紅羽の病
香月よう子side
それから、日々は穏やかに過ぎて行った。
しかし、ゴールデンウイークも過ぎた頃の或る日。
「あれ? 紅羽は?」
教育学部棟の408号室に入ると佳が、竣とうのっちにそう問うた。
「ああ。それが紅羽、まだ来てないんだよ」
竣が少し眉を寄せて、答えた。
「おかしいわね。いつも誰より早く一番乗りするのに」
そして、佳は、
「LINEしてみる」
と、言った。
暫くしてレスがあり、
「大変!!」
レスを読んだ佳がそう言った。
「どうしたんだ?!」
竣とうのっちが訝しむ。
「紅羽、熱が出てるんですって。それも39度」
「そりゃ、大変だ!」
「紅羽、女子寮で一人暮らしなんだろ?」
「ええ、確か201号室て言ってた」
その時、教授が入室され、それ以上の会話はできなかった。
三人とも、じれったい想いで、講義が終了するのを待った。
やっと、二コマ目が終わり、お昼休みの時間になると、三人は紅羽の部屋を訪れることにした。
高熱では食事にも苦労しているだろうから、レトルトのお粥、フルーツ、食べやすい菓子パンなど食べ物に、ミネラルウオーター、オレンジジュース、ポカリなどドリンクを持参することも忘れない。
「ここが女子寮かあ」
五階建ての比較的新しい女子寮の前で、うのっちがそう言った。
「うのっち。何かやましいこと考えてるんじゃないでしょうね」
「ば、馬鹿! なんで俺が」
「あんたは、普段の信用がないのよ」
こういう時も、佳はうのっちには容赦ない。
「馬鹿言ってないで、行くぞ」
竣が言った。
「でも、女子寮て、男が入ってもいいのかよ?」
うのっちの問いに、
「お泊り厳禁!破ったら即退寮、だけど、入室は構わないらしいわ」
佳はそう答えると、真っ先に二階へと上がっていく。
201号室の前まで来ると、確かに「一条紅羽」のプレートが掛けてある。
「ここで間違いないみたいだな」
竣が呟くと、佳がトントンと扉を叩いた。
すると、暫くして、パジャマの上から半纏を羽織った紅羽が顔を出した。
いつも笑顔で生き生きとしている紅羽が、真っ青なやつれた顔をしている。
「紅羽、辛そうね……。食べたいものや飲みたいものはない? とりあえず、これだけ買ってきたけれど」
佳がてきぱきと動く。
「みんな、有難う……。良かったら、中に入って」
「紅羽は、とにかくベッドにね」
そして、佳がお粥を温め、林檎の皮を剥いた。
紅羽は、ポカリで水分補給をした。
その間、竣とうのっちは、さりげなく部屋中を見回して、
(紅羽の部屋て、掃除も整理整頓も行き届いてるし、やっぱり女の子らしいなあ)
と、心密かに思っていた。
しかし、
「紅羽、入学以来、頑張りすぎだろ。予習は完璧だし、講義も一コマも落としたことないし。元々、躰、丈夫じゃないんだから、自重しろよ」
うのっちが言う。
「うのっちから聞いたんだけど、ぜんそくの気があるんですって?」
佳の言葉に、紅羽は小さく頷く。
「春から夏の季節の変わり目だから、弱い所が出てきたのね、きっと」
佳が、可哀想というような瞳で紅羽を見た。
「みんな、もうすぐ四コマ目が始まるわ。早く大学に戻って」
紅羽が、心配そうに言う。
「私がついているから、竣とうのっちは大学に戻って」
佳がきっぱりとした口調でそう言った。
「お佳も講義には出なくちゃ!」
「一コマくらいならなんてことないわ。次のコマは易しい科目だしね」
かくして、佳だけが残り、後ろ髪をひかれつつ、竣とうのっちは大学へと戻っていった。
「さあ、紅羽は少し眠って。私、その間に、また夕食の買い出しして、自分のマンションに戻って、お泊りセット持ってくる」
「でも、こんな狭い部屋、お佳が泊まるスペースがないわ」
「炬燵があるじゃない。それで充分!」
そうして佳は一旦帰り、紅羽はなんだか安心して、心地よい眠りに就いた。
「……ん」
紅羽が目を醒ますと、
「あ、紅羽。勝手にキッチン使わせてもらって、ごめん」
佳が、キッチンで粥を作っていた。
「夕食に、お粥とだし巻き玉子作ったんだけど、食べられる?」
それは、レトルトではなく佳特製の梅干し入りの五分粥と、ふんわりと焼かれただし巻き玉子だった。
「うん……食べる。ありがと」
紅羽は素直に、佳の厚意に甘えることにした。
「苺も買ってきたのよ。食後に食べましょう」
「お佳のお粥、それに玉子、すごく美味しい!」
紅羽が、本心から感心したように言うと、
「中・高等科の時、こういうこと骨の髄まで躾けられたのよ」
佳が苦笑する。
しかし。
食べ終わると紅羽がおもむろに言った。
「ねえ、お佳……」
「何?」
「何か話したいことがあるんじゃない?」
その紅羽の一言に、佳がぴくりと躰を震わせた。
「わかる?」
「うん、なんとなく。入学直後のお佳と最近のお佳は、雰囲気が違うもの。妙にそわそわしてたり、そうかと思うと落ち込んでたり」
「そう……」
そう言ったきり、佳は黙り込んでしまった。
しかし、
「いずれ、そのうちに話すわ」
佳はにっこりと笑った。
その笑顔は艶やかで、やはり大輪の薔薇を思わせるようだった。




