レオナルド
「雛子様」
うたた寝をしていたことに気づいたのは、レオナルドの手によって起こされてからだった。
「このような場所でお休みされては体を壊します。どうか、お疲れでしたら寝室へ」
読んでいたはずの本が床に落ち、それをレオナルドが拾い上げるのを慌てて止めた。
「す、すみません・・・!それはそのままにしておいてください!自分で拾いますからっ!」
「私に謝ることはございません。…あなたのためにすることの何を厭いましょう。それよりも、どうか寝室へ」
「いや、だ、大丈夫です…。少し、眠気に襲われただけで…」
口にしながら、血の気が引いていくのが自分でもわかった。
――――やはり眠っても、元の世界に戻れない。
このまま、この世界で生きていくしかないのだろうか…?
「…雛子様…?」
心配げに顔を覗き込むレオナルド。
そういえば、彼のこともまだ、何も知らない。
並々ならぬ魔女王―――雛子への執着と、国王の言う彼の立場以外は。
「立ち上がれぬようでしたら私が…」
すっとしゃがみ込んだレオナルドに膝を抱えられそうになり、すぐさま「大丈夫です!」と声を張り上げた。
「あの…」
「なんでございますか」
「私に敬語を使うの…やめてもらえませんか」
他の人間は無理だとしても、彼は王だ。
その彼に必要以上に敬われるのはどうも落ち着かない。
「ですが貴女様は…」
「魔女王、だというんですよね。それは何度も聞きました。でも、私には記憶がない。自分が、貴女達のいう魔女王だという自覚も」
ただの、望月雛子という一人の人間でしかない。
「だから、あなた自身の言葉で語って欲しい。あなたのことを」
「…私の事」
そのようなことを言われたことなど一度もなかったと、途方にくれたような顔をするレオナルド。
「あなたは魔女王の旦那さんの生まれ変わりだと言われたんですよね?みんなに」
「…その通りにございます……いや、その通り、だ」
「でも絵画に書かれた英雄とレオナルドさん、あんまり似てませんでしたね」
「……!!」
そんな!と顔に書いてあるのが少しだけ面白い。
「でもそんなの当たり前じゃないですか。レオナルドさんと過去の旦那さんは別人なんですから」
全く同じ人間など、どこにも存在しない。
たとえ生まれ変わりであろうとも、全く同じDNA、全く同じ生活環境で育つことはありえない以上、それは別人だ。
「それとも、レオナルドさんには自分の前世の記憶があるんですか?」
雛子はほぼ確信していた。
そんなものが、彼にあるはずはないと。
予想通り、どこか悲しげに首をふるレオナルド。
それに安心しながら、雛子は続ける。
「私にも記憶はありません。一緒…というのは変な話ですけど」
だから。
「だから、話しませんか。お互いの事。これまでどうやって生きてきたのか」
「…雛子様…」
「私を妻にしたいというのなら、それが当然じゃありませんか?」
彼は完全に順番を間違っている。
じっと押し黙ったレオナルドは、やがてその重い口を開いた。
「貴女は、私の初恋だった。母を亡くしたその年、初めてあなたの柩に触れた」
あれは、6歳の頃だったと彼は言う。
「雛子様にも話したとおり、我が一族の貴女への執着は異常だ。貴女に出会うまで、私もそう思っていた。
母をないがしろにし、ひたすら神殿に通い続ける父を、憎んですらいた」
ぽつぽつと語られるのは、父親への怒り。
「母が病に伏せようと、死の床へつこうと、父が想い続けるのは物言わぬ貴女の事。
母は何も言わなかったが、きっと父を恨んでいる、そう思っていた」
「…お母さんは、貴族の娘さんなんですよね…?政略結婚だったんですか」
「いや…。母は神殿に使える巫女の一人だった。
それがたまたま父に目をつけられ、側室に…。そこから私が生まれたことで正妃へと持ち上げられた」
その話に、違和感を覚える。
「巫女さん…?元々ちゃんとした正室候補はいなかったんですか?側室も…ですけど。
レオナルドさんにもそういった方がちゃんといたと聞きましたが…」
「いつそのようなことを…。いえ、隠すつもりはございませんでしたが…」
「それは別に構いません、続けて下さい」
同様のあまりか、再び口調が敬語に戻りつつある。
「…父にもきちんとした側室はいた。正室の産んだ息子も」
「…え?」
驚いた。レオナルドには兄がいたのか。
そこで思い至る。
そういえば、一番最初にこの夢の中で見た白い男性の手。
あれは―――――。
「私とは10近く離れた兄こそが、最初は英雄の生まれ変わりその人だと言われていた。
…あなたが目覚めたのが、兄が王太子として正式に認められたその日だったから」
「王太子…」
「神官長より雛子さまの目覚めの気配を伝えられ、兄は急ぎ神殿へ向かったが…。当時は、既に貴女は再び眠りについた後だった」
やはり、あの時の手は彼の兄だったのだ。
きっと王子様だ、と思ったのはある意味正しかったわけだ。
「でも、そのお兄さんは今は…?」
彼が王になっている、ということは…。
「死んだ」
「…病死か何かで、ですか」
「父が、兄とその母とを殺したのだ」
「……え?」
なんだ、それは。
驚いて、淡々と語るレオナルドの瞳をジッと見つめてしまった。
そこに、何かの感情をみつけようとして、理解できずに困惑する。
「どうして…お父さんはそんなことを?」
仮にも自分の後継者である息子を殺すなんて。しかも母親まで一緒に。
「父は嫉妬したのだ。自分では目覚めさせることのできなかった貴女を兄が目覚めさせたと」
「そんな…」
そんな、ことで?
「でも、奥さんまでそれで殺すことは……」
なかったんじゃないか、と続ける事はできなかった。
「正室が殺されたのは兄よりも先だ。
兄を殺そうとした父に対し、兄の母は…………貴女を憎んだ」
「私」
魔女王を、憎んだ人がいる。
「魔女さえいなければ、王の愛を得ることができた。魔女さえいなければ、何もかも解決すると、そう思ったのだろう」
けれど柩は何者にも触れることができず、害することもできない。
「柩を…運び出そうとしたそうだ。それを欲しがるものに与えて、処分しようとまでしていたらしい」
その考えにぞっとする。
いくら誰にも触れることができないとは言え、それではまるで見世物のようではないか。
「その計画が王に漏れ、怒りを買ってその場での処刑となった。…兄はその連座だ」
「…お兄さん、何もしてないじゃないですか」
「王にとって目障りな存在を、ついでに消したに過ぎない」
「自分の息子なのに…!?」
「そうでもあっても、王には貴女を自分から奪う一人の男にしか見えなかったのだろう」
あいた口がふさがらない。
「跡取りを亡くした王は、けれども新しく妻を娶ることを拒んだ。
そしてようやく選んだ妻は………誰よりも、貴女を敬愛する神殿の若い巫女」
「まだ、10代だった」
「……!」
衝撃を受ける。
話を聞く限り、その時には王は既に50を過ぎていたはずだ。
「前回の失敗を繰り返すまいとしたのだろうな。神殿で最も敬虔なる貴女の信徒を選んだと聞いた」
「…誰に、ですか」
嫌な予感がする。それは当たってしまった。
「父、本人にだ」




