CHRISTMAS・KISS
香月よう子side
「メリークリスマス!」
「乾杯……!」
ペリエのグラスがカチリと小気味のいい音を響かせる。
街中から一筋路地に入った裏町の一軒家フレンチレストラン。
その店のクリスマスディナーを遥人は12月25日の午後6時に予約していた。
「あのコンサートは少し君には退屈だったかな」
真鯛のカルパッチョを前に、遥人は言った。
「クリスマスですから。小さな子向けになるのは致し方ないかと」
お佳は答えた。
午後二時過ぎに、約束通りお佳の部屋を訪れると遥人は、お佳を「シティホール」の「クリスマスコンサート」のS席へと誘った。
しかし、そのコンサートは、曲の合間合間に賑やかなMCが入るいわば家族向けで、お佳がと言うより遥人には物足りなかったらしい。
その日のお佳の装いは、濃紺のベロアのワンピースに黒い本革の7㎝ピンヒールブーツ。バッグは、シルバーラメの小振りのクラッチバッグを手にしている。
一方、遥人は、アイボリーのスラックスに白いオックスフォードシャツ。赤いネクタイを締め、深い緑のVネックカーディガンと、ややクリスマスカラーを意識したのかもしれない。
ピアノ部の話や音楽の話、教育学部での学生生活などの話題に二人は興じている。
「ところで」
と、遥人は言った。
「昨日のイブは楽しかった?」
「はい。私の部屋でみんなとプレゼント交換したりして」
「クリスマスプレゼント、か」
その時、遥人はフィレ肉を切るナイフとフォークを持つ手を一瞬、止めた。
「先輩?」
「いや。なんでもない」
そして、遥人は何事もなかったように話題を変え、食事は和やかに進んでいった。
「美味しいですね。このガトー」
お佳が目を細める。
大きな白いスクエアのプレートに、生チョコレートクリームのガトーががベリーのソースでそれは芸術的にあしらわれている。そのクリスマスケーキまでゆっくりと頂くと、珈琲を飲み終え、遥人が言った。
「そろそろ家まで送るよ。岡田さん」
遥人は伝票代わりのプレートを手にする。
「君は化粧直しをしてくるといい」
「でも……」
「いいから」
そうして、遥人はさっさとレジへと向かって行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
夜8時半頃。
お佳のマンションの前に車が停まった。
「今日は本当にありがとうございました。演奏会に、あんなに豪華なお食事まで……」
いたたまれないように、お佳が丁寧に礼を述べる。
「それでは、今夜はこの辺で失礼します」
しかし、そう言って車を降りようとしたお佳の右腕を、遥人がとっさに掴んだ。
「せ、先輩……?」
遥人の雰囲気にお佳は気押されている。
「岡田さん。僕も君にクリスマスプレゼントがあるんだ」
そう言うと、遥人はごく小さな白い紙バッグを取り出した。
「開けてみて」
お佳が持ち手に結んであるリボンをほどくと、中から更に包みが出てきた。
「これ……「ココ・クリスティーナ」のルージュ……」
それは、お佳が好んでいる化粧品メーカー「クリスティーナ」のお姉さんブランド「ココ・クリスティーナ」のクリスマス限定色の口紅だった。
「私に、「ココ」のルージュはまだ……」
お佳が気後れしていると、
「いいから。つけてみてくれないか」
そう遥人に言われ、お佳はバッグから鏡とティッシュを取り出した。
つけている口紅をティッシュで拭い、その小さな四角い面に見入りながら、リップブラシで丁寧に紅をひく。
「うん。やっぱりそのロゼピンク、君によく似合っている」
満足げな遥人とは裏腹に、お佳はいたたまれずにいた。
「……すみません。私…先輩にプレゼント用意していなくて……」
お佳は自分の迂闊さを心から恥じていた。
「ああ。それなら、いいんだ。今から返してもらうから」
「え?」
そして、次の瞬間。
何が起こったのか、お佳にはわからなかった。
気がつけば、お佳は遥人の腕の中にいた。
「先、せ、ん…」
身を強ばらせ、お佳はただ震える。
無意識に逃れようとするが、遥人の力がそれを許さない。
そして────── ・・・
遂に。口唇が、重なる。
お佳は瞳を見開いたまま、その瞬間に対峙していた。
それは、ほんのごく僅かな時間だった。
しかし、お佳にはいつ果てるのかもわからない悠久の時だった。
口唇がゆっくりと離れ、お佳を胸の中に抱いたまま、遥人は言った。
「これから、ゆっくりでいい。そのルージュをこうやって僕に返してくれないか」
お佳はすぐには言葉にならない。
これが。
これが、大地だったら……
そんな想いが一瞬、胸を過ぎった。
忘れたはず。
吹っ切ったはず……
しかし。
一筋、お佳の頬を伝う涙。
それには気付かないふりをする。
「好きだ。佳」
そう囁かれながら、遥人のキスが額から頬、口唇、白く細い首筋へと降って来る。
お佳は、震えていた躰を徐々に弛緩させながら、ただそのキスを受け止めていた。




