5話 失意の底で
あれからババアの家に戻った俺たちはそのまま一夜を明かした。
今後の方針としてはコトハの両親に会ってからこの国を脱出しようという話になった。
この国にいる限りコトハ《聖女》は安全じゃない。
俺の本心としては本当は真っ先にここからの脱出を敢行したかった。でもコトハは育ててくれた両親を置いてはいけないと言うので、これから俺たちは彼女の家へと向かうため街のメイン通りを歩いている。
昨日と変わらず色違いのTシャツズボンを着用し、コトハはサマーワンピースのようなフワッとした所々リボンのついた可愛らしい服を着ている。
俺の手をしっかりと握りながらコトハはわくわくした様子で周囲のお店をきょろきょろと見回しては楽しんでいる。でも時折教団の関係者が近くにいると握る手をぎゅっと強く握って俺に身を寄せては不安と恐怖に震えていた。
「見てください。純さん! 可愛い首飾りですね。」
手にしたアクセサリーを身に着けると、満面の笑みで俺に円形のレリーフの付いた首飾りを見せて感想を求める。
さっきから色々見て回っているがこの店だけ長い時間止まっていた気がする。
きっとこの首飾りが気にいったのだろう。
「ああ、いいと思うぞ。」
「それだけですか? こんな可愛い子が綺麗な飾りを付けているんです。もっと褒めてもいいと思うのです。」
褒め方が足りなかったようで不満げにもっと褒めろと要求してくる。
確かに自分で可愛いと自称するだけあって小柄で顔立ちは整っている俺から見ても十分可愛いのは認める。しかも綺麗な銀髪と深紅の瞳がその美しさを余計に引き立たせてもはや人ならざる雰囲気さえも感じさる。
「自分で可愛いとか自惚れすぎだろ。まぁ本当に可愛いとは思う。」
「えっ、今なんて言ったんですか!? もう一度。もう一度お願いします。」
言ってはみたがこれ以上褒めてはもらえないと思っていたようでコトハは驚いた表情で目をパチクリさせて俺を見る。犬だったら骨をくわえ尻尾を振って構ってと言っているような様子で「褒めて―」と言う。
ちょっぴり可愛らしいと思う反面悪戯心が沸いてくる。
「さぁ目的地まで急ぐぞ。」
敢えてコトハの話をスルーして次に進もうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください。」
するとコトハは慌ててわたわたした様子で首飾りと俺を何度も見ては「どうしよう」とその場でフリーズした。
余程その首飾りが気に入っているのは確かなようだ。幸いな事にオイルライターを売った金で十分生きていくのには困らないだけの金がある。コトハが物欲しそうに見つめるそれを買ってあげてもいいんじゃないかと思った俺はコトハの方へ戻ると店主に金を放って言った。
「ほら、行くぞ。」
「え、ええ!? コレ買ってくれたんですか? いいんですか!」
「ああ。」と短く答えると露を光らせ綺麗に咲き誇る花のような満面の笑顔で子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
その様子を見て買った甲斐があったなと思っていると首飾りを握りしめてコトハが言った。
「私、コレ大切にします。」
「喜んでくれたみたいでよかった。それよりそんなに飛び跳ねるとパンツ見えるぞ。」
「きゃっ。」可愛らしい悲鳴を上げてスカートの裾を抑えると少し頬を赤らめて上目遣いで俺を見る。
コトハが飛ぶと雪のように白くて綺麗な肌が現れ時折純白のドロワーズが姿を現す。
性的な目で見るつもりはないが自然に目に付いて離れなかった。
「変態!」
===========================================
「うそ…… 。」
沈痛な面持ちでかつて自身の家があった場所へと視線を向ける。
俺たちがコトハの家について目にしたのは瓦礫と木材の残骸だけの平地だった。
家と呼べるようなものは存在しておらず、それが何を意味するのか何となく察し始めた頃だった。
「そこを動くな!」
周囲から甲冑を来た騎士がすばやく俺たちの周囲を取り囲んだ。
数にして10人程度だろうか。皆一様に剣と盾を装備しており完全に包囲されてしまう。
コトハは恐怖に震え俺の手を目一杯握りしめて怯えている。
おそらくコトハが両親を心配してこの家に来るという事まで教団に読まれていたのだろう。
だがまさか罠を張っているとは思わなかった。聖女がいなくなってからまだ日が浅い。
事実究明に時間を要しているかと思ったが考えが甘かった。
騎士たちの中から1人だけ豪華でいかにも強そうな大剣を背負った青年。いやもしかしたらまだ少年なのではと疑うような若く幼さを残した顔で相手を小馬鹿にしているような視線と傲慢な表情で俺たちを見下ろす。だが1つ1つの動作はスキだらけで俺から見ても素人同然だが自身の力を信じて疑わないような自信があった。それ程に堂々と悠然と毅然とした態度で言い放ったのだ。
「"元"聖女コトハ。そして横にいるのは鎮神の儀を邪魔した異教徒。お前たちには反神罪で逮捕する。」
その態度はとても偉そうで人を卑下するような目で命令する。とても人のトップに立つような人間には思えないがこいつがリーダーのようだ。こんな若造に周りの騎士たちは服従しておりある種の敬意さえ抱いているようだった。その証拠にこの部隊の統率は一糸乱れない動きだった。
「あの人は。勇者ハヤト様。」
コトハは驚き強張った表情で恐怖に声を震わせながら小さく呟いた。
あのリーダー格の男が勇者なのか。赤いマントが風になびかせ前髪を仕切りに掬いながらコトハの驚きの声をどこか嬉しく誇らしげに言った。
「そうさ。僕こそがあの勇者ハヤト様さ! さぁ愚かな聖女よ。僕が来たんだ。無駄な抵抗はやめることだ。怪我をしたくなかったらな。はっはははは!」
大げさに高らかに笑って俺たちにさっさと投降しろと脅してくる。
だが俺たちも相手の要求に"はいそうですか"と従う道理はどこにもない。
捕まれば処刑されるのが落ちだからな。抵抗させてもらう。
コトハに"大丈夫"とアイコンタクトをするとゆっくりと手を離して彼女を庇うように前に出る。
輪を小さくしていくように徐々に距離を詰める騎士たちの1人に向かって一気に近づくと膝を足で突いて転ばせると首を左右に振って命を絶つ。
それを見た左右の騎士2人が俺を捕らえようと剣を振り下ろす。
上方からの一撃と横薙ぎの一閃を身を翻しバックステップすることで回避する。
避けるついでに距離を詰めると1人の騎士を背負い投げで転ばせると拳で目を潰した。
本当は殺しておきたかったがそうするともう1人の騎士の攻撃をもろに受けてしまう。
なので一旦距離を取った。一瞬の出来事で2人を無力化した俺に騎士たちは動揺を隠せない。
「あ、あいつ素手で2人も倒しやがった…… 。」
「ばっ、化け物だ!」
「皆落ち着け。この僕がいるんだぞ。敗北なんてあり得ない! 奴は丸腰。数の利はこちらにある。」
「そ、そうだよ。ハヤト様はあの魔王を倒したお方だ。」
「俺たちが負けるわけないんだ。」
狼狽した部下たちを鼓舞するように叫ぶと騎士たちは落ち着きを取り戻し始めた。
リーダーと思われる男は部下に俺へ攻撃する指示を出している。
俺としては隊の連携が崩れている今のうちに少しでも奴らの数を減らしたい。
両目を潰され寝ころんだ男の剣を握ると俺は先ほど追撃を加えようとした男へ突撃する。
男は落ち着いた様子で剣ではなく手を前に翳すと目を閉じた。
戦闘中に目を閉じるなんて馬鹿な奴だ。このままもう1人刈らせてもうぞ。
「純さん! 危ない!!!」
コトハの叫び声と同時だっただろうか。男が目を見開いて言った。
「ファイアボール。」
大きな火球が一直線に俺に向かって飛んでくる。
一瞬何が起こったのかわからなかった。何もない空間から火が現れるなんてありえない。
火炎放射器? それとも俺の知らない兵器?
そんな思考が俺の行動を鈍らせる。ワンテンポ遅れて回避行動に移る。
横の地面に大きく飛び込むような勢いで転がる事でなんとか回避できた。
しかも男は俺が避けることも計算に入れていたようで起き上がると目の前にコトハがいた。
こうして俺たちはまた騎士たちの包囲網へと戻された。
そこまで認識してようやく気が付いた。右腕が熱い。激痛が脳を棒か何かで直接ぐるぐる掻きまわしているような感覚に襲われる。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
「う、腕が。待っててください。今治します。」
コトハはそう言うと俺の腕に手をかざした。すると手が淡い緑に発光し徐々に痛みが引いていく。
恐る恐る自身の腕を見れば全体的に黒く所々骨が見えるくらい燃え尽きた右腕が見えた。
だがコトハの光を受けた腕は徐々に元の肌色に戻り元の状態へと戻っていった。
「治った? さっきの火といい。コトハの力。なんなんだ。」
思わず呟いたその疑問にコトハが慌てた様子で答えた。
「やっぱり純さんの世界にはなかったんですね。あれは魔法です。」
「魔法?」聞き返すとコトハはか細く震えた声で言った。
その表情は恐怖と焦りと絶望を混ぜたようなひどく暗い表情だった。
「そうです。最初の人は動揺していたので倒せましたが今みたいに魔法のシールドを展開されたら魔法を扱う者にしか倒せません。ってきゃああああああああああああああああああああああ。」
痛みと魔法という概念に驚いた隙に騎士たちに距離を詰められコトハは顔面を殴られ俺は剣の柄で肩を殴打された。
「うがああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーー。」
不意打ちをもろに受けた俺は痛みに転げまわる。攻撃を受けた右肩は力が入らず使い物にならなくなった。
そして痛みを堪えて騎士たちを見上げれば憎悪と表情で口々に怒りの言葉を発した。
仲間を殺したのだから当然の怒りだ。しかも相手は俺を異教徒だと思っているその憤怒の情はとても深くて強いものだろう。
「てめぇ。よくも俺たちの仲間を殺したな!」
腹に剣を突き立てスープでも茹でるかの如く己の武器で内臓を抉り相手に少しでも痛みを与えるようにゆっくりと動かした。男の表情は復讐に燃える怒りと憎い相手が苦しむ姿を見て愉悦に浸りきった醜い表情だった。
「ぐっあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
痛みに視界がチカチカする。だけど俺に今起きている事などどうでも良かった。
コトハを視界に捉えると彼女は最初に殴られた右頬が大きく腫れている。
そして周囲を囲んでいる数人の騎士たちが罵っている。
「お前が祈りを怠ったせいで俺の息子は死んだんだ! くそがぁ。」
顔面中央に蹴りを入れる。鼻が折れコトハは血を吐いて痛みに悶えている。
その顔は崩れてしまいかつての綺麗で整った顔は見る影もない。醜いものとなっていた。
「がぁ!! イタイ! ごめんなさい。ごめんなさい。」
鼻血をだらだらと地面に垂らし、恐怖と痛みにただただ謝罪を続けるコトハ。
俺は助けに行こうと身体に力を込めるが近くにいた騎士に足を折られた。
絶叫しそうになる声を必死に抑えて歯を食いしばる。
俺が今叫んだらコトハの心が折れてしまいそうな気がしたから。
「今助けるから……。」
「聖女とかいって身売りをしてたらしいぞ。だから神様から見放されたんじゃねぇか。」
神々しい白い髪は今や土に汚れている。男は彼女の髪を力いっぱいつかんで無理やり立たせると腹をサンドバッグのように殴り始めた。
「放して! ぐはっ。やめて、くだ。イタイ。げほぉ。おぇっ。」
あまりにも殴られて嘔吐した。吐しゃ物をまき散らして次第に吐き出すものがなくなると次第に血を吐きだした。
このままでは死んでしまう。助けたい。目の前にいるのに。今度は助けられるのに。
俺には力がないなんて。不条理だ。
「やめろ!」俺はただそう叫ぶしかなかった。
だがそれを聞いた騎士たちはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて俺の喉を潰した。
「がはぁ。げほっ。ごはぁ。」
声は出ず掠れた音がただ漏れる。もはや言葉さえも発することができなくなった。
ただコトハの様子を見ることしかできない。不甲斐ない自分に怒りと無力感を感じながら腕だけで彼女の元へ向かう。
「ははは。汚ねぇな! おい!」
「はぁはぁ。やめ、あ。ごほぉ。げふ。」
「このクソ女は生贄にされて当然の人間だ。どれだけ多くの人間がこいつのせいで死んだと思ってる。」
コトハを罵る言葉に周囲の騎士たちが当たり前のように賛同する。意味のない聖女の椅子に座らされ民のために祈り続けたのにいざ問題が起こったら手のひらを返したような態度。そして暴力。ひどすぎる。
男たちはこれだけ痛みつけてもまだ足りないと言わんばかりにコトハの腕をへし折った。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」
コトハは絶叫した後に糸の切れた人形のように動かなくなった。あまりの痛みに気絶してしまったようだ。
助けてあげたい。でも俺はこいつらに勝てない。魔法が使えれば状況は違ったかもしれない。
神がいるなら助けてくれ。こんなのひどいじゃないか。
俺に助けろと言っておいて力をくれないなんて。
また助けられないなんて。
「やめてくれ…… 。」そう呟いたがもう声はでなかった。
ひとしきりコトハをいたぶっただろうと勇者と呼ばれた男が言った。
「もうそこら辺でやめておけ。この元聖女様は民衆の前で死んでもらわなければならん。連れて行け。」
玉肌のような白い肌に乱暴に縄で締め上げると騎士たちに荷物のようにコトハは運ばれていく。
俺は何もできずにただただ自身の無力感に涙が零れるのであった。
最後まで御覧頂きありがとうございます。
# 次回更新は06/03 21時頃です。




