「いえ。そこまで忙しいわけではなかったので。それでは、失礼します」


 一つ礼をして、フェムル様のほうへと向かうことにする。

 元々、そちらへ行く予定だったのだ。

 秋の庭の手入れ中、突然の王子来訪によりその場を離れたときに。

 途中で調理場に呼ばれ、作物を用意することになるという盛大な迂回をしただけで。一応、他の庭の手伝いなどはあるのか、伺おうとはしていたのだ。言い訳などではなく。

 それにしても、探されているとは思わなかった。探してまで伝えたい用件などあったのだろうか。

 もしくは、急ぎの用件か。

 そう思うと、つい足を速めてしまう。

 調理場から近いとは言えない備品庫の前は、いつものように誰もいない。ここには王子殿下来訪の影響はないらしい。

 いや、人が多い春の庭や夏の庭が使われているのであれば誰かがいる可能性はあるのだが。

 今回は秋の庭なのでそういうこともない。

 深呼吸をして呼吸を整える。


「失礼します」


 備品庫に入り周りを見渡す。


「お、来たか。ルシアータ」

「お呼びですか?」

「いいや、呼んでるのは俺じゃない」

「え?」

「……エルテークから聞いてないか?お前を呼んだのは、ユギエレムスト様だ」


 あぁ、とても、嫌な予感がする。

 立ちくらみを起こしそうになり、ひとまず耐える。


「……ユギエレムスト様、ですか」


 それはつまり、王子殿下も一緒だ。

 わかっていてエルテーク様は何も言わずフェムル様が呼んでいると伝えたのか。

 意地が悪いというべきか。

 ……いやそんなことを考えている場合ではない。


「秋の庭、でよろしいですよね?」

「あぁ。まぁ……そんな重要な話でもなさそうだから安心しろ」


 呼び出された時点で安心などできないのだが。

 そうは思うが、口には出せない。


「それでは、行ってまいります」

「悪いな、いろいろと」

「いえ」


 深く頭を下げて、その場を後にする。

 次は秋の庭か。

 なんだか妙に忙しい。

 再び急ぎ足。今度は秋の庭だ。さすがに裏側にある使用人通路から入るのはよくないだろうと判断し、遠回りにはなるが表から入ることにした。

 それにしても、呼び出しとはどういうことだろう。王子殿下に会いたいとでも言われたのだろうか。

 それはまた、とんでもない重圧だ。

 品評会について謝る機会ができたのはいいのだとは思うけれど。

 それでも、やはり庭師がこう気軽に王子殿下にお会いするなんて。

 けれど、呼ばれた以上断るなんて出来るはずもないし。

 ぐるぐると混乱の中、秋の庭に到着する。


「あぁ、ルシアータ」


 知っている声だ。

 近づく侍女の姿にひとまず会釈しておく。


「お二人は中ですか?」

「えぇ。東屋でお話をなさっているみたいだけれど……そのまま行くの?」

「……え?あ……あぁ、そう、ですね」


 作業着のままだった。

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのか。

 せめて私室に戻ってもう少しまともな服装をするべきであった。


「……もう少しお待たせしてもよろしいのでしょうか」

「大丈夫だと思うけど……」


 向こうも困惑の声だ。

 待たせてしまうことと作業着でお会いすること。

 一体どちらが失礼なのか。

 いや、考えるまでもないか。


「急いで着替えてまいります」

「わかったわ」


 返事を受けて、踵を返す。

 走らない程度に急がねば。

 あぁ、もう、本当に忙しい。


「ルシアータ」

「はい」


 思わず返事をして振り返る。

 そうして、今の声が主のものであると気付き、しまった、と内心で叫んだ。


「どこへ行くんだい?」

「ユギエレムスト様……」

「ルシアータ?」


 声に、不穏なものを感じる。

 さっと体温が下がったのを感じながら頭を下げた。


「申し訳ございません。ただいま着替えてまいりますのでもう少しお待ちください」

「いや、着替えはいいよ。それに、そっちじゃない」


 そっち?着替えではなく?

 少し、考える。

 何か気にするようなことはあっただろうか。

 ……あぁ、あった。


「ユギル様」

「うん。こっちへおいで。ルシアータ」


 声が戻った。

 こだわるところが間違ってはいないだろうか、と考えてしまっても仕方ないだろう。

 ひとまず、主の元へ近づくことにする。

 逆らっても意味はない。


「……本当にこのままでよろしいのですか?」

「いいよ。ディートはそんなこと気にしないし、終わったら君は仕事に戻るだろう?何度も着替えるような手間は必要ないよ」

「わかりました」


 有難い配慮である。

 このあたりを理解してくれるので、やはり主は寛大だ。そして、王子殿下も。

 先に歩く姿を確認しつつ、後ろをついていく。

 もちろん、向かう先は東屋。


「あぁ、ユギル。突然歩いていくから驚きました」


 落ち着きのある、穏やかな声がした。

 聞き覚えは、ある。むしろ、現状他の選択肢はない。

 王子殿下だ。

 ……二人の時は略称で呼んでいるらしい。

 少なくとも、品評会のときは違っていた記憶がある。


「すまない。さて、ルシアータ、ここに座るといい」


 座るといい、と言いながらもほぼ強制的に座らされた。

 断る隙もくれなかった。


「こんにちは。品評会以来ですね」

「……はい。品評会のときはご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げる。

 なんて、居心地の悪い。

 主も気にすることなく、他の席に座っている。

 明らかにこうして座っていていい立場ではないのだが。

 顔、見られなくて本当に良かった。

 冷汗をかいた情けない顔をしているだろう。


「品評会のことなら貴方が気に病むことは何もありません。貴方は素晴らしい成果を上げたのですから」

「ありがとうございます」

「ところで、帽子を取っていただいても?」

「……え、と」


 それは、どうなんだろう。

 いや、王子殿下のお言葉なのだから逆らうわけにも。それに、主の静止の言葉もない。きっと、こちらの判断に任せる、ということだろう。

 つまりこれは、諦めるしかないことだ。

 少し震える手で、帽子に触れる。

 ……最近、こういうことが多くて困る。

 そんなことを思いながら、帽子を取った。

 やはり、帽子がないと涼しい。

 けれど落ち着かない。

 なるべく不安を顔に出さないように気をつけつつ、顔を上げる。

 一応は見慣れてきた主と、一度だけ見たことがある王子殿下。

 まじまじと、二人に見られていた。

 ……逃げたい。

 心底思った。


「エブレスの生き残りとは聞いていましたし、一度拝見しましたが、本当に美しい色なのですね」

「あの……」

「失礼しました。前々からユギルに貴方のことを聞いていたので是非一度話してみたかったのです」

「……そうなのですか」


 前々、とはいつからなのだろう。

 多分品評会よりも前なのだろうけれど。

 まぁ、立場が立場だ。

 もう無くなった国とはいえ王族の生き残りという変わった存在を把握することも必要なのだろう。


「君が可愛くて仕方ないと毎日のように言っているのですよ」


 ……そっちですか。

 全然違う意味だった。

 思わず主のほうを見るが、いつものように笑顔なのでどうにもならない。とんでもないことを言われているはずなのに、恥じているわけでもない。むしろこちらが恥ずかしい。


「もちろん、庭師としてもとても優秀だという話も聞いていました。品評会の花も、この庭も、本当に素晴らしい」

「ありがとうございます」

「ですが……品評会の花はここにはないみたいですね」


「はい。他の場所で育てています」

「見せていただいても?」


 それはどうだろう。

 思わず主のほうを見る。それだけで言いたいことを察してくれたらしい。

 緩く頭を振った。


「それは、アーゼナルの秘密だから駄目だよ」

「なるほど。それは残念です」


 どうやら気を悪くすることはなかったらしい。主のように寛容な方のようでよかった。

 とはいえ、特にアーゼナルの秘密というわけではないのだが。王子殿下に見せられるような庭ではないのは、確かなのだけど。

 そもそも主にお見せするのも抵抗があったくらいだ。


「あぁ、では今度メルリリエを連れてきてもよろしいですか?

 ルシアータに会ってみたいと言っていたので」

「……え」


 言いよどむ。

 助けを求めてみるが、今回は無反応なので、こちらの意志に任せるというところか。

 ……もちろん、断れるはずがない。


「それでしたら、構いません」

「そうですか。それはよかった。では後日連絡いたします」

「はい」


 ひとまず頷くが、内心はとてもじゃないが落ち着いてなどいられない。身分不相応なんて思っていたが、そろそろどうしようもないところまで来てしまったのではなかろうか。

 そんなことを思いつつ、降ってくる疑問や質問に答えていく。

 話は植物のことや主のことまで多岐に渡り、それ自体はとても楽しい時間ではあった。

 これでお相手が王子殿下と主でなければもっと素直に楽しめたのだが。

 残念ながらそういうわけにもいかず、緊張の中でのお茶会は王子殿下がお帰りになるまで続くこととなった。






 夕暮れの秋の庭は幻想的に見えるときがある。

 夏の終わりか、秋の始まりか。

 曖昧な時期に咲く花々は夕焼けに染まり、色を変える。

 ざわざわと涼しさを帯びた風が心地よい時期。

 もしかしたら、今日の夜は冷えるかもしれない。

 水遣りを終えた庭を見て、考える。

 今日はとても疲れたが、それでも、世話を怠ってはいけないし、今後の方向性を考えるのは必要なことだ。そろそろ、一部は越冬について考え始めたほうがいいだろうか。あとオキザリスなどの秋や冬に咲く花を準備したい。

 そのあたりは一度フェムル様と相談しなければ。自由にしていいと言われているが、そういうわけにもいかない。

 とりあえず、しゃがみこんで花と花の間に出来た隙間を見る。

 こういうところにも、何か植えたい、ような。

 手袋を取って土を一掴み。軽く握って固まったものをほぐす。

 状態は、いい。

 早く育って咲くものを何か植えるといいかもしれない。どの花が良いだろう。

 頭の中で候補を上げていると、足音が、した。

 本当に、今日は人と接することが多い日だ。

 またレメネシア様だったら、などとつい警戒して立ち上がってしまうが、ぴたりと近くで止まった足。

 それは、侍女のものだ。


「あの……はじめまして。ルシアータ様」

「……はい。はじめまして」


 思わず返事をしてしまった。

 かわいらしいが知らない声だ。はじめまして、と相手も言っているので知らなくて問題はないはずだ。

 こうして庭師以外の使用人に声をかけられるなんてことはほとんどないに等しいので、どうしたものか、悩んでしまう。

 一体何かしただろうか、と悩んでいると、向こう側から沈黙が破られた。


「あの、お聞きしたいことが、あるんです」

「何でしょう」

「この花、なのですが……」


 差し出された花は、見たことがない形を中心にした小さな花束。

 帽子からでも見えるように下のほうに差し出してくれたのはありがたいのだが。


「……いただいたのですが、知らない花で。ルシアータ様ならご存知かと」

「お役に立てず申し訳ありませんが、これは知りません。フェムル様にお伺いしたほうがいいのではないでしょうか」

「そう、ですか。ありがとうございます。

 あ、よろしければ香りを嗅いでみませんか?すごくいい香りなんです!」

「え……」


 そう言われるとすごく気にはなる、けれど、いいのだろうか。

 いや、帽子の向こうではきっとわくわくした目で見られているのだろう。

 そういう、主にも似た圧迫感がある。

 渋々ながら受け取り、そっと顔を寄せる。見たことはないが、可愛らしい花だ。

 添えられた小花も可憐で、甘さを帯びた香りがとても安らぐ、花、束……で。


「……な、に?」


 くらりと、した。

 深い眩暈のようなものにふらつき、座り込む。


「……ルシアータ様?」


 あぁ、ぼんやりする。

 目の前にいる彼女の声が遠くなる。

 これは、いけない。

 本能が何かを叫んでいる。

 無意識に手を伸ばし触れたものを握り締める。

 痛い。バラの棘だろうか。

 落ちる意識をその痛みだけでどうにか繋ぎとめるが、それ以上は何も出来そうにない。


「おやすみなさいませ。ルシアータ様」


 目を閉じる。

 痛みがなければ、きっと意識を失うような境目をいったりきたり。

 ふわりと体が浮かび引っかかる。


「あら、そんなにバラが大切ですか?では一本くらいなら、構いません。お持ちください」


 じくじく痛い。ふわふわ揺れる。

 その二つだけが支配する。


「ほら、行くわよ。早くしないと見つかるわ」


 声が、遠い。

 眠りへ引きずり込む力が、強すぎて。

 握る手に力を込めるが、いつまで保てるか。

 時間の感覚が曖昧になる。

 多分、何度か眠りに落ちて、痛みで覚醒をして、を繰り返しているのだろう。

 痛みで痺れる手を動かし、新たに傷口を増やす。

 そうして意識を繋ぎとめるが、いつ限界を迎えてもおかしくはない。

 ……助けて。

 ひとこと、緩慢な意識の中で、呟く。

 助けて。

 多分、もう、限界なのだ。

 痛みでは意識を支えられなくなってきた。

 たすけて。ユギル様。

 最後に助けを求めた相手があの方なんて。

 なんて、おこがましいことだろう。

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