お佳の心は
香月よう子side
「まあまあ、紅羽さん! ようこそいらっしゃいまし。お噂は佳さんからかねがね。佳さんがとてもお世話になってるとか」
迎春の飾りつけが整った間口の広い玄関先で、お佳の母・絹子が紅羽を賑やかに出迎えた。
「まあ、それにしても本当に可愛らしい方ねえ。うちの佳さんに負けず劣らず。ほほほ…」
絹子が臆面もなく、紅羽だけでなく我が娘・お佳のことにも言及する。
「絹子さん。紅羽のことはともかく、そんな身内自慢のようなこと言わないで」
「佳さん。お母さまのことを「絹子さん」だなんて呼ばないのよ。いつも申し上げているでしょう」
絹子がお佳をそう窘めたが、お佳は涼しい顔だ。
絹子は、お佳の実の母親で、お佳と絹子が不仲ということなどはない。
ただ、お佳が十五、六歳の頃からだったろうか。
思春期特有の照れや背伸びの感情があったのかもしれない。お佳は絹子のことをいつの間にか「お母さま」ではなく、「絹子さん」という呼び方をするようになった。それは、大学生になった今でも変わらない。
絹子は折に触れ、そのことを注意するのだが、もしかしたら、お佳のその癖は一生治らないのかもしれない。
「紅羽さん。ご両親が海外転勤でご不在だとか。お淋しいでしょう。この暮れ・お正月は、うちを我が家だと思って気楽にお過ごし下さいね」
「この度はお招き頂きありがとうございます。今日から年末年始、お世話になります」
紅羽が丁重に頭を下げる。
「紅羽。とにかく上がって。お母さま、お茶をお願いします」
「珈琲とお紅茶、どちらが宜しいかしら?」
「温かいミルクたっぷりの珈琲がいいわ」
「わかりました。すぐお持ちするわね」
「紅羽、こっちよ」
そう言って、お佳は三階へと続く高い吹き抜けの階段を上がっていった。
紅羽の父は、日本でも屈指の機械機器メーカー「CHANON」勤務で、丁度紅羽が鳴治館大学に入学した春からドイツ・フランクフルト支店に赴任している。
紅羽の父・悟志は、紅羽の母・寧子と、紅羽の三歳年下の妹・翠羽も同行していて、この年末年始は帰国できないから一人で寮で過ごすと紅羽から聞いたお佳が、それなら一緒に年越ししよう!と、紅羽を大学の隣の市にあるお佳の実家へと招いたのだった。
「お佳のマンションも広いけど、お家もまた随分大きいわねえ! それにこんなアンティークなお部屋だなんて……何だか気後れしちゃう」
手入れの行き届いた円形の鉄脚テーブルの椅子に座り、紅羽がしみじみと呟く。
「絹子さん……母の影響でね。いつの間にかこうなったの」
お佳の自室は、ベッド、鏡、ソファ、ナイトテーブルからウォールキャビネット、マガジンラック……小物入れや花器に至るまで全て傷もほとんどなく保存状態が極めて良い十九世紀フランスのアンティーク家具で統一されている。
「失礼だけどお父様のお仕事って何なの?」
「うち? 母がデザインする服の企画販売」
「え?! お母さま、デザイナーなの?」
「うん。共働きだから、儲かってるのかしらね」
お佳は軽くそう言ったが、お佳の父・宗彦は、母・絹子がデザインする「LARIAN」という高級婦人服のオーナー社長だ。一部に手堅い顧客を持ち、昨今の不況下でもそれなりの売り上げを維持している。
お佳はやはり、「良家のお嬢様」なのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
絹子が運んできたやはりアンティークの白いカフェオレ・ボウルに口をつけ、「HENRI」のプティガトーをつまみながらお佳が、
「それにしてもあのクリスマスの日に、竣にリストバンド渡すなんて、紅羽にしては上出来じゃない」
と、悪戯っぽく笑んだ。
その一言で、紅羽の頬がボン!と赤らむ。
「お佳こそ! お、お佳だって遥人先輩とファ、ファースト……」
「わー! それ以上言わないで!」
いつも強気で余裕のお佳が、珍しくうろたえる。
そして二人共、それぞれに「クリスマスの出来事」を思い出していた。
紅羽は、ファミレスで思い切って、竣にテニスのリストバンドを手渡したこと。
選んだ色はスカイブルー。何種類ものカラヴァリの中、竣のイメージに一番ぴったり来る色だ。
竣が中学生の頃から打ち込んでいるテニス。
その練習や試合中に、これからはきっと身に着けてくれるだろうことを思うと、今更ながら何か面映ゆい。
一方、お佳は、遥人の車の中での初めての口づけを……
一瞬、大地のことを思い出し、また、なんといっても初めてのことに涙したが、決して嫌ではなかった。
遥人の確かな温もりに安らぎさえ覚えた。
また、遥人はお佳をそれ以上は無理に求めなかった。
そんな紳士な遥人を、お佳は心から信頼している。
「愛している」というような実感はまだないが、これからゆっくりと遥人との間に「愛」を育んでいく……
そんな予感を覚えているお佳だった。
「お佳は遥人先輩のこと好きなのよね。いいと思うわ。お佳と先輩はお似合いだもの」
感慨深げに紅羽が言った。
「それを言うなら、竣と紅羽もお似合いよ。真面目で、誠実で、美男美女同志、これ以上のカップルなんて有り得ないわ」
「お佳だって!……あ、でも」
その時、紅羽は小さく口籠った。
「なに?」
訝しむお佳に、紅羽は躊躇いがちに、しかし口にした。
「お佳……。宇野君のことは、どう思ってるの?」
「はあ? うのっち?!」
お佳は意外そうに声をあげた。
「あいつは友達でしょ」
「うん……そう、だけど……」
紅羽は、何か言いたげだ。
「私…、宇野君とお佳もベストカップルだと思ってたんだけど、な……」
ぽつんと一言。紅羽はそう呟いた。
瞬間の空白。
「まさか! なんで私がよりによってあいつと」
紅羽の一言を、お佳は一笑に付す。
「本当に?」
しかし紅羽は、いたって大真面目だった。
「うのっちはうのっちよ。それ以上でも以下でもなんでもないわ」
お佳はいつものさばけた調子で笑った。
「そう……そうね」
紅羽も何故かホッとしたように笑んだ。
しかし。
その時の紅羽の言葉によってお佳が、うのっちへ対する「何か」…それはまだ言葉にすることも出来ないぼんやりとした感情だったが…を初めて自覚したことに、紅羽はその時、まるで気付かなかった。




