11
うとうとと、まどろみの中から浮上する。
まだぼんやりとした頭でベッドから降りようと寝返りを打ち、まだベッドの上であることに内心で首を傾げた。
いつもなら、ここでベッドの縁に座って、しばらくぼんやりして、準備をするのに。
こんな柔らかな心地よさの中にいては、また寝入ってしまう。
仕方なくそのまま起き上がり、ベッドの上で座り込む。
ふわふわする。
開ききっていない目を開き、ぼぉっと出来たのは、数秒。
「え……っ?」
どこだここは。
いつもの狭い個室ではないことに驚いて目が覚めた。
……そうだった。
レメネシア様にここで住まうように仰せつかったのだった。
さすがに客間はやめてほしいと嘆願し、かろうじて屋敷にあるほうの使用人部屋で妥協していただいたのだが……。
それでも、こちらの部屋は広い。最低限の身支度が出来るようになっているあたり、使用人部屋でも上位だったのではなかろうか。
あぁ、もう少し粘るべきだったのかもしれない。
顔を洗い、息をつく。
いつもの木の床ならともかく、こんな立派な絨毯で水を零しては、大変だ。慌てて顔を拭う。
ちらりと見えた窓の外は夜明けを迎え、すでに明るい。
夏は日の出が早い。急がねば。
暑くなる前に水遣りをして、レメネシア様との朝食だ。朝ごはんがいつもより遅くなるのは痛いが、仕方ない。
簡単に着替えて部屋を出る。
厚手の作業着は手に持ち、そっと廊下を歩く。使用人用の入り口へ向かう途中も、出てからも、誰にも会うことはなかった。
こちらに住むのはアーゼナル家の方々や来客のお世話を担当するほどの、使用人の中でも偉い方々だ。
今は来客もなく、住人はユギエレムスト様とレメネシア様のお二人。こちらに住む人数は少ないのかもしれない。
だからといって、庭師が入り込んでいいものではないと思うが。
作業着はこっそり外で着た。泥がついていてもいけないので。
ただ、このあたり、早めに対策を考えなければ、いつか見つかってしまうだろう。
……どうしたものか。
溜息を飲み込んでひとまず備品庫へ向かう。
「お、ルシアータか」
すでに先客がいて驚いた。
フェムル様だ。相変わらず、とても早い。
「おはようございます」
ぺこりと頭を下げ、奥から如雨露と肥料を取り出す。
肥料は必要なのかと少し悩んだが、どちらかといえば冬に強い種類には与えておいて損はない。
「屋敷で世話になってるんだってな。向こうはどうだ?」
「……広くて慣れません」
「そうか!」
笑い声がする。
あぁ、他人事だと思って。
うめいてしまいたいではないか。
「まぁ、仕方ないな。諦めろ」
ぽふ、と頭に手を置かれ揺すられる。多分本人は撫でているつもりなのだろうが。
結構揺れるのでちょっと勘弁してほしい。
好ましく思われているようなので、そこは嬉しいのだが。
「今日の予定は?」
「秋の庭は朝晩の水遣りだけです。朝のうちに肥料入りのものと水だけのものを撒いて、夕方は水だけの予定です」
「そうか。日中は奥の庭か?」
「はい」
「わかった。今日は暑くなりそうだから無理するなよ。奥は分かりづらい」
「はい」
一礼をして秋の庭に急ぐ。
今日の予定を報告するのは朝食後のつもりだったが、手間が省けた。
これなら朝食後すぐに奥へ行ける。
少しだけ、気分が上向いた。
そのまま秋の庭で水遣りをしつつ問題はないかを見て回り、少し駆け足で屋敷の中へと戻る。新たな自室で汗だくの服を着替え、軽く体を拭い準備をして。
用意された服にはしっかり帽子も準備されているのがなんとも……。
髪は束ねたほうがいいんだろうか。悩みつつ、簡単に留めておくことにする。
あぁ時間が!
なるべく早足で食事場所と指定されている部屋に赴くと、そこには既にレメネシア様がいらっしゃった。
「おはよう。ルシアータ」
「おはようございます。遅れて申し訳ありません」
「いいのよ。仕事してきたのでしょう?」
「……はい」
しっかり気付かれている。
少しうなだれながら用意された席に座り、帽子を外す。昨日の夕食の席でしっかり言われてしまったので仕方ない。
使用人の目線はそのときよりも落ち着いているようだ。
息を呑む、とはこのことかと思えるほど、空気が固まったのを感じたわけだから。
それに比べれば現状はまだ柔らかい。
「あなたは本当に働き者ね」
「いえ、そんなことはありません」
にこやかに笑うので、つられるように笑った。けれど多分、相当ぎこちないだろう。
いくつかの会話をしていると、料理が運ばれる。
これは、昨日と同じ流れだ。ついでに食事のマナーを教えられるのも、同じだ。
……食べるのは、本当に難しい。
悪戦苦闘を気付かれないようにゆっくりと食べる。
けれど、気付かれているのだろうな、というのも、わかってしまう。
お叱りを受けることはない。あくまで参考程度に教えてくれるので、有難いとは思うのだが。
そうしているうちに、何やら外が少し、賑やかになった。
やがて入り口の扉が大きく開かれる。
「母上、おはようござい……ま、す……?」
ユギエレムスト様だった。
まっすぐにレメネシア様に向けられた目線がぎこちなく、こちらに向けられ、固まった。言葉を詰まらせるところを初めて見たかもしれない。
「……なぜ、ルシアータが?」
「わたくしが誘いましたの。昨日の夕食から」
「そうなのですか」
呆然と立ちすくむ姿を促され、ひとまず席に座る。
ちょうど、向かい側に。
「あの……母上」
「何かしら?」
「……何故報告してくださらなかったのですか」
「だってあなた昨夜帰ってくるのが遅かったでしょう?今日だって寝坊して遅刻しそうになっているではないの」
「今日は遅いのです。遅刻ではありません」
「あら、そうだったかしら」
なんとなく、力関係が見て取れる。それは、このアーゼナル家においての力関係と言ってもいいだろう。
とはいえ、笑顔でそんな会話を繰り広げるのはやめてほしい。
居心地が悪くて仕方ないのだが、いつもこんな感じなのだろうか。
そしてこれからずっと、こうなのだろうか。
食事は安らぎにはならないかもしれない。
そんなことを思いながら、重い朝食を終えることとなった。
「君は、断ってもよかったんだよ、ルシアータ」
部屋を出て早々、主に言われた。
「……断れる雰囲気ではありませんでしたので」
「あぁ……そうか。すまないね。部屋の引越しは終わった?」
「はい。荷物はほとんどありませんから」
屋敷から出ないので私物はほとんどない。
服は毎年作業着が新調されるし、普段のものは世話焼きの方々がいたので問題はなかった。おかげで、ほぼ服しか持っていないという状況に陥ったわけだが。引越しはとても楽に終わったけれど、少々複雑だ。
「……もう少し母に気を配るべきだったよ。まさかこんなことをするとは」
「気に病む必要はございません。ユギエレムスト様は何も悪くありませんので」
「……ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」
やんわりと、笑った。
柔らかで、暖かな表情だ。声色も、同じようないろを帯びていて、つられるように頬が緩む。
「あぁ、すまない。今から仕事だったね。秋の庭かい?」
「いえ。奥の庭です」
「……奥の。そうか。
だったらルシアータ、君に頼みがあるんだけど」
「はい。何でしょう」
「あのバラを、見せてくれないか?」
あの、と言われたバラは品評会のものだろう。
あれはもう表に出たので、秘密にする必要はない。見せても構わない。
そう判断し、頷きたくはあったのだが、問題はないわけでもない。
「……構いませんが、貴族の方にお見せできるような整った庭ではございません。
お見苦しい庭ですが、よろしいですか?」
「いいよ。そういうものの方が、見てみたい」
困ったものだ。
溜息を飲み込み、頭を下げる。
「では、ご都合のよいときにお申し付けください。ご案内いたします」
「わかった。頼んだよ。ルシアータ」
「はい」
慌しくその場を去っていく姿を見送り、ようやく帽子をかぶる。
……落ち着く。
いつものものとは違うが、少し視界が遮られる感じが落ち着く。
改めてそんなことを思いながら、ひとまず着替えるため、部屋へと急ぐ。
せめてお昼ご飯はゆっくり過ごそう。
ついそんなことを決意してしまった。