テニスコートの恋
香月よう子side
夏季休暇に入る前。
女子寮へ帰ろうとしていた紅羽の背後から、紅羽を呼ぶ声がした。
「お佳」
それは、お佳の声だった。
「紅羽。明日、予定ある?」
「ううん。とりあえず、夏のバイトを探そうかと思ってるんだけど」
「あのね。あの……明日、つきあって欲しい所があるの」
「何処に?」
「緑地が丘公園」
「それって。お佳が入ってるテニサーの練習があってるところじゃない?」
「そう」
答えると、お佳が真剣な目をして言った。
「それから。明日はうちに来て欲しい」
「わ、わかった」
疑問に思いながらも、お佳の瞳の色の深さに負けて、紅羽は、あっさりと了承した。
その翌日。
「緑地が丘公園前」の駅で、午前九時半に紅羽は待ち合わせしていたお佳と会い、二人は「緑地が丘テニスコート」の更衣室に来た。
お佳はテニス・スコートとテニス用の薄いポロシャツに着替える。
紅羽は、お佳から服を貸すからと何度も言われたのだが、見学だけで勘弁して欲しい、と固辞した。
スタイルにそこまで自信がないと言うわけではないのだが、お佳の隣となると話は別だ。
身長165㎝・推定体重45㎏のお佳は、その美貌に相応しく、それは見事な脚線美をしている。
着換えると、お佳は紅羽を公園内に案内する。
「へえ。広いのね、ここ。公園というから、もっと小さな所かと思ってたわ」
「市内一のスポーツコートだからね。……あそこ、7,8番コートで練習してるの」
と、コートを指さしながらお佳は言った。
コートには既に、十数名の部員らしき姿があった。
「おはようございます」
と、お佳は声を出した。
その時──────
紅羽は見た。
身長約180㎝、程よい筋肉質に引き締まり、甘いフェイスをした男性が一人近づいて来る。
それはスローモーションのように、印象的な出逢いだった。
「やあ、佳ちゃん。その娘が言ってた娘? 大事な親友、て」
「はい。一条紅羽さんです」
「こ、こんにちわ」
紅羽は、慌てて挨拶をする。
「一条さん。そんなにかしこまらないで。僕は、律響大二年の工学部、高橋大地。あのベンチで見学していて」
「は…い」
そうして紅羽は、7番コート前のベンチに腰をかけ、律響大学・鳴冶館大学合同テニスサークル「デジャビュ」の練習風景を見学した。
軽い球出しに始まって、サーブ&ボレー、バックハンド、そして、男女ペアの試合形式での軽いプレーがあった。
お佳は、テニスは初心者とのことだったが、運動神経が良いのだろう。
第一サーブもそこそこ決まるし、ネットプレーにもなんとか食らいついている。
もっとも、大地が絶妙にフォローしているせいだが。
スポーツとはあまり縁がない紅羽だが、珍しげに最後まで飽きずに見学した。
十時から十二時までの練習が終わると、公園前にあるファミレスで、ミーティングを兼ねたランチをした。
紅羽はお佳の隣に座り、その斜向かいに大地が席を取る。
「君、佳ちゃんの大事な友達だって?」
「類は友を呼ぶ、よなあ。美人の友人は、やっぱり美少女か」
他の男子部員が口々に言うことを、紅羽は俯いたまま、真っ赤になって黙って聞いていた。
その時、男女問わず、部員からの熱心な勧誘を受けたが、紅羽はやはり固辞した。
学業と文士会、その上テニスまでこなせるほど、紅羽は器用ではない。
そして、会が終わると、男子部員の車に、二、三名ずつの女子部員が乗り、家まで送るらしい。
お佳と紅羽は、大地の車に乗った。
それは何の違和感もなく、普段から慣習になっているのが見て取れた。
車の中では、ブルース・スプリングスティーンが流れている。
お佳は助手席に座り、紅羽は後部座席に一人所在なげに座っていた。
実家が鳴冶館大学の隣の市で、通学に一時間かかるから、という理由で、お佳は大学近くの独身者向けのマンションに一人暮らしをしている。
そのマンションの前で、車は止まった。
「また来週な」
フロントガラス越しに、大地はお佳とアイコンタクトを交わす。
そして、大地は紅羽を見ると、
「良かったら君もまたおいで」
と、柔らかな声で言った。
それは、とても優しい瞳だった。
「はい、どうぞ」
お佳は、八畳一Kの部屋の中央テーブルの前に座っている紅羽に、紅茶を淹れた。
レデイグレイ独特の強い香りがする。
黙って紅羽はカップに口にをつけた。
「紅羽」
「何?」
「私ね……。大地さんのことが好きなの」
想像はしていたが、そこまでストレートにお佳が胸の内を告白してくるとは思わなかった紅羽は、じっとお佳の瞳を見つめた。
しかし、
「お佳……?」
思わず、声が出た
お佳の大きな両の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れて零れ落ちた。
「大地さんね。彼女がいるの。高校時代からのおつきあい。もう三年目、て……」
紅羽はどうしていいかわからない。
ただ、お佳に寄り添うように、体を近づけた。
これだったのか……と、紅羽は思う。
紅羽が高熱を出し、みんなで見舞いに来てくれた頃から感じていたお佳の違和感。
『いずれ話すわ』と、あの時には話してくれなかった訳は。
「諦めようと何度も思ったわ。でも、ダメなの。私は彼と出逢う為に、静真ではなく鳴冶館に来たんだと思う」
そこまで思い詰めるなんて……
紅羽にはかける言葉が見つからない。
「私、告白しようと思う」
お佳は、きっぱりと言った。
「で、でも……。彼女がいる人に?」
「伝えたいの、想いを。私一人ではもう抱えきれない」
お佳は、紅羽が見てきた中で、一番真剣な顔をしていた。
しかしそれは、お佳にとっても、大地にとっても、最悪の結果を招くのではないか。
そう直感した紅羽だったが、もはやお佳の恋心を抑えることは出来ない。
紅羽はただ、美しいお佳の泣き顔を見守るしかなかった。




