3話 聖女の真実
服屋で適当に洋服を一式揃えて俺とコトハはこの世界で一般的な庶民の服装に着替えた。
俺はTシャツズボンは変わらないが全体的にダボダボした服装になり、コトハは宗教チックな豪華な服装から絹のような肌触りの良い素材のワンピースに着替えた。
そして宿屋へ入ると店の2階は宿になっており1階は酒場となっていた。
宿で休息をとる前にまずは腹ごしらえと俺たちは酒場のテーブルに向かい合って座るとコトハが手羽先をかじりながら言った。
「やっと自分の足で地面に降りまふた。それにしてもこれ美味しいですね!」
「そうか。それはよかったな。おちゃん、ビール。」
俺はカウンターにいる中年のおっさんにサラリーマンが居酒屋に着いたらいの一番に頼む定番の飲み物を依頼する。
「びーる? そんなものはないが酒だな。任せろ。」
いつもの癖でビールを頼んでしまったがどうやらあの親しんだ麦の苦みと炭酸でさっぱりとした味わいの酒はここでは飲めないようだ。だが長年の勘で客が何を求めているか察したおっさんは木製のジョッキを持ってきた。
「へい。おまち。」と赤褐色の液体を俺の目の前に置くと麦の香ばしい匂いに仄かに花のようなあまい香りが混じっている。俺は待ってましたとすぐにジョッキを取ると今日の疲れを紛らわすように一気に飲み干した。
ほろ苦さの後にやさしい甘みが舌に広がりとても飲みやすい。だがビールのように炭酸はないのであの飲み終わった後の爽快感はない。が、十分に美味しいと言える代物だった。
おっさんに何度目かのおかわりを依頼して俺は目の前の料理に舌鼓を打つ。
10杯ぐらい飲んだ辺りから視界は少し歪み意識が朦朧とし始めた。完全に酔っ払っていると自覚はあるが久しぶりのアルコールに歓喜する自分がいる。こうやって酔っている間はつらいことを忘れられる。
「ちょっと飲みすぎじゃないですか。もぐもぐ。」
コトハは野菜を炒めたつまみをバクバクと頬を膨らませ口には食べかすが付いている。せわしない奴だ。食うかしゃべるかどっちかにしろと布巾を放り投げて言った。
「食べながら話すんじゃねぇよ。」
そういえば妹にもよく言われたな。「お兄ちゃん飲みすぎだよ。」って。
俺はいつもどう返していたんだっけ?
酔いが回ってきて頭に靄がかかったように思考力が鈍り始める。改めて対面しているコトハをじっくり見るとやはりどこか美羽と似ている。
美羽はこんなに食欲旺盛な奴ではなかったし白い髪でもない。顔つきだってドッペルゲンガーのように瓜二つというわけでもない。雰囲気が少し似ているだけでどう考えてもまったくの別人だ。似ている要素なんて殆どないはずなのにコトハの言動に美羽の姿を見つけてしまう自分がいる。
「な、なんでふか? じっとこっちを見つめて。あ、まだ口に何か付いてますか!?」
コトハは慌てた様子で布巾を手に取ると口元をゴシゴシとふき取っている。
かつて妹を救えなかった自分の不甲斐なさと後悔も妹と似たコトハを救うことで疑似的に妹を救った気分になっていたのかもしれない。でも事実は変わらない。妹は死に俺は救えなかった。
「何も付いてないじゃないですか! て、あれ、なんで泣いてるですか。」
「あぁ?」普通に答えたつもりが絞り出された声は弱々しいものだった。そんな俺の様子に戸惑った様子でコトハは布巾を裏返して身を乗り出すと頬伝うしずくを拭い励まそうとしているのか笑みを浮かべてやさしく見つめている。彼女が涙を拭うその時まで自分が泣いていることさえ気付かなかった。
久しく人の好意に触れたことがなかった俺にとってコトハのやさしさは背中に綿毛が入ったようなむず痒さがある。言い訳にしかならないが俺の意に反してぞんざいな態度で答えてしまう。
「お前自分の口吹いた布巾で拭くなよ。」
「ちゃんと裏返しにしましたよ! それにほかに布なんて持ってないですし……。」
当然そんな言葉をかければ頬を膨らませるとへそを曲げてそっぽを向いてしまう。
こんな不器用な接し方しかできない自分が恨めしい。だけどこれだけは伝えなくてはいけないと思う。
「ありがとな。」
手を伸ばしてコトハの頭にできる限りやさしく手を置いて礼を言う。
小さく「ん。」と心地よさそうに目を閉じるとちょっぴり嬉しそうにはにかんで頬が緩んでいる。
「意外です…… 。生意気とか言われるかと思いました。」
「人をなんだと思ってるんだ。ちゃんとやさしくされれば礼を言うくらいの礼節はある。」
コトハは信じられないといった表情をするもそんな態度を見せるのは悪いと思ったのか隠すようにオレンジの入ったグラスをちょびっと飲んだ。まったく失礼なやつだ。
人から悪口や恨み言を言われ続けた奴が急に優しくされたらこんな反応になるのさ。
妹を失った後の俺は皆に憎まれ後ろ指を刺されながら死んだ。当然の報いを受けたにすぎないがどこかでやさしく俺の心を癒してくれる人を探していたんだと思う。
だから今の俺にとってはコトハが普通に接してやさしさを見せてくれることがただただ嬉しくて救いだった。
「泣き酒なんて飲み過ぎなんですよ。」
俺にビシっと人差し指を向けると偉そうな顔で言った。
年下の餓鬼に注意されるのはとても不愉快だがこちらも感情を表にしてしまった俺の失態だ。
だから甘んじて黙って注意を聞きながら青い枝豆を摘まんだ。
「ぶっ。これ激マズだな。」
「ちょっと汚いですよ! 吐き出さないでください。」
ちょうどその時だった酒場のドアが開き老婆が入ってきた。酒場の喧騒は静まり自然と音のなる方へと注視する。
杖をついた老人は左腕を肩から下を無くしており顔はしわくちゃで所々切り傷や火傷の後で直視に耐えない姿だった。かろうじで白髪を後ろに結っている事から女性であるとわかるがよくよく見なければ男のような出で立ちだ。
当然そんな姿の人間が入ってくれば酒場にいる人間の視線は老婆に集中する。老婆はボロボロのローブ脱ぐと近くの物掛けに投げつけると周囲を威嚇するような獰猛な視線を巡らせて奥のテーブルへと向かった。
右足が不自由なのか引きずりながら杖をコツコツとリズミカルに音を立てながら亀のように遅いスピードで歩く。ドアから空いているテーブルまで10数歩程の距離をノソノソと進む。そして俺たちの横を通り過ぎようとしたその時だった。
何かでバランスを崩したのか身体が崩れ落ちそうになり咄嗟に俺たちのテーブルに手をかけて踏みとどまる。
「すまんねぇ。年なもんでこの通り歩く事も覚束ない体たらくさ。」
自虐するように自身を見下ろして冷たい笑みを浮かべると俺たちを順に見つめて言った。
その視線が俺からコトハの方へと向かいそして止まった。
驚きで生気を失ったように顔色が青ざめた表情で俺とコトハを見やると強い炎を瞳に宿しているような視線を向けて言った。
「お前教団の関係者か!」
そう尋問するような強い口調で俺に言い寄ると、悲壮感を漂わせつつも鬼のような気迫で老婆とは思えない力で俺の胸倉を掴む。そして体重を乗せて俺を押し倒すように力を込めた。
「このくそババア! 何しやがる。」
突然の老婆の暴挙に俺は椅子から転び落ちると尻もちをついた。
そして敵意に満ちた視線で老婆を睨みつけるとコトハが俺の元へ駆け寄ってくる。
「純さん大丈夫ですか。おばあさんこの人は教団の人ではありませんよ。」
コトハの弁明にババアも納得したのかバツの悪そうな顔で俺を見下ろすと言った。
「すまんねぇ。つい教団の関係者と思ったらカッとなってしまってのう。」
いや急に椅子ごと押し倒されてごめんと謝られても許せるかって話だよ。一発殴らせろ!
俺は仕返しをしてやろうと起き上がると慌ててコトハが抱き付いて阻止する。
短い付き合いとはいえ俺の次の行動が読めたようだ。
「ダメですよ。イラッとしたからって暴力は。」
「この敬老の精神溢れるこの好青年を信じられないのか。大丈夫だ。ちょっと彼岸の風景拝ませてやるだけだから。」
「全然大丈夫じゃないですよ! 殺る気満々じゃないですか!」
いや殺るって。とりあえず殺しておくかみたいな軽いノリで人を殺めたことはないわ!
ちょっと無害な若者に手を上げる老害に教育的指導をしようって話ですよ。
コトハは俺がババアを殺す気満々と思ってるようで全身を使って全力で俺を押さえつける。
胸の上にちょっと重りが乗ったような軽さだったが必死なその言動に少し傷つく。
俺の印象って…… 。
そんな事を考えていると周囲から婆さんの暴挙に避難の声が上がる。
「そうだぞ! 婆さん。この兄さんの身なりで教団の関係者なわけないだろ。」
「ついにボケててきたんじゃあねぇか。」
「頭おかしい婆さんだからな。」
「大丈夫か兄ちゃん。」
最後に店長らしきおちゃんが俺を気遣い言った。
「この婆さんは教団を恨んでてな。兄ちゃんを教団の者と勘違いしてしまったみたいだ。
にしても婆さん。この兄ちゃんが教団の関係者なんてどうして思ったんだ?」
「言う義理はないね。」
婆さんは店長の好意でフォローしてもらってるにも拘らずつっけんどうな態度で応対した。
なんてババアだと店長はトホホと両手を挙げて退散していった。
俺もそろそろこの頭のおかしいババアの相手をしているのが馬鹿らしくなってきたので胸の上のコトハを抱きかかえるように起き上がった。
「だ、ダメですよ。手を挙げちゃ。」
「大丈夫だよ。やらないから。てか俺をどんだけ暴力的な人間だと思ってるんだ。」
「え、暴力しか振るってないじゃないですか! あっ、いた。」
さすがに調子に乗り過ぎだと頭をこつくと地面に下ろした。コトハはちょっとふらつきながら席に戻っていった。その様子を見ていたババアが険しい表情で俺を見つめて言った。
「やっぱりお前は…… 。お前さん今日は家に来ないかえ?」
逡巡した後にババアは自分の家に招待すると言いだした。何言ってやがるんだこの野郎は。
今さっき暴力を振るった相手に謝罪もなく家に来いという奴がどこにいる。警戒心と怒りしか湧きあがらない。そんな事を考えているとババアが俺の耳元でそのしゃがれた声で囁くように言った。
「その聖女様をここで泊まらせる気かい?」
ババアの意外な一言に俺は動揺していた。どこでバレた? 周りの人間はコトハを聖女だとは気づいていない。
だがこのババアはコトハの正体を確信しているような物言いだ。
俺の慌てる心を見透かすようにゆっくりと付け加えるようにトドメの一言を言い放つ。
「私なら聖女の秘密を教えてあげられるのだがどうするかのう?」
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月がなければ一面闇に包まれていただろうと思うほど当たりは真っ暗で小さくコオロギのような甲高い羽音がかつての世界を思い出させるような懐かしい音色を奏でている。
酒場を後にした俺たちはババアの後に続いて街はずれにある彼女の家へと向かった。
家に着けば廃墟のようにボロボロで所どころ穴の空いた木造の家が目の前にあった。
どうやらここがババアの家のようだ。
「さぁ入りな。何取って食おうってわけじゃないんだ。そんなに警戒するんじゃないよ。」
入れと言いたいようだが俺とコトハは警戒を解く事ができない。あれからコトハにも軽く経緯は説明した上でどうするか聞いた。すると彼女も聖女の秘密とやらに興味があるようだ。特にババアの名前がユーリ・エスデバという名を聞いてからは目の色が変わった。
家に入り椅子に腰かけるとテーブルにお茶が出される。コトハは警戒心というものがないのかそのまま茶を口へと運ぼうとするので少しは注意しろとババアから見えないように小突いた。
「毒なんて入っちゃいないよ! 失礼な奴だね。目つきは獰猛な獣そのもの。聖女様とはまるで対局な野蛮な小僧だねぇ。」
俺の顔を見て憎らし気に毒づく。そりゃあ目つきも険しくなるわ。こんなくそババアを前にして優しい視線で見つめられる奴は馬鹿か仏様のどちらかだろう。
「ユーリさん。失礼を承知でお伺いします。エスデバという名は前の聖女マリア様と同じ名。まさかご家族なのでしょうか?」
「そうさよ。17代目聖女 マリアは家の娘さ。コトハ様、これは忠告だ。聖女なんてやめてしまうことだ。」
眉を顰めて憎たらしいと口元を歪めて言った。教団は憎むべき悪の権化だと言わんばかりにその口調は嫌見たらしいものだった。だがそれを聞いた現聖女であるコトハは聞き捨てならないと反論する。
「申し訳ありませんがそれはできません。皆から期待され町を守るこの身は神様の賜り物。この命尽きるまで神様に尽くします。」
「それが馬鹿だと言うのだよ。生贄になったお前さんがここにいるのはそこの小僧のお蔭なんだろう。せっかっく助かった命。大切にするんだ。」
俺を指さすババアは事の経緯を何となく察していたようだ。まぁそうだよな。生贄になる予定だった聖女様が生きていて教団関係者じゃない男と一緒にいたら何らかの事情に儀式は失敗に終わったとわかる。
そしてその失敗に俺が関わっていると誰しもが想像できる。
とはいってもそれ以外の可能性もあるわけで…… 。それなのにあんなに自信ありげに断言するのは強気すぎるこのババアの性格を表しているようだ。
「ですが役目が…… 。」
コトハはババアの言葉を正論だと思いつつも自身の聖女としての役割があると主張したいらしい。
「役目ね。聖女なんて政治の不満を押し付けられるかただの性奴隷になるかの張りぼての存在に大層な理想をお持ちだこと。」
そんなコトハの主張をばっさり切り捨てるように教団への侮辱の言葉を重ねた。
これにはコトハも我慢ならないと怒りを露わに強い口調で言い放つ。
「例えマリア様のお母様だとしても教団に対する侮辱許しませんよ!」
「ここまで妄信的だと可哀想な気持ちを通り越して愚かに見えてくるよ。その様子だとマリアがどうなったのか知らないのかえ?」
「マリア様は勇者ハヤト様の元へ嫁がれたと。」
「嫁いだね。実態は騎士たちの慰みものにされただけさ。」
やれやれと言った表情でこれだから小娘はすぐに騙されるんだとぶつぶつ小言を言いながら封筒に入った書類を俺とコトハの間に投げつける。
中身はババアの主張を裏付ける書類や写真といった証拠の数々だった。
ある貴族の直筆で「魔物が大量発生して町への被害が発生。聖女に罪を着せて処理をしろ。」と書れていたりある写真では聖女が勇者の直属の兵士である騎士という存在に強姦されている生々しい写真があった。
どうやら証拠品からわかる事実を要約すると魔物は自然に発生する存在のようで、聖女は魔王討伐によって統制を失った魔物たちが町に被害を与えた際の民衆の不満を政治に向けないようにするための人柱的な存在みたいだ。
そして魔物の被害がなく聖女の職を全うした少女たちは貴族の元へ嫁ぐという名目で貴族や騎士たちに凌辱され続ける性奴隷のような存在になる。
つまりは聖女という職は地位も名誉も豊かな生活も与えられるが未来は国のために死ぬか性奴隷になるかの二択しかない絶望の職だった。
「やはりお前さんは理解が早いな。風の噂で鎮神の儀が異教徒に止められたと聞いたがどうらや異教徒ではなかったようじゃね。お前さんはそっちの聖女様と違って事実を事実として見る洞察力があるようじゃの。」
俺の顔を見て聖女の実態を理解し始めていることに気が付いたのかババアが感心したように無くした腕をさすりながら言った。
ババアも今の話だけでは信じてもらうのは難しいと思っていたようだ。
それだけ宗教の力は強力なのだろう。だからコトハが信じられないのは仕方のないことだ。
俺だって異世界から来たから客観的に話を聞いていられるがそうでなければどうだっただろうか?
「嘘です! 勇者様は立派な方で魔王を倒しこのアルトの国に繁栄をもたらした英雄ではないですか。そんなひどいことするわけないです!!」
そんな戯言信じられないとコトハは半分涙目になりながら言った。
聖女は偉くてすごい職だと言い続けた少女がその職はただ男たちの道具として生涯を全うするしかない悲惨なものだと言われてもすぐに信じられるわけがない。
第三者である俺ですらあまりに話がぶっ飛んでいてにわかに信じがたいと思うほどだ。
ババアもそれがわかっているのか自身の娘という身近な例を出して俺たちに事実を伝えようと話に熱が入る。
「娘は騎士たちの隙をついて逃げ出し家に戻ってきたが娘は深く傷つき自害した。
当然さよ。信じてきた聖女の職がこんな現実だと知らなかった。人々を救う仕事だと思ったら人々に憎まれるか慰めるだけの仕事。これじゃあ奴隷と変わらないじゃないか!」
ババアはまっすぐと広間の方を指さした。そこには天井から紐が垂れており先の方は輪になっている。
余程口にするもつらいのか顔を顰めて首を吊ってマリアは死んだんだと無言で示した。
俺は首筋を摩りながらかつての痛みを思い出しつつそれが眺めた。
「嘘です。嘘。うそ。嫌です。こんなの。聖女は偉くてすごい人で皆から羨ましがられて。感謝される人なんです!」
コトハは気が動転している様子でまくしたてるように自分の理想とする聖女像を語る。でもババアから小さく可哀想な者を見る目で首を振る仕草を見て悟ったのか。それとも今の話が眉唾ではないと思う節があったのか。大粒の滴が頬を流れるとそれを何度も何度もぬぐいながら家を飛び出して行った。
最後まで御覧頂きありがとうございます。
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