003
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花野子と別れた帰り道。
どっと精神的な意味での疲労が襲ってくる。しかしながら、その疲労は心地よくもあり、柄にもなく明日からの学校生活を思うと胸が弾んでいた。
しかしながら、秋の木枯らしがひゅうっと吹くと、思わず冷静になってしまうものであって――
「……あれってストーカーだよね」
この帰り道、何度目か分からないこの結論に行き着いてしまうのであった。それも仕方が無いだろう。だってストーカーだし。
一年間も代わり映えのない私を見続けて何が楽しかったんだろうか。そもそも、なんだ、その、“好き”、とか良く分からないし。
それはそうだろう。私の知ってる近い歳の異性なんて、五つ歳上の勝義さん(話した事ない)か、四つ下の大成くん(小学生)くらいだ。恋愛とかいう摩訶不思議なものは分からない。
少なくとも私には縁の無い事には変わりなかった。
「だって、まず友達がいないし」
……よそう。辞めよう。最近の私は私を傷付ける。
元々、メンタルは強い方じゃないのだ。自虐良くない。
まぁ、とにかく異性との恋愛なんて――
「……あれ?」
私って女だよね?
花野子も花も恥じらう乙女だよね?
あれれ?
「女の子が女の子を好きに、なるのか?」
あれ? それって“有り”なのか?
恋愛ってそういうもんなのか? 恋愛って異性同士じゃなきゃ成立しないのではないか。よく知らないけど、“同性愛”って呼ばれるものなのか?
なんだか頭がこんがらがってしまう。……今日のところは考えるのは辞めよう。アパートに帰ったら、ご飯を炊いて、宿題して、シャワーを浴びて、お母さんに電話して寝よう。
あの曲がり角を曲がれば、もうすぐ――
「あぁん? なんで鍵開かねぇんだよ。くっそ、マジで最悪なんですけど。大家も早く電話出ろよな、マジでついてねぇ。ぶち壊してやろうか!!」
彼女は私の部屋の二つ隣の扉をドンッと力強く蹴る。扉が酷く凹んだ気がするが、見間違いにしておこう。
私と同じ制服を着ている。ってより、あれは確か私の同級生の――
「剛鬼、さん……?」
思わずポツリと漏らした言葉に、その少女はバッと振り向く。一本一本が洗練されたシルクのような白金の長く美しいを靡かせてこちらを見遣る。いつもは白人のような色素の薄い肌に映える、蒼眼の瞳は美しくみえるはずなのに、今は眉間に深く皺寄せて酷く機嫌が悪いのか怖く見えてしまう。
「あぁん!? その名前で呼ぶんじゃ――」
私の顔を見るなり彼女はしまったというように目を大きく見開いて、身を硬直させる。
なんだか、普段と様子がまるで違う。
そんな事をぼんやり思っていると、彼女はおもむろに小さく可愛らしい咳を何度か。
「ク、クラスメイトの方でしたよねぇ? え〜、やだ乙女恥ずかしいなぁ〜、こんなとこ見られちゃってぇ〜、やだ、乙女ったら天然だからぁ」
先ほどとは打って変わって、彼女は甘ったるいロリポップキャンディのような猫なで声で私に擦り寄ってくる。
そう、これが私の知ってる剛鬼さんだ。
お淑やかで、どこか天然で、ぽわぽわしてて、クラスメイト達にいつも囲まれる、人気者の剛鬼さん。
「ご、剛鬼さん、さっきの――」
「剛鬼って呼ばないで、下の名前で呼んでぇ?」
下の名前……『剛鬼』の下は確か……
「……ゴンザレスさん?」
「……それのもう一つ下」
「乙女さん」
「それよ、それぇ!」
もうお分かりかと思うが彼女はハーフなのである。確か自己紹介の時にスペインと日本と言っていたか。本名は『剛鬼ゴンザレス乙女』。クラスメイトの名前すら怪しい私でも、この物理攻撃力が高そうな名前は漠然と一度で覚えてしまった。
「あの、それで、どうかしたんですか?」
「なんかぁ、乙女の部屋の鍵が壊れてたみたいでぇ、開かなくてぇ」
そう言って彼女は折れた鍵をチラつかせる。鍵穴にはずっぽりと細い部分が入ってしまっており、折れた鍵の部分は無様にも根本しか残っていなかった。
乙女さんは「壊れてた」と言っているけれど、状況的には「壊した」という方がしっくり来る。
「あ、だから蹴ってたんですね」
ピクッと肩を震わせて、仮面のように柔和だった乙女さんの笑顔がピタリと顔面に張り付く。
「……………………何処から見てましたぁ?」
なんだかニコニコとしていながらも冷や汗を流し、体調が悪そうに見えるのはどうしてだろう。
「えぇと、『 なんで鍵開かないんだよ』って扉を蹴ってるとこくらいからですかね」
「……そうですかぁ」
見つめあったままの静寂。そして乙女さんは意を決したように何度か頷いて静寂を破った。
「アカギさんはなぁんにも見てませんよね?」
「あの、あ、阿達です……」
「………阿達さんはなぁんにも見てませんよね?」
「え、いや、私は――」
「見てませんよ、ねぇ?」
無言の威圧感。乙女さんの後ろから、先程の本性が殺意を放ってるのは気の所為ではないだろう。そのプレッシャーから背中にじんわりと嫌な汗をかくのを感じる。
「ハイ、見てないデス」
「もし、誰かに言ったらぁ〜」
拗ねたように口を尖らせて、人差し指をその唇に起きながら、私の方へもじもじと近付いてくる。
そして天使が囁くような甘い吐息を漏らし、私の耳元で彼女は小さい声で、ハッキリとした意思を示すのだ。
「……ぶっ殺すから」
「ハイ、絶対二言イマセン」
彼女の蒼眼に青く冷たい炎が宿る。
これは、脅しなんかじゃない、契約だ。そう言わんばかりの天使の皮を被ったデーモンに、社会的な意味で喉元に鎌を突き付けられた。
花野子の時とは違った意味で背筋が凍る。そして、先程の乙女さんとは比べものにならないくらいの冷や汗で大雨警報が発令してしまってるのは間違いないだろう。
「ありがとう、アカギさん」
「アッ、アダチデス……」
刹那、ぎゅうっとそのまま抱き着かれる。嫌な気はしないがスキンシップに慣れない私は恥ずかしくて、心臓が飛び出してしまいそうだ。少なからず、心臓の半分はもう口から飛び出しかけていると思う。
早く離して頂かないと、口から内臓が飛び出る可能性がある。身体を石のように固めてその時を待った。
しかしながら、一向に彼女は離れようとはせず。
「あの、ええと、乙女さん……?」
「あぁ〜……」
「え、どうしました?」
「アンタ、めっちゃ落ち着くわ」
「……えぇ?」
再び乙女さんがぎゅっと両腕に力を入れて、私の首に顔を埋める。首筋にかかる吐息がむず痒い。
「もうちょいこのまま……」
「ま、待って乙女さん、こんなとこじゃなんだし、ウチに来ない!? ほら、乙女さんの部屋入れないみたいだし」
なんだか不穏な雰囲気に無理矢理、乙女さんを引き剥がす。少し不機嫌そうな目つきだったが、咳払いをするといつもの調子が戻ってきて、
「えぇ、お家に泊めさせて頂けるんですかぁ? でもぉ、迷惑じゃないかなぁ、でもなぁ、さっそく誘ってくれたから、アカギさんのご好意に甘えちゃおっ」
語尾に全部、ハートマークがついてるような口調でそう言い切った。
泊めるまでは誰も言ってないんだよなぁと思いながら、「ハハハ」と渇いた笑いをあげた。そして、思い出す。
今日の占いは大当りだな、と。