雛子とうなぎとうさぎさん
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もう一度言う。
「ブルジョワか」
「え?嫌いだった?うなぎ」
「大好物だから気にしなくていいですよぉ。うわぁ、なにこれふわふわぁ~!!」
きゃ~と、頬に両手をあて、ニコニコの笑顔で箸を加える美智。
肝心の雛子はといえば、やたらと立派な重箱の蓋を開けた瞬間ぴくりとも動かず固まってしまった。
肝吸いから立ち上る湯気が、ふわふわと視界を漂う。
「特上うなぎ、お一人様1万5千円也…」
「あ、もしかしてお店の接待費とかで領収書切るつもりですかぁ?い~けないんだ~」
「いやいや、これくらい自分で払えるから。
いつか雛ちゃんの為に使おうと思って3年前から雛ちゃん貯金始めてるし」
「うわ~本格的…」
自信満々の薫の発言にさすがの美智も軽くひいたらしく、彼からそっと目をそらす。
「ヤバイ奴に友達を売った自覚がようやく芽生えたなら神戸牛A5で」
「…了解」
ATM呼ばわりされて振られた男は知っているが、自ら財布宣言をする男は初めて見た。
悪い女に食い物にされないことを願うのみだが、こういう男に限って実は選り好みが激しい。
雛子を選んだのがその証拠だ。
「ねぇ、店長さん。ちなみにその貯金ってどれくらい貯まってるのぉ…?」
恐る恐る、といった様子の美智。
ちなみに雛子は聞くのも嫌だと両手で耳をふさいでいる。
それを見て、ちょいちょいと美智を手招いた薫は、その耳元にこそっと答えを囁く。
その瞬間、美智の笑顔が一瞬にして凍りついた。
それをじっと穿った目で見据える雛子。
「…わ、わ~い、雛ちゃんのATM…ものすごい高性能みたぁい…?」
なんとか笑顔を取り繕うとした美智だが、その引きつった口元が何よりの証だ。
「みざるきかざるいわざる…」
呪文のような言葉を口にし、もう何も見たくない、聞きたくない、と背中を丸め、今度は目を両手で覆う雛子。
「じゃあ私は、言わざるね…」
ひきつった笑顔をやめ、真顔に戻って両手で口元を押さえる美智。
どうやら簡単には口にできない金額だったらしい。
揃って奇妙なポーズをとる二人を、どこか微笑ましげな様子で見ていた薫。
「実はその頃始めた株がねぇ、面白いくらい大当たりしてさ」
ふふ、と笑うその笑顔が恐ろしい。
「うち、元々結構土地持ちだったからさ。生前分与で分けてもらってた分を担保に色々…ね?」
「「…色々…」」
「さ、ほら二人共。早く食べないと折角のうなぎが冷めちゃうよ?」
恐ろしや、と互いに顔を見合わせた雛子をせっつき、自らもお重をつつく。
「それとも、雛ちゃんには僕があーんしてあげようか」
あ~ん、っと差し出された特上うなぎ。
しかも雛子や美智のようなタレ付けではない白焼き。
―――ぱく。
食いついたのは、なから条件反射だった。
その瞬間の、薫の晴れやかな顔ときたら。
「雛ちゃん雛ちゃん!!もう一回もう一回!」
「・・・もぐもぐ。特上うなぎ美味。白焼き美味」
即効で二口目を差し出されるが、さすがに今度は食いつかず、もぐもぐと口の中のうなぎを咀嚼する。
「なにその顔反則っ。無表情で目を輝かせて口を動かしてるとか、ウサギみたいでめっちゃ可愛い!」
二口目を食べてもらえなかったことも気にせず、ひたすら雛子を見つめて悶える薫。
「店長さん店長さぁん。私も白焼き一口欲しいなぁ…?」
「あ、はいはいどうぞミッチィ!」
こてんと首をかしげておねだりする美智には見向きもせず、箸に掴んでいた一口分をさっと彼女のお重に入れると懲りずにまた新たなうなぎを雛子の口元に差し出す。
「あ、美味しぃい」
「美味しいのは当然、高いから」
「…そぉねぇ」
身も蓋もないことを言いながら口を動かす二人。
「雛ちゃん!?もう一口食べてよ!お願いっ!ね!?」
「白焼きは美味しかったけどやっぱりうなぎはタレが至上」
「そんなぁ!」
薫の箸に見向きもせず、自分の前に置かれたうな重を頬張る。
「やっぱりタレに伝統の味がにじみ出るね」
「雛ちゃん、牛丼はつゆだく派だし、天丼のタレのかかったご飯とか大好物だから…」
嬉しそうな雛子をよそに、がっくりとうなだれた薫を気の毒そうに見下す美智。
フォローのつもりなのか慰めのつもりなのか、薫の肩ぽんとを叩く。
「覚えとく…」
食べ物には意外と簡単に釣られることがわかっただけ収穫だ。
「丼物って、美味しいところのはタレだけで十分ご飯食べられると思う」
「タレだけなんて言わなくても僕が好きなだけ食べさせてあげるのに…」
はぁ、とようやく諦めて箸を自らの口に運ぶ。
「贅沢っていうのはたまにするから贅沢なんです。それに慣れたら楽しみがなくなる」
なかなか食べられないからこそ、有り難みを感じるものなのだ。
有り難みを感じるからこそ、米粒一つ残らず食べようと思う。
もはやしゃべるのをやめ黙々と食べ始めた雛子に、さすがの薫も邪魔をするのを諦めたようだ。
男性だけあってさすがに女子二人よりは先に食べ終わると、静かに頬杖をついて美味しそうに目を細めて食べる雛子を見つめている。
食べるときは他の事が目に入らなくなる性質の雛子は、全くその視線に気づかない。
「「ごちそうさまでした」」
「はい、お粗末さまです」
綺麗に食べ終わってようやく一息ついた頃、ツンツン、と美智が雛子の肘をつついた。
「ねぇ雛ちゃん。ところで店長さんとはどんな話になったのぉ?」
雛子から電話があったのは昼過ぎの3時前。
そこから美智が合流したのが5時30分を回っていたことを考えると、約2時間弱の二人だけの時間があったはずだ。
「ふふふ、それが聞いてよミッチィ!僕たち付き合うことになったんだぁ!」
「ええぇ!?うっそぉ!」
なぜか聞かれた本人でもないのに答える薫と、大袈裟に驚く美智。
「いや、嘘だから」
「あ、やっぱりぃ?」
「え、嘘じゃないよっ!本当!」
即座に全否定する雛子に納得する美智だったが、薫の方はどうやら納得していないらしい。
「だって、3ヶ月間お試しで僕と付き合ってくれるって言ったでしょ!?今更嘘だって言っても僕絶対認めないからっ」
「それはあくまでお試しであって付き合うとは言ってません」
「あ、そぉいう話になったのね」
なるほど、とうなづく。
「でもなんで3ヶ月?」
「失業保険が貰えるまでの期間」
「え、そんな理由だったの!?」
「あ~なるほどぉ。その期間ってどうせ何もできないもんねぇ。下手に就職活動をして決まっちゃったら失業保険はパァだし」
保険が下りる前に就職が決まった場合、就職祝い金というものは出るには出るが、保険金が貰えるはずの期間びっちりもらった総合計金額とは比べるべくもない。
「しっかりしてるね!?っていうか僕の扱い本当にひど過ぎると思うっ!」
「じゃあ、お試しするのやめます?」
3ヶ月だって雛子としてはかなりの譲歩なのだ。
「駄目っ!絶対嫌だ!お試しどころか3ヶ月後には絶対婚姻届に判子を押してもらうんだからっ」
息巻く薫だったが、そのセリフを最後に目の前の二人が黙り込んだのに気づき、おずおずと首をかしげた。
「え、僕なにかおかしなこと言った・・・?」
こくこく、とふたり揃って頷く。
そして、大きな溜息とともにユニゾンで一言。
「「重すぎ」」
「え~!そんなぁぁあ!!」
さすがはストーカー予備軍、と感心するやら呆れるやらだ。
まさかそんなことを考えていたとはさすがに思ってもみなかった。
「3ヶ月後の今日指輪を持ってプロポーズしようと思ってたのにっ」
「絶対やめて。本当にやめて」
「なんで!?試用期間の後は正式雇用って相場が決まってるでしょ!?」
それは仕事の話であって恋愛と同じにするのがまず間違っている。
「正式雇用=結婚ではありません。その前に普通まず交際期間が入ります」
つまり、交際するかどうかを決めるお試し期間の3ヶ月なのだ。
そこが大きく間違っている。
「愛に時間なんて関係ないよ!なんなら今すぐ婚姻届を書いてくれても…」
「「なんでポケットに婚姻届が入ってるの!?」」
ガサゴソとポケットから出てきた紙に雛子だけでなく美智までもドン引いた。
「店長さぁん。流石にぃ、それはちょっと私もどうかと思う…」
「えぇ!?なんで!?だっていつ気が変わってハンコ押してくれるかわからないじゃないっ」
だから予備はいつも持ち歩いていると胸をはる薫に、雛子は断言した。
「絶対ないから今すぐ捨てて」
「やだ。たとえ捨ててもまたすぐ貰ってくるからっ」
まだ書かれてもいないそれを奪われまいと大切にもう一度しまう。
「…ってちょっと待ってください。もう一回それ見せて」
「…え?」
「気のせいだと思うんですけど、さっきの婚姻届、記入済みじゃありませんでした?」
しかも、雛子の名前が見えた気がするのは幻覚だろうか。
「き、気のせいじゃない?」
「じゃあ見せて」
「やだ!」
その態度はもはや自白したも同然である。
「日本には公文書の偽造を禁止した法律がありましてね…」
「知ってるけどこの場合はいいの!だって合意だから!」
「同意のないものは合意とは言いません」
そういい、隠そうとした婚姻届を取り上げると、あっさり破り捨てる。
「まさか雛ちゃんを酔わせて判子を押させた挙句役所に飛び込むつもりだったんじゃぁ…?」
怖い想像に、流石に薫に向けて厳しい目を向ける美智。
「そんなことしないよ!本当!」
「信用できません」
人生選択の自由は本人のものだ。
酔って目が覚めたら既に人妻だった、などと笑えない話である。
「やっぱり取りやめ…」
「お願いします。もうやらないからそれだけは!僕にチャンスをくれる約束でしょ!?」
「…チャンスというか、泣き落しに負けたというか…」
後は、食い気に釣られた所が大部分を占めている。
普通だったらがっかりするところだろうが、薫ならさぞ本望だろう。
「でもお試し期間ってなにするのぉ?まさか、体の相性…」
そこまで言ったところで、薫が思い切り吹き出した。
「ぶっ…!!ちょっとミッチィ、なんてこと言うの!僕はね、純粋に…!」
「純粋に?」
「そりゃ試してくれるなら試されたいよっ。決まってるでしょ!?」
三十路の性欲舐めないで!と吠える薫だが、少しは場所を考えろと言いたい。
ここは高級料亭。
いくら離れの個室とはいえ、間違ってもこんな場所でする会話ではない。
「そぉよねぇ。こんな上品な所でする話じゃなかったわね」
「え、そんなことないよ?そこの襖を1枚開けてみればわかる…ってあ、やっぱりダメ!」
なにやらまた無意識に白状してくれたらしいので、お言葉に甘えて初めからずっと締切だった奥の襖を思い切りパンと開け放つ。
そして、そこにあったのは。
「「時代劇かよ」」
――――高級料亭の名に恥じない、非常に上等そうな布団一式だったとだけ、言っておこう。
読了ありがとうございました。




