お佳の家での元旦
香月よう子side
「おはよう、お佳。明けましておめでとう」
「…はよぅ。紅羽、早いわね。おめでとう」
お佳の部屋のベッドの中で、二人は目を醒ました。
元旦の朝。
大学一年の年が明けた。
紅羽はいつも通り、朝六時に目が醒めていた。
一方、昨夜の大晦日、二人で「Eテレ」の「クラシック音楽特番」を観ながら深夜まで二人女子会に興じていたせいか、お佳は七時近くなってもまだ半分は眠りの中といった風だ。
「紅羽、このガウン羽織って。廊下の突き当りが洗面所で、歯ブラシやタオルは用意してあるから、使って」
しかし、さすがお佳はすぐにてきぱきと物事をさばく。
「あ、それから。今日はお着物を着るから」
「着物て…もしかして振袖?」
「そう。絹子さんがそれはもう張り切って紅羽に似合うお振袖を選んでいる筈よ。絹子さんが着付けも髪結いも、お振袖の色味に合うメイクも。とにかく全部してくれるから。それから、お節を頂きましょう」
鏡台の前で、茶色いロングの豊かな巻き髪をブラッシングしながら、そうお佳は言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうかしら? 佳さん。このお振袖、紅羽さんに」
屋敷の二階の西南に位置する広い和室で、絹子が掛けてある着物をお佳に見せながら、そう尋ねる。
「ええ。いいと思うわ。やっぱり紅羽はピンクってイメージぴったりだもの。それにその古典柄の花柄、紅羽には似合うと思う」
それは、サーモンピンクの地に牡丹や桜、菊、松、橘そして紅葉など四季折々の花々を一面に配した豪華な古典振袖だった。
「でも、絹子さん。私はもう古典柄には飽きました。もっとモードな…水色の地に赤い薔薇の大輪の柄とか、一度そういうのが着てみたいわ」
お佳が自分に用意されている着物を手に取りながら、少々(やや)不服そうな声を出した。
「あら、このお振袖も「武蔵屋」さんで人気のお品だとか。斎藤さんが「今年のお振袖でお嬢様にお似合いになるのはこちらです」て、太鼓判を押していらっしゃったのよ」
それは、黒を基調に金色で描かれた桜と椿が印象的なお振袖。確かに、黒と金の色味の組み合わせはメリハリが効いていてシャープな印象を受ける。古典柄の花柄とはいえ、自己主張している点もお佳には似合いの一枚と言えるだろう。
「武蔵屋」とは呉服専門店で、「斎藤さん」というのは、岡田家担当の店員だ。さすが、お佳が生まれる前から出入りしているというだけの目利きではある。
絹子が紅羽とお佳の着付けを終えると、次は髪を結う。
「そうねえ。紅羽さんは……」
呟きながら絹子は鏡の前で、紅羽のさらさらの長い黒髪に触れると、バッグの髪をねじってまとめ、ボリュームを出した。そして、落ち着きのあるピンク色とパステルカラーで、絹の光沢が上品さを醸し出している「京組みひも」の上質な髪飾りを使い、サイドの髪を結った。
それから、紅羽の髪型が可憐なお姫様風のスタイルに対し、お佳は前髪も作らず、サイドや襟足をすっきりとまとめ、右サイドの髪を藤の花の一本足のかんざしだけで飾った。その極めてごくシンプルで和風なアレンジは、お佳の大人っぽい雰囲気をより際立たせている。
そして絹子は、紅羽にピンク・ブラウン系のアイシャドウにホワイトのハイライト、血色の良いピンクのチークを施し、口元はローズのルージュを小さくのせた。
一方、お佳の目元はアイホールはベージュ、目の際は濃いブラウンで締め、ハイライトにはラメ入りゴールドで明るさを出し、紅いチークをのせ、
最後にコーラルレッドのルージュをひいた。ボリュームのある黒のマスカラ、リキッドアイラインの仕上がり具合も絶妙だ。
「さあ。二人とも、べっぴんさんになったわよ」
絹子が至極満足げな声を出した。
「どう? 紅羽。ご感想は」
「もう……何ていうか。おば様、プロの美容師、プロのメイクアップアーティストさんみたい……」
紅羽が、姿見に映る自分の振り袖姿を真正面、後姿と何度も見ながら、感に耐えない様子で言う。
「ほほ。自分のデザインする服に合うメイクや髪型を追求しているうちにね。いつのまにか、そういうことも得意になってしまって」
「お母さま。自慢話はそのくらいにして、お節を頂きましょう。お父さまがダイニングで待ってるわ」
「そうね。そろそろ、お正月のご膳を頂きましょう」
そうして三人は、一階の三十畳近い広いリビングダイニングへと向かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「お父さま。新年おめでとうございます」
「あけましておめでとう」
お佳の父・宗彦はダイニングテーブルに座り、朝刊を読んでいたが、お佳に新年の挨拶を受け、そうにこやかに応えた。
「おじ様。明けましておめでとうございます」
「ああ、紅羽くん。おめでとう」
(眼鏡をかけていらっしゃったら、やっぱりうちのパパとちょっと感じが似てるかも……)
それは昨日の大晦日の晩に、初めて宗彦と接した時に抱いた紅羽の第一印象だった。
宗彦は、年齢四十八歳。やや髪に白いものが混じっているが美丈夫で、知的でしかし瞳が優し気な、いかにもロマンスグレーという雰囲気を身に纏っている。
それにしても、「宗彦を父・絹子を母」を持てばこそ、お佳の美女ぶりもさもありなん、と密かに思う紅羽だった。
「頂きます」
絹子からお雑煮とお節を勧められ、紅羽はとても丁寧に祝箸を持つ。
絹子の作った雑煮はシンプルなすまし汁で、大根と人参、ゴボウ、鶏肉の具に、茹でたほうれん草が入っていた。
一口吸っただけで、それは出汁からして違うと紅羽は思う。そして、具材も国産の一級品が使われているのだろう。とても舌触り良く、上品な味わいだ。
一方で、お節料理は、京都の老舗の料亭からのお取り寄せとかで、大きな三段重ねの漆塗りのお重に詰められている料理は、それは見目にも見事な品々ばかり。頂いてみると薄味だがどれも非常に美味で、殊に数の子と栗きんとんが紅羽には一際美味しく感じられた。
「佳さん。今年の初詣は如何なさるの?」
「朝のご膳が終わったら、紅羽と一緒に「八嶋天満宮」を参ります。ね、紅羽」
紅羽は、軽く相槌を打つ。
「八嶋天満宮」とは、隣県からも参拝客が訪れる、この辺りで一番大きな神社だ。
お佳は、いかにも「紅羽と二人で」というような口振りだが、しかし実は違う。
「八嶋天満宮」の最寄り駅の改札口で、午前十一時に、遥人と竣と待ち合わせる約束になっていた。
あのクリスマスにお佳は遥人の告白を受け、正式におつきあいをすると答えた。紅羽は、竣とまだまだその段階には至っていないが、リストバンドを渡したことで、仲が確実に一歩進んでいた。
それで、「初詣Wデートしよう!」という話がお佳と紅羽の間に持ちあがり、それぞれ遥人と竣に伝え、結局、一も二もなく四人が合意したのだった。




