「学祭」済んで・・・
香月よう子side
十月も第二週の土日、鳴冶館大学の学園祭「鳴冶祭」も無事終わった。
それから数日後。
お佳と遥人、空きコマの時間に二人は「音楽鑑賞室」で、二人きりでグランドピアノの演奏を楽しんでいた。
「うん。君の演奏、また磨きがかかったね。演奏全体がよりしっかりと弾けている。加えて、どこか艶っぽさというか……表現力もまた一層深くなったね」
お佳が、ファリャのバレエ組曲「恋は魔術師」から「火祭りの踊り」を弾き終えた後、グランドピアノにもたれかかったまま、満足そうに遥人が言った。
「優斗さんのお陰です。夏合宿で、基礎の大切さを骨の髄まで教わりましたから……。あれほどテクニックに優れている演奏が出来るのは、さすが遥人先輩の弟さんだけのことはあります」
お佳がピアノの椅子に座ったまま、しみじみと言った。
「優斗も君のお陰で、随分ショックだったようだよ」
「ショック……」
「定演でのアンケート。君の演奏は圧倒的に優斗の演奏を凌駕したんだからね」
夏合宿で、部長の高梨が優斗に、学祭の「定期演奏会」で「アンケート」を取ると言及した約束の結果。
・「誰の演奏が一番印象に残ったか」
・「もう一度、聴きたい演奏は」
この設問で、お佳の演奏・ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」より「月の光」は、ほとんどの観客から支持された。
一方で、優斗の演奏・ラヴェルの「夜のガスパール」は、意外な程、たいした票を得なかったのだ。
しかし、その理由は明快だった。
自由に書ける記入欄で、お佳の「月の光」の演奏は、
「静かな湖の水面を明るく照らす月の光が目に浮かぶようだった」
「とても心のこもった温かい演奏」
「テクニックと表現力のバランスが絶妙」
「是非、もう一度、岡田佳さんの演奏が聴きたい」
などの感想が多く寄せられた。
一方で、優斗の演奏は、アンケートに寄せられた票自体が少なく、しかも、
「テクニックありきで心に全く響かない」
「曲が難しすぎて理解できない」
などの感想がほとんどだったのだ。
「優斗の演奏は昔から「完璧主義」でね。確かに技術は一目に値するが、曲に込める表現力に全く魅力がない。それは常々注意していたんだが、聞く耳を持たなくてね。でも、今回のアンケ結果はさすがに堪えたようだ」
「そんな……。技術は本当に他者の追随を許さない素晴らしさなのに」
「テクニックだけではダメだと言うことだよ。その点、君は技術力と表現力のバランスがいい上に、表現力の奥深さは本当に心に訴えかけるものがある」
遥人が続ける。
「これで、優斗も君に下手にかみつくことはできなくなっただろう」
ホッとしたように、遥人が言った。
お佳はなんだか複雑な想いだ。
なんだかんだ言っても、優斗のテクニックの確かさは揺るがない。
演奏会の「アンケート」の結果も強いて言えば、選曲の差が大きく票に影響した。
お佳の弾いたドビュッシーの「月の光」は、数あるピアノ曲の中でも、素人・玄人を問わず、人気が非常に高い。
一方、優斗が選んだラヴェルの「夜のガスパール」は、去年、遥人が弾いた”世界一難しいピアノ曲”とも言われるバラキレフの「イスラメイ」に比肩する難度の曲だ。
しかし、「イスラメイ」ほどの華麗さが「夜のガスパール」にはなく、その世界観は理解するのが難しい極めて難解な曲だ。
だからこその優斗の選曲だったのだが、完全に作戦負け、自滅したようなものだった。
「優斗さん……。部を辞めないでいてくれたらいいんですけど……」
「ああ。その心配はいらないよ。あいつは、尻尾を丸めて退散するような軟な神経じゃない。負けは負けと認めて、君にも接するようになるだろう。何にせよ、優斗にはいい薬になったよ」
さばけた口調で、遥人は言った。
「さて。もう一曲、お願いしたいんだが」
遥人が、おもむろに話題を変えた。
「何の曲ですか?」
「そうだな。バッハの「半音階的幻想曲とフーガ 二短調」是非、聴きたいね」
「それは私も弾きたいです! バッハの中でも人気が高い独特な曲ですよね」
そう言いながらお佳は、半音階的なパッセージとアルペジオ、レスタティーヴからなる極めて自由な形式の「幻想曲」を弾き始めた。それは、長大でドラマティックな三声の「フーガ」へと続いてゆく。
バッハの独立した鍵盤曲の中でも最も難しく、自由で雄大なその曲を、遥人はお佳の傍らで本当に気持ち良く聴いている。
秋の「ピアノ部定期演奏会」でのお佳と優斗の「アンケート対決」は、そうして幕を閉じたのだった。




