思惑の花火大会
香月よう子side
「ねえ、お佳。本当にいいの? こんなに立派な浴衣と帯、貸してもらって」
紅羽が申し訳なさそうに、着付けをしてくれているお佳に言った。
それは、紺色の地に赤い金魚の柄が描かれ、丁寧に仕立ててある浴衣に、本格的な赤い色の帯だ。
「いいの、いいの。気にしないで。私、着物は趣味だから、浴衣は何着も持ってるし」
紅羽に浴衣を着つけているお佳は、白地に赤い朝顔が描かれている浴衣と、オレンジの帯を締めている。
「ほら、やっぱり。この浴衣が一番、紅羽に似合ってるわ」
と、大きな姿見の中に映る二人の姿を見ながら、お佳は言った。
「なんか…恥ずかしい……」
紅羽は小さな声で呟いた。
浴衣なんて、子供の頃に安モノを着て、夜店に遊びに行っていた頃以来だ。
そして、髪型も、お佳が綺麗にアップに結い上げてくれている。
「やっぱり、紅羽だと着付けのし甲斐があるわあ。普段着でも可愛いけど、それに二割増しいい女っぷりなんだもの。これは、竣たちも惚れ直すわね」
「もう、お佳。冷やかさないで」
紅羽は、真っ赤になっている。
「巾着はこれ使って。下駄は足に合うのを選んで」
お佳は、てきぱきと物事を進めていく。
八月葉月も中旬の今夜、市内のメリケンパークの海辺で、花火大会が開かれるのだ。
それを、いつもの四人で観に行こうということになり、花火大会ならこれは浴衣ね、とお佳が自分のマンションに紅羽を呼び、張り切っているのだ。
メリケンパークまでは、バスで十五分の中央ターミナル駅から電車で二駅。
花火大会は夜七時開催なので、午後六時四十五分に駅改札で待ち合わせることになっていた。
しかし、
「遅いわね。竣たち」
六時五十分になっても、竣とうのっちが来ない。
「何かあったのかしら……」
紅羽が心配していたら、
「おーい! 紅羽! お佳!」
うのっちの大声が聞こえてきた。
竣とうのっちが、小走りに寄って来た。
「遅いわよ、竣。 うのっち」
「悪い、悪い。おれのバイトが押しちゃってさ」
うのっちが、大袈裟に「ごめん!」というジェスチャーをする。
「ま、いいわ。落ち合えたんだし」
お佳が、落ち着いて言う。
「……竣。どうかした?」
紅羽が、不思議そうにそう問うた。
竣が、さっきから黙ったまま口を開かない。
「竣は、紅羽の浴衣姿に見惚れてるんだよ」
「おい! 宇野!」
竣が、紅い顔でうのっちを制する。
「そりゃあ、惚れ直すわよね。私の手にかかれば、元々美少女の紅羽だもの。天使か女神に見えるわよね」
にまにまと自慢げにお佳。
「お前も、似合ってるぞ。浴衣姿」
うのっちがそう言うと、
「当然。私を誰だと思ってるのよ。中高時代は、「ミス静真」だったんだから」
お佳は臆することなく、さらりと言ってのける。
「早く、会場まで行きましょう」
「ああ、そうだな」
そして四人は、メリケンパークの花火会場まで移動し始めた。
それにしても、すごい人混みだ。
「紅羽。はぐれないように」
竣はさりげなく、紅羽に左手を出す。
「あ、ありがと……」
紅羽は、惑いながらも、竣の手を取った。
(どうしたの。私……
こんなにドキドキするなんて)
紅羽は自分の心の動きに動揺している。
竣の手が熱い。
自分の手にも汗が流れているようで、余計に恥ずかしい。
(私……竣のこと……)
手を繋いだまま、無言で歩いている間中、紅羽はそれまでに感じたことがなかった竣への想いを、考えていた。
それは、これまで十八年の人生の中で、一度も経験したことがない想いだった。
「あれ? 宇野とお佳は?」
竣が言った。
会場に無事着いたはいいが、二人の姿がない。
「どうしよう……。はぐれちゃったんだわ」
紅羽がオロオロしていると、
「ま、あの二人も子供じゃないんだし、別行動てことでいいだろ」
と、竣は意外と落ち着いている。
その時。
ドーン、ドーンと花火が打ち上がる音がした。
「おお。ここからよく観えるな」
二人で、夜の暗い空を見上げる。
その闇を照らすかのように、次々と、花火が上がる。
「なんか。すごいね」
紅羽が、しみじと言った。
「ああ、綺麗だな」
二人は手を繋いだまま、空の花火を見上げている。
それはすこぶる迫力があり、真夏の夜特有の美だ。
次々と花火が上がる。
その間中、二人は夏の芸術に見入っていた。
最後の花火が打ち上がり、空の闇へと消えた。
『花火大会はこれで終了です。皆さま、事故のないよう、気を付けてお帰り下さい』
会場に、スピーカーで放送がある。
その時。
二人同時に、はっと気がついた。
ぱっと、繋いでいた手を放す。
紅羽は真っ赤になって俯き、竣はあらぬ方向を見上げる。
しかし、
「帰りも人混みだ。はぐれないよう手を繋ごう」
竣が、さりげなく、また左手を差し出した。
紅羽は、黙ったままその手を取る。
(竣……)
紅羽には言葉にならない。
それは間違いなく、二人の間の「何か」が変わった夜だった。




