驚きのビフォアーアフター
「え、なにかあった?雛ちゃん」
「…何かあったっていうか…顔、ちょっと変わってません…?」
夢で見たような紫の瞳こそしていないものの、顔はやや細り、心なしか色も少し白くなっている。
「そりゃ入院してたからでしょ。その間ずっと点滴してたんだよ、雛ちゃん」
「…でも3日ですよね…?」
たったの、と言わなかったのは、その間ついていてくれたであろう薫への配慮だったのだが。
「3日でも、その間飲まず食わずでいたらやつれるのは当然だよ。もう、皆本当に心配してたんだからね?」
「それは申し訳なく…」
「純也の奴にも連絡した」
「え!?そんなの気を遣わせるじゃないですか!」
「でも原因が事故である可能性が高い以上、知らせないわけにはいかないでしょ。
入院代だってタダじゃないんだよ?僕が払ってもいいけど、そもそもの原因は慶一なんだから…」
「う~わ~」
申し訳ないことをした、と思わず頭を抱えてしまう。
恐らく、というか間違いなく昏睡の原因はあの事故ではない。
「後でお見舞いに来るって言ってたけど…断った」
「来なくていいです。むしろ入院代も保険でなんとかできると思うので気にしないでもらえれば…」
数年前に入った保険は、確か入院一日から保険金が支払われるはず。
個室代が取られるとは言え、まぁなんとかなるだろう。
「そんなわけにはいかないよ!だったらむしろ僕が払う!」
「そっちのほうが意味わかりません」
「だって僕たち婚約…」
「してませんよね」
「え~」
「どさくさにまぎれて妙な嘘をつくんじゃない!」
「嘘から出た実<まこと>って言葉も…」
「悪意ある嘘はただの詐欺」
じろりと睨みつける雛子だが、薫はどこ吹く風だ。
雛子が目覚めたことでほっとしたのか、すっかり浮かれている。
「でも本当に良かった…目が覚めなかったらどうしようかと…」
その薫にも若干の疲れが見え、さすがの雛子もバツが悪い。
「ご迷惑をおかけしまして…」
「ううん、迷惑なんて思ってないけど…。でも、本当に心配だったんだ」
頭を下げた雛子に、遠慮はして欲しくないと首を振る。
「夜もずっとついてたんだけど、ピクリともしない雛ちゃんを見るのは予想以外に辛かった」
「……」
そっと腕を取られ、それを跳ね除けることはできない。
「腕もこんなに青くなっちゃって…」
点滴の跡の残る腕をそっと撫でられる。
「手首もちょっと細くなっちゃったかな…?でも大丈夫。退院して、美味しいものを食べてゆっくり休めばすぐに元に戻るからね」
あ、お母さんが帰ってきたかな、と扉野付近で聞こえてきた物音に薫が振り返る。
ガラガラ…。
「雛子?目が覚めたって聞いたけど、大丈夫なの?」
「お母さん」
着替え用だろうボストンバックを抱えた母親の姿に、慌てて立ち上がろうとする。
「ちょっとダメだよ雛ちゃん、まだ検査だって終わってないんだから…」
「あぁごめんなさいねぇ浅井さん…。本当うちの子がご迷惑を…。
ちょっと雛子、こんなにいい相手を捕まえてたなんて、母さん全然聞いてなかったからびっくりしたじゃない。
確かに数年前から付き合ってる男性がいるとは聞いてたけど…」
―――それは別人の話です。…とは正直言いづらい。
「薫さん、あんたが倒れてからずっと休まずついててくれたのよ?お店まで臨時休業にして…」
「え?」
「本当、あんたには勿体無い人じゃない。式はいつごろにするの?あんたもいい歳なんだし、考えてるんでしょ?」
「ちょ…お母さん…」
「あの、お母さんまだ雛子さんは検査もあるので…」
控えめに仲裁する薫に、あら、そうなの?と頬に手を当て小首をかしげる。
「悪いけど母さん、ちょっと外出てて貰える?薫さんに話が…」
店を臨時休業、とは…。
問いただそうとした雛子だったが、タイミング悪く再び扉が開く。
「あら、看護婦さんが来たみたいね」
「望月さん、検査がありますでの診察室の方へ移動しましょう。
お見舞いの方はこちらで少しお待ちください」
母の言葉と共に、若い看護婦がやってきて雛子の腕を取る。
「血圧は正常でしたし、一人で歩けますか?」
「大丈夫…だと思います」
はじめはさすがにふらついたが、肩を支えてもらっているうちに落ち着いてきたようだ。
「じゃあ母さん、ちょっと病院の売店で買い物でもしてるわ。
確かゼク○ィも置いてあったわよね?」
「あ、お母さん今月号の雑誌なら僕がもってますよ。あとで車から持ってきます」
「あら、そうなの?やっぱりそこまで話は進んでるんじゃない!」
全くこの子は、と言いながらも嬉しそうな表情の母親。
今頃孫の顔でも想像しているに違いない。
この勘違いをどう訂正していくか…。
頭の痛い問題がひとつ増えてしまった。
というか、何故ゼク○ィを車に入れてある?
3ヶ月のお試しだと宣言していたはずなのだが。
さすが婚姻届をポケットに忍ばせているだけはあるな、と妙な感心をしてしまった。
「それじゃ行きますよ、望月さん」
「…はい」
「気をつけてね、雛ちゃん。僕ここでまってるから!」
背をむける雛子にバイバイ、と手を振る薫。
母親は既に荷物をおいて財布だけ手にしている。
母と薫、二人を残していくのは心配だが…。
雛子が眠っている間、二人の間でどんな会話がなされたのか考えるだけで胃が痛い。
―――なんでこんなことになっちゃったかなぁ。
夢を見ている時間はいつもとほとんど変わらなかったはずなのだが。
何かが変わり始めている。
―――このままじゃ、取り返しのつかないことになるかも知れない。
診察室までの白い壁をジッと見つめながら沸き起こる嫌な予感に、雛子の背にじっとりと汗が滲む。
「――――なんとか、しなきゃ…」




