10
三日が過ぎてしまった。
いわゆる、求婚というものをされてから。
今のところ何も変わりはない。むしろ、ユギエレムスト様にお会いしていない。
そもそも、しばらく会う機会が多かったほうなのだ。数日会わないほうが普通。
なので、今の状況はありがたくはあるのだが。
……いつまでもこうしてはいられない。けれど、相談できる相手が思い当たらない。
ぷつ、と丸々とした果実をもぎ取る。
料理長から頼まれた果物はとても甘い芳香をしていて、味もこの香りのままとても甘いだろう。
今が一番美味しい盛り。篭に入るだけ詰め込み、奥の庭を後にする。
こうして仕事をしている間は、余計な事を考えることは少ないのだが。
退屈は、敵だ。
そんなことを思いながら厨房に入る。
「エルテーク様、これ……」
あぁいけない。会話中だったか。
少し顔を上げて確認する。エルテーク様と並ぶのは侍女の方。
聞き覚えのある声に、理解する。
先日の品評会のときに着付けてくださった方だ。
「あらルシアータ様」
気付かれた。
歩み寄ってくる足音がするので、頭を下げる。
「先日はありがとうございました」
「いえ。大変でございましたね」
知られているのは、まぁ、仕方ない。
予定よりも帰宅は早かったし、主からいろいろ聞いたのだろう。
「帽子、まだかぶっていらっしゃるのですね」
「はい。このままでいるのが一番いいと思います」
「……そうかもしれませんね」
てっきり反対されるかと思ったが。
やはりこの間のことで思うことがあったのだろうか。
個人的には、助かるのだが。
「おや、ルシアータ、それ、実ったのか」
「はい。味見をお願いします」
「はいよ」
軽い様子で篭を持ち、手早く皮をむいていく。
黄金色の果肉から零れる果汁は多く、香りも強い。中央には大きく丸い種。
取り除いて、一口大に切ってから手近に合った皿に入れていく。
「ルシアータ、手を洗っておいで」
「はい」
言われるがまま、水場に行って、水で手を洗う。
冷たい。
もちろん、心地よい冷たさだ。
さっぱりとした気分でエルテーク様の下に行くと、準備を終えたエルテーク様と侍女の方がすでに座っていた。
「じゃあ、試食だ」
促されるままに座り、切られた果実を口に含む。
熟した果実は噛むまでもないほどに柔らかく、香りは鼻を抜ける。甘さに独特の風味。美味しい。
「あぁこれだ。やっぱりルシアータが作ったほうが美味いな!」
「とても素晴らしい味ですが、これを育てるのも庭師の役割なのですか?」
「いえ。趣味も兼ねています」
「そうなのですか。エルテーク、奥様にお届けしてもよろしいですか?」
「はい。今ご用意いたします。ルシアータ、好きなだけ食べて良いぞ」
どうやら今日のお菓子はこれになりそうだ。
とても美味しいので異論はない。
「ルシアータ様、今日はこれからどうなさるのですか?」
「これから、秋の庭の手入れです」
「そろそろ見ごろでございますね」
「はい」
庭を彩る花はほぼ咲いている。
春のような華やかさも夏のような生命力も冬のような神秘さもない秋の庭は少しくすんだ懐かしさを感じる。
穏やかで過ごしやすい時期には快適だ、と思う。
「奥様へのお手紙にも秋の庭が見たいという声が多くなられたようです。ルシアータ様のお力ですね」
「いえ。そんなことは。元々、私が手を入れる前からあの庭はとても綺麗でしたから」
ただ、必要なものを随時補っているだけで、秋の庭は大きな改修を行わない。
色づく樹木が多いため、手を加えにくいとも言える。
そういう意味では秋の庭はすでに完成されているのかもしれない。
「はい、出来ましたよ」
ことん、とガラスの皿が置かれる。
飾り切りをされた果実がきらきら輝いていた。
思わず見入ってしまう。
さすが奥様にお出しする皿だ。
「ありがとうございます。それでは、私はこれで。
ルシアータ様、また、お会いいたしましょう」
「はい」
優雅な仕草で皿を持ち、歩いていく姿を見送る。
侍女ともなると、動きも見事だ。
そんなことを思いながら、立ち上がる。
「もういいのか?」
「はい。仕事に戻らないと」
「ありがとうな。ルシアータ。またお願いするよ」
「はい」
頭を下げて秋の庭に向かう。
昼下がり。今からすべきことは明日撒く予定の肥料の準備。あと日が落ちる頃に水を撒くのでその用意。
いろいろと頭の中を巡らせ、秋の庭に入る。
折られたバラは傷むことなく、他の花も色艶はいい。紅葉には少し早いが、そろそろ変わり始めることだろう。
広い庭を隅々まで確認し、気になった木の土を見る。
秘密基地と呼ばれた蔓バラのドームには濃いピンクの花が咲いていた。
近々ゆっくりとこの中でお茶を楽しみたいものだ。
しばらくは品評会の準備に追われ、その後もいろいろあってのんびりできていない。
とはいえ、今のんびりすると余計な事を考えてしまいそうだが。
むしろ当の本人が乱入してくる可能性だって……。
いやいや。今考えてはならない。
振り払い、続きを見る。
そうしてどうにか一周が終わり、一番目立つバラの生垣の土を確認していた頃、足音が聞こえた。
来客の予定はない。なので、庭師の誰かだろうか。
そう思いながら地面に座ったまま振り返る。
違う。
視界に入ったのは、庭師が履いているような靴ではない。
女性の、それも、とてもいい靴だ。
恐る恐る見上げようとして、やめる。
「申し訳ありません。今下がりますので」
作業中を見られるなんてあってはならないのに。
頭を下げて、立ち上がる。
「ルシアータ」
名前を、呼ばれた。
よく通る声だ。
「はい」
「帽子を取りなさい」
「申し訳ありませんが、それは……」
「取りなさい?」
「……はい」
これは、断ってはいけないものだ。怒りをはらんだような、絶対的な声だった。
本能が悟り、渋々と帽子を取る。
崩れないように束ねた髪は落ちることはないだろう。
そろりと、声の主を確認する。
とても素敵に、笑っていた。
「あら、本当に美しい子だわ」
怒っているどころか、ふふ、と軽やかに笑っていた。
面影を感じる。主の。
直接顔を拝見したことはない。けれど、間違えようはない。
先代当主の奥方様。主の、母君様だ。
「ユギエレムストったら、こんな素敵な子を隠しておくだなんて」
「あの……」
「あぁごめんなさいね。わたくしはレメネシア・アーゼナル。ユギエレムストの母よ」
「……存じ上げております」
「ふふ、そうね。あなたはずっと、この屋敷にいるんだもの」
なんというか……少女のような方だ。
この方が屋敷の来客を切り盛りしているだなんて、予測がつかない。
「ねぇ、少しお話をしませんこと?貴方のことを聞いてみたいわ」
「いえ、私は……」
「そこの東屋でいいかしら」
話を聞いて欲しい。
あぁ、親子だ。間違いなく。
やわらかく編みこんだ薄茶の髪が同じだ、とかそんな程度ではない。中身もしっかり、親子だ。
仕方なくついていく。
最近、身分不相応が過ぎないだろうか。
「さぁ、座って。お茶も用意させましょう」
「あ、あの……私、こんな仕事着で……」
「構わないわよ。それとも、わたくしと一緒にお茶をするのは嫌?」
「いえ、光栄です」
明らかに言わされた。
このペースに持ち込んでいくやり方は、本当にそっくりだ。似て欲しくなかった。
渋々空いた椅子に腰掛ける。
「本当、ユギエレムストが言った通りの子ね。とても綺麗な子なのに、中身は可愛らしいだなんて。
あの子が執着するはずだわ」
「……レメネシア様?」
「そうそう、この間の品評会に行ったときのドレス!ユギエレムストも侍女も素晴らしかったと言うのに、私には会わせてくれなかったのよ。
是非見たいわ」
「は……はい……私で、よければ」
ここで無理だなんて、言えるはずがない。
もうここは話を合わせる以外の選択は出来ないのだから。
多分、きっと、今だけの気まぐれだ。こういう話は、いつか、などあり得ないものだ。すぐに忘れる口約束だ。
……そうであってほしい。
「絶対よ。ユギエレムストも呼んで家族でお茶をしましょう」
「はい……はい?家族、ですか?」
「えぇ。だってもう、プロポーズされたのでしょう?」
無邪気な笑顔でとんでもないことを言ってきた。
確かに、そうなのだが。
一直線で言われたくないことを抉ってこられた。
「……それは、そうなのですが」
「あら、あの子の何が不満?仕事は出来て優しい子よ。
確かに、女性に甘すぎたり強引だったり傲慢な策略家だったりするけれど……」
やめてあげてください。いろいろと。いいところより悪いところを言いすぎではないでしょうか。
むしろ後半はどういう意味なのでしょうか。そんなところ見たことがありませんが。
「それでも、あなたをとても、大切に思っているわ。しつこいくらいに」
ですから、一言多いのです。
そう言いたいのを必死で飲み込む。
「あ、あの……ユギエレムスト様はとても素晴らしい方だと思います。素敵な主の元にいることは、庭師としてとても誇らしいのです。
ですが、ただの庭師がユギエレムスト様の下へ嫁ぐというのは、よろしくない、かと……」
「……あなたの自覚が足りないとは聞いていたけれど、よっぽどだわ」
「自覚、ですか……」
「えぇ。世が世なら、貴方は小国とはいえ王族。アーゼナルの一貴族であるユギエレムストには手が届かない高嶺の花。
そして、品評会で認められるということは、今は違うけれど、昔は貴族を名乗ることも許されたほどの栄誉なの。
その両方を手にしている貴方は本当に、ただの庭師?」
「……それ、は」
「もう貴方の存在は、庭師を逸脱しているわ」
そう、なのか。本当に?
自覚は、ない。真偽もわからない。
だから迂闊なことは言えないが。
「……それでも、私はただの庭師です。もしもの世界ではなく、今の世界における私の立場は、そうなります」
「あら、案外現実を見ているのね」
あっさりと言われた。
……試された?
「わきまえている子は、私は好きよ。けれど、特殊な王族の血族に国最高の庭師の肩書きは嘘ではないわ。アーゼナルに招き入れる価値はある。
だから、そこを言い訳にユギエレムストから逃げるのは、親としては許せないものがあるの」
要するに、先ほどの断り方が気に食わなかったのか。
この方が求めるのは、多分、好きか、嫌いか、感情論だ。
それは、本当に難しい。
思わず黙り込んでしまう。それを見計らってなのか、お茶が置かれた。柔らかな香りは、とてもよい茶葉だと物語る。
当たり前だ。レメネシア様に差し出されるお茶だから。
いつも飲んでいるものとは全然違う。
揺らぐ水面に情けない顔が映るところくらいは、同じなのだけど。
「さぁ、お飲みなさいな」
「……はい」
言われるがまま、一口飲み込む。
とても、美味しい。
「そんなに難しく考えることではないと思うけれど」
「……ですが、私には、よくわかりません」
「そう。まぁ、ゆっくりと考えればいいと思うけれど……。ほどほどにしてあげてね。あの子、ずいぶんと待っているから」
「はい」
「あ、それと、先ほどの果物、美味しかったわ。本当、見知らぬ植物まで育てられるなんて、素晴らしい腕だわ」
「ありがとうございます」
「多分、ユギエレムストも好きな味。あの子も喜ぶわ」
「そう、ですか」
よかった。それなら、とても嬉しい。
甘いものは得意ではないから、どうなるかと、考えたりもしたけれど。
気に入りそうならよかった。
「ユギエレムストが喜ぶのは、嬉しい?」
「はい」
「……あなた、そんな顔で笑うのね」
思わず首を傾げる。
どこか、変なのだろうか。
そもそも、笑っていたという自覚がない。
「一応、言っておくけれど、アーゼナルはあなたを手放すつもりはないわ。結婚はほぼ強制。断れないと思うけれど、いい?」
「はい。構いません」
「動じないのね。冗談のつもりで言ったのに」
困ったように顔を顰められてしまう。
冗談、とそんなあっさり言われてしまうとそれはそれで困るのだが。
やはり、試されているのだろうか。
「一体、あなた、アーゼナルとユギエレムスト、どちらに仕えているの?」
「どちらも……ですが?」
「では仮に、わたくしとユギエレムストの意見が割れた場合、どちらに従う?」
「…………状況と話によって決めます」
難しい質問だ。
レメネシア様のお考えがわからないので、正しい答えなのかもわからないし。
困った。
ひとまず、落ち着くためにお茶を一口、飲む。
「これはもう、あれね。あなた、客間を用意するからしばらくこちらに来なさい」
「……え」
「庭師の仕事はして構わない。朝食と夕食だけ、一緒に過ごすことを命じます」
命じます。強制だ。
うなだれるように頭を下げる。
「……はい。お心のままに」
あぁこれはもう、身分不相応とか言っていられないことになっている。