神官長と女官長
「神官長…」
それってなんだっけ、と一瞬漢字が思い浮かばずぼんやりと考え、すぐに。
「神官長!?」と二度見する勢いでジョサイに目が釘で付になる。
それを受け、何事もなかったかのように膝を折ったジョサイは「左様でございます」と鷹揚に頭を下げた。
「私は貴女様を祀られた神殿の祭祀を司るもので、ジョサイと申します。陛下のことはご幼少の砌からお世話をつかまつっておりましたもので、どうにも子供扱いが抜けきれず…」
お見苦しいものをお見せいたしました、と頭をあげてスキンヘッドに手をかけて笑う。
どうやら顔に似合わぬ笑い上戸のようだ。
神殿、というのは恐らくあの雛子が眠っていたあの部屋のあった場所のことだろう。
ならばここはどこだ?と一瞬考えたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「祭祀って…何をするんですか」
「勿論、魔女王様のお目覚めを祈願し、魂呼ばいの祈祷を日々行っておりました」
「魂呼ばいって…」
何だ、と聞こうとした雛子を遮り、レオナルドが彼女の肩に手を掛ける。
「魔女様。勿論お話はいくらでもお伺いいたしますが、まずは場所を移されてはいかがでしょうか?御身はまだ…」
そう言われ、レオナルドの視線が雛子の服に向けられて気づいた。
「…これ!そうだネグリジェ…!!!」
「これ、じじい。気を利かせぬか…」
「おぉ…これは失礼いたしました…!!」
ぴらぴらひらひらの、ネグリジェ。
こんなものを着ていつまでも立ち話をしていたい訳はない。
「き、着替え…!」
「勿論ご用意しております。今女官長を及び致しますので、しばしお待ちを…」
「陛下、早速わたくしめが」
言うなり、老人とは思えない健脚で颯爽と部屋を出ていくジョサイ。
ムキムキの肉体といい、日頃から相当鍛えられていそうだ。
なぜ神官長という聖職にあるものがそんな必要があるのか、理解に苦しむ。
初めに彼と一緒に登場した槍兵も同じ神殿の所属なのだろうか。
「まったく…。じじいはいくつになっても騒がしい。魔女様、どうかあやつめのご無礼をお許し下さい」
「許すもなにも…」
突然のこと過ぎて、どうしたらいいかわからない。
「女官長が参りましたら、私は部屋を出ておりますので、どうぞゆっくりと…」
「あ、ありがとうございます」
「私に礼は無用です。全ては貴方様の御為に…」
もう一度深く膝を折り、礼を尽くす。
さっきから、この姿勢を何度見たことだろう。
自分は一体どれだけ偉いんだと叫びたくなる。
「陛下。お呼びとお伺いいたしましたが」
「よい。入れ」
レオナルドの返事を受け、50絡みの中年女性がすっと扉から部屋に招き入れられる。
気がつかなかったが、部屋の外には衛兵がいたらしく、ちらりとその姿が見えた。
「陛下、何事で………まぁ!!!魔女王陛下!!お目覚めになられたとはお伺いしておりましたが、なんとお美しい…!」
途中までは表情一つ変えなかった女官が、そこに立つ雛子の顔を見るなり歓声を上げた。
今にも飛びつきそうな勢いだ。
「あぁ、いつまでもそのようなお姿ではいけません…。すぐに着替えを…」
自分がなぜ呼ばれたのかを即効で理解し、「陛下はあちらでお待ちください」と頭を下げながらもまるで追い払うかのようにあっさりと言い放つ。
「そう急くな。…まったく、じじいといいお前たちは…。魔女様がお困りなのがわからぬか。先ずは名を名乗るのが先決、さもなくば無礼であろう」
「そうでございました…。これは大変なご無礼を…」
今にも動き出そうとしたところを息子ほどの歳のレオナルド窘められ、すぐさま雛子に向けて膝をつく。
「私、女官長を努めております。どうぞう、オリビアとお呼び下さいませ」
「オリビアは私の乳母で、今はこの城のほとんどを仕切っている。何かあったら、どうぞこのオリビアに」
「何用でもお申し付けくださいませ。すぐにお伺いいたします」
立ち上がり、アニメや海外ドラマでしか見たことがないような見事な礼を披露される。
「オリビア。服はこちらのクローゼットにすべて移動させてある。後は任せて良いな?」
「勿論でございます!」
「…その顔は、早く出て行けとでもいいたげだな」
「滅相もない」
そう言いながらも、視線は雛子に釘付けだ。
レオナルドが苦笑しながらも部屋を出ると、一言「失礼いたします」と雛子に声をかけ、部屋に備え付けてあったクローゼットを開けたかと思うと、「あぁ、どうしましょう。何がよろしいか…」と真剣に悩み始める。
「魔女王陛下、お支度はどちらにいたしましょう…。どれも皆、素晴らしいお仕立てですが…」
いくつかドレスを引き出し、寝台の上に並べてみせる。
「あの…。初めに着ていた、黒いドレスは…」
例のゴスロリ衣装だ。
今になって考えてみれば、あれは恐らくよく似た別物だったと思う。
ならばどこかにあの服があるはずだ。
「あぁ…。あちらでございますね。確かに良くお似合いで…」
すぐに思い当たったらしい様子で別の場所を開けるオリビア。
ちなみに気になっていたことがある。
「私をこの服に着替えさせたのは…」
「私でございます。差し出がましいことを致しまして申し訳ございません」
「いえ…」
ほっとしました。
まさかとは思ったが、レオナルドが犯人でなくて安心した。
その後、立派な箱の中から出てきた例のゴスロリドレスを見せられ、なぜか懐かしささえ覚えてしまう。
だがやはりよく見ればそのドレスはあの時着ていたものとは全くの別物。
似ていると思ったのは気のせいだったのだろうか。
仕立てのよい、漆黒の生地を使用した滑るような手触りのドレス。
よく見れば裾には細かく精緻な刺繍が施され、それだけでも高価な代物であることが分かる。
「やはり良くお似合いで」
ほぉ…と、感嘆の吐息とともに褒め殺しにされ、硬い表情のままなんとか小さく微笑み返す。
「私めがお育てした陛下が、このようにお美しい魔女王陛下を娶ることができるとは、なんと幸せなことでしょう…。早速、お衣装の方も今からお仕立てせねばなりませんね」
「はい?」
ちょっとまて。今聞き捨てならない単語が聞こえた、と即効で問いかけなおす雛子。
「勿論、時期の方は陛下とのご相談になりますが…。何しろ国を挙げての慶事でございますし」
「いや、そうじゃなくて」
さっき、娶るなどなんだの聞こえたのは気のせいか。
問いただしたいが、喜色満面の顔で着替えの手伝いを始めたオリビエを問いただすこともできず、悶々としたものを抱えたまま、一旦着替えを終える。
ドレスに着替えただけではなく、今度は装飾品のたぐいも付けられ、頭にはやはり紫色の宝石のついたサークルが乗せられた。
鏡でちらりと見たが、我ながらこれぞ「魔女王」という感じだ。
着替えが終わった頃を見計らい、ゆっくりと部屋に戻ってきたレオナルド。
「…そのお姿をしておりますと、本当に数百年前と何一つ変わらぬように感じますね。相変わらずお美しい」
すっと自然な様子で雛子の手をとり、ほんの少しだけ口付ける。
ここまで来るとこの程度では驚かなくなってしまった。
―――いや、今回は今までとは違う。たとえ強い衝撃を受けたとしても、この夢から覚めることができるかどうかはわからない。
そうだ、まずは気になっていたことを問いたださなければ、と雛子は口を開く。
「レオナルド陛下…でしたよね」
「恐れ多い。レオとお呼び下さい、と…」
あぁ、そうだった。
「レオさん…。ならば私も雛子と」
彼はかたくなに「魔女」と呼び続けるが、今度ばかりは素直に「ヒナコ様…ですか」と少しだけ首をひねる。
「何度もお聞きして申し訳ありませんが、えっと…あなたは私の…いや、「魔女王」という人の子孫でよかったんですよね…?」
「はい。仰る通りにございます」
「さっきオリビエさんが、あなたが私を娶るだのなんだのってセリフを口にしていたんだけど…」
ちらりと、未だこの場に控えるオリビエを見る。
「あなたが子孫なら、それはおかしな話よね?」
どこの世界に先祖と結婚する子孫がいるのか。
笑い話にしかならないと、否定を期待して問いかけた雛子に返ってきたのは意外な答え。
「いいえ、おかしなことなどございません」
「?」
「予言に記されていたことです。貴女様がお目覚めになられるのは、貴女様の夫君であった英雄がこの地に転生を果たした時。…つまりは、この私こそが、貴女様の夫であったという証」
「…は?」
聞こえてきた言葉は、一瞬にして高速スピードで耳の穴をすり抜けていった。




