濃すぎる主従との再会
「落ち着いた?雛ちゃん」
「すみません…またご迷惑をおかけしました」
店内に漂ういつものコーヒーの香りに、ようやく落ち着きがもどる。
先程言った手洗いでもう一度鏡を見たが、そこにはいつもの自分の姿が映っただけ。
ひと安心するとともに、なぜか違和感を感じてしまった自分自信に蓋をした。
―――違う。紫の瞳なんかじゃない。これが、私だ。
「ひよちゃん、だいじょうぶ…?」
「大丈夫だよ、ごめんね」
心配そうにこちらを見つめる慶一に、なんでもないと微笑む。
純也にはもう連絡済みらしく、もうこちらに向かっているという事だ。
まもなく到着するだろう。
どうも慶一の母親から純也に連絡がいっていたらしく、電話口でひたすら謝る彼がひどく気の毒だった。
何一つ、彼のせいではないのに。
「雛ちゃん、少し休んだほうがいいよ。熱はなさそうだけど…。少し寒い?」
額に手を当てられ、軽く体温を測られる。
背中に店の奥から持ってきた毛布をかけられ、自分がかすかに震えていたことに気づいた。
ごくりと、今度はミルクがたっぷり入ったコーヒーを一口飲み込んで、小さく吐息を吐く。
その間、慶一は騒いではいけないと理解しているらしく、薫の膝の上でただじっと雛子の顔を眺めていた。
急に温まったせいで、なんだか少し眠気が襲ってきてしまった。
「眠い?昨日あんまり眠れなかったんじゃないの?」
「そんなことはないと思うんですけど…」
ここ数日の疲れが出たのだろうか。
まぶたが重い。
「雛ちゃん… な ゃ …ん?」
あぁ、声が遠い。
※
「…ま…ょ………さま……魔女様!!」
「んぁ!?」
ガンガン体を揺すぶられ、はっと我に返った。
「ごめんなさい薫さんちょっと眠…………」
眠くなっちゃって、と言いかけた言葉が、目の前の現実を受け入れるなり、一瞬にして停止した。
「あぁ!よかった、魔女様!ようやくお目覚めですか!」
目の前にある、もはや見慣れた紫の瞳。
―――レオナルドだ。
「な、なんで…!?」
「なぜとは…?話の最中、突然気を失われたのでまた眠りに疲れてしまったのかと思い、寝台にお運びしたのですが…」
何が問題がございましたか?と問いかけ、心配そうにこちらを見つめるその顔。
急いで周囲を見渡せば、前回と全く同じ部屋、同じ寝台の上だ。
「突然気を失った…?」
「ええ。あれから一刻ほどでしょうか…。お目覚めになられて本当に良かった。また、夢をご覧になっていらっしゃったのですか?」
「…夢?そんなわけ…」
夢はこちらで、あちらが現実。そのはずだ。
だが。
「魔女様。貴方様はもはやお目覚めになられているのです。夢に未練を残すのはおやめください」
こちらが現実だ、と告げるそれを、嘘だと一蹴することがなぜかできない。
「…鏡…」
そうだ。鏡を見なければ。
思い立ち、立ち上がるとまたすぐ鏡台のもとへ向かう。
覆いをめくりあげれば、やはりそこにあるのは。
「紫」
前回に見たものと、同じ顔。
今回は取り乱すことのない雛子に、少し安心したように微笑みながら、同じように鏡に己の姿を映し、彼は言う。
「…ええ。貴女様の持つそのお色は、この世で最も高貴なるお方の証」
二人が鏡の中に並び立つ。
確かに、それは同じ色をしているように思える。
そういえば、前回彼はなんといっていた?
「…あなたが…私の子孫?」
「まさに」
疑念とともに投げかけた言葉にレオナルドが深くうなづく。
「長きに渡り、貴女様の留守を守りこの国を統べて参りました。ですが、貴女様がお目覚めになられた今、この国はすべからく貴女様の物でございます。…我が女神、我ら一族の最も尊き女王」
そして、と彼は跪く。
「私の、愛しい魔女よ――――」
魔女。
そのフレーズを、この夢を見るようになってから何度耳にしただろう。
「私は…魔女なんかじゃありません…」
「いいえ。貴方様はこの世界にたった一人存在する至高にして最後の正統なる魔女。我らがずっと、お守りし続けたお方で間違いありません」
弱々しく首をふる雛子の両手を、レオナルドがしっかりと掴み取る。
「もう、夢の中に戻られるのはお止めください。貴女様の生きる場所は、この世界に。私の側に…」
逃がさないと、まるでそう言われているようだった。
だが、今まで望月雛子として生きてきたすべてが夢だったと言われ、誰が納得できるというのか。
それにだ。
「…私は…誰なの」
魔女だの、魔女王だのと言われるだけで、一度として名前を呼ばれない。
雛子と名乗った彼女を否定したのはこの男だ。
だったら、私は<誰>だ。
「貴方様は、魔女王。魔女王、セレスアテナ様でございます」
深く、深く彼は頭を下げる。
己の奉る、至高の存在に向かって。
「セレスアテナ…?」
何だその名前は。
心あたりなどまったくありはしない。
それが自分の名前だなんて、冗談としか思えない。
「我が祖先たる王は、貴女様をセレナ様、とお呼びしておりました」
「…セレナ」
略しただけじゃないかと、鼻で笑うこともできない。
頭の中がすっかり混乱していた。
もう一度なにか衝撃を受ければ、この夢は覚めるのだろうか。
だが、既に夢は変化を始めている。
前回こちらの夢を見た時から、こちらではまだ数分しか立っていないというこの現状がその証拠だ。
明らかに間隔が短くなっている。
それに、先程あのデパートで起きた現象…。
「…魔女は…不思議な力を使うの…?」
「貴女様は精霊を従え、数多の魔導を行使することが可能でございます」
「魔導…」
まさかと思いながら口にした言葉にあっさりと肯定の返事が返り、オウム返しにつぶやく。
「そのお瞳は、精霊に最も愛されし者の証。その瞳を持つ一族は、貴女様と、貴女様の血を継ぐ我々王族しか存在致しません」
どうしたらいいだろう。考えることが多すぎて、全く頭が回らない。
額に手をあて、俯いた雛子を、レオナルドが心配そうに覗き込む。
まず、何かが聞けばいいのか。
ためらいながら口を開こうとしたその時。
「陛下――――――!!!!」
「ぐっ。。。」
バタン、と突然開いた扉から現れたのはまさかの顔。
「マッチョの白ひげ!?」
二度目の夢の最後で見た、インパクト大なあの老人だ。
「おぉ!魔女王陛下!!ようやくそのご尊顔を拝謁に預かり、まさに恐悦至極。お目覚め、心からお慶び申し上げ致しますぞっ!」
相好を崩した老人は、意外と愛嬌のある笑顔を雛子にみせながらも、ぐいぐいとこちらに迫って来る。
「じじい、少しは待たぬか。魔女様が怯えていらっしゃる」
「そんな!このジョサイのどこが恐ろしいとおっしゃるのですか!?」
引き止められた老人がこの世の終りのような声で訴えるが、実際にちょっとビビっている雛子は答えられない。
「我ら一族、初代からずっと魔女王様にお仕え申し上げていたというのに…」
「だからそれが鬱陶しい。もっと落ち着いたらどうだ」
「ええい、これが落ち着いていられますか!我らが魔女王がようやくお目覚めになられたのですぞっ!前回はその気配に気づき急ぎ馳せ参じたところ間に合わず、どれだけ己の鈍間を恥じたことか…」
くっ…っと、下を向いた悔しげな表所を浮かべる老人―――ジョサイ。
だが違う。
2度目のことを言っているのなら、あれは間に合わなかったんじゃない。
その顔を見て、驚きのあまり目が覚めたのである。
しかし、この老人を相手にすると、今まで押せ押せだったレオナルドが逆に抑え気味になるのが不思議だ。
一体どんな関係なのだろう。
「魔女様、少しお時間を頂いてもよろしいだろうか。じじいがどうしてもと聞かなくて…」
「陛下!!じじいなどと呼ぶのはおやめくださいと何度も…」
「あぁ、わかったわかった。だから少しは大人しくせよ、<神官長>」




