一緒に寝よう。
「じゃ、薫さんはあっちで。慶一君はおねえちゃんと一緒のベッドで大丈夫?」
慶一が歯磨きをしている間、寝室の床に来客用の布団を敷き終えた雛子は、薫にむけてそこを指差す。
「は~い」
「納得いかない…。なんで慶一が雛ちゃんと同じベッドに寝ることになってるの!?だったら僕も…!」
いい子のお返事をする慶一とは対照的に薫は一人悔しげだ。
「僕もじゃありません。どう考えても薫さんと同じベッドなんてありえないでしょ」
それに来客用の布団は現在ひと組しかない。
どうしても慶一を一人で寝せろというなら薫には居間のソファで寝てもらうことになるが。
「慶一だって男だよ!?僕がだめなら慶一も駄目!」
「え~」
「薫さん、大人げない」
雛子と一緒のベッドと聞いて素直に喜んでいた慶一が、薫が腕に大きくばってんを作るのを見て抗議の声をあげる。
「どうしても駄目だって言うなら、じゃあ薫さんが居間で…」
「それも嫌!」
「…どっちが子供かわからなくなってるんですけど」
いやいやするのは子供の特権ではなかったか。
「んじゃ僕が雛ちゃんのベッドの横で慶一と一緒に寝る!それならいいでしょ?」
慶一が一人だけ雛子の側にいるのは納得いかない!との主張だ。
「薫さんが慶一くんと…ですか」
「うん!」
「ぼくひよちゃんがいい…」
「駄目!」
不服そうな慶一を力技で黙らせる。
だがまぁ、赤ん坊の頃から知っているというだけあって慶一もなんだかんだいいつつも薫には懐いているようだ。
最終的には納得した慶一を抱え、薫がさっさと布団に潜り込む。
「まったく…」
「おやすみなさい、ひよちゃん」
「ひよちゃんじゃなくて、雛ちゃんな…。おやすみ雛ちゃん」
ふたり仲良く布団にくるまるその姿を見下ろし、なんだか本物の親子みたいだなと思いながら、雛子も「おやすみなさい」と返し、電気を消す。
幼児に夜ふかしは厳禁だ。
三日寝ていたという割には、雛子も強い眠気に襲われていた。
―――今日、果たしてあの夢は見るのだろうか。
※
「ひよちゃん…」
「ん?」
どうやらすっかり熟睡していたらしい。
寝ぼけ眼の慶一にパジャマの裾を引っ張られ、目を覚ました。
「ひよちゃん、ぼくおしっこいきたい…」
「!あぁ、ごめんね、まだ一人じゃおっかないか」
いくらしっかりした子でも、夜中に他人の家のトイレにひとりで行くのは嫌なのだろう。
おもらししなかっただけ褒めてあげなければ。
薫は?と見れば、その姿がない。
「一体どこに…」
「わかんない。ひよちゃんおしっこ」
薫の行方は気になったが、とりあえずは慶一が先だ。
トイレまで手をつないで連れて行ってやると、終わるまでまつ。
その間「ひよちゃんいるー?」としきりに声をかけてくるのが可愛い。
しかし薫は一体どこに行ったのだろう。
居間にもいなかったし、どうやらこの部屋の中にはいそうにない。
一応念の為に合鍵は渡しておいたのだが、家にでも帰ったのだろうか?
それならそれで連絡ぐらいしておいて欲しいものだが。
「ひよちゃん、かおちゃんがいないから、いっしょにねていい?」
「そうだね、一緒に寝ようか」
トイレから出てきた慶一が、少し恥ずかしそうに上目遣いにいうのを、思わずぎゅっと抱きしめる。
天然の湯たんぽだ。幼児の体温は暖かい。
「わーい、ひよちゃんといっしょ!」
ようやく念願かなった慶一をベッドに入れると、しばらくワイワイベッドを飛び跳ねていたが、やがて落ち着いたのを見計らい、毛布をかけて雛子も一緒に眠りにつく。
誰もいなくなった床の布団は気にかかるが…。
―――いいや、明日問いただそう。
あれだけゴネておいて、結局は自分から姿を消しているのだから仕方ない。
ベッドの中でぎゅっと抱きついてきた慶一を同じように抱き返すと、小さな声で「おかあさん…」と声が漏れる。
家に帰りたくなったのかと思い顔を覗き込めば、どうやらもう眠ってしまっているようだ。
母親の夢でもみているのだろう。
どんな親でも、子供には母は一人しかいない。
そう思うとどこか切ない気分なるのはなぜだろうか…?
子供のことなど、今までろくに考えたこともなかったはずなのに。
「…おやすみ」
小さく声をかけ、目を閉じる。
腕の中のぬくもりが、無性に可愛くて…手放したくないな、と少しだけ思った。
寝室の扉が小さく軋む音がしたのは、それからまもなくのことだ。
薫が戻ってきた、そう思い雛子はそっと毛布をめくり、起き上がる。
「雛ちゃん…」
「どうしたんですか、薫さん」
「ちょっと、どうしても今日のうちにやらなきゃいけない事があって、お店に…」
ごめんね、と謝られるが、疑問は残る。
「それならどうしてもっと早くに言ってくれなかったんですか。黙っていくなんて…」
「本当に、ごめん」
情けない顔で頭を下げる薫。
若干顔色が悪くなっているのは、この寒い中外を出歩いていたせいだろうか。
「慶一君、こっちで寝ちゃってますから、一人で寝てくださいね」
ちらりと横を向けば、慶一があどけない寝顔を見せて夢の中だ。
このまま寝かせてあげて…と思っていた雛子だが、薫はそれを一瞥するなり毛布を捲り上げ、慶一を抱え上げてしまう。
そしてもちろん行先は自分と同じ布団の中だ。
「まったく、油断も隙もない…」
ぶつぶつとつぶやく薫に呆れしかない。
元はといえば自分が勝手にいなくなったからだろうとは思うが、こちらに薫がやってきた一瞬、漂った微かな匂い。
―――タバコ、吸ってたのか。
雛子自身は喫煙者ではないが、元彼は一日1箱は平気で開ける中毒者だった。
今まで薫がタバコを吸っているところを見たことはなかったが…。
―――今まで吸わないでいてくれたのかな…。それとも吸ってるのを知られたくなかったか。
別にかまわないのに、と思う。
「おやすみ、雛ちゃん」
何も言わず、再び布団にくるまる薫。
それにどこか寂しさを覚えながら、雛子もまた、再びの眠りに落ちた。
――――その日見た夢は、不思議な夢だった。
いつものあの夢とは違う。
横たわる、巨大なライオンのような生き物を背に、幸せに眠る夢。
夢の中で眠る、とはおかしな話だが、正しくはまどろんでいただけなのかもしれない。
ふわふわの毛皮は暖かく、呼吸によって上下する腹が心地よい振動になる。
嗅ぎなれた毛皮の、太陽のような匂いが、時々鼻をくすぐった。
そして、腕の中には一人の子供。
金色の髪に真っ青な瞳をした幼子だ。
彼女の胸に顔をうずめるようにして眠っている。
幸せな、とても幸せな夢だった。
『…これ、起こすでない…。
まったく…お前は…。このような幼子にいたずらをするものではないよ』
そぉっと腕を出し、彼女の腕の中の子供の頭を叩こうとしている獣に、やはり眠っていたわけではなかった彼女が声を掛ける。
すると、眠っていたかと思った幼子がすっと顔を上げ、笑う。
『魔女様…。聖獣殿は、嫉妬しておられるのだと思いますよ』
『嫉妬?おかしな事を…。なぁ、私の獣…』
そういえば、どこかバツの悪そうな表情でぷいとそっぽを向いてしまう。
『本当に、おかしな子だ…』
『魔女様がとても鈍くていらっしゃるのだと…』
控えめに訂正する幼子に、ぐるる、低い声を上げる獣。
だが、お前がこの子に嫉妬する理由など、どこあるというのか。
『お前はずっと私のものだろう?私の…』
私の、大切な――――――。
大切な、なんだったっけ。




