003
夕暮れだった空はすっかり黒く染め上がり、時刻はもう八時をとっくに過ぎていた。腹時計ほど正確なものじゃなかったけれど、栄養欲しさに私のお腹がぐぅっと鳴る。
乙女さんには先にシャワーを浴びてもらい、あり合わせではあるが私は初めて二人分のご飯を用意した。実家から送られてきた秋刀魚をグリルで焼くと、独特の香ばしい匂いが食欲をそそる。
簡単なお味噌汁を作り、野菜を少々。なんだか朝食のようになってしまったけれど、乙女さんに突っ込まれないことを祈るばかりだ。
乙女さんと言えば、すっかり私の前では素になってしまった。あの甘ったるい声じゃなくなったのはいいのだけれど、今度は逐一小声で「バラしたら殺す」と脅してくる。目が本気なのがますます怖さに拍車をかけている。
「シャワーありがとね〜」
濡れた金髪と上気する頬に、どこか色っぽさを感じさせながら彼女は浴室から出てきた。髪の長いこけしみたいな私とは雲泥の差である。胸元が窮屈なのかボタンを上から二つ外しているのも色気に拍車をかける。悔しい。
「え、ご飯……用意してくれたの?」
シャワーからあがるなり、二人分の食器が並ぶテーブルと私を交互に見比べた。
「う、うわ、すご……これアンタが全部作ったの?」
「か、簡単なものしかないけど 」
「……食べていい?」
「髪乾かしてからの方がいいんじゃないですか?」
そう言い終わる前にはテーブルにつき、両手を合わせて「いただきます」と言い切る乙女さん。白魚のような繊細な指で箸を持てば、目にも止まらぬ速さで、しかしながらも上品であり優雅に、箸を口へと運ぶ。リスが木の実を食べるように高速で顎を動かしてるその様子はもはや圧巻だ。
「そ、そんなに急いで食べなくても……」
「すっっっごい美味しい、アンタ天才だわ!」
大袈裟なくらい青い瞳をサファイアみたいに輝かせて、乙女さんは料理に舌鼓を打つ。お世辞とは分かっていても、人生において褒められたことが極端に少ない私は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「ふふっ、そ、そんなことないよふひっふふっ」
「……笑い方がキモい」
「うぐっ、ひ、人のコンプレックスを……」
「アンタが“素でいいよ”って言ってたじゃん。……慣れてください、ねっ?」
にゃんっと今にもハートマークが空中を埋め尽くしそうな口調。その“演じた甘ったるさ”で空中の酸素濃度を薄くさせるようだ。
「はぁ、慣れさせてもらいますよ」
「そうよ〜。これから毎日、麗しの乙女様のご飯を作らせてあげるんだからしっかりしなさいよね〜」
「わかってますよ、毎日……毎日!?」
「お〜っほっほっ」
わざとらしい笑い声。右手の甲を左頬に当てて、高笑いする様は、欧州人特有の色白さに映える金髪が見事にマッチしている。どこぞの悪役令嬢か。
「……乙女さんは、ご自身で作られないんですか?」
「私はもっぱらコンビニね〜、作れないし」
「よく一人暮らし出来てますね……今度、簡単なものでよければ教えましょうか?」
「あ〜遠慮しとくわ」
「えぇ、大丈夫ですよ、例えば……」
「あー、いやいや」
私を手で制して、怪訝そうに乙女さんは顔をぴくぴくと引き攣らせる。
「なんか、“こいつ”に殺されそう」
手を胸でぱちんと合わせる真似をする。
「あっ……」
思わず納得してしまうのが辛いところ。
「そういう訳で、もちろん「毎日~」ってのは嘘よ。さっ、最後の晩餐を乙女ちゃんは楽しみま~す」
そう言って彼女は華麗な箸さばきで魚を身からほぐしていく。食べるペースこそマッハのスピードだが、食べ方や姿勢を見ると育ちの良さが伝わってくるようだった。
良いところのお嬢様なのかもしれない。なんか、ほら、金髪だしハーフだし。……我ながら田舎者な発想だ。
「おかわりありますからね」
さぁ、私も食べなくては。今にも私の秋刀魚も食べられそうな勢いでお食事をなさるお客様がいらっしゃるのだから。
◆
「だから、私は別にソファーでいいってば」
「い、いいよ、お客さんなんだから。ベッド使って下さい」
時刻も夜中に差し掛かる頃、私達は寝床の譲り合いで揉めていた。
そもそも友達や知り合いなど誰もいない私の家に布団なんて二組あるわけもなく。さすがの私としても、今日知り合ったばかりのクラスメイトを居間の小さなソファーに寝かせるわけにはいかない。
クラスメイトなのに「今日知り合った」とはおかしい話だが、今は置いておくことにする。
「……っ駄目よ。私のポリシーに反するわ」
しかしながらもなかなかに譲ってくれない乙女さん。図々しい振りをしていながらも、一線は頑なに超えようとしない。
「いや、本当に大丈夫です、このソファーふわふわだし寝やすいんですよ」
「嘘よ、それ安物じゃない」
うぐ。しかしながらも、こういうストレートなものいいは相変わらず。甘ったるい“乙女モード”よりはマシだけれど、大の人見知りである私にとっては素の乙女さんの言葉がしばしば胸に突き刺ささる。
で、でも譲る訳にはいかない!!
言葉ではなく、目で殺す!!
ジッと見つけめて視線で落とす!!
「…………あーもう、わかったわよ!」
ふんっと鼻を鳴らして、どこかに目線を逸らしながら乙女さんは意を決したように口を開いた。
「なにですか?」
「一……てあげる」
「へ?」
「一緒に……てあげる」
「んん?」
「一緒に寝てあげるって言ってんの!!」
「あぁ、もう!」っと苛立つような素振りをする乙女さんはどこか照れてるようにも感じられる。恥ずかしいのはこっちなんですけれども。
「え、い、一緒にですか?」
「なによ、麗しい乙女ちゃんが一緒に寝てあげようってのに断るの!? 私と寝たい男なんて五万といるのよ!?」
「ね、寝ます、一緒に!」
「ふん……光栄に思いなさいよ」
「は、はい」
「じゃあ……私はこっちの方で寝るから、ほら、電気消して入ってきなさい」
まるで自分の慣れしたしんだベッドのように、空いてある手前のスペースをトントンと叩く。
思わず緊張で唇を噛み締めた。
親や親戚の子ならまだしも、友達、ましてや今日話したばかりのクラスメイトと一緒に寝るなんて経験を私は持ち合わせていない。
「やばい、初めてだから緊張する……」
「はぁ!?」
そんな私の独り言に大袈裟に乙女さんが驚いた。しかも、顔を赤くし始める。なんなのか。表情が豊かな人である。驚きと暗い顔くらいしか出来ない私も見習わなくては。
「初めてってアンタ、あっ! 寝るったって私はね、別にそういう意味じゃ、はぁあ!?」
「あの、何言ってるの……」
突然あたふたし始めた乙女さん。
なんだか多重人格じみた事をしていたり、本当に不思議な人だ。
「そ、そもそもね、私達は、女同士だからっ!」
そうか、「女の子同士だから緊張するな」って言いたいのか。流石、クラスで人気者の乙女さんだ。私の緊張をほぐそうとしてくれてるんですね、わかります。
「うん、そうだね。ごめんね、変なこと言って」
「そ、そうよ、びっくりするわね」
「あ、でも激しかったり、痛くしたら言ってね?」
一応、迷惑にならないように寝相の断りはいれておく。
「は、『激しかったり、痛くしたらイッてね?』」
「うん、自分じゃ加減出来ないから」
「か、加減!? ドSなの!?」
「ド、ドS? 何言ってるの、乙女さん」
「いや乙女ちゃん可愛いけども……女の子同士って初めてって言うか、そもそも男とも……ってそんな話じゃなくて!」
ブツブツと独り言を捲し立てたと思いきや、今度は真っ赤な顔をして叫ぶ。なかなかに情緒が安定しない人である。見てて面白くなってきた。
「こっから! 半分以上入ってこないでよ! 来たらぶっ殺す!!」
最強の拒絶タイプかよ。言ってる場合か。
ビッと素早くベッドの半分に指で線を引く乙女さん。
そこまで拒絶されるとなかなかに落ち込むのだけれど。私は何かやってしまったのだろうか。そこまで寝相に厳しいタイプだったのかな。
「どちらかと言うと、やられるのは私の方かと思ってた……」
「アンタがヤられる方なの!?」
「へ?」
「は?」
なんだか話が盛大に食い違ってる気もするが、そこを突っ込んでいく勇気は私にあるはずなんてなく。
私達の夜は、何故かどぎまぎした雰囲気を醸しながら更けていくのであった。なんだかなぁ。
拝啓、お父さん、お母さん。私はまだ、同級生との付き合いがまだわかりません。かしこ。