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拝啓、私は百合の毒に殺される  作者: 花井花子
瞳の奥には闇がある
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002

「じゃあさ」


 花野子は私に視線を真っ直ぐ向けて、シーツを撫で付けていた左手を差し向ける。


「これ、何かな?」


 感情が全く読めない表情で、口だけニヒルに笑う。

 左手に握られていたのは――


「か、髪?」


 一本の、長い金色の髪だった。注視しなければ、全くもって分からないほどの細く繊細な糸のようなそれ。

 それがなんだと言うのか、きょとんと間抜けた顔をしている私に、彼女は子供をあやすように小首を傾げた。


「初花ちゃんの髪の色は?」


「く、黒」


 墨汁を頭から被ったような、黒。


「そうだね、綺麗だよ」


「……ありがと?」


「じゃあ、この髪の色は?」


「それは金色……あっ」


 ようやく気づいた頃には、時すでに遅し。

 彼女は「わかった?」と怖いくらい美しい笑顔をこちらに向ける。きっと花野子には初めから私が嘘をついてた事に気づいていた。じゃあ、一体それはどこから?

 乙女さんは昨日、私の家でシャワーを浴びた。当然、私と同じシャンプーやボディーソープを使用している。しかも、乙女さんは昨日私のパジャマを着ていたのだ。匂いは一緒のはず。

 まさか本当に私と乙女さんの匂いを嗅ぎ分けたのか? いや、まさか、そんなはずは、出来るわけ――


「……私、悲しいなぁ。初花ちゃんに嘘ばっかりつかれてるような気がするなぁ」


 そんな事を考えていると、花野子はひしがれるように視線を落としてぼそぼそと喋り始めた。

 こればっかりは全て私が悪い。悪いのだけれど、花野子に対しては防衛本能が働いてしまい、咄嗟に嘘をついてしまうのだ。今まで親にさえ嘘をついたことがないと言っても過言ではないのに、それの反動と言わんばかりに嘘が口から飛び出てしまう。


「ご、ごめんね、もう嘘つかないから……」


「……本当に? 約束できる?」


 項垂れていた花野子は視線だけこちらに向けて、ちらりと上目遣いをしてきた。涙を堪えていたのか、潤った瞳に不覚にもときめいてしまう。男子なら確実に恋に落ちていただろう。


「うん、約束するよ」


「じゃあ、指切りしよ?」


 そういって花野子は小指をそっと差し向ける。

 指切りなんて、小さい頃おばあちゃんとした以来だ。これは私がコミュ障なのが原因なんだろうけど、人と触れ合うのに極度に緊張してしまう。小指だけの触れ合いでも、それは例外なく。


 恐る恐る、小指を差し出すと、花野子はそっと私の小指を優しく絡めてくれた。


「ゆーびきーりげーんまんっ」


 そして久しく懐かしい歌を楽しげに歌い出す。にこにこと嬉しそうな彼女をみると、私も自然と顔が綻んだ。


「うーそつーいたーら……うーそつーいたーら…………」


 そこまで歌うと彼女はピタリと止まってしまった。


「花野子?」


「本当に、約束、してくれるんだよね」


 ふと消えた笑顔に思わず動揺してしまう。


「も、もちろんだよ」


 突如、彼女の唇がにやりと釣り上がった。

 そして私が口を挟む前に、彼女は口早に呪文を唱える。


「うーそつーいたーら、初花ちゃんを一日拘束する。めちゃくちゃにする。私にもう二度と嘘がつけない身体にしてあげる。もう私なしじゃ生きていけないくらいめちゃくちゃにしてあげる。大丈夫、きっとそれは素敵な事だから。大丈夫、それは全部初花ちゃんの為だから。だから安心して、約束破ったときは私と初花ちゃんが繋がる記念日なの。優しく、激しく、意識が飛んじゃうくらい愛してあげるね、ゆっびきった!」


「え、は?」


 一瞬の出来事で脳の処理が追いつかない。

 これは私が寝不足だとか、そんなちゃちな問題じゃない。彼女が本当に呪文を唱えたかと思ったのだ。


 そんな私は置いてけぼりで、彼女は「もー、ちゃんと聞いててよ、もう一度言うね?」と満面の笑みを浮かべる。


「うーそつーいたーら、初花ちゃんを一日拘束する。めちゃくちゃにする。私にもう二度と嘘がつけない身体にしてあげる。もう私なしじゃ生きていけないくらいめちゃくちゃにしてあげる。大丈夫、きっとそれは素敵な事だから。大丈夫、それは全部初花ちゃ――」


「ストップ! 止まれ! 止まって! 止まってくださいお願いします!!」


「もう、なに? せっかく気持ちよく人が――」


「いや、おかしい!」


 「え?」と彼女は本当になにか分かっていないようにきょとんと私を見据える。いや、このおかしさが本当に分からないのであれば失礼ながら花野子はサイコパスか何かだ。医師の判断を仰いだ方がいいだろう、それが世界と私のためだ。


「いや、どう考えてもおかしいよねその約束?」


「うーん、でももう指切っちゃったから」


 てへっといった表情。

 ……これはもうやられてしまった。ハメられたのだ私は。悪魔と、死神と、魔王と契約をしてしまったのだ。やられた、完全にしてやられた。まんまと死刑宣告を受け入れてしまった。


「どうかな? 目覚めたかな?」


「……ぱっちりばっちりきっちり開眼しました」


「さ、じゃあ着替えよー。ほら、あともうちょっとでいつもの出る時間だよ、れっつごー!」


「うわ、もうこんな時間!?」


 慌ててクローゼットに掛けてある制服を手に取る。

 この際、私のいつもの登校時間を何故知っているのかは置いておこう。理由は明白であるし。

 眠気と引き換えに、寒気がするのは気のせいだという事にしておく。


 バタバタと手早く身支度を済ませてる最中でも、花野子はぽわぽわとした雰囲気を漂わせていた。今この瞬間だけを切り取って見ると、どこからどう見ても普通の女の子だ。いや、とてもめちゃくちゃすごい可愛い女の子だ。彼氏……はいなさそうにない。ストーカーだし。

 なぜ私なんかにここまで狂異的な好意を寄せてくれるのだろうか。


 『ずっと見ていたら、好きになった』


 彼女はそう言うけれど、それだけでここまで人に好かれるような事をした覚えはない。

 そもそも、何故私を見続けてきたのか。

 どうして、私だったのか。


「ねぇ、花野――」


「アカギぃいい!!」


 突然、けたたましい叫び声が玄関から聞こえる。

 この呼び名で呼んでくる知り合いは一人しかいない。


「……どうしたんですか、乙女さん」


 煌びやかな金色を靡かせて、ずかずかと玄関まで乗り付けた“素の状態の乙女さん”が仁王立ちしている。顔は赤らめて、怒っているのか照れているのか、あるいはどちらもかに取られるような複雑な顔をしていた。


「昨夜はよくもこの乙女様の純潔を汚そうとしてくれたわね覚えておきなさいよ!」


「はぁ!?」


「あと、学校で私のこと言ったらぶっ殺すからか」


 乙女さんは眉間に皺を寄せてひと睨みすると、くるりと身を翻して足音を鳴り響せながら去っていった。


「……何だったんだ」


 どこか頭でもおかしくなったのか。


「ねぇねぇ、初花ちゃん昨夜ってなにかな純潔ってなにかなねぇねぇ、なにがあったのかなねぇねぇ、初花ちゃん、ねぇねぇねぇねぇ」


 そして、ここにも頭がおかしくなった人間がもう一人。


 昨日までの私はつまらない一人っきりの日常に嫌気がさしていたはずだったのに、今はこう思ってしまうのだ。


 私の日常よ、帰ってきてと。


 人間は失ってから初めて、失ったものの大切さがわかるものなんだ。あぁ、愚かな人間よ。あーめん。

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