よく染み込んだブランデーケーキは神です。
次に雛子が目を覚ましたのは、聞きなれたスマホの着信音に起こされての事だった。
「あ~…」
ぼんやりとしたまま目を開けてスマホを見れば、そこには「浅井薫」の名前。
そういえば昨日薫によってスマホの電話帳に連絡先を入れられたんだっけ、と。
寝起きでなかなか開かない瞼を擦りながら、いかにも仕方ないといった様子でスマホに指を滑らせる。
「はい…」
『あ、雛ちゃん?もしかしてまだ寝てたの?お寝坊さんだ―――プッ』
聴こえてくる声に、皆まで言わせず無言で通話を切った。
そして再び枕を抱え込み、眠りの姿勢に入る。
「・・・ねむ」
今日はもういっそ一日寝ると今決めた。
スマホをベッドの上に放り出し、ウトウトとする頃、再び着信が鳴る。
無視し続ければ、やがて留守電が入った。
『ちょっと雛ちゃん!?朝から僕への塩対応全開だね!?…聞いてるなら、今日お昼お店にランチ食べにおいでよ!クリスマスメニューの試作してるからさ。アツアツのパングラタン、雛ちゃんきっと好きでしょ?ね、聞いてる?!』
居留守を使っていると確信し、まくし立てる薫。
そういえば、再来週はもうクリスマスだったか。
だが、雛子の意識は先ほど薫が口にした「パングラタン」に一気に集中した。
「熱々のぱんぐらたん…」
寝ぼけたままつぶやき、無意識にスマホの受話ボタンを押す。
「…マカロニ…」
『え?もしかして雛ちゃん?おーい、通話入ってるの??マカロニって、え?あのマカロニ?』
突然繋がった回線に薫が混乱しているのがわかるが、マカロニはマカロニだ。
子供の頃から、雛子はマカロニグラタンが大好物なのである。
これは美智も知らない話だが。
『マカロニをいっぱい入れて欲しいってこと?そうすれば食べに来てくれるの??ね、雛ちゃん!』
「…行きます」
マカロニの穴の中に、ぎっしりホワイトソースが詰まったあの感じがたまらない。
今日のお昼は、まかろにぱんぐらたん…。
『あれ?また寝ちゃった?おーい、雛ちゃー…』
ぐぅ。
「いや、寝ぼけてるのかと思ったけど、ちゃんと聞いてたんだね、よかったぁ~。はい、雛ちゃん、熱いからよぉくふぅふぅしてから食べてるんだよ?」
予告通りの熱々のパングラタンを前に、雛子の顔がキラキラと輝いている。
あのあともうひと眠りし、店に着いたのは1時を少し過ぎた頃。
その間何度となくスマホの着信は入っていたのだが、全て無視した。
店に入った瞬間薫が抱きついてきたので思わず肘打ちをしてしまったが、全然問題なさそうだ。
今日は初めからモーニングサービスだけの営業と決めていたのか、表の看板はクローズにされ、客は雛子一人。
もっとも薫は雛子から料金を取るつもりなどないのだから、とても客とは呼べないのだが。
薫の作るパングラタンは、分厚く切ったサンドイッチ用の耳のない食パンの真ん中をくり抜き、たっぷりのホワイトソースを詰めたボックス型だ。
クリスマスメニューというだけあってグラタンの真ん中にはくり抜いた食パンがもみの木の形に型抜きされて蓋をするように乗せられ、その隙間には同じく型抜きされた星型の人参と緑色が鮮やかなブロッコリーが浮かんでいる。グラタンを詰めたパンの四方の壁はしっかりと焼かれて、こんがり狐色。
壊すのがもったいないが、実に食欲を誘う逸品である。
「最近写真写りがどうのこうのってよくテレビで見るからさ。インスタ映えだっけ?それでちょっと色々いじってみたんだけど、どう?」
期待に満ちた薫の視線を無視し、無言でもみの木型の食パンをホワイトソースに沈め、がぶりと食いつく。
その瞬間、雛子の目が明らかに変わった。
「お、雛ちゃんの目が見開いた!可愛い!」
「美味しい」
「でしょ!?ホワイトソースをね、昨日から色々工夫して改良してみたんだァ。
今回具材は人参と鶏肉とブロッコリー。それから雛ちゃんご希望のマカロニをたっぷり入れてみました!」
どうどう??と目の前で感想を待つ薫。
だが、本当に美味しいものを食べた時の人間というのはあえて何も喋らずひたすら食べ続けるものである。
「ふふっ。美味しいんだねぇ、よかったぁ~」
「強いて言うならパンの耳も欲しい…」
半分ほど食べたところでようやくポツリと要望を漏らす。
これは好みが分かれるとは思うが、カリカリに焼いた食パンの耳も雛子は結構好きだ。
「食パンの周りの部分はね、スティック状に揚げて砂糖をまぶしたのをコーヒーに添えるつもりなんだ。
それが食べ終わったら出すから、楽しみにしててね?」
グラタンだけでも結構な分量だが、まだ続きがあったらしい。
懐かしのパン耳揚げパン。それもよし。
「ちなみにこれ、サラダとコーヒーが付いて1000円の予定なんだけど…どう?」
「安い」
この量で千円ならかなりお得だ。
毎日でも食べられる。
ただし明らかにハイカロリーなのが玉に瑕だが。
「一応これでも牛乳の代わりに豆乳を使ってあるから、普通のグラタンよりはさっぱりしてるはずだよ」
「おぉ」
更なる女性ウケが期待できそうだ。
結論として、かなり良く出来ている。
「後ね、クリスマスは期間限定でパネトーネを出すつもりなんだ。今はまだ仕込み中だから、明日また食べにおいで」
にこにこと笑顔で言われ、思わずうなづいから、「しまった罠か!」と思うものの、食い気にはかなわない。
クリスマス限定でスーパーのパンコーナーなどでたまに見るパネトーネ。
酵母を使ったお菓子とパンの間の子といった感じの食べ物だが、雛子は結構好きだ。
「ちなみにブランデーケーキなんかも仕込んであるけど」
「いただきます」
思わず両手を合わせて拝んでしまった。
今だけはこう言いたい。
「神か」
「ブランデーケーキは味が染みるまでもうちょっと待ってね。しっかりドライフルーツを漬け込んだほうが美味しいからさ。結構アルコール度数がきついから、食べた後は僕が雛ちゃんをおうちに送ります。もしくは雛ちゃんのおうちで二人で食べるか…」
ちら、っと雛子を横目で見る薫。
てっきりものすごい勢いでまた反論が返ってくるかと思ったが、食事の夢中の雛子は話を聞いてすらいない。
「可愛なぁ…本当」
苦笑しながらふふっと笑うと、食後のコーヒーの用意をするためにカウンターに戻っていく。
「あ、そうだ雛ちゃん。ミッチイに聞いたけど、毎年クリスマスイブは二人でケーキつつくのが恒例なんだって?」
雛子が食事を終えるのを見計らってコーヒーを差し出しながら、薫がなに食わぬ顔でさらっと尋ねる。
「クリスマスイブはランチ営業のみにするから、夜は店においでよ。ケーキはミッチイがデパ地下で予約してるって言ってたから、メインはターキーとローストビーフにポテトサラダでどう?勿論お金は取らないよ?」
「のった」
「よっしゃ!雛ちゃんと過ごす初めてのクリスマス!」
肘を曲げて思いきりガッツポーズだ。
昨日覚えた「雛子は食べ物にちょろい」という情報を有効活用している。
るんるんとした様子で食器を下げる薫の後ろ姿を見おくりながら、雛子はちらっと考える。
――この場合、クリスマスプレゼントは彼に用意した方がいいのだろうか?
クリスマスを一緒に過ごすなんて考えたこともなかったが、何しろ料理を出してくれるスポンサー様だ。
流石になにか用意した方がいいかもしれない。
美智に相談してみよう。




