執着には執着を
「ここが水子守神社…ですか」
「そう!向こうに社務所があるんだよ。御神水は鎮守の森の奥だから、もっと先なんだけどね」
連れられてきた神社は、雛子が考えているよりも遥かに大きい敷地を有する場所だった。
平日にも関わらず駐車場には何台もの車があり、神社らしき場所から御札を手に戻ってくる姿もみられる。
ただ不思議なのは戻ってくる人、神社へ向かう人のほとんどが夫婦、もしくは恋人同士のように見られることだ。
「えっとね…、神社の名前を考えてもらえばわかると思うんだけど、ここって実は子宝でも有名な神社なんだ」
水子守から発展し、みこもり、みごもり、みごもる…というわけらしい。
「あの御神水も子宝の水ってことで有名で…って、僕は別にそういう意味で飲ませたんじゃないからね!?それだけじゃなくて、霊験あらたかな清めの水として雑誌に載ったりもしてるの!!」
本当だからね!?と念を指す薫には悪いが、若干怪しい。
「ほら、その証拠に明らかに子宝目的じゃない人もいるでしょ!?」
そう言われてみれば確かに、参拝者の中には老人の姿もちらほら見受けられる。
「さ、とりあえず行こ?」
促され、向こうからやってくる夫婦と軽く会釈で挨拶しながら歩き出す二人。
まだほんの少しだが、お腹が膨らんでいるところを見るとお礼参りだろうか?
大切そうにお腹をさすり、柔らかな微笑みを浮かべているのが印象的だった。
「どうしたの?雛ちゃん」
「…いえ」
薫の顔をちらりと見て、思わず視線を逸らす。
自分は一体、これからどうしたいのだろう。
そう、一瞬だけ考えた。
※
「おばちゃん!お久しぶり!」
「おばちゃんじゃない宮司のお姉様とお呼び」
「…は?」
神社の社務所に着くなり突然始まったこの会話に、雛子の思考が完全に停止した。
ふたりの前に立つのは、巫女装束を纏った女性。
身長が薫よりも頭一つ高く180センチ近くはあるだろうか?
年齢不詳な面持ちだが、薫がおばちゃん呼ばわりするくらいだから実は結構な年齢の可能性もある。
なんというか、迫力美人。宝塚の男役にでもいそうな雰囲気だ。
「なに、あんたとうとう結婚するの?しかも式の前から子宝祈願なんて心が狭すぎるんじゃない?」
よっぽど逃げられたくないの?と思い切り鼻で笑われるが、不思議と嫌なものを感じないのはなぜだろう。
カラっとした女性の雰囲気のおかげだろうか。
「あ~雛ちゃん…。口が悪くて本当にごめんねぇ…。これでもうちは子供の頃からここに通っててさ…。うちの両親もここで子宝祈願をして俺ができたもんだから、色々寄付やら何やら弾んでるんだよね…」
ほら見て、と促された場所を見ると、立派な石灯籠の下に、大きく書かれた「浅井雄次郎」の文字。
これは薫が誕生した際にこの神社に寄付されたものらしい。
さすが、としか言いようがない。
「お嬢さん、雛ちゃんっていうの?」
「あ、いえ、望月雛子です」
そこだけはきっちり訂正し、女性を見上げる。
「そう、可愛い名前ね。ようこそ、水子守神社へ。女性の宮司なんて珍しいでしょう?ここはね、水子守であって、巫女守である土地。つまり、代々女性を奉る場所なんだ。あたしの母も、祖父もここでずっと巫女兼宮司をしてたんだよ」
「へぇ…」
なかなか面白い。ひとつの名前にいろいろな意味があるということか。
「おばちゃん、雛ちゃんの後ろになんか見える?」
二人だけで話しているのが気に入らないのか、いきなり横槍を入れる薫に、少し嫌な顔になった女性宮司がはんと再び鼻で笑って答える。
「あんたの生霊だね」
「嘘!?僕!?」
「…いや、明らかに冗談でしょ…」
どう見ても顔が笑っている。
焦った表情で雛子の背後を見つめる薫に思わず冷静にツッコミを入れた。
「ちょっとおばちゃん!?こっちは真剣に聞いてるんだけど!」
「なぁに薮から棒に…。どうやらその様子じゃ子宝祈願はまだ早そうだけど…このお嬢さんが一体どうしたの?」
ふたりが交際前であることをあっさり見てとったらしい彼女だが、流石に真剣な表情の薫に気づくと再び雛子を見下ろし、小さく首をかしげた。
「なんか、毎日妙な夢を見るんだってさ。それで三日前には昏睡状態に陥って…」
ざっくりとした説明をする薫に、初めは訝しげに話を聞いていた宮司だが、その顔が徐々に曇る。
「まずいかもしれないね…。確かによく見れば、魂が離れかかってる…」
「・・・は?」
たましいがはなれかかってる。
ちょっと理解できない言葉に、一度頭の中で繰り返してからようやく理解が追いつく。
「魂が、離れる?って…」
「憧れ、って単語があるだろ?昔はね、魂が離れて本来あるべき場所とは別の場所に行ってしまうことを<あくがれ>といったんだ。別のものに引き寄せられて魂が肉体から抜け出ようとしている」
この場合、その原因と思われるのはあの夢。
「誰かが強い力であんたを引っ張ってる…。このままじゃ連れてかれるよ」
「!」
あれはやっぱりただの夢じゃなかったのか、と思うと同時に、冷たい汗が背中を伝う。
「おばちゃん!なんとかできないの!?雛ちゃんが連れてかれるなんて絶対許さないから!」
「…ちょっと待ちなさいよ…。今考えるから…」
はいはい、と薫をいなしながらも、真剣に考えてはいるらしい。
「そうだ、薫。あんた、これからしばらくこの子に付きっきりでいなさい」
「「は?」」
今回ばかりは、ふたりの声が完全に揃った。
「執着には執着よ。あんたのそのねちっこい思念でその子の事を覆い隠すの」
得意でしょ?と言わんばかりに言われ、一瞬唖然とした薫だったが、直ぐに我を取り戻すと。
「それでいいなら全然大丈夫だよ!!!!なんなら一日中、トイレの中でもくっついてる!」
「それは勘弁してください」
「そこまではしなくてよろしい」
変態か、と二人の女性に揃って蔑まれるも薫は懲りない。
「とりあえず応急処置はそれでいいとして…。念の為にお祓いでもしておくかね。用意するから、表の社殿に回っておいで」
「わかった!」
力強く返事をする薫に、少し戸惑う。
「あの、薫さん…」
「雛ちゃん、ここは言うことを聞いておいたほうがいいよ。この人はね、神社庁のお偉方すら平然と黙らせるような女傑だから。それに能力は間違いなく本物だよ」
僕が証明する、と言われても、一体何を基準に行っているのかがさっぱりわからない。
そういう霊的なものを否定するわけではないが、積極的に肯定する理由もなかった。
しかし。
「神社庁?」
「うん。伊勢神宮をトップとした神社の最高組織みたいなもの…かな?普通はね、女性宮司っていうのは殆ど認められないんだ。それを何代か前の女性宮司が力技でもぎ取っていったらしいけど、そんときのことが伝説になってるみたいで…。しかも代々の宮司はみんな似たような性格の持ち主だから」
力技、というところが実に気になる。
「でも能力は本物なんだよ。昔テレビにでて行方不明者の搜索もしたことがあるくらい」
―――だがそれは放送されなかった。
搜索の最中で、本物の遺体を見つけ出してしまったからだ。
テレビ局側はそれをスクープとして放送したがったが、警察の方からまったがかかったらしい。
まぁ、それはそうだろう。警察のメンツ丸つぶれだ。
しかも第一発見者として警察からはしばらくの間しつこく付きまとわれた。
「それ以来どんなに頼まれてもテレビ関係者とは付き合わなくなったって話」
「…苦労してますね」
それ以外、言葉が見つからなかった。




